第4話 禍魂旋風

 場所を移して、近くの河川敷。


「さて、八雲剣やくもけん。本来なら君何て囲って袋叩き何だけど、安心して。それじゃあ、散々傷つけられた禍魂旋風の名誉は挽回されない。まぁ、何より下っ端じゃ何人集まっても相手にならない事は分かったしね。だから、サシでやろう」


 そう言って、森山が初めて構えをとった。

 合わせて剣も拳を構える。


 禍魂旋風と剣の関係は二年ほど前から始まった。


 毎年夏に県北東部にある日本で七番目に大きい湖、宍道湖しんじこを中心とした夏祭り【水郷祭すいごうさい】が開催される。

 そこで不良に絡まれていた一人の少女を助けたのがきっかけだった。

 剣はその時、五人いた不良を一人で倒してしまった。

 それが、禍魂旋風の構成員であったため、面目を潰された禍魂旋風につけ狙われていると言う訳だ。


 互いに素手で殴り合う事数発。

 互いの拳が空を切る。

 剣は特に武術の心得がある訳ではない。

 しかし、天性の運動神経とでも言うべきか、生れてこの方喧嘩で負けたことはなかった。

 しかし、目の前の小柄な男――森山は剣とまともに打ち合っていた。

 少なくとも何かしらの武術の心得がある事は間違いない。

(だけど、何だこの違和感は)

 鳩尾を狙った突きはスウェーで交わされ、空かさず迫ってきたストレートを横回転で除け、流れるままに後頭部目掛けての裏拳は腕でガードされた。振り向きざまに飛んで来た顎先を狙った衝手を反対の腕でいなす。先程からこのような攻防が続いており、互いに決め手を欠いた状態であった。


(攻撃に脅威は感じない。だけど、何故か防御される度に鳥肌が立つ)

 流れるような攻防を繰り広げながらも、どこか本気になれない違和感。

「おいおい。もっと本気で来てくれなきゃ困るよ」

 剣の思考を読んだかのように、森山がため息交じりの挑発をかましてきた。

「それはお互い様だろッ」

 言葉とともにそれまでより力の込めたストレートも難なくいなされた。

「ははっ。やっぱり分っちゃうか――じゃあちょっと本気を出そうかな」

 森山の顔に凶笑が浮かぶ。

 それと同時に構えを下ろしノーガードに近い態勢を取った。

「……どういうつもりだ」

「どうもこうも、コレが僕の本来の構えさ」

 そう言う森山からは確かに先程までより数段強い圧を感じた。

「良いぜ。それなら俺も少し本気を出してやる」

 合わせて剣も構えを変えた。

 左足を大きく後ろに下げ、半身で腰を落とす。腕はあたかも刀を持っているかのように腰元に構えた。

「瞬きするんじゃねぇぞ」

 その呟きと共に、剣が彼我の差を一瞬で詰めた。振り抜いた腕は裏拳となり、鞭のように森山の顔面に迫る。


「何⁉」


 瞬間、剣の世界の上下が反転した。

 投げられたと気付き、無理やり身体を捻り地面への激突を回避。

 疑問を余所に、仕掛ける。投げられる。仕掛ける。投げられる。

 数十秒の間に行われた計五回の攻防。

 五回も投げられれば、如何に剣とて体制が保てない。一呼吸距離を取る。

「ワオ。早いね。それにどんな体感してるんだよ」

 投げられ続けた剣であったが、その一度も背が地面に着くことはなかった。

 剣の人間離れした反応に呆れた声を漏らす森山。

 しかし、剣はそれどころではなかった。


(投げられた?)


「合気、か」

 混乱する頭でも戦いにおける回答は瞬時に導き出された。


「ご名答~」

 パチパチと拍手をする森山の顔――そこに写るのは余裕の笑み。


 合気道とは相手の攻撃に対して防御と返しを同時に行う後の先の究極形である。相手の流れや呼吸を読み合わせ、返す。言葉では簡単だが、剣の速さについて来られるという事はかなりの使い手であることが伺える。元来小柄なモノが強者から身を守るための技術であるはずだが、極めればこうも脅威となりえるのか。


 その顔は負けるとこなど微塵も考えていなかった。

 

 負ける? 俺が?―――――ふざけんなっ!


