第8話 在りし日の記憶
とある十一月某日
旧歴の十月。
この月は、全国各地から神が消えと言われる。
故に、『神無月』。
しかし、全国で唯一この時期に神が溢れる土地がある。
神話の国、島根県である。
故に、彼の地ではこの時期を『
出雲大社の西方一キロに位置する稲佐の浜。
その浜に幼い八雲剣はいた。
まもなく時刻は午後七時。
山陰地方の十一月と言えば、全国より一足早く秋から冬に移り変わっていく時期である。
只でさえ、快晴の日が少ないのに空を覆う雲が分厚く、影を落としていく。
しかし、この日は珍しく夜空から雲が消え、冷たく澄み切った大気を裂き、剣の気分を表わすかのように大きな月と無数に輝く星々が夜闇を照らし出していた。
「早くっ早くっ。始まっちゃうって」
「あ、待ってよ~」
我先にと人混みを突き進む剣を、幼馴染である菅原望が楽しそうに追いかける。
幼い二人にとっては夜間の外出が物珍しく、周囲の喧騒も相まって浮かれていた。
「おーい。あんまり先に行くんじゃないぞ」
ここまで車で連れて来てくれた剣の祖父、八雲道元(どうげん)の声が後ろの方から喧騒に混じって聞こえた。
「分かってるって。●●も早く来いよ。あの岩の所まで競争しようぜっ」
「ははは。僕は良いよ」
一旦足を止めた剣は流れる人混みを気にもせず、小さい身体をめいいっぱい広げ、その短い腕を『ブンブン』と振り回し人波の間で見え隠れしているもう一人の連れを呼んだ。しかし、実際に剣に見えるのは道元の白く染まった頭と、もう一人の連れの履いている青い靴だけであった。
ほぼ見えない相手と声だけで会話しているため、当然声を大きくなる。剣の横を通り過ぎようとした大人たちは一瞬驚いた視線を向け、ついで微笑ましく見る者、迷惑そうな顔をする者、中には引率する大人が近くにいないため迷子かと周囲を見渡す者と人の数だけその反応も様々であった。
しかし、当の本人はそんな事は露知らず。天上天下唯我独尊――まさに子供の特権を堪能していた。
「んだよ~。じゃあ、先に行こうぜ」
つれない反応のもう一人の幼馴染をスパッと諦め、傍でソワソワと待ってくれていた望に視線を戻した。
「うんっ」
走り出した剣を嬉しそうに望が追いかける。二人の『タッタッタ』とかけて行く足音が雑踏にまぎれていった。
「剣、待ってよ~」
「嫌だよー。ホラホラ置いてっちゃうぜ」
望も決して足が遅い訳ではないが、運動神経抜群の剣には一歩劣る。二人の距離は次第に離れて行った。置いて行かれまいと望は懸命に人波をかき分ける。
「あっ⁉」
先を行く剣の背中ばかり見ていたせいで、足元がお留守になっていた望は盛大に転んでしまった。
「あっ―――痛っい~」
一瞬の驚きの後にジワリと痛みがやってきた。膝を抱えて
急に一人ぼっちになった望は擦りむいた膝の痛さと、心細さで鼻の奥がツーンと痛くなり、その大きな瞳に涙が溜まる。
「おい、何してんだよ?」
そんな時、
見上げると息を切らした剣が立っていた。
「何だ、転んだのか?」
「……うん」
抱えた膝からジンワリと赤い血がにじみ出していた。
「たくっ、ドジだな。ちょっと見せてみろよ」
そう言うと剣は望の膝を自分のハンカチで拭き汚れを落とした。まだ、出血しているようだったが、この分であればすぐ止まりそうだ。剣は傷をハンカチでギュッと縛った。
「よしっ。これで大丈夫。どうだ? 歩けそうか?」
「うん。大丈夫。――ありがとう」
「イイって。ほら行こうぜ」
照れたようにそっぽを向きながら差し出された手を望が嬉しそうに握った。
周囲が薄暗くなってきた。
追い付いてきた道元が時間を確認する。
午後七時。
まもなく神無月の大祭『
稲佐の浜は、日本の
しかしながら、普段の人通りは少なく、静かな浜である。
たが、この時は違う。
一年で唯一この時のみ、浜は大きく姿を変える。
日が沈み、辺りの闇が濃くなる中、そこに集う人々の静かな熱気が祭りの開催が近い事を教えてくれる。
暗闇の中、人々の息遣いと、波の音が耳に届く。
皆が一様に神妙な空気を纏ったその時、
到着された神々は神籬に宿る。神籬は
「ふうぅぅ――――」
暗闇の中、宮司の唱える祝詞と、身動きが出来ない程集まった人々の息遣い、そして時折爆ぜる松明の音が、さざ波に吸い込まれていく。
普段感じる事がないい雰囲気に飲まれていた剣は、人々が動き出したのに気づき、大きく息を吐いた。
「ちょっと神様の前でそんなことしたらダメだよ」
傍に居た望が慌てて注意した。
「だって、あんな雰囲気って知らなかったから息が詰まっちゃってさ」
「あぁ、確かにね」
