第5話 アップデート悪役令嬢ver.2.1

 お日柄もよく、絶好の悪役令嬢日和である。

 わたしは堂々と玄関ホールの中央へ歩み出すと、「あら!」と居丈高に声を発した。


 たまたま遭遇して立ち話をしていたエミルとセシリアが、こちらをみて身体を固くする。わたしは頬に手を当てて首を傾げた。

「もしかして、お二人ともお揃いで、逢い引きでもなさっていたの? お邪魔だったかしら」

「下衆な勘ぐりはやめてくれ、サフィーナ」

 セシリアを背後に庇って、エミルが一歩踏み出した。

「君と違って、僕は人に誹られるようなやり方で意思を通すつもりはない」

「あら、あなたが通したい意思って?」


 直裁に問い返すと、エミルの喉仏が上下する。

 周囲はざわめき、いつのまにか周辺には不自然な空間ができていた。


「殿下がそこの田舎娘にうつつを抜かしていること、ご両親にはお伝えしていますの? あらかじめ伝えておいた方がよろしくってよ、のちの騒動を避けるためにも」

「セシリアを侮辱しないでくれ。それと、僕の交友関係に関して、君に指図をされるつもりはない」

 断固とした口調で返すが、エミルの瞳は揺れていた。どの程度わたしに強く出ていいものかと、迷いのある顔つきだった。

 そんな横顔を、セシリアがじっと見上げている。大きく見開かれた双眸が、同じような迷いに揺れている。


(……あれ?)

 二人の様子をみて、わたしは眉をひそめた。

(わたし今、悪役令嬢にできる限りの言い方で二人の背中を押したつもりだったんだけどな……?)


 ちょっと分かりづらかったかな?


「ふん……まあ、改めて見てみると、お似合いかもしれませんわね」

 そう思って分かりやすくそそのかすと、今度はセシリアが目を怒らせて前へ出る。

「お言葉ですが、いくら婚約者とは言えど、そのような物言いはエミルさまに失礼だと思います」


(これも駄目なの?)

 わたしはすっかり困り果てた。ふらふらと目が泳いだ先で、「その場に居合わせたエミルの友人」と視線が重なる。


『へたくそ』


 唇の形がそう語り、わたしは目を怒らせた。くるりと踵を返すと、ほうぼうから安堵のため息が漏れる。



 騒ぎの中心を離れながら、何が駄目だったか自問する。


 悪役令嬢というのはとかく難しい。

 飴と鞭、山あり谷あり、押して駄目なら引いてみろ。古今東西、ドラマチックな人間関係を演出するのは緩急である。

 引き裂かれそうな不安は、ときにそれまでとは比べものにならない結束を生む。

 そのために用意されるのが悪役。惹かれ合う二人の前に立ちはだかるが、力を合わせれば決して越えられない壁ではない。

 そして、この塩梅が難しい。



「まあ、正直俺も二人はお似合いだと思うよ」

 背後からカイニスの声が聞こえて、わたしは角を曲がったところで歩調を緩める。

「ありがとう。君に言われると嬉しいな」

 満更でもない様子でエミルが答えている。

「カイニスさま、私たちそのように言われることは何もなくって、」とセシリアは慌てて弁明するが、悪い気ではなさそうだ。



 そのままわたしは歩調を速めて、人気のない方向へと移動する。

 空中に渡された連絡通路で足を止めると、わたしは柱に寄りかかってため息をついた。

 この校舎は歴史ある建造物だとかで、周囲が一望できる渡り廊下は、優美な装飾や裏手の山々の景観が目に楽しい場所である。

 毎日庭師の手で整えられている中庭を見下ろしながら、わたしは唇を尖らせる。

(な……なんでわたしが言うと怒られるのに、彼はオッケーなの!?)



 庭木の枝々から時おり赤い葉が落ちるのを眺めているとき、どこかで物音がした。

 はっと息を飲んで首を竦めると、視線を感じる気がする。


 この先は特別教室棟で、今日の午前はどの授業でも使用しないことが確認できている。つまり、立ち寄る人間は誰もいない。はず。

「……誰かいるの?」

 わたしは周囲を見回した。返事はない。


 しばらく廊下の真ん中で固まっていると、カイニスが姿を現した。わたしを見つけて早足で近づいてくる。

 わたしはすぐさま我に返って彼に駆け寄った。


「ねえ、今日は二人に優しい声かけをしろって言っていたのに、ぜんぜん上手くいかなかったじゃない!」

「いや良かったぞ。あんたのわざとらしい貴族令嬢、かなり嫌みったらしくて雰囲気が出ていた。今までのガキみたいな嫌がらせよりずっと良い」

 わたしは憤慨して拳を振り上げる。真逆の意図の演技指導にまんまと嵌められたらしい。


 まあまあと適当に宥められて、わたしは渋々拳を下ろした。

「そういえば、つい今しがた視線を感じた気がするんだけど……誰か見た?」

 再びきょろきょろとしながら首を捻る。「気のせいじゃないか」と言いながら、カイニスも不安げな顔になる。


「サフィーナと仲良くなりたい子がいるのかも」

「ありえないだろ」

「ありえるもん」

 あんまりな言い草にわたしは半目になった。サフィーナはわたしにとって決して別人ではなく、わりと地続きの人間である。


「わたし、中学生のときそれで友達できたことあったよ。よくこっち見てるなって子がいたんだけど、話しかけてこなかったから、わたしから声をかけたんだよね。今回も同じかも! サフィーナの友達チャンス」