 剣は腰を低く落とし、半身の体勢をとった。


「はぁ懲りないね。僕はこれでも君のこと評価していたんだけどな。買いかぶり過ぎだったかな」


 溜息をつく森山もゆっくり態勢を整える。

 速さで負けたのなら、速さで勝たなくては意味がない。

 四肢に力を込める。

 軸足が地面にめり込み、握る手に血管が浮き立つ。

「流せるもんなら、流してみやがれっ」

 裂破の気合の元、地面が爆ぜた。

「⁉」

 剣の視界に映ったのは驚愕に歪む森山の表情であった。


「ははは、はぁ~。やっぱり勝てないか」

 そこには地面に大の字に倒れた森山がいた。

 速さで負けたのなら、更なる速さで挑めばいい。半ば暴論をもって森山を薙倒した剣であった。


 戦いは終わった。

 「お前何で禍魂旋風何かにいるんだ?」


 際程までの荒々しい雰囲気はどこへやら。いつも通りのボーっとした剣に戻っていた。

 森山の傍にしゃがみ込み、膝の上に肘を乗せ、頬杖をつきながら剣が純粋な疑問を口にした。

 剣ほどではないにしても、これほどの実力。不良など辞めて真剣に競技に取り組めば、その名を轟かせることが出来たのではないだろうか。何より人の下に付くような男には思えなかった。


「僕に無理だよ」


 剣の考えを正しく読み取り、しかし、森山はつまらなそうに呟いた。

「よっこらしょ」

 そう言っ大したダメージもなさそうに起き上がった森山。どうやら受け身は間に合っていたようだ。

「まぁ、実際僕自身は禍魂旋風何てどうでもいいんだよ」

「それお前が言ったらマズいんじゃないのか?」

 森山は自分が三人いる隊長の一人だと言った。それが自分の所属する団体をどうでもいいと言うのは色々と問題があるのではないだろうか。


「まあね。コレを言いうと杉原なんかが怒るんだよ。あ、杉原ってのはもう一人の隊長ね。アイツみたいに禍魂旋風に自分の居場所を見つけちゃっているような奴らも確かにいるんだけど、僕は違う。僕は総長、石森玄音いしもりくろねの強さに惹かれてココにいるんだ」

「強さにって、お前ら戦闘マニアか何か?」

 それに対して、剣は呆れた視線を送った。

「当たらずも遠からずってところかな。僕も元々は純粋に武道に打ち込む少年だったんだよ。これでも結構将来を有望視されていたんだけどね。ある人の試合を見て自身がなくなったのさ。その後ヤルことがなくなってウダウダしていた時に、総長に会って完敗」

 そう言って森山は清々しく笑った。


「君の強さは他者を寄せ付けない、否定する強さだけど、総長の強さは相手を魅了する。この人が本気で戦うところを見てみたい。そう思わせる何かがある。これでも修行してるんだけど、僕らじゃ力不足。だから、僕は禍魂旋風に所属してるんだ。ここにいれば実践経験が詰めるからね。少しでも総長の強さに近づけるように」

