第27話 親睦と警戒
レヴィに言われるまま、ホルスは後について行った。ドッ、ドッ、と鼓動は相変わらず強い。人のいない談話スペースに着くと、二人並んで腰を下ろす。レヴィが口火を切った。
「俺は犬の獣人だから。鼻が利くんだ。だから人間と獣人の匂いの違いも分かる。君は鳥の獣人でしょ。トドゥルユルは、おそらくネコ科動物の獣人なんじゃないかな」
まるで旧知の友に再会したかのような、喜びと親しみのこもった笑顔を向けられた。ホルスは警戒を解いてしまいそうな心をなんとか律して応じた。
「ショーンは知ってるの?」
「いいや」
レヴィは横に首を振った。
「君たちは獣人だってことを隠してるんだろう。それなら、俺も秘密にするよ」
「俺にそのことを話して、どうするつもりなんだ?」
「どうもしないよ。ただ、気づいてるのに黙っているのは、騙してるみたいで嫌だったんだ。それにね――」
レヴィの目に真剣さが宿った。
「ここで人間の振りをして暮らしている獣人は、君たちだけじゃない。俺の知ってる範囲だから、そう多くはないけど、それでもみんな、それぞれ事情を抱えて身を隠してる。もう少し安心しても、いいんだよ」
ぽかんとしてしまった。ホルスは、もう何年も自分の正体を隠して生きてきた。それを知られるのは死と同じだと考えて、まるで映画によくあるクモの巣状の光電センサーを避け続けるように、常に気持ちを張り詰めていた。そういうホルスの警戒心で冷え切った心を、レヴィは和ませてしまおうとしているのか。
「安心するって言っても……君は人に捕えられたことも虐待されたことも、それを見たこともないんだろう? 身を隠さなきゃならなくなったことも、ないだろう? 悪いけど、そういう人の言うことに説得力はないよ」
わざと、きつい言い方をした。思いがけず絆されかけてしまったからこそ、いけないと思って焦ったのだ。それでもレヴィは、やはり穏やかだった。
「気を悪くしたなら、謝るよ。ごめん。でも、君たちの境遇を軽く見てる訳じゃないんだ。むしろ、俺なんかには分からない苦しさを、たくさん抱えていると思う。でも、だからこそ心を許せる相手を見つけてほしいんだ。周りの全てを警戒して、怯えて、そうやって暮らし続けていたら、心が壊れてしまうよ。どんなに強い人でもね」
低くて甘くて優しい声は、すーっと胸に染み入ってくる。言葉の上だけではない、真の思いやりが、そこにはあった。不思議だが、そういうものは伝わるのだ。けれど、どれだけレヴィの優しさを感じても、ホルスはそれを払い除けたくなってしまう。上手く受け取れない。受け取るのが、怖い。
「どうして、そんなに親身になってくれるんだ? 会ったばかりなのに」
そうだね。静かに言って、レヴィは少し上を仰いだ。
「俺はすぐに獣人と人間を見分けられるから、君たち以外にも、よく見つけるんだ。でも、捕まって行ってしまう獣人も少なくない。みんな絶望したような顔で連れられていく。そういうのを見る度に、思うんだ。助けてやれたんじゃないかって。俺には分かってたんだから、もっと力になれたんじゃないかってね。そうやって罪悪感に苛まれ続けてる。だから、君たちのためだけじゃないんだ。俺自身のためでもあるんだよ。もう、あんな思いはしたくないから」
レヴィは、そこでホルスを見た。
「利己的だよね」
「そんなことない」
気がついたら、口にしていた。しかも、自分でも意外な程、きっぱりとした口調で。軽い驚きはあったが、それでも言いたいことは、まだあった。ホルスは続けた。
「ありがとう。それに、ごめん……。親切で言ってくれてるのに」
「いいんだよ」
穏やかな笑みを浮かべるレヴィ。それを見て、信じよう、とホルスは心に決めた。よく、分かったからだ。
自分なら、助けられたはずなのに。
その気持ちは、少し前までのホルスのものでもあった。捕えられた獣人たちを見ても、何もできなかった。レヴィの言葉は、そういうホルスの心へ重なってきたのだ。レヴィの目を、まっすぐに見る。
「本当に、ありがとう」
それから、二人で適当にショッピングモール内を回る間、いろんなことを話した。約束の一時間が経ち、元の場所へ戻ると、既に買い物を終えたショーンとトドゥルユルが待ち構えていた。
「お、やっと来たな。親睦は深まったか?」
「もちろん」
レヴィの答えに、ショーンは満足そうに頷いた。
「そっかそっか、こっちもバッチリ買い物できたよ。トドゥルユルは、つまんなそうだったけどな」
ニッと片方の口角を上げて横目を向けた先には、トドゥルユルのきょとんとした顔があった。
「そりゃ、全然興味ないし」
「そうだよな、ごめんって。でもその代わり、おいしいパフェご馳走しただろ?」
「うん、うまかった」
その返事に、不満の気配はない。トドゥルユルらしくて、何だかほっとする。
「君たちも親睦が深まったみたいだね」
「どこが?」
ホルスの言葉に、トドゥルユルは目を丸くして小首を傾げた。その横から、レヴィの低く穏やかな声が言う。
「一緒に過ごして、つまらなかったり、おいしかったり、そういう気持ちを素直に共有し合えるなら、それはもう『仲良し』だよ」
「そういうもんか?」
「そうだよ。この四人は、もうみんな仲良しだね」
ホルスはそう言った。その時、レヴィが嬉しそうに頬を緩めたのが分かった。
その日、宿に戻ってから、ホルスは半球型の椅子に腰掛け、レヴィとの会話に思いを馳せていた。
『そうやって罪悪感に苛まれ続けてる』
その言葉が頭から離れなかった。ホルス自身の感じていた痛みに、言葉という形を与えられたようだ。そして、それが自分ではなくレヴィのことだと考えると、途端にはっきりした感情に駆られた。彼は何一つ悪くない。そう思えたのだ。ホルスにとって、とてつもなく大きな救いだった。
「なんか嬉しそうだな」
トドゥルユルが不思議そうな顔をした。
「うん、レヴィと話してたら、いろいろ嬉しいことがあったんだ」
「へえ、本当に仲良くなったんだな」
少し高まった声には、軽い驚きが滲んでいた。
「まあ、良い奴だもんな。レヴィもショーンも」
そこで、少し声の調子が落ちた。
「今日、ショーンに言われたんだ。アラメアのこと、ごめんって。ずっとアリスターとかいうあの男のしてたことに気づいてたのに、何もしなかったって。ショーンもレヴィも、何とかしてやりたいと思ってたらしいんだけど――レヴィが獣人だから、警察に話しても逆にショーンたちが嘘ついてるって言われちまうかもしれなくて、できなかったんだって。ここの犯罪は、半分以上が獣人絡みみたいだから、疑われやすいらしい」
「そうなんだ……」
出てくる言葉一つ一つが、ちょっとずつ胸に来た。アリスターとアラメアの件でショーンを責めたことが、改めて悔やまれる。深く、息をついた。
けれど、こうも思った。この町の生きづらさを身をもって知っているレヴィの言葉は、やはり信用できる。それならトドゥルユルにも、彼のことを話しておくべきだろう。
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