第7話 王子様とお姫様
階段を下りた先のドアをトミさんが開けると、天井のない中庭が目立つ廊下に繋がっていた。なぜか咲いている盆栽は仲間と共に生き続けている。
「トミさん、見てください。盆栽が咲いてますよ。誰か育ててるわけでもないだろうに」
「手を付けてないから咲いてるのかも」
「でも、お水もないんですよ?」
トミさんが指を差した。あたしはその方向を見ると、中庭に水が流れているのが見えた。
「ええ? 水道が通ってるんですか?」
「ここは井戸の底よ。どこからか溜まってる水があるのかも」
「不思議な場所ですね。さっきは旧校舎かと思ったら、今度は誰かの家みたい。こんなところ、誰が何のために作ったのでしょう?」
「くぅん」
「あら、トミさんったら、珍しい返事。犬畜生の真似だなんて」
「私じゃないけど」
「え? じゃあ、今のは……」
トミさんが足を止めた。あたしの体がトミさんにぶつかった。前を見ると、犬が頭を掻いている。
「あ!!」
あたしは大きな声を上げる。
「タマ!」
「わん!」
タマが廊下の先に走って行ってしまった。遊んでいるようだ。
「ああ、タマったら! トミさん、紹介します。あれが野良犬タマです!」
「……さっきから思ってたけど……タマって猫の名前じゃないの?」
「トミさんもわかりますよ。あのケダモノの顔を見ていたら、だんだん頭に思い浮かぶはずです。『タマ』って。……ああ、見失っちゃう! ブスー! じゃなくて、タマー!」
あたしとトミさんが廊下を走り、タマを追いかける。
「タマ、いい加減帰っておいで!」
「わん!」
「遊んでるわけじゃないんだってば!」
「わん!」
「あ!」
タマが部屋に入ると、何かの拍子にドアが閉じられた。あたしはドアノブを捻ると、まったく開かない。
「あれ、どうして?」
壁に設置された丸窓を覗くと、部屋の中にはタマがおり、あたしを見て腹を出して寝転がった。
「タマ!」
「きゃいん!」
「ああ、無事でよかった! 心配したんだよ! この悪戯小僧の畜生が!」
「わんっ」
「もー! そんな撫でてって顔で見てこないの! 少しの間、待っててね!」
丸窓を覗いたトミさんに振り向く。
「トミさん、ドアが開かないんです。でも、引っかかってる様子もなくって」
「ここ、水があるせいか湿っぽいから、湿気で木製のドアが膨らんで、開かなくなってるのかも」
「さっきは開いたのに? そんなぁー!」
「この窓を壊せば、中に入れそう。道具を探しましょう。これだけ部屋があるなら何かあるかも」
「そうですね。あ、待ってください。トミさん、窓に何か巻き付いてますよ?」
丸窓に巻き付かれていた紙を解き、広げてみる。トミさんが懐中電灯を当てた。
【王子様。講習お疲れ様。貴女の代わりに我が子の面倒を見ておきました。とても元気だから安心して。明日は一緒に面倒見ましょうね】
「……生きてる方の手紙ですかね?」
「さあね。インクは色あせているけれど」
「ここ、共学でしたっけ?」
「女子学院よ」
「ですよねぇ。……だとしたら、なんで王子様?」
「道具を探しに行きましょう。それとも、貴女は残って、私が行く?」
「うう、一緒に行きます……。タマのことも心配だけど、二手の方が早く見つかりそう」
丸窓からタマに言う。
「タマ、良い子で待っててね!」
「わん!」
「行きましょう。トミさん。出来れば、早めに見つけましょう!」
トミさんとあたしが歩き出し、通りかかるドアを掴んでいく。この建物にある部屋には大衣桁でかけられた着物が沢山あった。長箱の蓋を開けてみるが、空っぽだ。窓を壊せそうなものはない。
(うーん。困ったなぁ。ん?)
