第9話 決戦へ

 突如脳裏を過った記憶にない記憶。

 

 三年と少し前、確かに祖父に連れられて、望と一緒に出雲大社に行った。

 

 ●●――お前は誰だ?

 知らない。俺は、お前を。その顔も声も、思い出も――何も知らない。

 なのに、どうしてこんなに胸が締め付けられる。

 どうして、『猫丸』 を持つ手に、こうも力が籠る。

 どうして、こんなに懐かしい。


「ああっ!」 


 波打つ感情を『猫丸』に乗せ、世界をぐ。


 思い出した! 

『梅駆流』は祖父が振るっていた剣術ではなかった。剣が祖父に習い振るっていた剣術だ。そして、剣には望と、そしてもう一人ともに学び、高め合う友がいた。


 顔や名前は思い出せない。

 しかし、居た。その事を突然思い出した。


 寒さでかじかむ手に、瞳により大きな炎を宿し、一歩前へと歩み出す。

 


 ◇




 辿り着いた。

 満身創痍とは今の剣の為に在る言葉だろう。

 道着は裂け、『猫丸』を結び付けた右手の布は元の色が分からない程赤黒く染まっていた。

 それでも意思の炎は消えていない。

 真っすぐに前を見据える。


【菅原神社】の鳥居をくぐると、風雪が止んだ。

 そして、現在剣がるのは境内に続く階段の横の広場。

 見据える早紀には『梅花』を携えた望の姿があった。

 開戦時、階段上――境内にいたが、剣が辿り着いた事を悟り、高所の有利を捨て降りてきたようだ。


「……待たせたな」


 開戦時、五百メートルほどあった距離は、現在十メートルほど。

 二人の間を阻むものは存在しない。


 未だ弓矢が有利な距離。

 互いが同時に攻撃を放てば、矢が先に届くのは必至。しかし、一射避けることが出来れば、そこから先は刀の領域である。しかし、それはあくまで一般的な話。【梅駆流】の使い手である剣にとって、十メートルの距離など無に等しい。同時に攻撃の動作を始めれば、相手が矢を番える前に切り伏せることが出来る。


 だが、コレも一般的な話ではという注釈が付く。相手は望。剣と共に【梅駆流】を学んだ、【梅花流】弓術の使い手。

 果たして剣の速さがどこまで通じるか。


 だが、初めあった有利を奪われた者と、不利を覆しつつある者。

 この両者では心のありようが大きく異なる。

 他方は、気が焦り、思考が揺らぎ、手元が狂う。

 他方は、満身創痍慣なれど血気に満ち、感覚が研ぎ澄まされている。

 天秤は平行に見えるが、戦況は傾きつつあった。


『この状況は主の力量不足の為か? はたまた心のありようか?』


 互いに武器を構え、見つめ合う二人。少しの揺らぎで決壊しそうな緊張の中、第三者の、威厳に満ちた、されど落胆を含んだ言葉が望の耳介を揺らした。

 すぐ後ろ。自分の背後に控えるその声の人物。問われるは、神託か? 

