第31話 自立しか救われる道はないと覚悟を決める 🌳
修業のような夏休みをやり過ごして長野の寄宿舎にもどった文子は、自分のなかのなにかが大きく変わっていることを感じていた。境遇を嘆いてばかりいてもどうにもならない。あなた任せの人生ではなく、自分の力でひとりで生きていくための方策を考えねばならない。そのための足がかりとして、いままで以上に勉強に集中しよう。
住めば都と言っていいのだろうか、当初は途惑うことが多かった寄宿舎生活も慣れればむしろ快適になって来ていたし、本校の教室での同級生たちとの交流もメリハリをつけて考えられるようになった。文子の席は、自宅が長野にある本校生に囲まれていたが、ありがたいことに性格のいいひとばかりで、みんなが仲よくしてくれた。
問題は前とうしろに数人ずつかたまっている陰湿なグループの存在だった。かたくなに奥地の出自を受け入れてくれず、夏休み明けから文子の成績がよくなると、いやがらせめいた行為はいっそうヒートアップしたが、文子はそんなことに惑わされない自分を確立しつつあった。無意味なことに時間と頭と心を使っている暇はないのだ。
*
夕方の教室で知り合ったとなりのクラスの森田とみ子とは、成績表を見せ合うほど親密な交流をつづけていたが、もうひとり、同じクラス内に気になる女生徒がいた。小森誠子。地方銀行の頭取のむすめだそうで、成績はいつもトップクラス、穏やかな笑顔でだれにも公平に接するので生徒間の人望も篤く、級長的な存在になっていた。
難しい問題でだれも答えられないとき、どの教師も決まって「では、小森さん」と指名して、見事な答えを得ると大いに満足するという話は、ほぼ伝説と化していた。文子はなんとか小森さんと話してみたいと思いながらも、物腰や言葉づかいも上品なトップスターの前に出ると臆するような気持ちがして、なかなか果たせずにいた。
(わたしも中田の小学校では成績がいいと思っていたけど、長野へ出て来てみて井の中の蛙だったことが身に沁みたわ。上には上がいるというけど、まさにそのとおり。各地で優秀だったひとばかりが集まって来るんだから、並み程度では団栗の背比べ、よほど抜きん出ていないと本当に優秀とは言えないと思い知らされる日々だもの)
その小森さんの方から話しかけてくれたのをきっかけに親しくなったのだが、あるとき遠慮がちに訊いてくれることには「ねえ、手塚さん、個人の生活に踏みこむようで気が引けるけど、どうしても気になることがあるの」「はい、なんでしょう」「あなた、夏休みのあと長野へ帰って来たとき、とても痩せていらっしゃったでしょう」
とつぜんの指摘にうろたえていると「勝手にごめんなさいね、家で母にそのことを話したら、一度お招きしてみたら? ということになって……」思いもよらない展開になった。わたしなんぞとんでもないです。赤面して尻ごみしたが「いいでしょう、遊びにいらして。今度の日曜はどうかしら。母とお待ちしているわ」ということに。
*
これも関先生の言われるところの社会勉強のひとつかもしれないと覚悟して出かけてみると、豪壮なお屋敷の一室の誠子の部屋には、ふかふかの絨毯が敷き詰められ、高価そうな机と椅子が置かれ、きれいなピンクの笠をかぶせた陶製の電気スタンドが灯りをつけ、窓際を占めるベッドにはあざやかなブルーのカバーが掛けられていた。
そこへ入って来たこの屋敷の主婦、誠子さんのお母さんは束髪に鼈甲の櫛をさし、秋の七草をあしらった着物に茶色の名古屋帯を締める令夫人だった。「よくいらしてくださったわね」おっとりと文子に挨拶したあと「誠子さん、アイスクリームがちょうどいいころよ。あちらのお座敷にお通ししたら?」自分の子どもをさん付けで?!
(一人前どころか存在すらも認めてもらえないわが家とはなんたるちがいだろうか。神木の良おばさんも品よく美しいひとだが、小森夫人はさらに別格のように見える。こういう女性に育てられたのだもの、誠子さんがすべてにおいて優秀なわけだわね。和枝と須坂勢の差異、わたしと誠子さんの差異……生まれついての不平等がある)
最高の母子の行き届いた気配りのおかげで、あれほど緊張していたのがうそのようにリラックスした時間を過ごした文子は、なにもかも別世界に見えるお宅にお邪魔することが楽しく思われて来た。誘われるまま何度か訪問するうちますます親密になり、いつの間にか文子はクラスでも一目置かれるポジショニングを確保していた。
not alone/小説・丸岡秀子 🧵 上月くるを @kurutan
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