第5話 葉山桜
階段を下りた先のドアをトミさんが開けると、学校の廊下のようなところに繋がっていた。ガラス窓が貼られ、教室が見える。机は数個だけだが、倒れたり、傾いていたり、酷いありさまだ。
「トミさん、ひょっとしてここ、旧校舎だったとか。戦争時代に危ないから、地下に作られていたなんてこと、可能性としてありません?」
「そうだったとしても、私達には関係ないことよ」
「あんな立派な校舎がありますからね。ここに来ることは金輪際ないでしょう。よく観察しておこう」
トミさんとあたしが廊下を歩くと、足音が空気中に響く。とても静かだ。
「昔はどんな勉強をしていたんでしょうね? あたし達と大して変わらないのかな」
あたしはいつもの教室を思い出した。友達と勉強し、体を動かし、聖書を読んで、数字とか文字を習う。トミさんが転校してきて、クラスにはまた新しい風が吹き、あたしはタマの面倒を見て――。
「あれ?」
あたしは教室に懐中電灯を向けた。
「タマ?」
一瞬、影が動いた。
「タマ!」
あたしは急いで教室のドアを開け、懐中電灯で中を見た。ゆっくり教室の中に入り、辺りを見回す。
「タマ、あたしだよ! 出ておいで!」
あたしが影に近づくと――タマに形の似たただの紙であった。
「……タマじゃなかった」
あたしはむすっとして、その紙を拾って、中を見た。
【サクラさんへ、用具室でお待ちしてます】
(……これだけ?)
あたしは溜息を吐いて、振り返った。
「トミさん、ここ用具室があるそうで……」
目玉を飛びださせた。トミさんがいない!
「ひゃあああ! トミさーん!」
あたしは廊下に出て、大声を出した。
「トミさーん!」
しかし、あたしの声が響くだけで、トミさんの返事はない。
「ええ!? もうそんな遠くへ行ってしまったの!? トミさんったら、足早いんだから!」
廊下は一本道ではない、いくつも曲がり道があり、暗い中、トミさんがどこに行ったのかわからない。
「……用具室、行ってみようかな。何かあるみたいだし」
あたしは一人で頷き、教室から出ていった。
「地図とかあれば助かるんだけどな。ここ広すぎてわかんない」
「クスクス」
「きゃあ! ブス!!」
突然聞こえた笑い声に驚いて悲鳴を上げると、誰かが笑いながら廊下を駆けて行った。
「ちょっと、悪戯やめてよ! 怖いじゃん!」
あたしはぷんすか怒りながら怒鳴ると、また笑い声が奥の道から聴こえた。一人ではない。大勢だ。
「……?」
あたしは懐中電灯を向け、笑い声が聞こえる方に向かって歩き出した。
(なんだか、楽しそう……?)
「クスクス」
「クスクス」
(女の子たちが笑ってる)
笑い声が近づいた。あたしは懐中電灯でドアの札を見た。用具室。笑い声はここから聴こえている。
(ドア開くかな?)
ドアノブをひねると、ドアが開いた。
(あ、開く)
あたしはゆっくりとドアを開けて、薄い隙間から中を覗いた。すると――女子生徒達が数人集まり、奥にいる誰かを囲んでいた。みんな笑っている。
「もっとやって」
「もっと見せて」
「クスクス」
「気持ち悪い」
「クスクス」
あたしは隙間から、中の出来事を見た。
「もっと足広げて」
「膣の中見せて」
「濡れてる!」
「興奮してるわ!」
「クスクス!」
「クスクスクスクス!」
目が離せない。そこでは酷いことが行われていた。
「見て! 指が入る!」
「クスクス!」
「やだ、汚い!」
「みんなに見られて興奮してる」
「淫乱な女」
「なんでまだ生きてるの?」
両手首を縄で縛られ、裸にされた女子生徒が涙を流しながら顔を上げた。あたしと目が合った。
途端に、あたしは 目 を 潰 さ れ た 。
――という妄想をしたあたしは、ドアノブから手を離した。
(用具室のドアは開いてるみたいだけど、トミさんがいない以上、何かが起きた時に対応できない。先にトミさんを捜そう)
あたしは笑い声が響く用具室を後にし、もう一度さっきの教室に戻った。
(トミさんとはここではぐれた。うーん。あまり動かない方がいいかな?)