 迷いそうになる己の心と、震える手足に力を籠め、口を開く。

「いいえ。私の判断に間違いはありませんでした」

 固い口調で、しかし、望は確たる信念の元に答えを口にした。

 しかし、それに対する神の言葉は、やはりゆったりとしていたが、確かな神威が籠っていた。


『我が問うたのは間違いかどうかではない。開戦時に鏑矢を射、奇襲を無にしたお主の行動に、慢心はなかったかと問うておるのだ』


 望に依り代たる資格と覚悟があるのかと。

 考えるまでもない。その問答は既に済んでいる。これは、神の神なりの鼓舞なのだ。

 幼い頃から守られ、その背を追い、今では争い、切磋琢磨とはいかなくても競い合ってきた。

 それが、二人の絆であり、信頼だ。

「私たちの間に卑怯な勝負は要らないっ。正面から正々堂々と、互いに持てる全てをぶつけるっ。そして、勝つのは私だ!」

 望の瞳と四肢に力が籠った。

 自分の言葉で、自分の気持ちに気が付いたのだ。


『ハハハっ。不遜! だが、よくぞ申したっ。それでこそ我が依り代である。良い。心のままに、想う存分死合うがよいっ』


 望の覚悟に、これまで取り繕っていた、神の化けの皮が剥がれ落ちた。

 振り返らずとも、伝わってくる。獰猛に笑い、楽しむ神の顔。


 ――荒神


 望は知らず、額から汗を流した。それは、神の神威に当てられた冷や汗か。はたまた、己を鼓舞する神の気に当てられたのか。

 望の口元も笑みの形を取った。

 ここに、人と神の縁が実を結んだ。

「であれば公よ。有らん限りの神威しんいを私に」


『ああ、無論だ。お主がどうなろうとも我が力存分に貸し与えよう』


 互いに気高く、獰猛に笑いながら、魂が呼応し合う。

 すると、台風の目であった安全地帯。無風領域に風が舞った。

 いや、違う。望が風を纏っている。

 そして、その風が無風地帯であったこの場の空気を吸い寄せ、圧迫し始めた。

 台風の目の外、外界は未だ白い死の世界である。

 望から発せられる圧し潰されそうな程の圧と、空気が圧縮されつつある圧。

心身共にかかる重圧に剣は戦いの終わりが近い事を感じ取っていた。

 眼前の望は今では暴風をその身に纏っていた。

 荒れ狂う風は刃となって、望の白い肌を切り裂き続けている。その証拠に、望が纏っている風は赤く染まり、巫女服と相まって幻想的な光景であった。

 

「我が名は菅原望っ。まといいし神は荒神『菅原道真』。神と人のえにしは繫がった。我、神威かむいとなりて我が悲願を果たさん!」 


 望は弓をたずさえ、まっずぐ剣を見据えて宣言した。

 どうどうと胸を張り、自らの意志を宣言する望。

その身体は傷ついているが、吹き荒れる赤風に乱れる長髪、なびくく白衣・緋袴ひばかま

 その姿は――美しかった。

「っ――」

 望の勢いにつられて剣も口を開こうとしたが、顔を歪めて開きかけた口を閉ざした。

 ここに至るまでに一度受けた神撃の矢。そして、今現在望と相対してから感じる違和感。脳裏を過る記憶にない記憶。未だ薄モヤの向こうにあるが、次第にその形が見え始めてきた。


(コレが神威しんいってヤツなのか?)


 最早疑いようがなく、存在している人ならざるモノ。望の背後に佇む貴人を睨み付け、すぐに頭を振った。

 満身創痍の身体に鞭を打って、『猫丸』の切っ先を望に向ける。


「思い出したんだね。……だけど足りない」

 剣の姿に、表情に自分の望みが叶いつつあることを悟り、しかし望は悲しそうに小さく呟いた。


 他ではない自分自身が選んで決めた道。自分が迷ってどうするのだ。

 望は再度四肢に力を込めた。

「いざ」

 どうなろうと、例え失望されても、自分の意志が及ばなくても

「尋常に」

この戦いは避けられない。


「「勝負‼」」


 同時に叫んだ二人。

 動いたのも同時。

 剣は一気に間合いを詰めにかかる。

 望はゆっくりと矢をつがえる。

 二人の初動スピードには明確なさがあったが、初めに攻撃が届いたのは望であった。

 剣は望のまき散らす暴風に阻まれており、普段のスピードが出せていない。

 本来その風だけでも人を細切れに出来る威力がある。しかし、剣はその風を切り開いて突き進む。まったく、恐ろしく、勇ましい。

 だが、その時間は致命的であった。


「梅花流 一ノ射 音越之矢」


『音越之矢』はその名の通り矢速を最大限にし、飛来する矢を知覚する前に敵を屠る技である。その威力を剣は既に体験していた。

風の力を得た望の矢は流文字通り音を置き去りにしその一瞬姿を消した。

「ぐっ⁉」

 気付いた時には矢は剣の前で砕け散っていた。

 あり得ない――などという事はない。

「それはもう見たぜっ」

 叫ぶ剣だが、その足は地面に縫い止められていた。

 初手にして決めの矢が防がれた望だが、しかし、その心に動揺はない。

 優雅に、流麗に二ノ矢を構える。

 相対する剣は動けないでいた。

【梅駆流】とは先の先を行く速さの剣。限界に近い身体であったが、実戦で研ぎ澄まされた感覚と、日々の修練が実ったためか、半ば反射で致命の矢叩き切っていた。

 しかし、その代償は大きかった。

 凶弓は防げたが、その威力までは殺せなかった。

 既に限界だった右腕の感覚がついに消え失せた。それだけはない。衝撃は全身に駆け巡り、右半身も痺れて満足に動けない。

 動く視線を望に向けると既に二ノ矢が番えられている。

 見えているのに、動けない。相手のスピードと自分の思考に身体が追い付かない。

 もどかしい。

【梅駆流】の使い手であればなおさらだ。

 剣は強く歯噛みをした。

 望は既に限界まで弦を引き絞っている。

「二ノ矢」

 一言、望が呟いた。

 同時に放たれる終焉の矢――『音越之矢』。

 剣は生と死の極限の狭間にいた。

 



 こんなところで終わるのか?

 守るべきものも守れずに?

 したいことも成せずに?

 全力も出しきれずにッ!


 

 

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