第3話 裏方とストーカーは紙一重



 南校舎の空き教室の窓にかじりつき、わたしは双眼鏡を覗いていた。

 この位置からは、人気の少ない裏庭を見下ろすことができる。そして今、渡り廊下を通ってこちらへ近づいてくる人影があった。

「エミルがセシリアを連れてきたわ。ダンスパーティに誘うつもりね」

『よし、良い調子だな……索敵を続けてくれ』

「了解」

 双眼鏡から一旦目を離し、わたしは裏庭へ続く通路を見渡す。


 主人公たちのエモーショナルな場面を演出するには、周囲のバックアップが不可欠である。


 そういう訳で、わたしは窓からせっせと覗き行為にいそしみ、トランシーバーを構えて待機している。

 トランシーバーはどこからどうみても地球製の代物で、絶対に日本で販売されているものである。

 画面上に浮かぶ『通話中』の漢字を眺めていると、郷愁というよりは変な夢でも見ているような気分に襲われる。


 それでやっていることが、青少年の恋愛事情の覗き行為ときた。


(わたしは、一体なにを……?)

 危うく正気に戻りかけた矢先、わたしは息を飲んで双眼鏡に目を当てた。

「はっ……11時の方向に、凧揚げ研究会の面々が!」

 指をさすと、トランシーバー越しに物音がする。裏庭の物陰に待機していたカイニスが立ち上がった音だ。


 カイニスが足早に校舎を回り込んで足止めに向かうのを、わたしは窓から見送った。

 彼が凧揚げ研究会をほかの広場へ誘導している間に、セシリアとエミルが裏庭に出てきて、池の脇のベンチに腰かける。

「よし、よし……良い雰囲気だわ」

 拳二つ分の距離を開けて座ったふたりを、わたしはやきもきしながら注視した。




 秋の深まる季節、夕陽に照らされてセシリアの頬はあかく輝いていた。すこし冷たい風が、エミルの髪を揺らす。


『あのさ、来月の創立記念パーティって、もう誰か、一緒に行く約束ってしているかな』

 当然のように仕掛けられている盗聴器越しに、エミルの声が聞こえる。

『え』とセシリアの声が驚き、間を置いてから『いいえ、まだ……』とぎこちない返事が返される。


 わたしは既に喝采を上げんばかりだった。

『もし良ければさ、僕と一緒に行ってくれないかな』

『でも、サフィーナさまは……?』

『実家の用事だとさ。学園のイベントより家のことがよほど大切らしい。……彼女に文句など言わせないよ。約束する』


 数日前、それとなくエミルに「わたしはパーティには参加しない」と伝えてあった。

『すごく嬉しいです』

 セシリアの声が明るくなる。が、すぐにその表情は曇ってしまった。

『……でも、ほんとうに、私で良いんですか? 学校のパーティに一緒に参加するなんて、周りからどう見えるか』

『見える通りに思わせておけばいい』

『エミルさま……』

 並んで座る二人の肩が、いつの間にか触れ合っている。手が重なり、目線を合わせて、吸い寄せられるように近づいてゆく――



「いけ! チューしろ!」


 競馬中継を見る祖父さながらに身を乗り出して、わたしは拳を振り上げた。

『良い雰囲気だぞ、可能性はある』

 凧揚げ研究会を追い払って戻ってきたカイニスが、校舎の影から分析する。


 エミルの腕が持ち上がる。セシリアの体が前傾し、ふたりの影が重なり……

 と、そのとき強い風が吹いて、庭の隅に掃き寄せられていた落ち葉が一斉に舞い上がった。

 二人の姿も枯葉の陰に隠れ、輪郭しか見えない。


 わたしは机を叩いて宣言する。

「きたっ! これ絶対にチューしてるわよっ」

『いや待て! まだ分からないぞ』

「わたしは詳しいのよ! 誰もいない裏庭で、夕方に見つめ合ったときたらね、これもうぜったいチューしてるんだから!」


 やがて風が収まり――二人は、それなりに節度を保った距離で見つめ合っていた。


『おい見てみろ、ぜったいチューしてないぞ』

 トランシーバー越しの冷たい声に、わたしは黙って舌を出した。



 ***


 エミルとセシリアをくっつけるための共同戦線を張って、はや一月あまり。

 ひとりで奮闘していたときよりずっと楽に起こしたいイベントを起こせるし、なにより、一人ではない安心感が大きい。


 今日は失敗しても、わたしたちなら、絶対にあの二人をくっつけることができる。

 そんな自信に満ちあふれて、最近のわたしは元気いっぱいである。



「はい、乾杯!」

 嫌がるカイニスのグラスに無理やり自分のカップを打ちつけて、わたしは一気にジュースを呷った。


「ったく……見ててヤキモキするわ! あんなに良い雰囲気なのになんでくっつかないのよ!」

「そんなに簡単にいくもんじゃないって」

 管を巻くわたしを眺めながら、カイニスが仏頂面でグラスに口をつける。と、目を丸くして「これは美味いな」と器を見る。


「これね、公爵家謹製の超贅沢ジュース……を、さらに、たいへん貴重な氷を使ってキンキンに冷やしたもの」

「それはうまいわけだ」

 この世界は、二十一世紀の地球に比べると果実の品種改良が進んでいない。甘くておいしい果物がどれほど貴重なことか。

 本当は祝杯をあげるために準備したのだけれど、敗北を喫した今となってはただのおいしいジュースである。だだっ広い一人部屋が何だか物悲しい。


 いちおう規則としては男子禁制の女子寮だが、煙たがられているサフィーナの部屋を訪れる者はまずいない。

 移動に際しても、彼には何か隠密行動のための権限が与えられているようで、今のところトラブルはなさそうだ。


 贅の限りを尽くしたジュースを楽しみながら、でも本当は炭酸飲料の刺激を脳が欲していた。

「あの強烈な甘味と、口の中で弾ける刺激……無性に飲みたくなるときがあるのよね」

 ああ、とカイニスが相槌をうつ。

「前にコーラを飲んだよ。うまかった」


 わたしは少し様子を見てから、声をひそめた。

「ねえ……あなたって、もともと地球の人なのよね?」

 もしかして日本人だったりする? 身を乗り出して顔を覗き込むと、カイニスは一瞬固まった。ややあって曖昧な笑みで首を振る。


「俺は、どこの人でもないんだ」

 一言つぶやいた横顔があまりにも寂しそうで、咄嗟に声が出なかった。


「あんたは地球で生を受けた。運悪く死んだけど、運よくこうして機会を与えられて、上手くすれば生き返ることができる。帰る場所がある」

「あなたはわたしと同じ立場じゃないの? どこかで亡くなって、それで、ここに」

「あんたと俺は違う」

 カイニスはわたしの目を見て淡く微笑んだ。

 ごちそうさま、と空になったグラスを置いて立ち上がる。


「俺は一度も生まれたことがないんだよ」


 そう言って、彼は部屋を出ていってしまった。ぱたんと扉が閉じてから、わたしは我に返る。

 扉を開け放ち、廊下へと顔を出すが、カイニスはもういなかった。


 曲がり角のない長い廊下には他の生徒も歩いており、顔だけ出したわたしを見て、不気味そうな表情でそっと目を逸らしている。

 男子生徒の侵入騒ぎが起こった様子はない。

 胸の中が、ひんやりと冷えるのを感じた。


 彼の姿はどこにもなかった。

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