第7話 菅原望

 望には叶えたい夢がある。


 一つは神社の後継として宮司になる事。


 そもそも神社の後継者とはどのように決まるのか。

 これは大きく二つに分れる。

 一つは世襲制で、もう一つは神社本庁による任命である。


 しかし、全ての神社が神社庁参加である訳ではない。

 神社庁傘下の神社を被包括ひほうかつ神社。他を単立神社という。被包括神社の数は全国で八万弱。九割近い神社が属している。しかし、宮司の数は二万人にも満たない。


 他の業種と同様に神社界隈も後継者不足が大きな課題となっている。一人の宮司が数十の神社を同時管理することなど珍しくもない。


 話を戻そう。宮司の後継者について。

 神社本庁が決定権を有するのは被包括神社のみなのだ。単立神社に対しては何の決定権も持たない。


 神社本庁とは、伊勢神宮を本宗ほんそうとし、全国の傘下神社を包括する宗教法人であり、敗戦後国家神道解体を進める戦勝国から神社を守るため、全国の有力神社が神社連盟に参加するという形で始まったとされている。

 そして、各都道府県に神社を管理する神社庁が置かれ、紆余曲折経て今では各神社の宮司後継者決定権を有するまでに成長したと言う訳である。


 明治時代、国が定めた神社の宮司には法律によって男性しかなれなかった。神社本庁でも、当初の規則には“二十歳以上の男子”と明記されていたが、コレは時代の流れとともに廃止されている。


 しかし、一昔前、母や祖母の時代には女性差別もあったようで、後継宮司に女性を推薦、神社本庁に申請しても棄却され、官僚の天下りがまかり通った時代があったそうだ。


 現在はその傾向はなくなり、男性と変わらない数の女性宮司がいる。

 しかし、これは先人たちの権力に屈しない断固たる意志が導いた結果である。時には裁判沙汰になったケースもあったらしい。

 これらの事に感謝しつつ、望が宮司になること自体は然程難しくはない。望の努力次第である。


 あまり知られてはいないが、被包括神社で奉職するには資格が必要である。これを『階位』といい、上から浄階じょうかい明階めいかい正階せいかい権正階ごんせいかい直階ちょっかいに分けられる。


 では、『階位』はどうすれば取れるのか。

 これにもいくつか方法がある。

 一つは、神職資格過程を有する大学を卒業する方法で、一般入試さえ受かれば誰もが可能だ。神社本庁の推薦が必要だが、全国に数か所ある神職養成所の課程を修了する方法などもある。他にも、大阪国學院が実施している通信教育を修了し、試験に合格する方法があるが、コレは跡取り問題などで緊急に神職に就く必要がある場合などにしか認められていない。また、正階、権正階、直階の3つの階位は検定講習会が実施されている。これを受講し、検定に合格すれば階位取得が出来るが、コレも神社本庁の推薦が必要なため、望が取れる手段としては一つ目。大学を卒業するのが1番現実的で近道である。


 もう一つの願い――。

 それは、守られる存在から共に歩む存在になる事。――否。剣が以前の剣に戻るきっかけになれればいい。


 幼少期より自分の前を行く背中を見つめ続けた。以前はそれでも良いと思っていた。ヒーローに憧れる子供。しかしある時を境に変わってしまった剣。原因が分かっている自分にしか彼を立ち直させることは出来ない。半ば強迫観念にも似たその思いが望を支配している。


 今は見る影もない大きかった背中を、哀しみと、怒り、不甲斐なさ、あらゆる感情で見つめるしかない日々。次第に互いの心も離れてしまった。そして、時折向けられる冷めた視線に、自分など眼中にない事を悟り打ちひしがれる。


