半身不随のTSっ子Vtuberは夢を見る

ここに猫

無配慮な転換

 VRMMOというジャンルのゲームが世間を席巻した世界。性別や声、年齢すら偽れる世界で俺の分身ともいえるアバターは正反対の姿を纏った。

 女性キャラ。別にネカマをしたいわけじゃないが、何の気なしに作り込んだキャラを削除するのに躊躇した。時間と労力の割には無難な見た目だと思う。

 膨大なキャラメイクオプション。その全てが緻密に計算され、仮想世界へと存在を顕現させる。自覚ある引きこもりとしてはソロプレイに徹する所存だ。

 初めてのキャラメイク終了後、チュートリアルの開始ウィンドウが目の前に表示された。それを瞬く間にスキップして、早速自由の身になる。

 華やかな見た目とは違い、質素をテーマにした自身の姿は紛れもなく女性で体を動かす際の骨格の違いまでも驚愕するほどのリアルさだった。

 始まりの町と呼ばれる名前の町。正式名称は忘れたがチュートリアルを終えたものは必ずここに飛ばされる。スキップした者もそれは同様だった。

 周囲を見渡せば、美男美女の群れが町を闊歩している。実際の容姿は知らないが、十中八九大差ありだろう。それは自身の外見的評価からも証明できる。

 誰もが潜在的に変身願望も持っている。だから、俺も変わったのだ。

 俺は、辺りに蔓延る人の群れを突破し、町の外へと足を踏み出した。



「ぴぎゅ~」



 可愛らしいかは微妙な鳴き声が目の前から発せられる。ゲームの雑魚敵ではお馴染みのスライム。

 イメージ通りの水色に染まったゼリー状の生き物は、初期装備の剣でもやれるほどに容易い。ピコンという耳障りの良い電子音が、敵の消滅と共にレベルアップを知らせた。

 すると、ステータス画面が視界の右上に表示され、ご丁寧にどれだけ能力が上がったのか一目でわかりやすく明記された。

 体を日常的に動かさない俺にとって、一回の戦闘ですら高揚感を呼び起こす貴重な郷愁体験だった。

 特に目的を持たずに動かした足を、目の前の森の入口らしき場所へと動かしていく。

 そうすると、視界は林立する木々の群れに囲まれた。現実ではないが、一人で森林に入るというのはゲームであっても緊張する。

 更にはVRという現実を踏襲する表現が、僅かに体を強張らせた。

 『はあ』と一つため息を吐いて、時間を確認する。そろそろ時間か……。

 俺は、ため息と共に弛緩した腕を動かして、メニュー画面を開きログアウトボタンを押した。



「ふぅ……」



 仮想のため息と現実のため息の違いは何なのか。硬張った肩をぐるりと回すと無意味な考えに飛ばされた。まあ、何の気なしの疑問なんだけど。

 そして、ふと……俺は自身の体の違和感に気づいた。頭を下げると見える胸の膨らみ。垂れ下がる髪の毛。目の前に開いた小さな手のひら。



「はっ」



 つい鼻で笑ってしまう現実。まさか、ここも仮想世界なのか。吐き出した小さな音すら可愛げのある一音を奏で、妄想にすら逃してくれない。

 まさかの変身願望がここに繋がるとは。それは微塵も考えていないことだった。

 やばい……もうすぐ来る。

 ゲームの時間を事前に伝えていた為、母親の階段を登る足音が聞こえてくる。家族の接近に何故ドギマギしないといけないのか。

 俺はドア前で止まった足音に早鐘を打つ心臓を自覚しながら、呆けた表情でゆっくりと捻られるドアノブを見ていた。



「──えっ?」



 母親との対面である。当然のように呆然する表情に上下する視線。そして、ベッドに括りつけられた様々なモノを見て、すぐに母は正解を導き出した。



「しおちゃん?」



 栞。男性では珍しい女性的な名前をゆっくり口にした母親は、信じられないものを見るかのような目つきで俺を凝視した。大丈夫。俺もまだ信じていない。



