第5話 白色
ふわりと冷たい感触が頬を撫でた。
疑問に思って上を見上げたら、少しではあるけれど、小さい白い塊が降りてきていた。
シンシン・・・シンシン・・・
いつかの曲か物語の中で聞いた音を思い出した。
シンシン・・・シンシンと降り積もる。
私は知らない内に、掌をお盆のようにして、前に突き出して雪を待ち構えていた。
シンシン・・・シンシン・・・・
私の思いなんて知らないように、雪はどんどん増して地上に舞い降りていた。
「早く家の中に入りなさい」
玄関のところで雪をただずっと見続けていたら、家の中からお母さんの声がした。
「もうちょっと!」
そう声を告げる。
まったくもう、とか風邪ひくわよなんて声が聞こえた。
私はそれを無視した。
お母さんがよく言う私を気遣っての言葉は、私のしたいことを制限するだけだから。
どうして、そのことに気がついてくれないんだろう?
私がしたいようにしなさいね、なんて言っておきながら、いざしたいことをしようとしたら、それに待ったをかける。
私はハアーと白い息をひとつだけ出した。
モワワと白く霞んだ、体内の空気が出てすぐに消えた。
「雪ってどうして降るのかな?」
私がそう呟いてみたところで、誰も答えてくれないのなんて分かっていた。
と私が思っていたら、
「空気中の水蒸気が上に登って、空のもっと上の方で冷たい環境にあって、水蒸気が冷えてそれが固まって、そして地上に降ってくるんだよ」
という声が聞こえた。
私はドキ!として周りを見渡した。
そうしたら、一人の女の人が立っていた。
長い茶髪の髪の毛を、後ろに一つにふんわりとくくって、ベレー帽をちょこんとのせて、真っ白なコートを着た女性が。
私は今までそこに人がいたなんて思ってもいなかったから、あんぐりと口を開けた。
口を開けて、何も言えなかった。
そんな私の姿を見て、
「あれ?ちょっと難しかったかな?」
とまたもやその女性は、私に声をかけた。
私は何か反応を示さなきゃ、と思ったけれど、何も出来なかった。
そうこうしている内に、女性の方が困ったように笑った。
「うーん……いきなり話したのが、怖かったのかな?」
右手を顎の下に、考えるようなポーズをさせて。
マジマジと女性を観察して、私はよおやっと安心して、
「ううん。そうじゃないの。ちょっと……ほんのちょっと驚いただけ。ごめんなさい、お姉さん」
と一気に言った。
すると女性は、ビックリした顔をしてから、少し斜め上を見て困った表情をして、また笑ってくれた。
私はそんなお姉さんの心情が分からなかったから、首を傾げた。すると、
「君の疑問に答えれて、良かったよ。他になにかある?」
と聞いてくれた。
私はそう言われるなんて思わなかったから、うーん、うーん・・・と頭を抱えて考えた。
でも、何も出てこなかった。
「ない……と思う」
少し、お姉さんともっと話していたかったから、残念な声でそう告げた。
そうしたら、お姉さんは、
「君は何歳なの?」
と聞いてくれた。
「6歳よ。来年小学校に通うの!もうランドセルも買ってもらったの!」
と得意げにお姉さんに言った。そうしたら、
「それは良かったね、おめでとう。楽しいことが一杯起こるといいねえ」
と言ってくれた。私はそのことにすっごく嬉しくなって、
「うん。今からすっごく楽しみなの!この前は一日、小学校に行ったのよ。いっぱい背の高い人が、いっぱいいて、ちょっとだけジロジロと私とか他の子のことを見てたけど。
私ちっとも怖くなかったの。とっても誇らしげに歩いたのよ!」
とお姉さんに告げた。お姉さんは、そうなんだねえ、と優しく目元を細めてうんうん頷いてくれた。
「一日に色んな勉強をするんだって。どんなことを教えてもらえるのかな?」
とお姉さんにもっともっと話したくって、そう聞くと、
「さっき君が疑問に思った、天気のこととか物語とか、計算とか、そりゃあもうたくさんのことを教えて貰えるよ」
