第5話 開戦当日

 「さっぶ」

 

 剣は【梅ノ木天神】の敷地の端に立つ道場にいた。

 以前は祖父が使用していたが、三年前に膝を悪くしてからは使う者がなく、埃被っている場所だ。

 

 何故か、年の瀬も迫った十二月三十一日の今日。父親より道場の掃除を言いつけられた剣は、渋々掃除に勤しんでいた。


 断る事は簡単だが、その返答次第で年明けのポチ袋の中身が変わる事は容易に想像出来るとあっては答えは一択だった。


 この後、神社の手伝いもある為、白衣びゃくえ青袴あおばかまという軽装。地球の体温が上がって久しい現代だが、この地域の十二月と言えば毎年普通に積雪がある。今朝も参道の雪掻きをさせられたばかりだ。


 白い息が漏れる。

 板張りの床は、針のむしろのようで、薄い足袋たびでは簡単に冷気の針が足の裏に突き刺さる。


 まずは神棚の前で礼をする。

 以前祖父から道場を使う時には神棚に挨拶をしてからにしろと言われていたためだ。特に道場を使う予定もなかったのだが、何故そんな話になったのだろうか……よく覚えていない。

 しかし、おじいちゃん子だった剣は律義にその言葉を守った。


 簡素な神棚には一振りの木刀が飾られていた。何でも【梅ノ木天神】の御神刀らしい。祖父に何故神社の方に祀るのではなく、こんな寂れた道場に置かれているのか聞いた事があるが、はぐらかされてしまった。


 小さいとは言っても道場。

 一人で掃除するには中々の広さがある。

 しかし、この時ばかりはその広さが有難かった。


「おりゃあぁぁぁぁぁぁ!」


 全力で動き回らないと終わらない仕事量に、寒さを忘れて打ち込むことが出来た。


 午後九時から掃除を始めて、現在は午後十時四十五分。

 約二時間、全力で動き回った剣は、吐く息だけでなく、体表からも白い湯気を湛えていた。


「ふぃ~。何とか終わったな」

 いつの間にか額には汗も浮かんでいた。

 こんなに動いたのは何時ぶりだろう? 『禍魂旋風まがたませんぷう』の隊長、森山と戦った時でさえここまで息が上がることはなかった。


 やはり、相手がいては全力は出しにくいといったところだろうか。

 剣が喧嘩をするのは誰かを助ける時だけ。しかし、そんな時でも相手を気遣って本気が出せない。

「はぁぁ。汗流すのもたまには良いもんだな」

 自分の成果を見渡して、満足げに頷く。


「あ、いけね。急がねぇと」


 約束の時間まであと十分程。

 清々しい気持ちに浸っている場合ではなかった。

 手早く後片付けをして、キレイになった神棚に礼をしてから道場を出る。


「寒っ」


 外は雪がチラついていた。

 夜闇の中、透き通った夜空から、点在する灯篭の灯を反射しながら舞い散る六華

 幻想的な風景だが、剣が思うのは別の事だった。


「あ~あ、これじゃあまた積もるな。流石に雪掻きは勘弁して欲しいなぁ」


 今朝【梅ノ木天神】の広大な敷地は、昨日から降り続た雪の為辺り一面を白く染まっていた。

 昼になり日差しが出てきたところで父親が雪掻きをしているところを見かけた。

 雪掻きは力仕事だ。当然男手がいる。

 しかし、新年になれば父親は神社から離れられない。

 そうなると、残る男手は膝が悪い祖父と剣。

 どちらに白羽の矢が刺さるかなど考える前でもない。


「あ~嫌だ嫌だ。頼むから朝には溶けててくれよ」

 

 境内の前に到着した。

 スマホで時刻を確認する。

 午後十時五十八分。

 ほぼ約束の時間通りだ。


 そして、その人物は既にいた。

 この寒空の下、白衣びゃくえに青袴、頭には黒の烏帽子。足元は足袋たび草履ぞうりという軽装――剣とほぼ同じ姿で、普段通りの仏頂面をしていた。

 