「と、とりあえず」



 そう言うとベッドの脇のスイッチを押し、自動的に俺の上半身を寝たままの状態で傾かせる。事故で下半身が不随した状態の俺は介護なしに身動きがとれない。

 母親におんぶにだっこ。今まで迷惑をかけたツケに新たに違うものが乗っかるとは。

 用意されたペットボトルと薬を受け取り、違和感のある手でゆっくりと嚥下するとそれを待っていたかのように、母は俺に尋ねた。



「一体……どうしたの?」



 疲れた顔をしている。介護疲れとは、家族であっても負荷がかかる。それが、新たな問題に直面したのだから最早笑えない。笑えないとは作り笑いすら出来ないという意味である。



「ゲーム終わったら、こうなってて」



 端的に事実を述べるがこれが理由かはわからない。ただ、頭に浮かぶ原因がVRゲームという一つしか浮かばないため、これしか答えようがないのだ。



「そう……ちょっとママ、その会社に電話してくるね」



 そう言って部屋を退出した母が戻ってきた表情を見て、『ああ……そりゃそうだよな』と諦念めいた感想しか、今の俺には浮かばなかった。



 *



 車椅子に乗せられて、リビングまで来た俺は、泣きじゃくる母を見ていることしかできなかった。病院には連れて行かれなかった。

 月末にある定期検査の際に見てもらうことにしたのだろう。変わった俺の体に母がどう思っているのか。その姿を見て何となく想像がついてしまった。

 ただ、不思議と俯瞰的に見ていた俺は、この女性化に思うことは何もなかった。直前に仮想世界で女性になっていたせいかもしれない。

 あとは、どこか自虐的な考えもあった。現実の体なんてどうでもいいと。

 無くなった下半身の所在すら自身で確かめられない。そんな、体に未練など元からゼロに等しかった。



「そ、そうだ……ご飯食べましょう」



 カラ元気に明るく振る舞う母の姿は、痛々しい。



「うん。楽しみ」



 いつもより努めて明るく返事をすると少しだけ、母は微笑んでくれた。用意された好物のハンバーグ。

 それを咀嚼しながら、空気を払拭する会話の糸口を探す。もちろん、コミュ力が降って湧くほど語彙が発達していない俺は、日々のことで話すことがない。

 食器が当たる無機質な音以外鳴り響かない静寂な食卓を、ただ粛々と過ごして夕飯時は過ぎていった。



「しおちゃん。お風呂はどうする?」



 麦茶を飲んでまったりしていた俺に、気持ちを僅かながら持ち直した母が尋ねた。

 毎日お風呂は入らない。身体的な負担と母の負担が大きいからだ。

 ああ、どうしよう。逡巡する気持ちと入りたい気持ちが真っ向から闘う。ただ、もし入るならこの変わってしまった体にお互いが直面しなくてはならない。



「今日は大丈夫」



 結局チキった俺は、現実の問題に蓋をした。ただ、ホッとした母の表情を見るにこの選択は正解だったのだろう。

 俺は一休みしてから部屋に戻る手伝いをねだり、ベッドへと横になった。顔を横に倒して、見るのは買ってもらった最新のタブレット。



「アイチューブ、ブイチューバー」



 音声で開いたアプリに検索されたVtuberが、画面の中にずらりと並ぶ。



「いま配信中のブイチューバー、無作為に開いて」


『はーい。こんはろにー!』



 俺の発した声が途切れると同時に、特徴ある声音と奇怪な挨拶がシーツに埋もれたスピーカー越しに聞こえてきた。

 横倒しにみる画面上には可愛らしいアバターが存在して、配信のチャットがアバターの上を流れている。



「ブイチューバー」



 不思議と何の気なしに口にした言葉に、俺は初めて希望を抱いていた。

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