と答えてくれた。ますます私はそのことに満足して、口を開きかけた時、
「ご飯だから、もう中に入ってきなさーい!」
とお母さんの声がした。
喜びの絶頂から、一気に悲しみの奈落に落とされて、私は下を向いた。
そんな私の様子を見て、
「家に入って、ご飯を食べてきなさい。また明日、同じ時間に来るから、ね?」
とお姉さんが言った。
私はその言葉に顔を上げて、
「本当に?」
と聞いた。そうしたら、
「本当、本当。約束するよ」
と小指を出してくれた。
私はその意味を最近しったから、私も自分の小指を出して、
「ゆーびきりーげーんまーん♪」
と約束の歌を歌った。
「ゆびきった♪」
そう言ってお姉さんの小指と絡めていた小指を離した。
「ぜったいだからね!」
私は家に入る前に、もう一度お姉さんにそう念押しした。
「うん、ぜったいね」
そう言って、お姉さんは、私が家の中に入るまで手を振ってくれた。
夕食の時にお母さんに、
「誰かと話していたの?」
と聞かれたけれど、私は首を横にふって否定した。
なんだかお母さんには言いたくなかったから。
お母さんにヒミツなんて、ちょっと、ちょっとだけ大人になったような気がした。
次の日も同じ時間に外に出ていたら、
「こんばんは」
とお姉さんが昨日と少しだけ違う格好でやって来た。
「約束、守ってくれたね」
と言うと、
「約束、守ったよ」
とにっこりと笑って言ってくれた。
それから、その日一日かけて考えていた質問を、お姉さんにした。
そうしたらお姉さんはスラスラと答えてくれた。
私はそのことに感動して、また私が来年小学校に行くことについて、堂々と語った。
お姉さんは静かに、私の話を聞いてくれた。
そんな風にお姉さんと話すのが3日目になったときだった。
「明日ね!また明日ね!」
お母さんが夕食に呼ぶ声が聞こえたから、私が家の中に入る前にそう言った。
また明日、また明日お話聞かせて!と思って。
そしたら、お姉さんは少し悲しい顔をして、
「明日からはもう来れないんだ。ごめんね。今日で最後」
と言った。私はその言葉が信じきれなくて、
「ええ!イヤ!イヤ!イヤ!」
とお姉さんの手を掴んで、ブンブンふった。
その間もお姉さんは困った顔で、私を見ていた。
ごめんね、ごめんねって言いながら。
「どうして?どうして?」
私は涙を流しながら、そう聞いた。
「少し旅行に来ていただけなんだ。ごめんね、期待させる様なことして。元気でね。小学校に行くの楽しみにしているんだよ」
とぎゅっとお姉さんは私を抱きしめてくれた。
その時私は変な感触を覚えた。
お母さんに抱きしめて貰う時は、フワフワしたものに当たるのに、お姉さんにして貰った時は、固かった。
うん?と私が疑問に思ったのと、お姉さんが私を離したのは同時だった。
「じゃあね」
もう一度お姉さんは私にそう言って、去って行った。
お姉さんと別れてから何日か後に、食事の前にテレビがかかっていて、それを見ていたら、
『次のニュースです。今まで幼児誘拐を繰り返していた○○容疑者を逮捕しました』
という声が聞こえた。
見たらそこには、お姉さんの写真が載っていた。
私が、あ!と思ったのと、お母さんが、
「怖いわねえ。ここら辺にも居たんでしょ?」
と言ったのが重なった。
「女の格好して、油断させてなんて……」
とお母さんがため息交じりにそう言った。
その時私は、最後にお姉さんに抱いた疑問がやっとわかった。
お姉さんじゃなくって、お兄さんだったのか!と。
なおもテレビの中からは、お姉さんじゃなくて、お兄さんのことをつらつらと話していた。
でも私はそんなこと、耳に入ってこなかった。
私が会ったお兄さんは、すっごく優しかったから。
皆、お兄さんのことを分かってないんだよ。
全然分かってないんだよ、って思いながら、私はテレビに背中を向けた。
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