 だけど、それでも。修練に励む。望には時間がなかった。


【神ノ遊戯】


 彼の神事が始まってしまっては手遅れになる。

 開催を知らされてから約三年。来年年明けとともに開催される最高神事。


 そこで自分の可能性を示すのだ。――私自身に。もう守られなくていい。私は強くなった。後ろでなく、前でもなく、横で。ともに歩める存在として。

 そして、誰かの代わりでなく、唯一の存在として認めてもらうために挑もう。

 これは私の我が儘だ。

 神の意志を押しのけてでも、引くことは出来ない。

 望はただ、己の夢の為に今日も矢を射る。


 二千四十九年十二月三十一日。

 午後十時三十分。

 『菅原天神』神社の境内。

 あと数時間もすれば初詣の為に多くの参拝客だ訪れるだろうが、今はまだガランとしている。

 そこには二つの人影があった。

 蝋燭の淡い灯に映し出された影は1つ。

 菅原望が巫女装束を纏い静かに坐していた。

 淡い光に映し出された顔には幼さが残るが、その表情には何かを決意した凛々しさがあった。

 望は待っていた。自分の無謀な願いを押し通した結果を。

 通常【神ノ遊戯】ではありえない予選前の戦闘。

 それを可能にしたのは、当然望自身の頑張りもあるが、1番の要因はこの場所の特異性である。


 人口百人足らずの狭い村に、同じ系統の神社が二つ。そして、そのどちらもが決して小さくない規模で存在している。

 望の父菅原道彦が宮司を務める『菅原天神』が村の入り口に鎮座し、他方、五百メートルほど離れた場所にある『梅ノ木天神』は鬼門を塞いで鎮座している。入り口から来る災いと鬼門から湧き出る災いを二つの同じ神社が退けることで村は特殊な神域と化していた。


 二つの神社は本来1つなのだ。

 現代日本では多くの神社が後継者問題を抱えている。その打開策になり毎回激しい争いとなる【神ノ遊戯】に参加出来るのは時期後継者の資格があるものだけである。 

 しかし、せっかくの後継者が傷物になっては叶わない。まして死んだりしては目も当てられない。

 その為、神社庁は出来るだけ穏便に戦いを進めたがっていた。

 今回の【神ノ遊戯】の概要が決まったのが三年前。

 それから神社庁が各調整し、形が決まった。

 まず予選として各県内で選出された神社の代表がバトルロワイヤル方式で戦い、勝ち抜いた一名のみが本戦に進む。


 【神ノ遊戯】には決まったルールがない。無関係な者を極力傷つけないという暗黙の了解の他には何でもありだ。その状況でバトルロワイヤルなどすればどのような結果を招くか、火を見るより明らかである。

 だから、今回望が望んだ一対一の勝負が認められたのだ。

 

 これまでの修行日々を思い返し、望は傍らに置いた弓を握りしめた。

 御神弓『梅香ばいか』。御神木から切り出された、祭事用の弓である。

 普段は人目に触れぬところに納められている『梅香』。その実は【神ノ遊戯】の為に造られた神器であった。

 

 そして、望が『梅花』を握りしめた瞬間、神が現界げんかいした。


『梅香』を手にした望の眼前に人影が立つ。

 先程までは望一人きりだった空間に影が揺らめき立つ。そして、ソレは次第に形を帯びていった。

 一度見た光景のだが、一瞬見惚れてしまった。

 ハッと我に返り慌てて膝を折りこうべを垂れる。


「ご無沙汰しております、公よ」


 冷たい板張りの床を見つめながら、望が恭しく言った。

 年末の空気は冷たく、暖のない境内は冷え切っていたが、先程までより更に空気が痛い。視られていることが分かる。冷え切っているのに、背中が汗でジワっと湿る。

 どのくらいそうしていただろう。

 実際には一分にも満たない時間であっただろうが、数時間は経ったように感じた。 

 生身の人間が神と対峙するという事はそれだけで体への負担が大きいのだ。


おもてを上げよ』


 低く重たい声が止まっていた大気を揺らした。

 ゆっくり顔を上げると、そこにはテレビで見たような昔の貴族の姿があった。全身黒を基調とし、裾から白色が見えている。頭には烏帽子えぼしを被り、手にはしゃく。蓄えた白髭により老齢な見た目だが、正確な年は測れない。

 暗いはずの境内で、黒の衣を纏っていても姿がはっきり見えるのは、神の周りが光っている為であった。


『三年、か』


 望を見やり、呟いた声に籠る感情は計り知れない。


『現界した神に初見でモノを申す小娘など神罰ものじゃったが、なかなかに育ったではないか。ヒトの身でありながらその破魔の気。儂の目に狂いはなかった。よくぞ儂の言葉に報いた。此度の歪んだ遊戯においてお主は台風の目になるやもしれん。後は未だ迷いが残る気概をどうにか出来ておれば良かったのじゃがな。まぁ、それは戦いながらでもよいわ』