 そうかい、とカイニスはすっかり聞き流す体勢になって頷く。


「サフィーナは、そういうところが不器用なお嬢だったからな」

 ぽつりと漏れた一言に、わたしは一度まばたきをした。

 サフィーナに取り巻きはいるけれど、友達はいない。彼女の記憶のなかに、親しい友人がいたことは一度もなかった。


「逆にあんたは基本的に人が好きだよな」

 わたしは顎に指先をあてて中空に目をやった。

「まあね、みんなある程度仲良しなのが性に合うのかも。地元が小規模な地区で結構山奥だったからさぁ、小学校なんて去年に廃校……んっ!?」

 いきなり、ばちんと音がするほど強く口を手で塞がれて、わたしは仰天した。


 それまでの無関心な態度が嘘のように、彼の顔は真っ青だった。

「この世界で、個人が特定できかねないことを言うな」

 強い口調で咎められて、目を白黒させる。

「良いか、あんたはあくまで特異的に登用されているだけで、このストーリが終わったら、異世界とも交通事故とも無縁の人生を送るんだからな。あんたの個人情報は絶対に口外しちゃ駄目だ。下手すりゃ戻れなくなる」

 これはあんたのために言っているんだ、と彼は真剣に言い聞かせた。わたしが一度うなずくと、ようやく手が外れる。


 ぷは、とわたしは大きく息を吸った。

「びっくりした……」

「俺の方がびっくりしたよ。色んなタブーについて、こっち来る前に説明されただろ」

「言ってたかも」

 馬鹿、と頭を小突かれて首を竦める。


 中庭の頭上を横切る渡り廊下は見晴らしがよく、わたしたちの会話を聞いている人はいないはずだ。

 けれど、散々おどかされたあとでは不安になってしまい、わたしはカイニスの目をちらと見上げた。彼は無言で片手を挙げる。

「五限の時間に史学資料室で」

「わかった」


 時間遡行、と静かな声が唱え、指が鳴らされると同時に、カイニスの姿がかき消える。わたしは渡り廊下に一人で立ち尽くしており、人の気配はない。

 中庭を見やれば、眼下の木々には数枚の葉が戻ってきていた。



 ***


「この街ってデートスポットとかはないの? どこそこであれこれした人は結ばれるジンクスとか」

「ない。そもそもそういう商売がメジャーじゃない」

 無念。わたしは埃っぽい長椅子の上で項垂れた。

「じゃあわたしたちで作ろう、デートスポット」

「もうちょっと現実味のある案は出せそうか?」

 辛辣。軽い冗談だったのに全然乗ってもらえなかった。


 校舎の外れの外れにある史学資料室は、その名の通り史学の授業で用いられる資料が保管された部屋である。

 が、実際には雑多な物置となっており、最近はもっぱらわたしたちの作戦会議室として活用されている。

 どこからか運ばれてきて放置された革の長椅子がわたしの定位置だ。カイニスは窓際の日焼けした机のところにいることが多い。


「せっかく異世界に来たんだから、現代日本の文化を輸入して大活躍できないの? たとえばほら、わたしが小学生のときアレ流行ってたじゃない、タピオカ」

「おう、まずはキャッサバを見つけるところから頑張ってくれ」

「駄目かぁ」

 またもや項垂れて、ぐったりと肘掛けに寄りかかる。


 今日の昼間は個人情報を喋るなときつめに注意をされたけど、社会に一般に知られたものの話題なら大丈夫みたいだ。

(微妙にボーダー分かんないんだよなぁ)

 思いながら、わたしは靴を脱ぎ捨てて長椅子に足を伸ばした。


「それにしても、エミルと仲がいいのね」

「もう五、六年の付き合いになるからな」

 わたしは驚いて顔ごとカイニスを振り返る。

「わたしより前からこの世界にいるの?」

 彼は当然のような顔をして頷いた。本人にとって大変光栄なことではなさそうな態度である。


 わたしは声をひそめて、かねてから訊こうと思っていた件に言及した。

「あのさ……年齢って、今おいくつなの?」

 長めの沈黙が降りた。たっぷりと悩む表情を見せてから、彼は小声で答える。

「……あんたたちみたいな時間感覚で言うと、百年は越えてる」

 ヒーッと声が漏れた。言葉を失うわたしを一瞥して、彼はそっぽを向く。


「俺には肉体はないし、老いることもないから、あんたが思うような百歳じゃないよ。色々な世界を渡っているわけだし」

 つんと澄ました横顔を眺めながら、わたしは眉を下げた。


「死ぬこともないってこと?」

「そのうち消滅することはあるみたいだけど、死ぬってのは……原則としてありえないな」

 生死というのは肉体に依存するものだから云々、と彼が語る。


「『原則として』ってことは、死ぬ例もあるのね」


 何気なく呟くと、彼は唐突に口を噤んだ。


 変なことを言っただろうか? 視線を向けた先で、彼はわたしを正視していた。

「言っとくけど教えないよ」

 教えてなんて言ってないとか反論しようとして、やっぱりやめる。

 壁を作られたのが分かったし、分厚い壁があってしても、彼が寂しそうなのが分かった。


 わたしは靴をつっかけて立ち上がると、カイニスに近づいて顔を覗き込む。

「あのさ……」

 覗き込んでから、特に言うことを考えていなかったことに気付いた。彼はわたしを見上げて、怪訝な顔で続きを待っている。


 わたしは意を決して、ぐっと拳を握りしめた。

「とにかく、元気出して前向きにやっていこうぜ!」

 力強く宣言すると、思わずといったように彼が噴き出す。肩を揺らして破顔するのを見て、わたしは胸を撫で下ろした。


「勿体ぶったなら、もう少し中身のある声かけをしてくれよ」

 呆れ顔で応えて、けれど彼の顔には淡い笑みが浮かんでいた。

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