ドアの前に何か落ちている。
(なんか光ってる)
あたしは懐中電灯を当てながら近づいてみる。
「……指輪?」
あたしは身を屈め、落ちてる指輪に手を伸ばすと――ドアの隙間から、手首を掴まれた。
「あ」
トミさんを呼ぶ前に、あたしはドアの奥に引っ張られた。トミさんが廊下に出た。
「……サチコさん?」
懐中電灯を当てた場所には、 血 が 溢 れ て い た 。
という妄想をしたあたしは、手を伸ばすのをやめた。振り返って、トミさんを呼ぶ。
「トミさん、指輪が落ちてます!」
「指輪?」
トミさんが部屋から出てきた。
「ほら、あそこ。まるで罠のように落ちてますよ。きっとあたしのような無能な女が拾うのを待ってるんです」
「どうして指輪なんて」
トミさんが指輪を拾い、懐中電灯を当てる。
「玩具の指輪ね。ほら、十円で売ってるやつ」
「あ、それおばあちゃんの家でお見掛けしたことあります! 駄菓子の、なんか、おまけみたいなやつですよね!」
「そう。今よりも……ずっと古いやつね」
「なんでこんなところに落ちていたんでしょう?」
「誰かが落としたのかも」
指輪が落ちていた前にあったドアをトミさんが見た。何かに気が付いたのか……顔をしかめる。
「トミさん?」
「サチコさん、強運だって言ってたわね」
「はい! あたし、運だけはいいんです!」
「ええ。運に救われたかもね」
トミさんがドアに札を貼ると、札が不思議な光に包まれ、破裂した。部屋の中から悲鳴が聞こえた。あたしは目を丸くしてトミさんの背中に隠れると、トミさんがドアを開いた。部屋には誰も居ない。
「今、悲鳴が聞こえたと思うんですけど……」
「気にしないでいいわ。もういないから」
「いたんですか!? ブスじゃん!」
「あ、いいものがあった」
トミさんが中にあった錆びた工具箱を開いた。
「使えそう。これ持っていきましょう」
「トミさんって、なんでそんなに冷静なんですか? 怖くないんですか?」
「小さい時から見てるもの。慣れたわ」
「見てるって、死んだ方をですか?」
「そう」
「工具箱、あたしが持つから聞いても良いですか? トミさんと……高橋先輩って、どうしてお札なんか持ってるんです?」
「そういう家柄だから」
「そういう家柄なんですか?」
「……ここだけの話にしてくれる? 教室だと、気持ち悪がられるから」
「はい。墓まで持っていきます!」
重たい工具箱をあたしが持ち、トミさんが懐中電灯を照らす。
「私の家は神社でね。一族代々、神道の教えを守ってる」
「あれ、それって、この学院大丈夫なんですか?」
「色んな宗教がある。知らない宗教のことを知りもしないのに評価をするものじゃない。姉さんはこの学院の宗教を学んだ上で、神道を学ぶと言って入学したの」
「なるほど。ということは……高橋先輩とトミさんは、巫女様ということですか?」
「姉さんはもう巫女として認められてる。私は……まだ見習いだけど」
「うわあ、だからそんなに冷静だったのですね! でも、怖くないんですか?」
「巫女修行って、いかに冷静に祈れるかをやるの。貴女、冬の滝に当たったことある? それで、冷静な頭でお経を読み終えろって言われたことある?」
「……鬼ですね」
「ここだけじゃない。現世を彷徨う魂って案外地上にもいっぱいいる。未練があって、断ち切れなくて、いつまで経っても成仏できない。一年に一度、そんな魂に癒しを与える儀式をするの。姉さんは踊りが上手だった。私の憧れ」
「トミさんは踊らないんですか?」
「踊れるわよ。でも、まだ見習いだから」
「じゃあ、トミさんがいつかその儀式で踊れる時があれば、ぜひあたしを招待してくださいな」
「貴女を?」
「お願いします。あたし、トミさんのこと好きなんです。美人だし、良い匂いするし、転校してきた日から貴女に夢中なんです。だからお友達になりたいんです」
「正直ね」
トミさんがおかしそうに吹いた。
「普通外見よりも中身がいいとか言わない?」
「中身はいいに決まってます。だって、自分に関係ない野良犬とあたしのために、こうして一緒に歩いてくれてるわけですから」
「……」
「トミさん、約束はしなくて結構です。約束するとこの工具箱のように重たくなってしまうので。トミさんが、もしよければ、ぜひ招待してください。トミさんの踊る姿が、あたし、見たいです」
「……気が向いたらね」
二人で曲がり角を曲がる。その先にタマが待つ部屋がある。
「タマ!」
あたしは安心させるために、大きな声を出し、丸窓を覗いた。
「戻って来たよ! だいじょう……」
部屋の中身を見た途端、あたしは目を丸くさせた。
「ええー!? タマ!?」
部屋の中は――空っぽであった。タマがいない!
「どこ行ったの!? タマ!?」
あたしは工具箱を置き、窓を覗く。
「隠れてないで出ておいで!?」
「退いてて!」
「トミさん、タマがいな……っ」
トミさんがトンカチで木の板を破壊した。あたしは愕然とした。トミさんは容赦なく腕を振り、重なる木の板を壊し続け――丸窓がただの丸い窓になった。トミさんが右腕を差し出すと、数珠が勝手に動き出し、部屋の中をぐるぐると回り出した。しかし、大人しくトミさんの腕に戻って巻き付いた。
「本当にいないみたい」
「……トミさんって、冷静ながら冷淡ですよね。そのうち冷酷と冷血になりそう」
「何言ってるの? タマは?」
「どこ行ったんでしょう……。ドアが開いてる様子もないし……」
「数珠が何か見つけたみたい」
トミさんが数珠に引っかかった紙を広げた。あたしは懐中電灯を向ける。
【お姫様。こんなところにポチを隠しておくなんて、見つけられなかったらどうするつもりだったの? いつものところで待ってる。】
「……トミさん、今度はお姫様ですって」
「いつものところね」
「ひょっとして……このポチっていう方と……タマを間違えて、生きてない方が連れて行ってしまったのではありません? だとしたら……ああ、あたし、汗が出てきました……!」
「汗だろうと、焦りだろうと、仕方がないわ。このいつものところっていうのを見つけないと」
「タマ……無事だといいのだけど……」
「捜しましょう。多分……この階のどこかにいるはずだから」
あたしが頷くと、トミさんと一緒に歩き出す。【いつものところ】がどこなのかを見つけなければ。トミさんが懐中電灯で辺りを照らす。あたしは目につく中庭を照らす。
(あれ、よく見たら……お地蔵様が祀られてる。……ん?)