「勿体なきお言葉。公には感謝の念しか御座いません。三年前ただの小娘に過ぎなかった私の我が儘を聞いて下さり有難うございます。お陰で様で我が弓と破魔の気はこれ以上ない程成長できたと思います。しかし、唯一つお言葉を返させていただきますが、私の気持ちは決まっております。勝ちたい相手がいます。そして、その相手に勝つことは【神ノ遊戯】勝利への路に続いていると愚行しております。迷いは、ありません」


 神の言葉に一瞬ドキリと心臓が跳ね、歯噛みをしつつ、しかし声音は変えず望は言いきった。


『それで神をたばかったつもりか?』


 しかし、そのような浅はかな考えなど神には通用しなかった。冷ややかな声が望の頭上より突き刺さる。


「……滅相も御座いません。私は、自分の勝利を疑っておりません。失礼ながら、我が勝利をお疑いなのは公ご自身では御座いませんか」


 意味のない問答。

 神は現界し、依り代もすでに定まった。【神ノ遊戯】開始まで残り数十分。

 だから、コレは互いの魂を照らし合わせる儀式。

〝縁〟はとうに結ばれている。今は結び付いた〝縁〟を重ね合わせているだけだ。

 言わば最終調整。

 神も臨戦態勢という事だ。


『はははッ! 言いよるわ小娘がっ』


 望の無礼とも取れる発言を聞き、しかし神は凶悪に嗤った。


『その気概! その足搔きこそ我が依り代に相応しい‼』


 貴人然としているが、その実、その身に宿すは果てなき怨念か。

 床を見つめたまま、望は静かに冷や汗を流した。


『して、此度の遊戯、概要は既に知っていような?』


 一頻り笑った後菅原道真が口を開いた。

「もちろんで御座います。此度の遊戯は『戦闘』。予選である各県のバトルロイヤルを勝ち抜いた者が本戦に進み、最後まで勝ち抜いた者が勝者となります」

 遊戯の内容は事前に神社庁より各神社の代表に伝えられていた。望も父から今回の【神ノ遊戯】の内容を聞いていた。


『その通りじゃ。勝者への褒美も当然知っていような?』


【神ノ遊戯】とは本来それ自体に人にとっての価値はない。それでも時に頭の血が沸き立つほどの頭脳戦を、時に血潮が飛び散る戦いを、時に持てる技能の全てを注ぎ争ってきたのは只一人の勝者に対する褒美の為だ。

