決意

 今ではライブ配信の主流になっている存在。Vtuber。

 以前は、なりたいなんて願望すら沸かなかった。だが、先ほどの母の様子が尾を引いた。

 せめて、夕飯時くらい一つの話題を提供してみたい。性別の逆転で気が大きくなっているのか。

 恣意的な動機で始めたVRとは違い、今回は本気だった。俺は再生されている動画を閉じて、Vtuberになる方法をネット上で検索した。

 企業に属する気はなくても、今は誰でもVtuberになることができる。いわゆる個人勢というものだ。

 早速取得した知識をメモ帳に打ち込み、衒学よろしく箇条書きにまとめていく。機材やアバターの依頼など、掛かる費用は想定よりも大きい。

 節約できるところは、節約しないといけない。病院代も馬鹿にならないし。



「はぁ……」



 目を背けたくなる現実に辟易としながら、しっかりと要点をまとめていく。

 自分でお金を払うわけじゃないから、どうにかプレゼンして親を説得しないといけない。ここで躓くわけにはいかないのだ。



 *



 スマート家電で囲まれた自室は、時間になるとカーテンを自動で開閉してくれる。

 レースになったカーテンからもわかる強い日差しが、薄く開いた瞳を刺激した。

 ──コンコン。たった一人の家族の控えめなノック。

 毎朝の日常に溶け込んだ献身的な介護が今日も始まっていく。

 母は『おはよう』と声を掛けるといつも通りベッドを起こし、幼子をだっこするかのように俺を持ち上げた。初めて思う性転換後の利点は、母のこの重労働の軽減かもしれない。

 元より背丈が低く、瘦せっぽちの自分。だが、それでもやっぱり男の体。

 持ち上げるよりかは支えるように下ろしていた体も今では何のその。

 それは母も一緒だったのか。呆気にとられたような顔をして、少しだけ笑っていた。

 車椅子に腰かけた俺は、ゆっくりと押されながらトイレの前へと移動する。

 脱がされたパジャマのズボンと下着をそのままにトイレへと支えられて移乗する。

 幸いにも排尿障害とは無縁だったおかげで、今日も無事にトイレを済ますことが出来た。

 そして、手洗いを済ませた俺はリビングまで連れてこられ、リビングテーブルの前で一緒に朝食を食べる。

 これら一連の流れが、毎朝続く立花家のルーティンだった。



「しおちゃん……辛くない?」



 逆に問いたいセリフを神妙な面持ちで母親は問う。親は偉大だ。

 事故に遭った俺の容体に合わせて、福祉業界に転職した行動力とその努力に頭が下がる。



「大丈夫だよ」



 口下手な俺は嫌いだ。感謝は口にしてこそ初めて意味がある。

 心の奥底に眠る感情を表現できない自分は嫌いだ。

 当に万回は繰り返されたありがとうを口にはせず、顔を俯かせる。



「ねぇ、Vtuberって知ってる?」



 そして、俺は唐突に昨日練った案に想いを乗せて口火を切った。



「Vtuber?」



 疑問を口と表情に宿す母に、俺は必死に言葉を紡いでいく。



「うん。この現実の体じゃなくて、かわいいイラスト……アバターって言うんだけど、それを動画や配信上に映して視聴者と一緒に楽しむやつ。えっと……こういうやつ」



 結局羅列する用語を理解できない母に、お腹に隠していたタブレットを腕を伸ばし見せつける。流れている動画は、昨日のVtuberのアーカイブ配信だ。



「ふ~ん。これをしおちゃんがやりたいの?」


「う、うん。お母さんの働いてきたお金なのに、申し訳ないけど……でも、本気でやりたいんだ。だって、Vtuberをやれば喋りもうまくなるし、ご飯の時の話題にもなる! それにもし人気が出たら、投げ銭っていうやつも貰えて……お母さんを助けることができるし!」


「そっか……うーん。そんな理由ならママは反対……かな?」


「えっ?」



 いつもはダダ甘な母親の拒絶を初めて聞いた俺は、つい口ごもってしまう。



「あっ……えっと」


「た・だ・し……しおちゃんがこれを本気で楽しみたいならやってもいいよ。前買ったVR? っていうゲームと一緒。ママのことは、気にしないのが絶対条件。ちゃんと守れる?」


「えっ、うん」


「そっ! じゃあ、必要なもの通販で頼んでいいわよ。ママ賞与いっぱい貰えたから」



 そう言ってニコって笑う母を見て何も言えなくなった俺は、図々しくもプレゼンと意気込んでいた自分を恥じた。



「ふふっ、しおちゃんがこんなに喋るの珍しい~」



 何がそんなに嬉しいのか。頬杖をついてニヤつく母の姿は、事故前の雰囲気と似通っていた。

 それは俺がずっと取り戻したいと思っていた風景。夢想していた幸せそうな表情である。



「ふふっ」



 自然と母と同じような笑い声が漏れる。なんだか理由もないのに楽しい気分だ。



「それにしても美少女になっちゃって」



 ツンツンと突かれる頬。本当に幼子のような対応をする母の仕草に、かぶりを振って拒絶した俺は、慣れない笑顔で窘める。



「やめてってば」


「本当に女の子みたいな顔するのね」


「えっ、それはイヤなんだけど」



 別に精神まで女性化するつもりはない俺からしたら、今のはゾッとする話だ。

 だが、この姿で行う所作を完全にはコントロールできない。

 今では主に病院だけの外出も、いつかは変わる日が来るのだろうか。

 尽きない疑問と懸念に苛まれながら──久しぶりの楽しい食卓を俺は幸せな気分で過ごしていた。

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