草の中を走る影が目に入った。あたしははっとして、走り出す。
「タマ!」
中庭に足を踏み入れた――瞬間、床下から白い両手が伸び、あたしの両足を掴んだ。そして、そのまま床下の闇の中へ引きずられた。
「サチコさん!?」
もう遅い。トミさんの声はもう、二度と届く事は無い。
――という妄想をしたあたしは、中庭に飛び込むのをやめて、大人しくトミさんに肩を掴まれた。
「勝手に動かない!」
「うわ! 転ぶ! 落ちる!」
中庭に転がりそうになったあたしを、トミさんが廊下側に引っ張り、一緒に尻餅をつく。
「いたーい」
「後ろから離れないでって言ってるわよね?」
「トミさん、すみません。謝りますからほっぺたを挟まないでください。ふみまへん……」
「次やったら置いていくわよ!」
「ごめんなさい……」
「タマがいたの?」
トミさんが懐中電灯を中庭に向けると、お地蔵様に光が当たった。
「……地蔵なんてあった?」
「盆栽の裏に隠れていたみたいです。あれ、なんか持ってる」
「……」
トミさんが尻餅をついた床を撫でた。こんこんと叩いてみる。――床下が騒がしくなった。何かが虫のように這っている音が聞こえる。
「ひいいい!? ネズミでちゅか!?」
トミさんが右腕を床下に差し出すと、数珠がするりと外れ、床下を走った。どこかで何かを捕まえた音が聞こえた。悲鳴が聞こえると――とても静かになり、トミさんが腕を上げ、巻き付く数珠を確認した。
「ここ、やっぱり何人か命を落としてるわね。生徒だけじゃない気がする」
「先生もってことですか?」
「今床下にいたのは大人だったわ」
「本気で行ってます? であれば……どうしてお亡くなりに?」
「流石に、そこまでは」
トミさんが床下を覗くと、再び手を伸ばす。それを掴み、起き上がった。誰かの手記のようだ。あたしは懐中電灯を当て、トミさんが開いた。
【ご連絡。
最近、屋敷内に野生の動物が目撃されてます。生徒達に何かあってはいけません。見回りの教師は、必ず床下を確認するようにしてください。】
「床下を確認している間に……何かあった」
「こんな所で野生の動物が発見されるなんて……昔は外にあったんですかね? ここ」
「中庭もあるし……水も通ってるところを見ると……埋められた可能性が高いわね」
「戦争の影響でしょうか。確かに地下に潜ったほうが安全でしたからね」
あたし達は中庭に下り、トミさんが地蔵に近づいた。地蔵の手に、二つの鍵札が置かれていた。
「この鍵札って、どこの部屋のドアかしら?」
「見てないですね。……工具箱のあった部屋のもっと奥の方に、大きなドアがあったと思います。あそこかな」
「行ってみましょうか」
「はい!」
あたし達はもう一度廊下に戻り、工具箱のあった部屋まで戻って来た。その先を進むと、一番奥の突き当りに大きな両開きのドアがあった。覗いてみると、トミさんの予想通り、二つの鍵穴があった。そこに二つの鍵札を差すと、ドアが開いた。
トミさんがドアを開き、あたしが懐中電灯を向ける。そこには――一つだけ。犬小屋があった。
「……」
トミさんと顔を見合わせる。一緒に中に入り、懐中電灯を向ける。犬小屋の前に書物が落ちている。あたしは書物を拾い、開いてみた。
【ケモノを拾ってきたのは王子様。私だけに見せてくれた。だから私はケモノのママになって、王子様はパパになった。この子を大切に育てないと。だって、このケモノは、私達の愛の結晶だから】
【ケモノは可愛い。ふさふさしていて、撫でると甘い顔をして見つめてくる。けれど、私は王子様の頭を撫でている方が好き。だから王子様、もっと私を見て。そんなケモノよりも、私の方が大事でしょう?】
【おかしい。王子様ったら大混乱。ほんの少しの悪戯心でケモノを隠したら、血相変えて捜し出した。でも見つからなくて、泣きじゃくってた。子供みたいで、とっても可愛い。でも、これで良かったのかもしれない。これで、ハナは私を見てくれる。また私だけを見てくれるようになる】
【ハナの馬鹿。ケモノを捜して、山を登るなんて。とんだお人好し。愛してるけど、今の貴女は可愛くない。早く帰ってきて】
【帰ってこないから、私、寂しくなっちゃった】
「 ハ ナ ガ 悪 イ ン ダ ヨ 」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます