第6話 紫色


「マジックアワーって知っているかい?」


その人は家庭教師の先生らしく、知識を把握するかのように質問した。


「全く知りません」


数秒考えても出てこなかったから、私は正直にそう答えた。

するとその人は、一瞬驚いて、その後クククと笑って、私の一本にまとめあげられたポニーテイルを撫でて、


「こんなものがこの世に存在するのか?!って言いたくなるほど、素敵な景色が見れる時間のことだよ。日の出と日の入りの時に、ほんの少しの時間だけ現れるんだ」


そう言って、その人は何枚かの写真を机の上に置いた。


「ご覧」


ドヤ顔を隠さずに、その人はそう手で指示した。

私は、机の上の写真の一枚を手に取った。

そこには紫色に空が染まった、海の姿が写っていた。


「キレイ……」

「だろう?」

「これは先生が撮ったの?」


そう聞くと、


「いや、正確には俺の友達だ」


と少しだけ表情を曇らせてそう言った。


「そいつが写真が好きでな。世界中を歩いて、色んな写真を撮っているんだ」

「先生にも友達が居たんだ」


そう言うと、


「変わった奴だよ。俺が言うんだから、相当だぞ?何言ってもめげずにさ。俺のどこがいいのか」


と、先生はため息交じりにそう答えた。

その姿があまりにも、普段の俺様な態度からしたら、愛らしかったから、


「愛されているのね」


と言った。そしたら、


「うっとおしいぐらいにな。でも、今じゃあこいつが居てくれたから、俺が居るんだ」


と誇らしげに写真を眺めながら、そう先生は言い切った。

私は先生にそんな表情をさせてしまう、写真家の人のことが気になった。


ある日のことだった。


「この前見せた写真、覚えているか?」


と先生が私に聞いてきた。


「マジックアワーの写真?」


と聞くと、


「そうだ。そいつがな、近々個展をするらしんだ。行かないか?」


そう言って、個展のDMを見せた。

そこには、この前見た写真と違う、湖の写真が載っていた。


「是非、行きたい!連れて行って!」


と私は言った。

個展の初日、先生と二人で私は出かけた。

そこには、一人の背の高い男性が、何人かの人に囲まれていた。


「お邪魔だったかな?」


先生がそう言うと、その人は顔をパッと輝かせて、


「意地悪言うなよ。よく来てくれたな!」


と駆け寄ってきた。

ひとしきり二人で談笑し合っていたら、その人は私に気がついた。


「こんにちは。お構いもしなくて……」

「いいえ。こんにちは。どうぞ、先生とお話ししていてください。……あの、見ててもいいですか?」


と私は恐縮してしまって、顔を少しだけ下に向けた。


「ええ、気の向くままにご覧ください」

「ははは。カワイイだろう?そんな猫被らなくていいのに」


と先生は私に言った。

私は小声で、イジワル!と言ってから、写真を見始めた。

どの写真も、光の入り方が絶妙で、甘くとろけるような印象を受けた。

ボーと眺めていたら、


「よろしければ、一枚差し上げますよ」


とその人が隣に立って、言った。

隣に立っていたことにも驚いたし、話の内容にも驚いた。


「え?!でも、これは……展覧会……用じゃ……」

しどろもどろに言うと、横から先生が現れて、


「ネガだよ、ネガ。これ丸々貰えるとか思っていたのかよ?お前は全くずうずうしいな」


とため息交じり&笑いを含んだ物言いで言った。


「そんな風に言わなくてもいいでしょ?!写真のこと知らないんだから!」


と私が怒ってたら、


「展覧会が終わったら、これをそのままあげてもいいよ」


とその人は言った。


「いいのかよ?小さい写真でも、満足するぞ?」


と先生が言い、


「あーいいよ、いいよ。大事にしてくれる人に貰ってくれた方が、写真も幸せだし」


とその人は笑った。

私はいきなりの申し出に、少しだけ緊張しながら、星空の写真を選んだ。


「遠慮がねえなあー、お前は」


と先生は苦笑し、


「見る目あるね。これ、この展覧会の中で、僕も気に入っている一枚なんだ」


とその人は笑った。

大の男の人2人に囲まれながら、私は少しの照れくささと、誇らしさと色んな感情が混じった気持ちでその場に居た。


数年後、私と先生は一緒になった。

私たちの家の玄関先には、あの日貰った写真が飾ってある。


「行ってくるな」


先生がいつも通りに、玄関先でそう言う。


「気を付けてね」


そう言って私は彼にカバンを差し出す。すると、


「今度、あいつ日本に帰ってくるって。盛大にお祝いしてやろうな」


と写真を指差してそう言った。


「え?本当に?じゃあ、ご馳走用意しなきゃ」


と言ったら、


「それよりも、展望台に行って、この写真みたいな星空見ようぜ」


と言って、時計を見てから、また家に帰ったらこの話しようと彼は慌てて出て行った。

私は先生が居なくなった玄関先で、星空の写真を観ながら、しばらく考え込んだ。


当日、私は先生が運転する車で、近場の大きな顕微鏡がある有名な展望台に行った。

その場所には、すでに写真家さんは着いていた。


「久し振りだな。今回はどのくらい、滞在するんだ?」

「1か月いるかいないかかな?」


その人は笑った。そして、私たちを見て、


「結婚おめでとう。直接言えなくて、ごめんな」


と言った。その事に私は照れた。昨日先生と結婚したかのような錯覚を覚えた。


「ありがとう。なんだよ、お前国際メールでメッセージくれたじゃねえか。改まって」


と彼は笑った。


「いや、やっぱり直接言うのが、良いだろうと思って」


とその人は言った。その事に対して、グッと胸を湧き上がるものがあった。


「それよりも、準備してあるから」


と広場の方に連れて行かれた。

そこには、天体望遠鏡が置いてあった。


「夜はここで星空観察ね」


とその人は笑った。


「それだけじゃないんだろう?」


と先生が彼に問うと、


「もう少しだよ。ある景色が見れるから」


とその人は私たちを別の場所に連れて行った。

暫くの間、会わなかった期間その人が旅した場所の話を聞いていた。

その内夕日が沈んでいった。


「もうすぐだよ」


いつの間にかその人は、カメラを構えていた。


「マジックアワーが見られるぞ」


先生が私の耳元でそう囁いた。


「え?」

「いつかお前に見せたくてな。あいつに聞いて、場所と日にちを相談してたんだ」


そう言われた時だった。

眩しい位の光が、目に飛び込んできて、目を細めて次の瞬間目を見開いたら、そこには今まで見たことも無かったかのような、海の、夕日の光景が飛び込んできた。


「……きれい……」


知らず知らずのうちに私はそう零した。


「ああ……綺麗だな」


先生も珍しく、景色に見とれていた。

パシャ……パシャ……とカメラのシャッター音が、何かのBGMかのように耳に届いた。



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