「【神ノ遊戯】が開催される」


「……は?」

 剣が来たことを確認すると同時に父親がよく分からない単語を口にした。

 剣が間抜けな声を上げてしまうのも仕方のない事だ。

 話は済んだとばかりに踵を返そうとする父親を、剣が呼び止めた。

「え、何? もしかして話ってそれだけ? 何だよ【神ノ遊戯】って」


 耳慣れない言葉。冗談のようなその言葉が目の前の堅物の口から出たことが信じられなかった。決して冗談など言わない人である。

「お前は神社の息子のくせにそんな事も知らないのか。あの人――いや祖父から何も聞いてないのか? 教わったのはくだらない話を棒回しだけか?」

 剣の戸惑いに対して、父の反応は辛辣であった。


「は? じぃちゃんがどうしたって?」

 祖父は確かに数年前まで道場で剣道のマネごとしていた。だが、


「てか、何だよ棒廻しって? 俺は剣道なんて習ってないぞ」


 その事は父親も知っているはずだ。

 祖父やっていた剣道は――現代のスポーツ剣道とは一線を臥す古流剣術、名を『梅駆流』《ばいかりゅう》。

『梅ノ木天神』に一子相伝で伝わる剣術らしい。

 本来は祖父から父親に継がれる剣術のはずだが、現実主義者の父親はソレを拒否。勉学に励み、今では立派に高校教師だ。

 

「軟弱な。たかがこれしきの事で記憶を改竄されるか」

「え?」


 言葉の意味が分からず怪訝な声が漏れた。


「まぁ、イイ。今のお前には何を言っても無駄だという事がよく分かった」

「はぁ? ちょっと待てよ。何一人で納得してるんだよ。ちゃんと分かるように説明しろよ」

 寒さと疲労に加えて、父親のこの態度。苛立ちが声に出る。

「知る必要はない。――すぐに身をもって体験するのだからな」

「だから何をだよッ」

 

「はぁ……」


 あからさまな蔑みの溜息。

「いい加減にしろよ! 【神ノ遊戯】? ハッ! バカらしい。何だよそのガキっぽい名前は。どうせ神社の行事なんだろうけど俺は参加しないからな!」


 普段はダラッと生活している剣はそうそう感情を爆発される事はない。それこそ誰かを助ける時くらいだ。しかし、この時ばかりは父親の態度が気にくわなかった。


「……やはりそう言うか。だが、お前の意志など関係ない。あるのは神の御意志だけだ」

「え?」

 きびすを返そうとしていた剣であったが、父親の言葉に振り返った――否、先程まで感じなかった悪寒が背中に走り咄嗟に振り返った。

 

 ピュゥゥゥ――――――― 


 同時に夜闇の静寂を、甲高い音が切り裂いた。

 視線を前方やや上方に向ける。

 夜のとばりがとうに降りた闇の中、そこに本来見えるはずのない一条の矢が

大きく弧を描きながら飛来してくるのが見て取れた。


「んだよアレはッ⁉」


 咄嗟に飛び退けたのは、生存本能か――はたまた他の理由か。


 寸分たがわず、剣目掛けて飛来した矢を間一髪で避けた。

 

