大切な約束
「それじゃあ、ここに」
母にお願いをして載っけてもらった段ボール。
それは車椅子の手摺のおかげか、不思議と落ちずに安定した。
俺は早速、キコキコと自走して部屋への道を進んでいく。
「あっ……」
ここで、まさかの盲点だった。
横長の段ボールは、入口の尺とあっておらず、どうにも部屋へと侵入出来ない。
今更気づいた事実に、慌てて車椅子をバックしようと車輪を握るが、何故だか微塵も動かなかった。
「しおちゃん……ママ、手伝おっか?」
一拍の静寂。一瞬で熱くなった体と火照る頬を隠して、俺はコクリと頷いた。
*
「ママ開けちゃうよ」
逸る気持ちに失態を晒した俺は、その後は黙って母の動きを見ていた。
開封された段ボールからは、リストにメモった機材が次々と出てくる。
なるべく安価なものを選んだつもりだけど、こうも多いと居心地が悪い。
だからといって、未だに冷めない頬を晒すのは忍びがなく。
所在なさげに膝に置いた手を動かして、何とかこの場を必死に堪えた。
「ねぇねぇ、どんな見た目にしたの?」
「え?」
「しおちゃんがVtuberになった姿」
えぇ、悲しいかな。実はまだ、アバターの方向性すら決定していない。
ネット上で受注している絵師の人達は、どれも美麗なイラストと魅力的なセンスに富んでいて。
絵に無知な自分としては、各々に惹かれるものがあり、どうにもずっと苦慮していた。
「その、実はまだ決まってなくて」
「そうなの?」
「うん」
どうだろう。ここは一案を求め、母に聞いてみるってのは、有りだろうか。
実年齢も若く、女性の意見だし。何より、確実に俺よりセンスがいい。
「あのさ、どんなアバターがいいと思う?」
「えっ? ママが決めていいの?」
「うん」
「そっか……うーん」
そう言って母は両手を組んで頭を唸ると、おもむろに服の中へと手を伸ばした。
「じゃーん!」
そう言って、取り出した母の指先。そこには一つのカチューシャがあった。
「ふふっ、そのモコモコに合うかと思って。こういうのは……?」
猫耳カチューシャ。それも真っ白の。
冗談めかして笑う母を尻目に、ジッとそれを見つめ続ける。
「悪くない、かも」
「え!?」
まさか採用されるとは思ってなかったのか。発案者本人が戸惑いを見せている。
だけど、このくらいがちょうどいい。奇をてらい過ぎず、それでもどこかVtuberっぽくて。
「あの、着けて」
仮にも今は女性だし、イメージは少しでも確保しておきたい。
そのまま、母を見上げているとおずおずと近寄った母が、そっと俺にカチューシャを装着した。何だか、凄く邪魔くさい。
そのまま、無言で鏡の前に移動した俺は、ここでようやくご対面と相なった。なるほど……こんな感じか。
大体のイメージは掴めたので、早々にカチューシャを頭から外す。
「うん。これでいく」
手元でカチューシャを遊び、母へと向き合う。俺を見つめる母の面持ちは形容しがたい程に複雑で、どこか寂寥感に似た侘しさがあった。
恐らくちょっとした会話のキッカケ作りで、本当に着けるとは露程思わなかったのだろう。
「あっ……しおちゃん」
咄嗟に取り繕った母が、カチューシャへと手を伸ばす。そして、空でピタっと手を止めた。行き場の無い手を彷徨わせ、ニコッと笑った母は必死に体裁を保っていた。
「しおちゃん凄く似合ってたよ~」
「別に、似合わなくていい」
「もうっ!」
そう言って段ボールに向き合った母の背をじっと見つめる。
恐らくきっと……。俺は無意識に両手を伸ばす。
「お母さん」
思わず口をついて出た声。それは完全に意識の外で、自分でもハッとして口元に手をやった。
「ん~どうしたの? あら……」
両手を伸ばし、母を呼ぶ我が子。
親目線からしたら、明らかに甘えているように見えたことだろう。
「どこか、行きたいの?」
「ううん……」
頭を下げたままの俺に、作業を中断した母が中腰になって目線を合わせる。
「ほら、おいで」
別に抱きしめて欲しかったわけではないけど、不思議と胸に抱かれた俺は心の底から安堵していた。
「ふふっ、そう。そうだよね……やっぱり私のしおちゃん。世界で一番大切な私の……」
いきなり得心した様子で、混じりっ気のない笑顔になった母は、壊れ物に触れるかのように優しく抱いて、俺のモヤモヤもどこかに吹き飛ばしてくれた。
*
「──ねぇ、しおちゃん」
ハグから離された俺は、呼ばれた声に顔を向ける。
「今すぐじゃなくていいから。Vtuberをいっぱい楽しんで……そしていつか、ママに飛びっきりの笑顔を見せてね」
細めた目尻から落ちる一筋の雫。清廉な人とはこういう人なのだろう。
それが、自身の親であることに深く感謝して。俺には珍しく大きな声で『うん』と返した。
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