『神社の繁栄』と『一つの願望の成就』――遊戯に参加する者は全員その褒美を目指して競う合う。

 そして、歴代の勝者が連なる神社は繁栄の感謝を込めて遊戯を盛り上げるべく変わらず遊戯に参加する。

 神の退屈を一時でも忘れさせるために。

 全ては神の掌の上。

「もちろん存じております」

 姿勢を崩さぬまま望は答えた。


『――勝てるのであろうな?』


 来た。これが最後の問いかけだろう。

 自分がゲームのプレーヤなら当然強いキャラクターを選ぶ。腕力であり、体力であり、知力であり、体格であり……。間違っても望のような女子高生を選びはしない。

 神にとっては待ちに待った遊戯の時。それが予選敗退では不完全燃焼もいいところだ。

 ここは間違えられない。

 望は拳を握りしめ、顔を上げた。

「公の懸念は最もで御座います。そして何より私が未熟である事は誰よりも私自身が知っております。そこで誠に勝手なが公のお力をお借りしたく存じます」


『あくまで自ら戦いを欲するか――して、何を望む?』


「我が弓『梅香』は間違いなく名器でありますが、このままでは彼の者には勝てません。公のお力で弓の力を強くしては頂けませんか」


『ふむ。弓を強くすることは容易い。しかし、強くすればその分弦を引く力が必要となる。その細腕で引けるのか?』


「公はかつて弓の名手であらさられました。然らば、御存じのはず。弓を引くのに必要なのは腕力に在らず。どんな弓でも見事してご覧にいれます」


『良く申した。ならばもう何も言うまい。思うがままにやってみよ。そして勝利を我がもとに』


「はっ」

 それから数刻。

 望は神社の裏手の山で矢を射続けた。

 菅原道真(神)の力を御するために。


   ※


 時刻は二十三時。

 時は来た。

 準備はしてきた。悔いなどない。

 望は自らの願いの為に『梅花弓矢』を握る。


『―――開戦の時』


 菅原道真が呟いた。

「はい。必ずや御身に勝利を」

 前を見据えたまま、決意の籠った声で望が答える。


 開戦一射を手に取る。

 望は大きく足踏みをし、姿勢を作った。

 いざ戦いが始まれば作法・礼儀などは二の次だ。勝者こそが正義となる。

 だからこそ、真に開戦を告げるこの矢だけは礼を逸せず射ち放とうと心に決めていた。

『梅ノ木天神』に向かって半身の構えを取った望は、弓を左膝に置き、右手を腰に、左手で弓と番えた矢を保持する。次いで、右手を弦にかけ左手を整え、敵を見る。弓矢を頭上に持ち上げ、左右均等に力を込め、弦を引いていく。

 限界まで引き絞った弦と番えた弓。そして望自身が一つとなる。

 世界から音が消えた。


「――――射ッ」


 瞬間矢が放たれた。

 矢は高鳴りを響かせながら一直線に夜空を駆ける。

 暫し、矢を射た態勢のまま、その射線を視線で追った。


「ふっ~」

 正しく告げられた開戦の音に、望は姿勢を崩しいつの間にか止めていた息を吐いた。

 射法八節。

 開戦は望の想定通り。

 剣も危なげなく矢を切り落とした。


『何故手心を加えた?』 


 重苦しい声が背後より凍てつく空気を震わせ、望の鼓膜を揺すった。

 それは、音だけで望の色白い素肌を切り裂きそうな響きを孕んでいた。

 望が放った第一射は剣によって防がれた。

 望がそれを知覚出来たという事は当然後方に鎮座する神、菅原道真にも見えているという事だ。


 ここからは予定調和にない。もう一つの戦いだ。

「手心など滅相もございません。私は今の一射間違いなく全力で射ました。それを叩き落したのは彼の者の力量によるもので御座います」

 大きくかぶりを振り望は神の言葉を否定した。


『先程の一射。其方が全力で射たことに疑いはない。儂が問うておるのは、何故、鏑矢かぶらやを用いたのかという事だ』


 そう、望が射たのは鏑矢であった。その為、放った矢は人気の消えた闇夜の静寂を突き破り剣に向けて飛来した。

 当然、先制攻撃、奇襲の有利は搔き消える。

「……私はアイツと真剣勝負がしたいのです」

 静かに見つめてくる菅原道真の瞳は隠した心内を見透かしているようだ。神に嘘はつけない。望は自分の願望を口にした。


『その願いは儂という存在ないがしろにするほど大事なモノか?』


 静かに、穏やかに。しかし放たれる神威が望の肌に突き刺さる。

「公を蔑ろになど、滅相も御座いません」

 一言一句。神は観ている。望の依り代としての器を。ここで誤る訳にはいかない。

「私が鏑矢を射ましたのは、開戦を知らせる為。奇襲卑怯な手で勝敗を決するのは良しと感じませんでした。公も才ある者がそれを使用せずに舞台を降りることを望まれはしないと愚行しました」

 菅原道真とは中級貴族の三男でありながら、その才で右大臣にまで上り詰めた傑物。しかし、謀反を企てたとあらぬ疑いをかけられ、左遷。無実を訴えながら、その才を使い切ることなく生涯を閉じた。彼ならば、才能がある者がその力を発揮出来ずに終わる事を良しとはしまい。

 望はその一点に賭けた。


『それは、あの者の方が其方より上という事か?』


 乗ってきた。望の考えなどお見通しかも知れないが、構わない。

「それは違います。彼の者、八雲剣の剣術は確かに素晴らしい。そこに疑いの余地はありません。しかし、私も自分弓に誇りを持っています。私が積み上げてきた研鑽の日々は決してあの者に引けを取りません。加えてこの距離。位置を知られた今でも以前有利は我が手中です」


『なれば今一度問う――勝てるのだな?』


「はい。必ずや勝利を御前に」


『では、何も言うまい。其方の言う強者を見事打倒し、己が価値を示すが良い』


「はいっ」

 望は弓を握る手に力を込めた。

 ここからが本番。

 菅原道真との会話で荒ぶった呼吸を正し、次は正真正銘一射必中必殺の矢をその弓に番えた。

 


   ◇



 もう何十射は射ただろうか?

