第3話 八雲剣 ②

 昇降口は人で溢れかえっていた――という事はなかった。


 テスト期間中は部活動が禁止なので、昨日までは全校生徒が同じ時間に昇降口に押し寄せていた為、帰宅が命懸けだった。

 今日空いているのは、早々活動再開する部活が多くあるからだろう。

 運動部の奴らは水を得た魚のように教室から走り去っていった。アイツ等は動いていないと落ち着かないのだろう。良い顔をしていた。すでにテストの事は忘れて、思う存分欲求不満フラストレーションを発散していることだろう。

 まぁ、剣には関係ない話だ。

 一人校門を出て、駅に向かう。


「待ちなさいってばッ」

 呼ばれる声に振り返ると、先程教室においてきた望が追い付いてきたようだ。

 置いて行った腹いせか、その手が大きく振りかぶられている。

 とても反応できそうにないタイミングで、背中を叩かれる――。

 と、思ったところで、ヒョイと難なく躱して見せた。


「あぶねぇな」


 避難がましく呟く剣と、空を切った自分の手見つめる望。

「あんた、本当に学校の中と外じゃ別人だよね」

 先程までのダラケていた剣と同一人物とは思えない反応に望が呆れたように言った。

「……まぁ、それ程でも?」

「分かってると思うけど褒めてないから」

 剣の適当な返事に、望はやれやれと首を振る。 


 言われるまでもなく、分かっている。

 そして、それは望も同じだ。

 先程教室で見せていた元気いっぱい笑顔いっぱい、誰とでも仲良くなれる望と、今現在剣に見せている、冷たい視線に冷めた表情の望。

 見る人によっては人間不信になるのでは? という格差を醸し出している。

「で、何の用だよ? お前今日は道場だろ」

 咄嗟に避けたため崩れた態勢を戻しながら剣は疑問を口にした。

 校外で、佐草が一緒でもないのに望が剣に話しかけてくるのは珍しい。

「アンタこれからどうするの?」

 剣の質問には答えず、望が聞き返してきた。

「家に帰るだけだけど」

 部活に入らず、学校終わりに遊びに行くような友達もいない(いても行かないと思うが)剣の放課後の予定は基本帰宅一択だ。

「相変わらず暗い青春おくってるわね」

「ほっとけ」

 何に重点を置くかは人それぞれだ。自分の価値観で人を語らないで貰いたい。

「ひねくれた意見。まぁ、それには賛成だけど。ところで、アンタ昼ご飯はどうするの?」

「うっ」

 望の問いに一瞬口籠る。

 テスト期間のため学校は昼で終わりだが、世間的には平日である。共働きの両親は当然家に居ない。という事は、昼ご飯など用意されているわけがなく。

「適当に食べる」

 望から視線をそらしながら呟いた。

「はあぁぁ。どうせまた新谷のおじさんや、大森のおばさんに貰う気でしょ。止めなさいよね。ただでさえ最近害獣が多くて困ってるみたいなんだから」

「ち、違う。いや違わないけど。アレは勝手にくれるだけで、俺から要求してる訳じゃないからな」

 部活をしていない剣は帰宅時間が早い。すると、畑仕事をしている近所のおばさんや、猟帰りのおじさんに会う訳で、そうするとコレを持ってけ。コレを食べろ。と新鮮な野菜や時には捕れたての猪肉などをご馳走になる。

