第6話 足立安
「……サチコさん」
肩を揺らされる。
「サチコさん、起きて。サチコさん」
「……トミ……さん……?」
あたしはかすんだ視界でトミさんの姿を見つける。
「ここ……なんか……やばいです……」
「何があったの?」
「ここ嫌です……気持ち悪い……吐きそう……」
「出ましょう」
トミさんがあたしの腕を肩に回し、ゆっくりと歩き出す。ようやく用務室から出られる。
「トミさん……あたしの体……潰れてませんか……?」
「至って健康そうだけど、また白い手に掴まれた?」
「弄られたんです……。あそこ……」
「あそこ?」
「胸とか、陰部とか……処女膜とか……」
「……」
「性教育の勉強をしたんです。みんな恥ずかしそうでした……。でも……知らなきゃいけない事だから、ちゃんと勉強したんです。私、成績が良かった。テストで良い点数取ったんです。そしたら、アンさんから呼び出されて、先生が通らない廊下にある用務室に来てっていうから、行ったら、そこにはアンさんはいなくて、クラスの皆がいたんです。でも、誰も通らないから、何をされても、誰も何も気づかないんです。私だけが酷い目に遭うんです」
あたしじゃない声があたしの口から出てくる。
「アンさんは私の味方だと思ってた。私達、愛し合ってたんです。でも、全てはアンさんだったんです。皆に、あることないこと吹き込んで、私を、実は男遊びの激しい女って言ったんです。体を汚す女は罪人だから、罰を与えようって、皆を洗脳したんです」
みんなは私の体に触って、罵った。
「私の味方はアンさんしかいなかった」
アンさんは慰めに来ました。私の心のよりどころはアンさんになった。
「だから、愛し合えたんです」
「私、女なんて、愛したことなかった」
「男の人と結婚すると思ってたから」
「でもアンさんが優しかったから」
「依存が愛に変わったと思って」
「アンさんの計算だったんて思ってなくて」
「信じたのに」
「信じていたのに」
「信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに。信用していたのに」
足が、地面に貼りついた。だからトミさんの足も止まった。
「皆、殺してやる」
トミさんが離れた。
「同じ目に遭わせてやる」
――勢いよく数珠が体に巻き付いた。あたしは悲鳴を上げた。何かがあたしから離れた。あたしは痛みで転がった。数珠が解かれ、トミさんが数珠を拾い、廊下を見回した。
首の骨が折れたサクラがあたしの腕を掴んだ。引きずってきたので、あたしが悲鳴を上げると、トミさんがサクラさんの日記に札を貼った。その瞬間、札は不思議な光をまとい、破裂した。サクラさんが悲鳴を上げて姿を消した。しかし、まだ体が寒い。あたしは白い息を吐きながら、地面を這いつくばった。
だけど無駄なのだ。どんなに逃げようとしても、クラスメイト達は体を弄ぼうとしてくるのだ。
「もうやめてぇ……!」
どんなに悲鳴をあげても、泣いても、クラスメイト達の手は止まらない。
「助けて! 助けて!!」
あたしがうずくまると、トミさんが駆けだした。用具室に入り、何かを探し出す。
(大丈夫。この時間が過ぎれば、アンさんに会える……)
体を触られる。罵られる。淫乱と言われる。嫌なのに絶頂してしまう。
「はは、あははは、あははははははは」
泣きながら、笑う。
「大丈夫、私は大丈夫」
だってアンさんがいるんだもん。
「助けて」
今夜も布団で、アンさんと繋がるの。
「助けて……」
トミさんが用具室から飛び出し――笛を吹いた。その音に、――生徒達は驚いた。だって、笛は生徒が持ってるものではない。【先生】が持っているものだ。
「見つかっちゃう!」
誰かが言った途端に、クラスメイトは逃げ出した。手が体から離れた。解放された。私は泣いている。先生が側に歩いてきた。
「サチコさん」
「先生、助けて、先生……!」
「サチコさん、起きて!」
「助けて!!」
頬を叩かれた。そこで――あたしは我に返った。
「いった」
「……」