 一射必殺のはずの矢はしかし、剣にその悉くを切り払われていた。

 通常でさえ的を破壊し、大地を穿つ望の矢。それに今は神威しんいを乗せて射ているにも関わらずだ。

 日々の鍛錬で暗くなるのを忘れて射続け、必殺に昇華させた矢。そして今望が使用しているのは『梅香神器』。それが更に菅原道真の神威で強化されたものだ。当然一射射るだけで普通の何倍もの負荷がかかる。

 

 いつの間にか指先が裂け血が滴り落ちていた。それでも構わず矢を射続ける。寒さで凍てついた傷口が、また避けるの繰り返し。望の足元、降り積もった雪が紅く染まる。


 だが、問題ない。

 全ては予定通りである。

 望の矢はこれから更に加速するのだから。

 望が開戦の鏑矢を射てからまだ数分ほどだが、視界の先は白い壁に覆われていた。


 望が矢を放ち続けることで敷いた雪と風の結界だ。開戦前から降り続ける雪は、望の射る矢に纏わせた風に巻き込まれて、吹雪に変わっていった。そして矢を射続けた結果、望がいる『菅原天神』の敷地より外は暴風雪の世界となっていた。


 しかし、そのような視界であっても望の眼は標的を逃さない。望本来の力に神の力が上乗せされ、望の矢は人知を超えて、なおそれは加速する。


『良くここまでものにしたものだ』


 望の背後で戦いを静観していた菅原道真が口を開いた。


『どうやら口だけの者ではなかったようだな。そして、其方が認めるあの剣士もやはり只者ではない』


 分かっていた。

 例え地の利があろうとも、剣はここまでやてくる。

 菅原道真に言った言葉に嘘はない。

 自分の弓に誇りを持っている。どんな相手だろうと競り負けるつもりはなかった。 

 しかし、それと同時に菅原望の中で八雲剣という者の存在は大きかった。今では見る影もないが、幼い頃は何でも自分でこなしし、常に自分の先を行く。その背中に置いて行かれたくなくて。常に前を見る剣に自分の背中を見せたくて。子供の負けず嫌いだが、どうしようもない。簡単に勝てる相手ならこんなに執着することはなかった。超える山は大きいほど達成した時の感動は大きいのだ。遣り甲斐がある。

 望はまた一射放った。

 その口元は知らず笑みの形をかたどっていた。



  ◇



『アレは本当に人か?』


 菅原道真が呟いたその声には驚愕の色が籠っていた。

 そして、それは望も同じ気持ちであった。

 もやは神社の外は死の世界であった。風は荒れ狂い、それに舞う雪で視界は白く染め上げられている。気温はマイナス十度を優に下回っているだろう。

 しかし、その中であっても八雲剣の足は止まらない。普段の俊足は見る影もないが、間違いなく一歩ずつ着実に望の元に近づいてきている。


『其女がアレと戦いたいと願った気持ち、儂にも少し分かってきたわ』


「はい。アレが八雲剣。もう一人の菅原道真の依り代です」

 依然望の有利は変わらないが、その地盤は揺らぎ始めている。しかし、そんな状況で二人は同時に笑った。神と依り代の心が通じ合った瞬間である。


『構えろ望。アノ者の真価、次の一射で測ろうぞ』


「はい。公の仰せのままに」

 そう言うと望は矢を持たずに、弓を大きく引き絞った。


『「東風吹かば にほいおこせよ梅の花」』

 が重なる。 

『「主なしとて 春を忘れそ」』

 意志と神気が重なり合う。


「梅花流弓術 一ノ射――――音越之矢」


 望は大きく引き絞った弓の弦から指を離した。

 放たれたのは、正しく神の一射。

 矢が番えられていないため、当然何も飛んでいくものはない――はずだが、白い死界を切り裂くモノがあった。

 不可視。

 世界を裂くモノ事態は見えない。しかし、確かにその通った軌道が、それを可視化させた。

 とは言っても、その事に気が付いたのは不可視の矢を射た望自身も、目標に矢が到達した音を聞いてからであった。

 望が放った矢はその名の通り、音を置き去りにする矢。音速を超え光速に迫る速度で射られた必中の矢であった。

 

 


 

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