第10話 亜麻色(あまいろ)



ヤシの木が揺れた。

生暖かい風が全身を包んだ。


「ムッとするねえ」


隣にいたエリがそう言った。


「そうだね。日本と違うものね」


私はそう答えた。その言葉にエリは何も返さなかった。

無言は彼女にとっては頷きと同じ意味合いを持っていたから、私は何も言わなかった。


「とりあえず、マッサージ受けようよ」


そうエリは海を眺めていた私の腕を取って、ホテルの部屋へと連れて行った。


泊まる部屋で、日本にいた時に予約していたマッサージを二人して受けた。

大きなベッドにそれぞれ一人ずつついて、窓から景色を眺めながらゆったりとした時間を過ごす。

スタッフとは片言の英語とジェスチャーで、拙いながらもコミュニケーションを取り合う。

時折エリと私は顔を見合わせて、ふふふと笑いながら、通じない中にもある人の優しさを確認し合った。


「アリガトウゴザイマシタ」


私たちが教えた日本語で、二人のスタッフはそう言って部屋から出て行った。


「THANK YOU--」


私たちは代わりに英語で言った。

彼女たちが出て行ってから数分後に、


「気持ち良かったねー」


とエリに向かって言うと、


「予約しておいてよかったでしょ?感謝しなさいよ」


とベッドに横たわったままエリはそうふんぞり返った。それに対して私は笑うと、


「笑うところじゃないよーー」


と彼女から抗議を受けた。


「明日はどうしようか?」


彼女の言葉を流して、そう聞くと、


「泳ごうよ。これだけ綺麗な海だよ?」


とエリは言った。


「でも水着持ってきてないよ?」


出国前にドタバタした関係で、マッサージの予約は間に合ったが、その他は疎かになっていたことを今更ながらに悔んだ。


「足つけるだけだよ。それだけでも十分じゃない?」


エリはすぐさまそう返した。


「そっか。じゃあ、海に入ろう」

「今からでも入れるけどね。それに、水着くらい売っているんじゃないの?」

「こっちの人サイズだよ。胸が入らないよ」

「そうかなあー?」


とベッドの上から一歩も動かずに話し合う。

そんなことにも二人して、意味もなく笑いあった。


フィジー行きを決めたのは突発的だった。


「仕事辞めてきた」


エリから唐突な告白された。


「え?」


いきなりメールで遊ぼうと誘われて、カフェに入ってからそう切り出された。


「さっき」


しかも情報としては出来たてホヤホヤだった。


「まって、待って」


私は手を前に、仏さんのように出してエリの話を遮った。


「え?さっきって、本当に今のこと?」

「うん。部長に叩きつけてきた。まあ、こまごました書類関係の手続きとかまだ残っていると思うけど。でも、もう私戻りたくないし」

「いや、そもそもなんでそういうことになった訳?」

「突発的」


エリは無表情でそう答えた。


「大体なコトしたわね」


そう感想を言うと、


「でさ、旅行に行かない?」


と全く関係話を彼女は振ってきた。


「はい?旅行?今その話……」


と私が少し尖った声を出したのを、


「もうーーずっと我慢してたのよね。南国とか行ってみたい。もうさ、ボーとしたくない?」


と被せてきた。


「行けばいい……」

「どうせマリも今暇でしょ?何もしてないの分かってんだから」


じゃなきゃこんな急な誘いに乗れないものね、と彼女は付け加えた。

その言葉に私はムッとしつつも、図星をつかれたからか黙るしか出来なかった。


「まあ、お互いに休息が必要な者同士、行かない?」


そう彼女に丸め込められた。

その足で旅行代理店に行き、今すぐ出発できるツアーを探し、今に至る。

本当に出発まで時間が無かった。

というか、私からしたら、たった数時間前に話をした気分だ。本当は話をしてから3日くらいは猶予はあった。お互いにパスポートを持っていたのが良かったのかもしれない。

大学の卒業旅行で、一緒に取ったのだから、有効期限もほとんど同じなんだけど。


「やっぱ来て良かったね」


次の日海に足首までつけて、ピチャピチャと遊びながらそう彼女は言った。


「まあ、そうだね」


私はそう同意した。けれど何故か一つ腑に落ちないことがあった。


「ねえ、エリ」


私がそう言うと、


「うん?」


と何でもない風に彼女は私の方を向いた。


「どうして会社辞めたの?」


私が言い放った後、たっぷりと数分間は経った。私はその間、一言も話さなかった。


「突発的って言ったじゃない」

茶化す様な声も出さずに、ただ真面目な声でエリは言った。


「それじゃあ納得できないよ。あんなに嬉しそうに話してくれていたのに」


私の言葉に、エリは分かりやすく動揺した顔を見せた。

俯き、水面を彼女は見つめ続けた。


「疲れちゃったの」


ボソリとそう言った時の彼女の顔は、儚げだった。


「上司からは毎日小言、同僚はライバルだしでギスギスしてて。毎日通勤して会社行って家帰っての繰り返し。休日だってなんだかんだしてたら過ぎてまた会社。なーにしてんだろうって思って。私、こんなことしたかったんだっけ?って」