 剣の身体はこうして出来上がった――訳でもないが、コレが田舎の良いところだろう。 

 みんなが何かと気にしてくれる。

 まぁ、枯れた剣を心配してくれているだけかもしれないが。


「そんなアンタに良い提案があるんだけど、聞く?」

 望が悪魔の微笑みを浮かべた。

「……なんだよ、提案って」

 恐る恐る問いかけた。


「騙された」

 あの後、食事を奢るからその間の時間暇つぶしに付き合えと提案してきた望に、剣は二つ返事で答えた。

 どんな無理難題を吹っ掛けられるのかと身構えたが、なんて事はなかった。

 小一時間程、望の相手をするだけで一食奢ってもらえるのだ。

 食べ盛りの男子高校生にとって、こんな有難い事はない――と、いつになく上機嫌な剣であったが。

 駅に着くと、見慣れてしまった小さな背中が見え、望にはめられた事に気が付いた。

「おーい。昴くん」

 望はきびすを返そうとする剣の腕を片手で掴み、もう片手を振り上げてブンブンと大きく振った。

「あ、望さん――と、どうしアナタがいるんですか、八雲剣」

「ははは。それはこっちのセリフだ、佐草昴さくさすばる

 剣とは犬猿の仲である小三男子、佐草昴と剣は互いに心底嫌そうな顔をしながら視線を交えた。

「まぁまぁ」

 その間で嬉しそうに、望が片方ずつ腕を組んで(腕を捕まえて)歩き出した。

 不機嫌な二人と上機嫌な一人が向かったのは駅のバスターミナル。

「ほら早くしないとバス来ちゃうよ」

 望に急かされるままバスターミナルに向かう。



 すると、平和な片田舎には珍しい光景、いや片田舎だからこそか、見るからにガラの悪い男が数人たむろしていた。

「わー、最悪」

 望が辛辣な呟きを漏らしたのは、男たちが周囲をはばからずバスの待合前で騒いでいた――からではなく、一人の少女の行く手を阻んでいたからであった。

「ねぇねぇお姉さんどこ行くの?」

「若いのに杖なんか持っちゃって。足が悪いんなら俺が肩貸すよぉ~」

「1人? あぶないから俺たちが一緒に行ってあげようか?」

「はははッ。余計あぶないっての」

「うるせーわ」

 相手の様子を気にせずにそれぞれが言いたいことをまくし立てており、その声にはあからさまな嘲り、嘲笑、そして下心が透けて見えた。

一方少女は、男たちの声に反応示さず、ただ虚空を見つめていた。


「……ほっときましょう」

 佐草が呟いた。

「え、何言って――」

 思いもよらなに佐草の言葉に望が反論しようとしたが、一瞬佐草を見つめ、ハッと何かに気が付いたように少女に視線を送り、

「そう、だね」

 と体の緊張を解いた。


「はぁ? お前ら何言ってんの?」


 しかし、コレに納得出来ない者がいた。八雲剣である。

 正義感など振りかざしたいわけではない。しかし、目の前の光景を「はい、そうですか」と見ないふりは出来なかった。

 少女の手には、白い杖が握られていたからだ。

『白杖』。視覚に障害がある人が持つ杖。それを持った少女が、目の前で独り不良に絡まれている。


 普段はヤル気がない、ダラケていると評価されがちな剣だが、人一倍正義感が強い一面があった。

 

 男たちの数は五人。全員剣と同世代のようだ。

 周りの大人たちは見て見ぬふり。それも仕方ない。相手が五人では向こうが暴力に訴えてきた際どうにも出来ないだろう。


 しかし、それとこれとは話は別だ。迷わず、一歩踏み出す。

「ちょっと待ってください。どうするつもりですか?」

 しかし、それは佐草の小さな手に阻まれた。

「何って、助けに行くに決まってるだろ」

 怒気を込めて剣が呟いた。

「――っ」

 年上から漏れる圧力に、佐草はビクッと身体を震わせた。が、剣を引き止める手の力は緩まない。

「ちょっと、昴君に当たることないでしょ⁉」

 その様子に望が焦ったように声を上げた。

「うるせぇ。俺は俺のしたいようにする。助ける気がないなら邪魔するな」

 そう言って乱暴に佐草の手を振りほどく。

「ちょっと、また問題起こす気ッ⁉」

「関わらない方が良いですよっ。あの人は大丈夫ですから」

 普段はボーっとしている剣だが、誰かを守ると決めると後先考えずに行動してしまう。自分でも理由は分からないが、身体が勝手に動いてしまうのだ。


「「はぁぁぁ~」」


 歩み去って行く剣の後姿を見つめながら望と昴が大きく溜息を吐く。

「どうします?」

「どうもこうも、ほっとくしかないでしょ。私たちが関わる訳にもいかないし」

 困った様子で望に問いかける昴に、望も頭を押さえながら苦り切った表情で答える。

「先にファミレス行っとこうか。場所は伝えてあるから、終わった勝手に来るだろうし」

「そうですね」

 望と昴はその場を後にした。

 