「……え、叩きました? 今、ぱーんって音しました。え、ひょっとして……叩いたんですか? お友達を……叩いたってことですか……?」
あたしは優しく頬を撫でた。
「トミさんがそんな人だと思いませんでした……。あ! なんかヒリヒリしてきた! どうするんですかこれ! あたし、絆創膏もってないのに!」
「教室に戻るわよ」
「あ! 叩いたくせに途端に冷たい! でもなんだか不思議な感じ! そうされるとあたし、なんだかトミさんに構ってほしくなってしまう! 待ってください! トミさん! 置いていかないで!」
トミさんを追いかけて、教室に戻る。トミさんがもう一度出席簿を開いた。
「またそれ見るんですか?」
「いいから黙ってて。この足手まとい」
「酷い! そういうところから虐めに発展するんですよ! でもなんだろう……、トミさんの言い方にはどこか……愛がある気がするんです……。嫌いじゃない……」
「アダチアン、ハヤマサクラ。ここが教室。二人の机は?」
「こんなにごちゃごちゃしてるのに、わかるはずないじゃないですか」
あたしの体が勝手に動いて、倒れた机を二台立たせた。
「あれ、あたしなんで机動かしたんだろう?」
トミさんが机の中に懐中電灯を当てた。しかし、その机の中には何も入ってなかった。だからトミさんが移動して、もう一つの机の中を覗いた。
「あった」
「え?」
トミさんが机の中から書物を取り出した。あたしは懐中電灯を照らし、トミさんが書物を開いた。
【サクラさんは、今日も綺麗。落ち着いていて、女性らしくて、学園のマドンナ。羨ましい】
【どうしてサクラさんには嫌なところが一つもないの? どうして美人な上に優しいの? どうしてテストの点数が良いの? 頭が良くて、運動もできて、羨ましい】
【サクラさんが羨ましい】
【妬ましい】
【だから】
【皆に、彼女を罪人だと吹き込んだ】
【サクラさんは、私のものになった】
【嬉しい】
【白黒の世界に色がついた】
【もっと虐めが酷くなれば】
【サクラさんは二度と、私から離れない】
机が一斉に揺れ始めた。急にあたしの体が重くなり、立てなくなり、地面に転がった。唸る。重たい。全部重たい。何もできなくなる。トミさんが数珠を握った。窓ガラスにひびが入った。五人のクラスメイトがあたしを囲んだ。あたしが悲鳴を上げると、トミさんの数珠が大きく広がり、五人に巻き付いた。五人が悲鳴を上げて、姿を消した。あたしは体をブルブル震わせ、丸くなると、笑い声が近づいてきた。あたしが頭を押さえるが、笑い声は増えていく。五人がバラバラに近づいてくると、トミさんが笛を鳴らした。五人が驚いて逃げていく。そのうちの一人をトミさんの数珠が捕まえた。きつく締め付けると、一人が消えた。今度は四人係であたしに近づいてきた。一人が私の右足を掴み、一人が私の左足を掴んだ。私が悲鳴を上げると、トミさんが怒鳴った。「こらぁ!」四人のクラスメイトが驚いて逃げ出すと、トミさんの数珠が大きく広がり、一斉に二人を締め付けた。きつくきつく締め付けると、二人が悲鳴を上げながら姿を消した。しかしまだ残ってる。二人になったクラスメイトは私の体を押さえつけ、股を開こうとしてきた。私が悲鳴を上げると、トミさんが教壇からチョークを投げた。チョークを投げるのは先生しかいないから、見つかったと思った二人は逃げ出した。トミさんの数珠が一人を捕まえ、締め付けると、悲鳴を上げて一人が姿を消した。たった一人になったクラスメイトはおろおろ周りを見回し、教室から出ていった。
「待て、こらー!」
トミさんが追いかけた。笛を鳴らした。クラスメイトは廊下を逃げる。トミさんは追いかける。クラスメイトが何度も曲がり角を曲がるが、トミさんは見逃さない。絶対に追いかけてくる。だからクラスメイトはアンさんに会いに行った。
「アンさん、罪人を一人で清めるためにはどうしたらいい!?」
数珠がクラスメイトを縛り付けた。クラスメイトは悲鳴を上げて、姿を消した。アンさんは――静かであった。岩と土で塞がられたドアの前に立ったまま、ゆっくりと――姿を消した。
