第4話 ダンスパーティーでは肩を並べて


 学園の創立記念パーティは、その名の通り毎年の創立記念日に朝から晩まで行われる学内行事のことだ。

 日本風に言うなら、学園祭と後夜祭が一緒になった代物だろうか?


「夜に講堂で開かれる舞踏会では、一緒に参加した人は結ばれるって言われてるらしいの」

「結ばれそうな連中が連れだって行くからだろ、因果が逆なんじゃないか」

「なんでそんな夢のないこと言うのよ」


 講堂裏の藪の中で、わたしたちは肘で小突き合った。出店で買った骨付きのチキンにかぶりつきながら、華やかな舞踏会の様子を見守る。



「とにかく、こんな素敵なダンスパーティともなれば、セシリアとエミルも気持ちが盛り上がって、チューのひとつやふたつ!」

 気炎を上げるわたしの横で、カイニスは丸裸になった骨を包装紙でくるんで袋に入れる。いまいち興味なさそうな態度に、わたしはむっとして眉をひそめた。


「なに、やる気ないの?」

「いや……」

 彼はごみの入った袋を指先で回しながら、煮え切らない口調で目を逸らす。

「……人前でそういうことしないだろ、普通」

「あなたのキス事情は聞いてないわよ」

「俺の話じゃない」

 いつになく素早い否定である。



 どうやら彼は本当に今日のダンスパーティに手応えを感じていないらしい。

「人それぞれペースがあるんだよ。俺たちにできるのはシチュエーションを整える程度の手助けだけで、人の心をどうにか操るとかはできないし、しちゃいけない」


 ここまできて冷めたことを言うので、わたしは思わず唇をとがらせた。チキンを食べ終わると、無言でごみ袋の口を開けて差し出してくれる。包装紙の端で指先を拭いながら、わたしは首を伸ばして舞踏会の会場を見回した。

 二人はまだ来ていないみたいだ。


「オチュプロンに無理やりロココッコを……じゃなくて、馬を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないって言うだろ。そういうことだよ」

「えっなに? 前半なに?」

 彼は『忘れてくれ』と渋い顔で手を振るが、ついつい食いついてしまう。


「悪い、あんたが知らない場所の格言だ」

「なによ、南米とか?」

「違うけどそんなもんかな」

 心底触れてほしくなさそうだが、それにしてはずいぶん含みがある。

「アフリカ?」

「……違うけど」

 わたしは首をひねった。


 さらに追及しようとしたとき、前方から歓声とも悲鳴ともつかないざわめきが上がった。


 わたしたちはすぐに口を閉じると、騒ぎの中心に目を向ける。




 衆目を集めながら、エミルとセシリアが並んで入ってくるところだった。

 これまで、二人の関係はあくまで非公式なものだった。公然の秘密とは言え、表立って言及されることも少なかったのだ。

「これからは事態が変わってくるわね……」

 腕組みをしてわたしは偉そうに頷く。言いたいことがありそうな視線が横から突き刺さる。



 ダンスパーティは学内のイベントの催しのひとつに過ぎず、制服での参加が基本になっている。そんな中でも、生徒たちは思い思いの髪型や装飾品なんかで身を飾って踊りを楽しんでいるようだ。


 セシリアとエミルも、格好だけなら普段と大きく変わらないが、お互い相手が普段よりうんと輝いて見えているのだろう。


 見つめ合う横顔だけで、それが分かる。


 気がつけば、口を閉じてじっと二人の姿に見入っていた。空気を読んだカイニスも、同じように黙りこむ。時おり様子を窺う視線を頬に感じながら、わたしはゆっくりと唾を飲む。



 生徒による器楽演奏が始まる。参加者たちは自然と手を取り合って、講堂中央の開けた空間へと歩み出す。

 エミルがセシリアを促すと、彼女の頬がぱっと赤らんだ。差し出された手を取ろうと腕を上げたとき、セシリアが大きくつんのめる。


 微妙に偶然と言えなくはない強さで、セシリアを後ろから押した生徒がいた。

 サフィーナほど表立って不平を言う者はそうそういないが、田舎から出てきた元平民の小娘が王子様を射止めたことが面白くない人間はそれなりにいる。


 手こそつかなかったが、近くのテーブルに腰を打ち付けたらしい。水差しやグラスが倒れて、派手な音を立てたのが遠目にも分かる。周囲の人間は一斉に眉をしかめ、セシリアの耳が赤くなった。


(セシリアちゃんに何するのよ!)