剣の言葉に望も苦笑いで答える。
「でも、剣の家だって立派な神社なんだから、お祭りの時とかはあんな感じじゃないの?」
望が不思議そうに聞く。
「お前だって知ってるだろ。ウチの神社は見た目だけだって。客なんか来やしなよ」
とんでもないとばかりに剣は大げさに首を振った。
「コラ、客じゃなくて参拝者じゃと言っとるじゃろ」
「アテっ」
そんな二人の会話を後ろで聞いていた道元の拳骨が剣の頭に炸裂した。鍛えられ大きい拳骨は手加減されていても痛い。
「でも参拝客じゃん。神社だってボランティアじゃないんだから、お賽銭沢山してもらわないと困るじゃん」
神社の経営だけでやっていけるのは、氷山の一角に過ぎない。その下で数多くの神社が経営危機に直面している。宮司も他に仕事をしている人が殆どだ。と言うのが、普段教師をしている剣の父親の弁である。
「まったくアイツは碌な事教えんな」
道元はここにはいない自分の子供、剣の父親の事を思い浮かべて溜息をついた。
小言が始まると感じた剣は目配せで●●に助けを求めた。
「でも、さすが出雲大社ですね。こんなに大勢の人がいる神社って初めて見ました」
やれやれ、と苦笑しながら●●が話題を変えてくれた。
祖父に見えないように●●を拝む剣。
神様の前で人を拝む姿は少し滑稽であった。
「確かに。何ていうか、騒がしいのに静かな感じ? あれ?」
望が●●の言葉に自分でも首を傾げながら反応する。
「お、そうじゃろう? 今日はこの雰囲気を感じて欲しくて連れて来たんじゃ。お前たちが感じているのは集まった人たちの騒めきであり、集った神々の存在じゃ」
「神様の存在、ですか?」
道元のこの言葉には賢い●●も首を傾げた。
「そうじゃ。今日日本全国の神様が、ここ出雲大社に集まるのは知っとるじゃろ?」
「はい」
「知ってる」
「え、そうなの?」
道元の問いに三者三葉の返事をする。一人だけ疑問符を浮かべる剣に道元は呆れた視線を向けながら続けた。
「いいか? 神様は普段見えないが、確かにそこに在る。お前たちが今感じているのはその気配じゃ」
「うっそだー」
子供に分かりやすく説明するために言葉を砕いて説明しているが、道元の顔は真剣そのものだった。
しかし、剣がすかさずその言葉を否定するた。
「嘘ではない。儂は昔実際に神様を見たことがあるからな」
「えぇ~え」
常識人が聞けば完全にホラ話と一蹴されるようなことを真剣に語る道元に、剣は疑いの視線を向ける。
「ホントに? 神様見たことあるの?」
「どんな神様を見たんですか?」
しかし、剣以外の二人は道元の言葉を信じているようだ。
普段から道元を師事しているため、その言葉には説得力があるのかも知れない。それに加え、二人とも家業が神社関係の為、そのような話を受け入れやすいのかもしれない。
その条件は剣にも当はまるのだが、何故こうも考え方が違うのだろうか。
そんな疑問を余所に話は進んでいった。
「儂が見たのは、道祖神、
「知ってる! 道の横にあるお地蔵様っ」
望が嬉しそうに答えた。
「櫛明玉命は確か、玉作湯神社の神様ですよね」
●●もクールな表情に少しの高揚を乗せて答えた。
「正解じゃ望。●●もよく知っておるな。神話ではそこそこ重要な神じゃが、如何せん知名度が低い」
「えへへ」
「確か近くに数年前から急に参拝客の増えた神社がありますよね? そこの主祭神がそうですよね。父から聞いた事があります」
道元に頭を撫でられ照れたように笑う望と、しっかりとした返答をする●●。
「それで、もう一柱の大名持命っていうのは……」
●●の言葉に望も首を傾げる。
「ああ、そっちは知らんか。大名持命とは、その名の通り沢山の名前を持った神様の事じゃ。大国主、大黒様。お前さんらにはこっちの名前の方が聞こえがいいか」
「知ってるッ。七福神」
「大国主といえば、ここ出雲大社に祀られている神様ですね」
道元の言葉に望と知宏がそれぞれ反応した。
「そうじゃ、稲葉の白兎や国造りで有名な神様じゃな」
その後も三人は神や神話の話で盛り上がっていたが、ほぼ興味のない剣は手持無沙汰になってしまった。
「ちょっとジュースでも買ってくる」
一人ではやる事もなく、走り回って喉も乾いたため、自販機まで飲み物を買いに行くことにした。
「おぉ。人が多いから気を付けるんじゃぞ。儂らは神社の方に向かうから、社務所前に集合じゃ」
「はぁ~い」
道元の声に適当に返事をし、その場から駆け出した。
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