第7話

「駆け落ち、しようか」

 そう言ったのは信一郎だった。


「え?」

 由美は言葉を失った。


「駆け落ち」

 運転席から由美を見つめながら、信一郎は繰り返した。


 信一郎の車はワンボックスの大きなものだった。

 子供ができたことを考えて五年も前に新車で買ったものらしい。


 しかし、信一郎にも子供はできていないのだった。

 信号が青に変わり、信一郎が車を出した。


「いいけど、どこに行くの?」

 由美はさらりと承諾した。


 そうなっていいと思った。


「さあ。どっか行きたいところある?」

「別に」


「どこでもいっか」

「そうだね」


「駆け落ち、してもいいんだ」

「いいよ」


 再び信号にひっかかる。

 信一郎は由美の顔を見る。


 由美は信一郎を見返した。


「青」


 信号が変わっていた。

 由美が信一郎を促す。


「あ、ああ」

 信一郎が車を出す。


「すげーな、女は」

 そういって信一郎は前を向いたまま鼻で笑った。


 先生だった頃の信一郎だったら、絶対にしないような笑い方だ。

 由美はハンドルを握る信一郎の肩に頭をもたげた。


 目の前には車が連なり、いつくつものヘッドライトの光が行き交っている。

 そして、ときどき由美の顔を撫でるように照らした。

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