もう一度教室に入り、懐中電灯を向けてみる。
(他に何か手掛かりがあればいいんだけど)
辺りを見回すが、机は倒れ、傾き、壊れている。教壇だけはまだ綺麗だったので中を覗いてみると、何か入っていた。
「ん? 何か入ってる?」
あたしは影の中に手を伸ばすと、白い手に手首を掴まれた。
「ふぎゃあ!!」
悲鳴をあげて、懐中電灯を向ける。手首が驚いたように影の中へ消えた。あたしは腰を抜かし、怒鳴る。
「ブス! ブース! このブース!!」
「サチコさん!?」
「うぎゃあ!」
勢いよくドアが開かれ、懐中電灯を向けられた。驚いて顔を腕で隠すと、影が近づいてくる。
「どうしてこんなところに!?」
「ああ、トミさん! 良かった! 合流できた!」
「待って。私、冷静になって。偽物のサチコさんかも……」
あたしは大泣きしながらトミさんの足にしがみついた。
「酷いじゃないですか! トミさん、ぐすん! あたしを置いていくなんて! ぐすん! ぐすんのすん!」
「……本物で安心した。置いていくって、何言ってるの?」
「トミさんが足早いからはぐれたんですよ! もうちょっと後ろに気を使ってやってください! そんなんじゃ、背後は守れませんよ!?」
「ここ、私達が歩いてた廊下の一番奥にあった教室なのよ?」
「……ん、どういうことですか?」
「貴女が先回りしてないと入れないってこと」
「トミさん何言ってるんですか? ここさっき廊下で通った教室ですよ?」
「ここは初めて来たところよ」
「……?」
「……場所が歪んでる……」
トミさんがあたしの腕を掴み、無理矢理立たせた。
「出口がない理由が分かった。どうにか道を見つけるから……もう私から離れないこと。いい?」
「誓います! もう絶対離れません!」
「ここで何してたの?」
「あー、なんかぁー、紙とか落ちてて、この教壇にも何かないかなぁーって思って探してたんです。そしたらなんかぁー、白い手に手首を掴まれてぇー」
トミさんがあたしの袖をあげると、手首に掴まれたような痣が残っているのを見た。あたしも初めて見た。
「いやあああ! ブスぅー!!」
「教壇の中ね」
トミさんが教壇に赤い札を貼った。すると、札が不思議な光をまとって破裂する。トミさんが懐中電灯を教壇の中に向けた。
「もう大丈夫みたい。なんか入ってる」
「なんですか、その札? なんで光ったんですか? なんで消えたんですか?」
「質問は一つにしてくれない?」
トミさんが教壇の中から生徒の出席簿を取り出した。2年1組。7人の女子生徒の名前が書かれている。
アダチ アン
ウエダ ハナコ
カンダ キヨコ
キタガワ ショウコ
サトウ ユウコ
タナカ カオルコ
ハヤマ サクラ
「あ」
あたしは指を差した。
「トミさん、このサクラさんって人、手紙で呼ばれてました」
「手紙って?」
「落ちてたんです」
あたしは拾った紙をトミさんに見せた。
「『用具室で待っております』」
「あたし、用具室見つけたんですけど、なんか嫌な予感して、先にトミさんを見つけようって思って戻って来たんです」
「賢明な判断ね」
「嫌な感じするんですよ。笑い声が聞こえて。誰かを虐めてる時に聞こえてくるような笑い声でした」
「案内してくれる?」
「もちろんです。道は覚えてます」
今度はトミさんと一緒に用具室へ行くと、あれほど騒がしかった笑い声が止んでいた。トミさんがドアを開けると、ただの用具室だった。埃を被った用具が沢山置かれている。用具の側に、書物が置かれていた。
「トミさん、何かあります」
あたしが拾い、懐中電灯を当て、中を見た。
【●月●日
私が何をしたっていうの。毎日のように裸にされて、みんなに好き勝手触られる。自分が触ったことのない場所まで遠慮なく。処女膜が破かれ、血が垂れた。もう嫌だ。死んでしまいたい。】
「……あまり良くないことが行われていたようね」
「ここ、元々共学だったんですかね?」
「出席簿見たでしょ? 男はいない」
「女が女を裸にして、その体に触るっていうんですか? 何のために?」
「好奇心」
「何も楽しくないのに?」
「楽しいのよ。他人の裸を好き勝手触れば、見たことのない反応をするから、それが楽しくて仕方ないの。ここにいる人達はみんな常に支配されてるから、支配する側に回った時、それが快感となる。サクラっていう女子生徒は、皆のストレス解消のお人形だったみたいね」