「何だ、自分で戦おうとは思わないのか?」

「君なら分かるだろ? 自分より劣ってるって分かっている相手と戦うなんて何の楽しみもないだろ。僕は本気で楽しんでいる森山玄音が見たいんだ」

「分んねぇな。それなら自分が強くなればいいだろ」

 当然の様に剣が言った。

「君ならそう言うだろうね。あの三連覇でさえ誰も君の足元にも及ばなかったんだから。君に弱者の気持ちは分からないよ。分かる必要もないけどね」

 一瞬哀し気に顔を歪めた森山だったが、それはすぐに霧散した。

「……そんなことねぇよ」

 代わりに剣の表情が歪む。

「過ぎた謙遜は嫌味に取られるよ。いや、でもそう言えば一人だけ君の足元に迫るくらいの使い手がいたんだっけ?」

「……」

「まぁ、それはいいや。今君と戦ってはっきり分かった。僕は二人が戦うと頃が見てみたい」

「何だ、結局ただの武術オタクかお前」

「はは。まあね」

 熱の籠っていった森山の言葉に、しかし、剣は呆れた様に呟いた。


 どうやら森山は剣を待ち伏せしていたらしい。

 そこにたまたま現れた白杖の美少女に部下がちょっかいを掛けたところに現れたのが剣であった。


 森山は自分がその強さに惚れた総長が気にかけている剣の人となりが知りたかったが、面子を潰された相手と団長が和気藹々と話す訳にはいかない。どうしたものかと考えていたところにこの事件。少女には申し訳ないが、即座に乗ろうと考えた。剣に仲間邪魔者を排除させ、念のため場所も移し、しかし、武道を志して身としてやはり一度は手合わせをしたくなって、先程の状況と。


 場所を移したのは、地面がコンクリだと投げた時剣が危険だと思ったというのもあったようだが、森山は「杞憂だったね」と苦笑した。

「僕から部下に君を見てもちょっかい掛けないよう言っておく。何なら総長に掛け合ってもいい」

「おお、マジか」

 この有難い提案に、剣の顔にも安堵の色が浮かぶ。

「ただ、一つ条件がある」

「条件?」

 ニヤッと笑った森山に嫌な予感を感じ、安堵の表情に陰りが見えた。

「何難しい事じゃない。もし石森玄音総長と戦う事があったら全力で相手をして欲しい」

「……それだけ、か?」

「うん。約束してくれるかい?」

「そんな事でいいなら」

 そもそもそんな機会があるかどうかも分からないが。

「うん。それならそれで問題ないよ」

 剣の言葉に微笑んで、森山は背を向けて歩み去って行く。

「あ、そうだ」

 途中で何かを思い出したように振り返り、

「君の速さはまったく常識の埒外で、残像が見えるほどだったけど、総長には通用しないよ。彼女の速さは残像を置き去りにする」

「? おい、それてどういう――」

 剣は言葉の真意を問おうとしたが、森山は悪戯っぽく笑ってその場を後にした。

「ったく、何なんだよ」


 グゥゥゥ

 

 呟きと同時に空腹感が蘇った。

 慌てて時刻を確認するが時すでに遅し。剣は貴重な昼食を逃したことを悟り、空を仰いだ。

 そこにいたのは戦いの勝者でなく、ただ腹をすかせた高校生男子の姿であった。



   ◇



 場所は変わって全国に名を馳せる某ファミレス。

 剣が森山隼人と激闘を繰り広げていた丁度そのころ。

 菅原望と佐草昴は温かい食事をとっていた。

「遅いですね」

 フォークでパスタを突きながら、落ち着かない様子で溜息をつく望に昴が言った。

「え、あ、うん。そうだね」

 その言葉に、望が慌てた様子で答え、気付いたようにパスタを口に運んだ。

「望さん分かってると思いますけど、あの場に僕らが留まるのはデメリットしかありませんでした」

「うん。それは、分かってる。でも、きっと剣は怒ってるよね。あの状況で助けないなんて変だもん」

 頭では分かっているが、感情がついていっていない様子の望。

「そうでしょうか? 現代社会では、あの場で声を掛ける方が少数派だと思いますけど」

 その為、昴はあえて冷たい事実を口にする。

 困っている人がいる。じゃあ助けよう。そう思うには他人との関係が希薄になり過ぎている。

「でも、それが出来るのが剣だから」

 今度は苦笑と共に答える望。

「はぁ。望さんが言う八雲剣は、時々僕の知っている人物とは別人なんじゃないかって思う時があります」

 今度は昴が溜息をもらす。知り合ってからこれまでも、望は今のように剣を擁護する発言をする事があった。しかし、それは昴にとっては首を傾げるモノばかりで。昴の知る八雲剣は少なくともあの場で進んで人助けをするような人物ではない。 