 ドガンッッッ


「――――ッ⁉」


 直撃は避けれたが、矢の巻起す衝撃までは避けきれなかった。

 飛来した矢は、先程まで剣が立ったいいた石畳を砕き穿ち、周囲にその破片を飛び散らせた。

 その内のいくつかが身体に当たり、肌の露出している顔や手に血が滲む。


「……何だよコレ」


 しかし、そんな傷を気にしている余裕はなかった。

 茫然と呟く。

 現在社会にあるまじき事象。矢で狙われたという事実に混乱から抜け出せないでいた。

 そして、その矢の威力もまた剣を混乱の渦の中閉じ込めた。

 鏑矢。――本来開戦の合図として用いられる矢で、決して殺傷目的の矢ではないはずだ。それなのにあの威力。

 剣は改めて、矢が突き刺さっている場所に視線を向けた。

 石畳――比較的加工がしやすい来待石きまちいしが使われているとはいえ、矢の一本が石を砕き、地面に突き刺さっている。穿たれた穴の深さは二、三十センチはある。

 あんなもの掠っただけでも腕の一本や二本吹っ飛んでいくに違いない。


 その事実に気が付き、全身にゾッと寒気が襲ってきた。


「どうした? そのまま何もせず無様に命を捨てるのか」

「え?」


 混乱のさ中にいる剣とは違い、普段と同様、いやそれ以上に冷徹に声。あまりの出来事に父親の存在を忘れていた。そちらを向くと、しかし剣とは違い身体の傷どころか、衣服の汚れすらなく平然を佇んでいた。


 とても親が子に向ける言葉ではなかった。

 この不可思議な、危険な状況を、しかし父親にとっては予定調和であるように。


 ゾッ


 正常な心身状態とは言い難い剣の背に再び悪寒が奔った。

 命の危機に直面した為か、はたまた闘争本能によるものか、剣の思考が戻る。


(どうして気が付かなかったッ 鏑矢とは開戦の合図。なら、次に来るのが本命の攻撃!)


 初めに感じが悪寒を遥かに凌ぐ焦燥が心臓を加速させ、血液が身体を駆け巡る。

 矢の軌道から考えて、射られている場所はかなり離れている。しかし、本来飛んでくる矢を避けるなど人間には不可能だ。

 しかも、今度の矢が本命だとするならば、速度、威力共に先程の鏑矢を遥かに凌ぐはず。


「――しまった」


 避けきるのは無理だ。確実に身体のどこかには当たってしまう。

 迫りくる凶矢をその眼に捉え、剣は正しく理解した。――してしまった。

 考える時間も、取れる手段もない――ダメだ。


 バゴンッッッッ!!!!!!


 飛来した矢は一射目同様剣に向かって寸分たがわず――背後の薄っすら雪に覆われた石畳を穿った。その威力はまるで爆弾でも破裂したかのようだった。


「っぶねぇ」


 しかし、剣は無傷で立っていた。――その手に一振りの木刀を握りしめて。


 その一瞬、死を覚悟かけた剣だったが、足元に木刀それが一瞬早く飛んで来た。深く考えずに咄嗟に拾い上げ、そのまま流れるように振り抜いた。

 そして、見事凶矢を叩き折ったと言いう訳だ。

 しかし、剣の顔は晴れない。

 自分の背後、叩き折られ尚その風圧だけで地面を穿った一撃に、冷えていたはずの頬に一筋の汗が伝う。


「どうだ、少しはヤル気が出たか?」

 その声にハッと顔を上げる。

「何なんだよ一体⁉ 一体何が起きてんだ――」

 混乱を助長する父親に噛みつこうとした剣は、しかし、その言葉を途中で止める事となった。

 自分の握ている木刀が視界に入ったのだ。

 剣はこれを知っていた。

 剣はこの木刀を知っていた。

 代々受け継がれてきた神刀――銘を『猫丸ねこまる』。

 菅原道真が鍛え上げたとされる刀と同じ名前を与えられた木刀。かつてその刀身に触れた猫の身体を真っ二つに斬ったという伝承からその名を付けられたという。

 

「――まさか」

 どうして、先程まで道場にあった御神刀がここにあるのか。疑問は残る……が、父親がこれを剣に投げて寄こしたのか? あの息子の命に頓着しないセリフを吐いていた男が?