「鬼です。あたしなら耐えきれない」
「でもサクラさんは耐えていたみたい」
トミさんがページを開いた。
【●月●日
夜分遅いというのに、心配したアンさんが私の部屋へやってきた。私は泣きながらアンさんにされたことを言った。アンさんは私の背中をなで、優しく慰めてくれた。死にたいと言ったら、アンさんは「どうか生きてほしい」と涙を流しながら言ってくれた。
私、アンさんのために明日も生きます。
でも、嫌がらせは酷くなっていく。
私、怖い。】
「アダチアン。出席簿に名前があったわね」
「え、そうでしたっけ?」
【●月●日
女子トイレに連れて行かれそうになった時、
とても綺麗な先輩が助けてくださった。
文子先輩と仰った。とても心配してくれたけど、私、恥ずかしくて話せなかった。
今思えば、文子先輩にご相談すればよかった。
また、明日も苦痛が待ってる。】
「……文子……」
「……。優しい先輩もいたのですね。でも、されてることもされてることだし、言えませんよね」
「……。あの教室に戻れば、何かあるかも。戻りましょう」
「はーい」
トミさんが用具室から出た。あたしも出ようとすると――ドアが閉じられた。
「うわ、びっくりした」
ドアノブをひねると――開かなくなっていた。
「あれ? ……トミさーん」
「ん?」
「開きませーん」
「え!?」
トミさんがドアノブをひねった、しかし、ドアは開かない。あたしはクスッと笑った。
「トミさんったらお茶目ですね! 悪戯はやめてくださいな!」
「中から開かないの?」
「トミさん、からかわないでくださいな!」
「私が貴女相手にからかうと思う? この状況で」
「……え、本当に開かないんですか?」
あたしはドアノブをひねった。開かない。
「トミさん、開きません!」
「わかった。何か開けられそうなものを持ってくるから、待ってて」
「え!? あたし、一人ですか!?」
「開かないのだから仕方ないでしょ!」
「そんなぁ! あたしを置いていくんですか!?」
「だから何か持ってくるってば」
「そうだ! こんな時のためのトミさんじゃないですか! なんかできませんか!? お札でぱーってやったり、右腕にまきつけたでっかい数珠でばーんってやったり」
「出来ないから何か探してくるの」
「え……トミさん、あたしの為に試してくれたんですか……!? きゅんってしちゃいました! 好き!」
「待ってて」
「トミさーーーーん!! あたし怖くて寂しくて泣いちゃう! おもらししたら、トミさんにお掃除してもらいますからね!」
「誰がするか!」
「酷い!」
「だからちゃんと戻ってくるってば!」
「約束してくれますか? 口約束じゃ駄目ですよ? ちゃんと戻ってきますか?」
「戻るってば!」
「聞きましたからね!? 戻ってこなかったら、あたし一生恨みますからね! 化けて出ますからね!」
「この場所でそれを言うのはやめてちょうだい……」
ドアに何か貼られた音が聞こえた。
「念のため魔除けの札を貼っておくから、待ってて」
「はい、トミさん。あたし、良い子で待ってます! でもすぐ戻ってきてくださいね!? あたしがいること、忘れちゃ駄目ですよ!?」
「はいはい」
「はいは一回!」
「うるさいわね! わかったから!」
トミさんの気配が遠くなっていく。
「ふぅん……トミさん……トミさん……」
あたしはドアに頬を擦り付けながら、振り返った。サクラさんの日記が置かれている。
「はあ。待ってよ……」
あたしは床に座り込み、サクラさんの日記を読み始めた。
【みんなが私をマドンナと呼んでいると、アンさんから聞いた。私はそんなことはないと言った。勉強しか取り柄が無くて、特技もずっと習っていたピアノを弾けることしかない。でもみんなは、それがすごいと言う。私はそう思わない。クラスのみんな、それぞれが良いところを持っている。私、このクラスの一員として、立派にならなきゃ】
(最初は虐められてなかった。むしろ、楽しそう)
【今日は祈りの日。アンさんの隣でずっと祈ってた。途中で眠くなってしまったけど、アンさんもきっと祈っていたし、気づかれてないよね?】
【今日は性について学んだ。男女の体はこうなっているんだと知った。みんな恥ずかしそうだった。私も恥ずかしかった。だけど、知らないといけないことだ】
【アンさんに用具室に呼ばれた。明日の放課後に来てほしいって。何だろう?】
(ん?)