 怠惰が服を着て歩いているような人物。それが、佐草昴が知る八雲剣である。

「はは。確かに今はあんなだけど……。昔から困っている人、弱い人は放っておけない。それが剣なんだよ」

 言ってることは立派なはずなに、どこか悲しそうにそう話す望。

「……」

 昴は言葉を飲み込んだ。もう幾度となく伝えている昴の想い。しかし、この段階に

なっても望は剣の可能性を捨てきれないでいる。

 ならば後は望が決める事である。昴とて決して余裕がある訳ではない。

「まぁ、でも負けることはないでしょう」

 その一点だけは望と昴の認識は一致している。

 八雲剣は強い。少なくともその辺の不良が何人集まっても問題ないくらいには。

「そう、だね」

 ようやく望の顔にも少し笑顔が戻った。笑っている顔が一番望みらしい。その顔を見て昴も笑みを浮かべた。


「八雲剣はいいとして、彼女、やっぱり偵察でしょうか?」

「そうだね」

 彼女――先程剣が助けに入った女性。名前を中島詠子なかじまよみこ

 彼女は県西部にある高津柿本たかつかきもと神社の時期宮司候補だ。

 何故県東部の松江市に住む望と昴が、県西部に住む詠子を知っているのかと言えば、中島詠子が有名人だからだ。人気キューチューバーうた。それが彼女のもう一つの顔であった。さらに来年開催予定の最高神事の参加者でもある。

「目が見えないのに、一人でこんな遠くまで来るなんて余程の理由が要ります。そして、この時期となれば、それはもう明白でしょう」

 小学生らしからぬ言葉で、緊張を乗せた声で昴が言った。

「柿本神社……。飛鳥時代の歌人柿本人麻呂かきのもとのひとまろを祀る神社」

 望も昴が言わんとしている事を察し、口調が重くなる。

 現在日本には八万近くの神社があり、八百万やおよろずの神々が祀られている。

 今では生活になくてはならないコンビニの数でさえ五万ほど。現代人には分かりにくい感覚かもしれないが、それだけ過去の人々にとって神社は身近な存在だったのだ。

 しかし、八百万と言っても神社に祀られる神は大きく分けて3通りしかない。


 祖先神――天皇家の祖先神

 人物神――生前に偉業を成した人物や、非業の死を遂げた人物が祀られたもの

 民族神――人々の間で自然発生した神


 柿本神社は当然人物神。

 そして、それは望の父親が宮司を務める『菅原天神すがはらてんじん』と同様である。

「【神ノ遊戯】で勝ち残るために必要なのは〝知〟と“縁”です」

 昴が確認するように言葉を紡ぐ。

「“知”とは神話の理解に始まり、神の成り立ち、御利益など、つまりはどのような力があり、どう戦えるのか知っているという事です。一方“縁”とは当然神と依り代とのもの。これが強く結び付いているほど強大な神威しんいを借り受けることができます。そして、人物神は縁が結びやすいと言われています」

 そこで確認するように昴が視線を望に向ける。

「うん、そう、かも」

 快活に望にしては、歯切れが悪いその言葉に、首を傾げつつも話を続ける。

「ある程度“縁”を結ぶことが出来れば祖先神が強いですが、そもそも“縁”を結ぶことが難しい。予選がある【神ノ遊戯】でそれは致命的です。予選で注意すべきは人物神。本戦に残った祖先神は本物。民族神は侮るなかれ。これが定説ですね」

「うん」

 自身も人物神の依り代である望も、昴の言葉を肯定する。

「強いかな、彼女?」

「どうでしょうか……」

 思案気に首を捻る昴。

「この段階で敵情視察をするという事は、神との縁は繋がっていると思われます。けれど、神使しんしでなく自ら出向いての敵情視察。未だ力は万全ではない、と思います」

「そう、だね」

 先程見た中島詠子の顔を思い返す。

 不思議な雰囲気を纏った女性であった。目が見えないのに、そんな事おくびにも出さない自信があった。剣が助けに入らなくても、自分だけで切り抜けられたのではと望は思う。

 そして、その強さが望には羨ましかった。


 結局その日、剣がファミレスに来ることはなかった。

 これにはどうしたものかと望だけでなく昴も首を傾げつつ、時間となったため道場に向かうのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る