そこに、古びた紙が置かれていた。トミさんが拾って、懐中電灯を当てた。
【私は、とんでもないことをしてしまった。もう後戻りはできない。虐めは消えない。いや、あれは虐めではなく、迫害だ。サクラさんが羨ましかった。酷く扱われる彼女を見て、私は幸福感と共に、後悔の念が生まれた。私にすがるサクラさんを見ては胸の中で謝っている。謝罪しきれないのは百も承知。だけど、こんな形でないと、私、サクラさんと恋仲になれなかった。
全てがばれて、私に絶望した彼女を、私の手で殺しました。
私もすぐ、そちらへ逝きます。
本当にごめんなさい。
愛する貴女を傷付けたこと、ずっと後悔してます。】
トミさんはその書物を持って、教室へ戻って来た。私は、怯え、震えている。トミさんが私に見える位置に書物を置いた。
「よく見ておいて」
そう言って、マッチ棒に火をつけて、書物を燃やし始めた。そこで私は気が付いた、その書物は、私が、アンさんに贈った書物であった。物を書くために、彼女の誕生日に渡したものだった。
「……あはは」
私は笑った。
「ざまあみろ」
目から、涙が溢れる。
「あはは、……あははは……」
口が動いた。
「ただ……楽しい日々を……過ごしたかった……だけなのに……」
燃えていく。
「アン……さん……」
「絶対赦さない」
全て燃えると、――全部消えた。
体が、なんだか――とても軽くなった!!!!
「あれ、トミさん、何があったんです?」
「もう大丈夫みたい」
「ああ、なんだかすごくすっきりしてます。まるで、胃に詰まっていた特大の大を便器に出し終えた気分です!」
あたしは勢いよく起き上がった。
「サクラさんは?」
「もういない」
「解決しました?」
「ええ。したみたい」
トミさんがあたしに手を差し出したので、あたしはその手を掴み、立ち上がった。
「どこまで覚えてる?」
「……サクラさんは、とても美人な方でした。あ、もちろん、トミさんもとても美人ですよ! 並ぶともう、芸能人じゃないかと思うほど!」
「だから、アダチアンに、目をつけられた」
「え? ……アンさんは、サクラさんの大切な方だったんですよ? 虐めを受けていたサクラさんを、唯一救ってくださっていたんです」
「違う。全ての原因はアダチアンだった。彼女がクラスメイトにハヤマサクラのデマ話を広めたことにより、ハヤマサクラはクラスメイトから罪人として扱われた。いわば、クラスメイト達にとっては虐めでも嫌がらせでもなく、正義の鉄槌だった」
「本気で言ってます?」
「アダチアンはハヤマサクラに恋をしていた。迫害を受ける彼女を慰めることで、恋人関係に発展した。全てはアダチアンの思惑通り。けれど、それが明るみになった。アダチアンとハヤマサクラは用具室で言い争いになり……ハヤマサクラが殺された」
「……」
「で、彼女から……誕生日プレゼントとして贈られたノートに、後悔ばかりを綴った遺書を書いて、自分も」
「……井戸に……落ちたんです」
おぼろげな記憶から、あたしが言うと、トミさんが黙った。
「井戸に身を投げた。おそらく……」
「『恵みの井戸』」
「同性に恋をした女子生徒が身を投げる場所」
あたしはトミさんを見た。
「こんなところにタマが来てしまったなんて、悲劇です。早く見つけないと!」
「同感。私も姉さんを……」
光が破裂した。
「……見つけないと」
教室の隅に、燃え尽きた札の跡が残っていた。
「先を急ぎましょう。もうここには何もないわ」
「はい、トミさん。……あの」
「ん?」
「約束、守ってくれてありがとうございました」
あたしはトミさんの背後にくっついた。
「もう絶対離れません!」
「……これもこれで鬱陶しいんだけど……」
「えぇー!? なんでそんなこと言うんですか!? 酷い!」
トミさんとあたしは、何もなくなった教室を後にした。
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