次のページをめくった。
ごめんなさい。アンさん。私、汚れちゃった。
つんざくような悲鳴が響く。
しかし、助けは来ない。
押さえつけられた手足。口を塞ぐスカーフ。にやける五人の女子生徒。胸に触れられる。陰部に触れられる。指を挿入される。痛くて悲鳴を上げる。めちゃくちゃにされる。膜が破れた。血が垂れた。笑われた。絶頂してしまった。笑われた。蹴られた。叩かれた。馬鹿にされた。
毎日された。毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、裸 に さ れ た 。
「サクラさん」
味方はアンさんだけだった。
「大丈夫?」
必ず、服を持ってきてくれた。
「制服、アイロンかけておくから、安心して」
「触らないで」
私は、体を隠した。
「汚いから……」
「サクラさんは汚くない」
「アンさん、駄目……」
「大丈夫。サクラさんは綺麗よ」
抱きしめ合った。
「誰よりも綺麗」
私達は、ずっと側に居た。
それでも、嫌がらせは止まらなかった。
放課後、私はクラスメイトの奴隷になった。
色んなことをさせられた。
裸になって、まるで犬のように。
終われば、悲しそうな顔のアンさんが迎えに来てくれた。
私は、いつしか、アンさんに依存し始めた。
アンさんがいないと、呼吸ができなくなった。
その晩、私達は寮で愛し合った。
アンさんは私の側に居てくれた。
幸せだった。
信じてた。
信じていたのに。
「 こ の 嘘 つ き 」
――用具室が、急に寒くなった。突然あたしの体温が下がり、ブルブル震え始める。汗がじっとり吹き出し、辺りを見回す。壁が叩かれた。あたしは驚いて悲鳴を上げた。ドアが叩かれた。あたしは顔を真っ青にさせ、うずくまった。
壁が叩かれた。壁が叩かれた。壁が叩かれた。壁が叩かれた。壁が叩かれた。
ドアが叩かれた。ドアが叩かれた。ドアが叩かれた。ドアが叩かれた。ドアが叩かれた。
ドアノブがひねられた。ドアノブがひねられた。ドアノブがひねられた。ドアノブがひねられた。ドアノブがひねられた。
体が震える。耳鳴りがした。悲鳴が聞こえた。あたしは耳を塞いだ。それでも聞こえた。耳鳴りが酷くなっていく。なのにその中で囁く声が聞こえる。
この嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つき。
あたしは両手を握り、祈った。しかし無駄だ。祈りは通用しない。
この嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つきこの嘘つき。
「ごめんなさい」
信じていたのに。
「ごめんなさい」
愛していたのに。
「赦して、サクラ!!」
勝手に顔を上げたあたしの目尻から、涙が落ちていた。それを――首の骨が折れたサクラが上から睨んでいた。あたしの目が見開かれる。サクラの唇が動いた。
「駄目。絶対赦さない」
懐中電灯が点滅を始めた。あたしの息が白くなって出た。サクラが目の前から消えた。あたしはドアノブに飛びつき、ひねりまくった。けれど、ドアは開かない。あたしは叫んだ。
「トミさーーーーーん!!!」
用具が宙に浮いた。ドアに向かって投げられた。あたしは悲鳴を上げてなんとか避けた。あたしのいる場所に用具が投げられた。あたしは狭い室内で逃げ回る。用具が投げられる。避けたが、その場で転んだ。懐中電灯が手から離れた。転がった。あたしは懐中電灯を拾おうと手を伸ばした。用具が手に落ちてきた。
「っっっ!!!」
言葉にならない悲鳴をあげ、のたうち回った。しかし、もっと落ちてきた。あたしの体に用具が積み重なって落ちていく。あたしは悲鳴を上げた。痛い。すごく痛い。体が痛い。体の中が痛い。膣の中が痛い。
――やめて!
悲鳴を上げる。
――サクラさん、やめて!
用具が落ちてきた。
――いやあああああああああああああああ!!!
ぺちゃんこに潰れたサクラが、力尽きた。
「……私、悪くない」
血だらけの手を、頬につけた。
「私、悪くない!!!」
アンが逃げ出した。
サクラの死体を置いて、走り去る。
そして――
井戸に、身を投げた。
ドアが開いた。
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