 反射的に「遡行申請」と唱えたが、時間が戻らない。時間遡行が許可されなかった。

 隣を睨めば、カイニスは無言で首を振る。よく見ろと指さされて、わたしは唇をひん曲げて会場に視線を戻した。


 わたしが見たときには、セシリアは既に立ち上がっていた。

 エミルに対して非礼を詫びると、ぶつかった生徒が逃げ出すより早く捕まえ、怪我はなかったかと問いかける。セシリアを押した生徒と、周りではやし立てていた数人は、すっかりばつの悪そうな態度で去っていく。


 わたしの出る幕どころか、エミルの出る幕すらないほど素早い対応だった。


「あんたに鍛えられて、妙な事態への対応には慣れっこだろうからな」

 何だか誇らしい気分になって、わたしは胸を張る。「嫌味だぞ」と補足が入ったので背が丸まる。



 セシリアが揉め事を事前に収めるのを横目に見ながら、エミルは零れた飲み物が床に落ちるのを手巾で押さえていた。

 少しして実行委員が大判の台拭きを持ってすっ飛んでくる。恐縮しきった生徒が何度も頭を下げるのでエミルも少々苦笑ぎみだ。


 騒動が収着し、改めてエミルの手を取ったセシリアの背中が凛と伸びた。そして、視線が合った瞬間にお互い歯を見せてはにかむ。


(お似合いだよなぁ)


 わたしは近くの枝に肘を置いて、二人の立ち姿に見入った。

 初めて連れ立って人前に出るのだから、たくさん迷っただろうし、緊張もしたはずだ。それでも、こんなに嬉しそうに手を取り合ってるんだから、そのかいもあったと思う。

(さっさとくっつけって、段階も踏まずに結論ばかり急いじゃ駄目ね)



「帰ろうか。もう見張ってなくても大丈夫そうだよ」

 優雅な音楽に背中を向け、わたしは藪から暗い裏庭へと歩き出す。「そうだな」と足音がついてきた。


 ダンスパーティを見たせいか、何だかわたしも踊りたい気分になってくる。自然と鼻歌が流れていた。まだお祭りが続いている講堂や前庭とは違って、こちらは灯りひとつなく、照らすのは月明かりばかりである。

 暗がりに慣れた目でも、分かるのは薄ぼんやりとした木立やベンチの形だけで、辺りは白黒に見えた。


 彼の手を取ると、わたしは勝手に横向きのステップを踏み始める。

 まえ、よこ、うしろ……と声が出てしまうのは、初めて習ったときからの癖だ。



「なんでマイムマイムなんだよ」


 一節終わったところで、耐えかねたように隣から呆れ声が飛んだ。



 わたしは堂々と胸を張る。

「ダンスなんてこれしか知らないもん」

「にしたってキャンプファイヤーすぎるだろ。ダンスパーティってのはさ、もっとこう……」


 ほら、と繋いでいた手が高く上げられて、くるりと視界が一回転した。髪と制服の裾が軽やかに浮き上がる。


 思わず歓声を上げた。こんなのお姫様がやるやつみたい!