「それだったら、リフレッシュって名目で、長期休暇とか有給休暇とか取れば良かったじゃない。なんで?!」

「毎日、会社の人間に会うのが嫌になったから」


彼女は私には分からないよ、といった顔でそう告げた。


「休暇取っても、休み明けには会社に行かなきゃいけないでしょう?会社の人間に会わなきゃいけないでしょう?もうね、疲れちゃったの」


そう彼女は零した。

私はその言葉に何も言えなかった。

私は彼女みたいに、会社に行ったことすらない人間だったから。

知識だけはバカみたいにある、そんな人間だったから。

だからこそ彼女は私を誘ったのだ。

いきなり話がしたいと連絡して、すぐに来れるような奴を。

明日から旅行に行くと言って、すぐに行けるような奴を。

そのことは分かっていた。

けれど、彼女の悩みまでは、私は理解出来なかった。


「そ……っか……」


そう私は言うしか出来なかった。彼女もそれを分かってか、


「折角旅行に来たんだしさ、この話はもう終わろうよ」


と笑顔でそう話の終わりを示唆した。

私たちはその後も、微妙な空気のまま海辺で足を動かすだけの遊びをした。


最終日の夕食の時、旅の終わりだからと一番豪華な食事をした。


「うーん!やっぱ魚介類は最高だね!」

「目の前に海があるから、新鮮だしね。」

「あー明日帰るのか―ー。ここに居たいーーずっと居たいーー!」


エリはまだ足りない!まだ足りない!と言った。お酒を飲んでいるからか、頬はうっすらとピンクに染まっている。


「エリは……帰ったらどうするの?」


また不意にその質問をしてしまった。した後で、しまったと思ったけれど、止まらなかった。

彼女は持っていたカトラリーをお皿の上に丁寧に置いて、


「どうしようかな。本気で旅に出ようかな。どうせ、日本に居てもなーんもしたいこと浮かばないし」


と真面目な顔で言った。

その表情と言葉に私は胸がざわめくのを感じた。


「本気で言っているの?」


そう困惑した表情で問うと、


「語学留学もあるし、労働留学もあるし、行こうと思えば何でもできるよ。お金さえあればだけど」


とエリは舌を出した。

その顔を見て、


「したいなら、したらいいと思うよ」


と私は彼女の顔から目線を下げて言った。自分から放った話題の癖に、自分で終止符を打つのが嫌になった。

すると、


「マリは?どうするの?この後」


と唐突な質問をぶつけられた。


「え?」


あまりのことに驚くと、ニンマリと笑った彼女が、


「マリだって、日本に帰ったらどうするの?何かしたいこと見つかった?」


と聞いてきた。


「マリはさあ、何でも器用にこなすけど、あまり執着心が無いというか。旅行で日本を出たら何か見えてくるものがあるんじゃないかなあ?って思ってたの」


そう彼女は笑った。そんな彼女の姿に、私は敵わないと思った。

いつだって、自分のことを優先しているように見せて、他人のコトも拾っていく。それも何でもない風に。まるで自然に、相手が気がつかない内に。


「そう……だなあ。どうしよう?私も……何か勉強始めようかな?」

「一緒に留学しちゃう?」


彼女はそう誘ってきた。


「う……ん。私はエリみたいに語学が得意じゃないし、誰とでも話せるわけじゃないから……そうだな。何か、少人数でもいいから、自分と同じような悩みを抱えている人を助けれるようなことをしたいな。……その為の資格を取ろうかな?」


と私も旅行中に遊びながらも、なんだかモンモンと考えていたことを言った。

というよりも、彼女を見ていて、思ったことを。


「そっか。じゃあ、頑張ってね、資格取得」


エリはそう笑った。


「うん。まだ何を取るか決めていないけど、頑張るよ」


私も彼女につられて笑った。


その後、日本に戻った彼女は、諸々の書類を片づけると、本当に日本を旅立った。


「ちょっくら半年くらい?その倍?行ってくるわ」


お見送りには、他の級友も来た。彼女は、大層なことじゃないからお見送りなんていいのに、と言っていた。

そして私はというと、資格を調べて目下勉強中である。

彼女のように、少しでも誰かの役になれるように。



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