 一方、剣である。

「おい、迷惑だってのが分からねぇのか?」

 明らかに敵意の籠った声をぶつける。

「ああん?」

「何だおめぇ」

「喧嘩売ってんのかッ」

 五人の内、三人が「はい、私たちは不良です」という具合に、常套句テンプレ言葉セリフと共に葉め寄ってきた。

「……」

 三対一。剣は無言で睨みつける。

「何だその眼? ムカつくな」

「やんのかッ」

「調子乗ってんじゃねぇぞ!」

 更に、分かりやすく声を荒げる三人の男たち。そう内一人が剣の胸倉に手を伸ばす――ように見えたが、次の瞬間その男は静かに膝から崩れ落ちた。

「んなッ⁉」

「何しやがったテメェ!」

 いきなりの事に取り乱した残りの2人が、同時に剣に殴りかかる。

 しかし、またしても、今度はくぐもった声を残し男たち2人が地面に転がった。

「……」

 それを気にした様子もなく剣は歩を進める。

 すると残った二人の内の一人、小柄の男が、五人の中で一番大柄の男に目配せした。

「……うす」

 先程の三人と違い、落ち着いた声でゆっくりと剣の前に立ち塞がった。

 向かい立つと、剣より頭一つ分デカい。

 立ち振る舞い、言動。見るからに力自慢と言ったところか。

「……手合わせ願います」

「? ああ来いよ」

 予想外の丁寧な反応に首を傾げながらも顎で指図する剣。

「――っしゃ」

 間髪入れずに迫る右のストレート。

 成程。なかなかの圧力、スピードである。先程の三人とは比べ物にならない。これなら喧嘩に自信を持つのも頷ける。

「がはッ」

 あくまで素人の喧嘩では、だが。

 遅れて放ったはずの剣の拳が、相手の腹に深々と突き刺さっていた。体格さなどを考慮すれば、耐えられそうな一撃であったが、それでも他の三人同様膝から地面に崩れ落ちていった。