「今のもう一回やって!」

 手を伸ばすわたしに「やだよ」とつれない返事をして、彼は両手をポケットに突っ込んだ。


「あんたにはマイムマイムで十分」


 それからはどんなにねだってもやってくれなかったので、わたしも渋々あきらめる。



 ダンスの余波ですこし跳ねながら、わたしはカイニスの横に並んだ。

「そうね、オチョチョップルがポロポロンで何とかだもんね」

「オチュプロンに無理やりロココッコをソスフするな、だ」

 素早く訂正してから、彼は顔をしかめて天を仰いだ。引っかかったと気づいたらしい。


「……多分だけど、それ、地球のことわざじゃないんでしょ」

 顔を覗き込むと、嫌な顔でそっぽを向かれる。図星らしい。



 裏庭を抜けて、寮に続く遊歩道をゆっくりと歩く。

「どこの人でもないって、この間あなたが言ってたこと、考えてた」

 虫の声が足元の草むらから立ち上っていた。暗がりでなんとか彼の表情を読もうと、わたしはいっぱいに目を見張る。


「色んな世界を渡りながら、今みたいに、その……」

 言葉を選ぼうとして、口ごもってしまう。

「脇役やってるってこと? そうだよ」

 返ってきた返事は気楽な口調だった。彼は行く手の時計台を見上げていたから、表情は分からなかった。


「気がついたときから、ずっとそうだ。ある世界に遣わされて、そこで物語を手伝って、それが終われば次の世界に行く。毎回違う世界で、違う肉体と名前で、違う人生を送る」


 飽きないと言えば飽きないよ、と彼は喉の奥で笑う。

 でも、どこか自嘲するような響きがあった。


 あんまり一生懸命に表情を窺っていたから、飛び出た石畳に蹴つまづいた。わたしが転ぶより先に、彼は指を鳴らして「時間遡行」と唱える。

 ぱっと視界が後方に移動した。数秒前に戻ったみたいだ。


「気をつけろよ、あんたどんくさいからな」

「違います! この身体がどんくさいんだもん」

「こういうこと言うべきじゃないけど、あんた異世界来たからって旨いもん食べすぎなんだよ」

 完全に図星だったので、わたしは自分の腹回りを抱いて唇を尖らせた。


「でもさ! せっかく異世界来たのにグルメ開拓しない人なんています?」

「俺はやんないけど」

 そう言われてしまうと返す言葉もない。



 彼にとっては、異世界に渡るのは、一生に一度きりの奇跡でもないし、心が沸き立つものでもないのかもしれない。

「でもわたしは、こっちでのこと、少しでも楽しんでから帰りたいし」


 ダンスパーティーで流れていた曲は、きっとこちらのクラシックだ。

 日本に帰っても覚えていられるように、鼻歌でメロディを辿りながら何となくのステップを踏む。こちらで食べたものの味も、少しでも思い出せるようにしたいと思う。


「あんたって能天気だよなぁ」

 笑いながら、彼が曖昧だった部分のメロディを補完する。ひとつのフレーズはそれほど長くなく、何度も繰り返すうちに記憶に刻まれてきた。


 代表的なメロディを三周してから、わたしは自信を持ってカイニスを振り返る。

「やっぱ日本帰ってこの曲出したら売れると思う?」

 振り返った先で、彼は唖然とした顔でわたしを見ていた。


「苦境にもめげず前向きで素直な心に感動してたのに」

「苦境にもめげず前向きで素直でしょう」

「こいつ、ただ単に神経がかなり太くて、現金なだけなんだ……」



 行く手に男子寮の玄関が見えていた。女子寮はもっと奥で、それなりに距離がある。

 じゃあねと別れようとしたが、彼は当然のように玄関前を素通りし、そのままついてきた。

「えーっ」とわたしは口元に手を当ててはしゃいだ。


「寮まで送ってくれるの?」

「だってあんた目ェ離すと何するか分かんないし」

 ばっさりと返されて、華やいだ気持ちが一気に降下する。


「紳士で優しい態度に感動してたのに」

「紳士で優しいだろ」

「うーん……?」


 わたしは歩きながら腕組みをした。首をひねって考えるが、うまい言い方が見つからない。

 ようやくまとまったのは、女子寮の玄関先近くでのことだった。


 人が寄り付かない木の影で立ち止まり、わたしは指を立てる。

「ほんとは紳士で優しいのに、そう思われるのが恥ずかしいからわざと意地悪言ってる感じがします」

 頑張って考えた分析を発表するが、返事がない。怪訝に顔を上げて、わたしは目を丸くした。


 湯気が出そうなほど真っ赤になっている。

「やだ、図星?」

「帰る。おやすみ」

 断固とした口調で宣言し、彼は目にも止まらぬ速さで暗い木立の中に消えていった。


 しばらく呆気に取られてから、わたしは暗がりでひとり大笑する。

 ちょうど帰ってきていた女子生徒の集団が、わたしに気づいて甲高い悲鳴を上げた。

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