目前
「猫代しおり」
納品のメールは、お昼前に到着した。
呟いたバーチャル上のキャラの名前で、今日から活動を開始する。
「そうだ、SNS」
既に開設していたアカウントの名前を『猫代しおり@Vtuber始めました』に変更し、今日の配信予定を投稿する。
フォロー0、フォロワー0のアカウントでも宣伝の意味はあるのか。
その意味については甚だ疑問だけど、形として先人らの真似から入った。今日の配信で使用するスライドは3枚の画像のみ。
簡易的な自己紹介と今後やりたいことがメインだった。
「何か変わるかな」
漠然として形のないもの。それをあえて口に出すのは、変化なんて手に入らないことがわかっているから。
どこか矛盾めいた感情に翻弄されながら、それを誤魔化すように再度イラストをチェックする。
納品されたアバター衣装は、だぼっとした制服風のパーカーにミニスカート。
丈の関係で履いてるようには見えないけど、イラストの出来は凄く可愛らしい。
ちなみにインナーはワイシャツ風のブラウスで、襟には二重のラインが入っている。
そこに襟のラインと同色のチャコールグレーのリボンがつき、頭には猫耳が生えて『猫代しおり』は、完成だった。
先ほど一緒に見た母は、何度も『かわいい』と言って猫代しおりに悶えていた。
その証拠に『猫代しおりちゃん♡♡♡』と書かれた応援うちわが何故かリビングに置かれている。
それを見て見ぬフリして……と思ったけど、純粋な応援の気持ちはどこかむず痒くて照れ臭い。そんな本音を隠して、母の前では平静を装った。
「台本もつくらないと」
意図して独り言を呟き、放った言葉通りに作業へ没頭する。配信に備えて口を動かし、手も動かす。台本って一体どこまで書けばいいのか。
それすらもわからない初心者にとって、生命線たるこの作業に掛ける気持ちは余念がない。書き始めたばかりの台本の文量は、喋れないくせに既に膨大な量だった。
「お母さん」
リビングへと移動した俺は、新たなグッズを製作している母へと声を掛ける。
「ん~?」
「身長ってわかる?」
「しおちゃんの?」
「うん」
結局誰かを参考にしないと手が止まり、初配信の動画を見漁っていると年齢や身長が書いてあるものが多かった。
「えーっと、ちょっと待ってね」
そう言うと病院の書類をガサガサと探し、
「ひゃく……36.2」
うん。140にしよう。
「もしかして、体重もいる?」
「いらない……ぁ、がと」
音になってない声でお礼を言って車椅子の車輪を握り、再び自室へと舞い戻る。
なるべく、簡単に喋れる内容を増やして尺を稼ぎたい。
話の広がりは期待出来ないけど、そんなに長くやる予定は今のところなかった。
「えっと、次は好きなもの・苦手なもの。やりたいことか……」
好きなものは簡単だ。ゲームに読書、杏仁プリン。
苦手なものは逆に多すぎて、枠に収まらない。
『喋ること、人混み、人、学生、病院、ホラーゲーム、お風呂、笑顔、運動、外、ブロッコリー』
重複する内容もあるけど、率直な気持ちを羅列してみた。こうやって一覧にするとやばいヤツなのを自覚する。
とりあえず、人嫌いはあまりに心象が悪いので、学生と人は消して人混みだけを残しておく。まあ、取り繕ったら話せそうにないし……。
だいぶ酷いけど目一杯詰め込んだ本音をしっかりと清書していった。
「え〜っと、やりたいこと」
次はコンテンツの根幹部分『やりたいこと』。
ここが一番重要で、一番大事にしたい箇所だった。多くのVtuberは、ゲームや歌、趣味の枠にしてる人達が多い。
俺が見た中では、お絵描きやカードゲーム、プラモ、スポーツ観戦にしてる人達もいた。後はやっぱり……人気のASMRや雑談枠。
「まあ、そこは絶対無理だから置いとくことにして」
溢れる情報を一旦無視して、じっくりと己自身を精査していく。そうして浮かび上がったやりたいことは、結局シンプルなものだった。
『ゲーム、アニメ視聴、料理』
並べた三つのやりたいこと。
後は適宜補充することにして、一つだけ冒険したのは料理配信。
これは以前からずっと思っていたことだ。
いつか……仕事で帰ってきた母を豪華な料理で出迎えたい。
普段、包丁や火を使わせてくれないし、どうにか配信にかこつけて攻略したい事柄だった。
「──できた」
そして、ようやっと完成した今日の台本と配信画像。
これを元に今日の配信は始まっていく。俺はマウスを操作して届いたアバターを設定し、配信の画像を表示して、自身の動きも併せて確認する。
ここまで色々あったけど、ついに今日は本番だ。
時刻は16時32分。配信の時間の18時まで、もう残り僅かだった。
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