 ゆっくりと手を引き、剣は残り一人に視線を向けた。


「いや~やっぱり手も足も出ないかぁ。流石だね、八雲剣?」

「チッ」

 仲間が全員やられたというのに、気にした様子もなく笑いかけて来た。そして、何より剣の名前を知っている。それが意味することは一つ。


禍魂旋風まがたませんぷうか」


「ご名答」

 苦々し気に呟く剣とは裏腹に、小柄な男はニヤッと笑う。

 禍魂旋風――この中二病全開の痛々しい名前の集団は、しかし地元では名の知れた不良集団。とある出来事から剣を目の敵として纏わりついてくる面倒な集団だ。

 全貌は分からないが、構成員は百を超えると言われている。

 その為町を歩けばそれらしい連中に出くわし、その度に喧嘩正当防衛をしている剣である。

 目の前にいる男と、後ろで転がっている四人はその構成員のようだ。

 しかし、

「いや~、初めて会ったけど、本当に強いや。噂もバカにできないなぁ」

 先程の光景を目のあたりにして、強敵と認識してもこの余裕。

「……お前強いな?」

 半ば確信に近い呟いを剣が漏らす。


「ははッ。分かる? じゃあ、自己紹介しないとね。僕は森山隼人はやと。禍魂旋風の隊長の一人さ」


「隊長?」

「アレ? あんまり僕たちについて知らない感じ。眼中になしかぁ。ショックだな」

 ニヘラと笑うその態度からは言葉通りの感情は見受けれない。

「じゃ、せっかく僕が出向いたんだ。少し禍魂旋風について知ってもらうおうか」


 以下が森山隼人によって語られた禍魂旋風についてだ。

・一人の女性によって三年ほど前に作られた集団である。

・当時幅を利かせていた三つの不良グループと、それ未満の集団をただ一人で制圧・ 

 殲滅し、その後に吸収合併するように作り上げられた。

・その女性を総長に、潰された三つのグループの代表が隊長となり、その下に構成員

 が三十人程度付く。

・現在島根県内の不良グループは禍魂旋風以外にいない。


 この話が本当ならその女総長とやらはかなりの喧嘩自慢なのだろう。少なくとも森

山隼人この男を下に付かせるほどには。

 剣は改めて森山を見やる。

 言葉こそどこか飄々としているが、その佇まいに隙は無い。

 先程までと違い構えをとる剣。

「ここでヤルにはちょっと狭いね。場所を変えようか」

 そんな剣に変わらず笑みを浮かべて、森山が背を向けて歩き出した。

 喧嘩戦いの最中に背を向けて攻撃されても文句は言えない。それが分からない奴には見えないが、その背中は無防備だった。


「チっ――アンタ一人で大丈夫だよな?」

 再び舌打ちを漏らした剣は、絡まれていた少女に言葉を投げかけた。

「あ、は、はいっ。あぶないところを助けて頂いてありがとうございます!」

 背に庇っていた女性に話しかけると、何やら慌てた様にお礼を言われた。

 感謝を告げるその声は、その慌てぶりにも関わらず、春の陽日の中木陰で聞く小鳥のさえずりの様な美しさが感じられ、一瞬時間が停止したという錯覚を剣に覚えさせた。

「……アンタ、良い声してるな」

 そのため、剣が思わずそう呟くのは仕方のない事であった。

 剣としてはただ、思ったことをそのまま口に出しただけの事であったが、少女はハッとしたような顔を見せた。

「あ、あの、私の事、お、覚えておられますか?」

「え?」

 突然の問いに剣は首を捻った。確かに顔は見たことがある気がする。しかし、剣の狭い交友関係の中に目の前の白杖をもつ可憐な女性はいなかった。

 戸惑う剣に少女はさっと顔を赤くして、

「すすす、すみませんっ! 人違いでした。目の見えない女の戯言と聞き流して下さい~」

 剣が記憶を辿っていると、何やら自己完結した女性はまたしても口早にまくし立て、しきりに頭を下げ始めた。

「え、いや、そんな事は……」

 言い淀む剣に、しかしここで第三者の声が混じる。

「お~い。二人で乳繰り合うのは良いけど、僕の事忘れないでよ」

 背負向けて歩いていた森山が、立ち止まり呆れた視線を投げかけてきた。

「なっ⁉」

 これには剣も憤慨し口を動かそうとするが、上手い言葉が出て来なかった。

「ゴメンなさい。私のせいで……」

 消え入りそうな声で女性が言った。

「いや、アンタは何も悪くないだろ」

 それに対する剣も答えは最もなモノであった。

「……どうして、助けて下さったんですか? お連れの方のように立ち去る事も出来たのに」

「……気付いてたのか」

 苦虫を噛み潰したように剣が呟いた。

「は、はい。あ、決してお連れの方を悪く言うつもりはないんですけど……。目が見えない分、見えないモノがよく見えるので」

 恥じらうようにそう言った少女。

 よく分からないが、他の感覚が鋭いという事だろうか?

「悪かったな。アイツ等も普段はあんなんじゃないんだけどな」

 剣は頭を乱暴に掻きながら弁解した。

「いいえ。アレが普通の対応だと思います。それに私たち――特にあのお二人とはまだ、関わるべきじゃないと思いますし」

「? それはどういう――」

「おーい まだかい? そろそろ待ちくたびれちゃたんだけど」

 女性の意味深な言葉に、剣が疑問を呈そうと言葉を紡ごうとした時。森山から呆れた声が届いた。それもそうだろう。これから喧嘩をする相手をほったらかして話し込んでいたのだ。相手もよく待ってくれているというものである。

「チッ うるせぇな。今行くよ‼」

 舌打ちしながら、大声で怒鳴り返す剣。

「すみません、お引止めしてしまって――最後に、そちらに倒れている方々よりあの方は強そうですけど、大丈夫ですか?」

 場にそぐわない微笑みを浮かべた少女が、光を映さない目で剣の瞳を覗き込んできた。

「問題ない」

 それに対する、剣の答えはただ一言。

「フフ 愚門でしたね。ではご武運を」

 始めの慌てようが嘘のように、綺麗なお辞儀をして女性は駅の方に去って行った。

 その後姿を暫し見つめ、剣もその場を後に森山の方へと歩を進めた。



 ◇

 


 剣と別れた少女は足取りも軽く歩いていた。

「ちょっと詠子よみこ! もぉ、どこ行ってたのよ? 心配したんだからね」

「あ、穂希ほまれ

「『あ、穂希』じゃないわよッ。勝手にどっか行かないって約束だったでしょ!」

「ゴメンゴメン。ちょっと見知った音がして」

「見知ったって、アンタねぇ」

「まぁまぁ。思いもよらない収穫があったから良かったって事で」

「はぁ~。相変わらず何でもお見通しね」

「それはもう」

 清楚な少女と活発そうな少女。正反対な二人組は楽しそうに駅の改札に消えていった。

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