「『猫丸』は【神ノ遊戯】の為に造られた御神刀。そして、ソレを扱う事が出来るのは遊戯参加資格のある者――つまりお前だ」


 剣の思考を知ってか知らずか父親が事実をありのまま伝えた。

「ッだから、さっきから神ノ遊戯、神ノ遊戯ってうるせぇんだよ! 知らねぇよッ。何だよソレ⁉」


 混乱が怒りに変わり、剣が声を荒げる。


「……今、知る必要はない。知りたければ勝ち残る事だ」

 しかし、父親はそれには取り合わず、話は終わったとばかりに踵を返した。

「おいっ まだ話は終わって――――」

 その言葉を言い終わる前に、遠くで殺気が弾けた。

 剣に向けられて真っすぐ、飛矢のように。

 その殺気を追い、視線を向ける。


「この方向は――――」


 何かに気付いた剣が呟きかけたが、それは半ばで途切れた。

 闇夜を切り裂き二ノ矢が無音で飛来していた。

 これは夢か現実? 目に見える全てが夢のようで、しかし、腕に残る衝撃が確かな現実を知ら占めている。

 叩き折った矢と抉れた地面、痺れが残る腕を見つめる。

 そんな剣に、父親が背を向けたまま口を開いた。


「【神ノ遊戯】の参加はお前の意志など関係ない。しかし、本来であれば必要ない試練でもある。だが、神が許し、神社庁が認めた。ならばお前に拒否権などない。このまま射殺されるか、相手を仕留めるか。――お前が決る事が出来るはそれだけた」

 その言葉は聞く人が聞けば冷酷にすら聞こえただろう。


「――何でだよ……」


 先程の矢の威力、もし当たっていたら大怪我、辺りどころが悪ければ死んでいただろう。

 これが父親の言う【神ノ遊戯】。


「何でだよッ 望――!」


 剣は叫んだ。『猫丸』を握る手に力が籠る。

 次の矢が無慈悲に迫っているのが分かる。

 先程の矢の威力。一瞬の読み間違いで剣の半身は吹き飛ぶだろう。

 だが、迷いはなかった。先程までは状況に流され、思いの籠らない刀を振るっていた。

 しかし、今は違う。戦うべき相手が分かった。

 理由は分からない。だが、もし本当に望がこの矢を射ているのであれば何か理由があるはずだ。それを問いただし、場合によっては救い出してやらなければならない。――――――この【神ノ遊戯】とやらから。


 殺気の主――菅原望。

 剣と同じ高校一年生で、同じ神社の子供。

 望が関わっているというのなら、【神ノ遊戯】が神社関連のモノと納得出来た。

 仲が良いとは言えないかもしれないが、親よりも長く一緒に居る望の事は、何より理解出来る。


 剣の住む地域は独特で、近場の距離に同じ系統の神社がある。

 一つは剣の家【梅ノ木天神】。そしてもう一つが、菅原望の家である【菅原天神】。どちらも菅原道真を祀る神社である。

 剣は特に家業に興味がないが、望は違う。家業に誇りを持っている。古くから二つの家はどちらが正当という事で対立しており、その為か望も何かと剣に張り合ってくる。まったく馬鹿らしい。過去の事などどうでもいい。今の自分たちがどう思い、考え行動するべきだ。正当とか正当じゃないとかくだらない。しかし、その態度が逆に相手を逆なでし、火に油状態で何を言っても聞く耳を持たない。

 矢が飛んで来た方向は北西。【菅原天神】がある方向だ。そして弓矢は望の十八番おはこである。

 厚い雲に覆われ星も見えない暗闇の中。灯は境内から漏れる光と、灯篭の中で揺らめく炎のみ。

 しかし、三度みたび闇夜より飛来する必殺の矢が確かに感じる見える

 望の弓術の腕は天下一品だが、しかし、仮にこの矢を【菅原天神】から射ているのであれば、【神ノ遊戯】という言葉にも頷ける。

 それはもう人の所業ではない。  

 

 しかし、相手が望であるなら、例えその力が人間離れしていようとも剣は誰よりも強くなければならないのだ。

「行くぞ」

 言葉と同時に、全力で地面を蹴り、前進する。闇夜にあっても目指す場所は明白だ。

 剣の視線は前だけを向いていた。


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