第2話 あたし

 空が橙色に染まり、おばあちゃんちの空を思い出す頃、あたしは目の前にいる野良犬に見覚えのあるであろう皿を見せつけていた。


「さあ、タマ君やい。君、これが欲しいかね」


 タマはつぶらな瞳であたしを見つめ続ける。


「よし、お手!」


 タマがお手をした。


「素晴らしい。君にはご飯をあげよう!」


 皿を差し出すと、タマは待ってましたと言わんばかりにご飯に食らいついた。あたしはその姿をしゃがんだまま見つめる。


「お腹空いてたんだね。今日も学院の人に見つからなかった?」


 タマがわんと鳴いた。


「そっか、そっか。まあ、あまり見つからないようにね。何せ、ここはお嬢様学校。箱入り娘しかいないから、可愛い獣を見つけたらすぐ大人に連絡したがるの。タマ、気をつけてね」

「わん!」

「あたしは箱入り娘じゃないよ。お父さんの事業がたまたま上手くいっただけで、この学院に入るまでは、全然お嬢様なんて呼ばれる暮らしなんかしてなかったんだから」


 あたしは可愛いタマを優しく撫でた。


「戦争が終わった日本にはお金がないから、村の人たちは野良犬も野良猫も関係なく、家に招いて寝てたんだよ。でも、運が良かったよ。あたしの場合は。お父さんの事業が成功して本当に良かった」


 タマがご飯を食べ終えた。


「ねえ、タマ、前も言ったと思うんだけど、ほら……クラスに転校してきた女の子。ものすごく美人だから、もう友達が出来てた。でもあの子、腕に数珠を巻き付けていて、ちょっと変わってるの。ああいうのが個性だって、菊子さんが仰ってた。でね、その子は……あたしも喋りたいんだけど、全然喋れないんだよね。だって……周りに人がいっぱいいるし……変に思われるでしょ? ……。あたしもタマみたく可愛い獣だったら簡単に話せたのかな。あーあ」


 あたしはその場で寝転がった。


「あたしも犬になりたーい」


 タマが鼻をヒクヒク動かすと、突然走り出した。


「あっ、タマ?」


 いつもなら止まってくれるタマが、今日に限って全然止まらない。


「タマ! 駄目だよ! 見つかっちゃう! 戻っておいで!」


 タマが走っていくので、あたしも急いで体を起こし、タマを追いかけた。


「タマ! 止まって!」


 タマは人気のない道を選び、地面を蹴り、振り向くことなく駆けていった。その先に現れた建物に、あたしは驚いた。


「あ、あれは!」


 タマが門の前で止まった。そこはイベント行事以外、立ち入ることが禁止されている大聖堂であった。門には【祈り以外で入るべからず】と札が貼られている。


 あたしは声を潜ませ、タマに呼びかけた。


「タマ、戻っておいで!」


 タマは鼻をヒクヒク動かし、耳をぴくぴく動かして……門の隙間から建物に入ってしまった。


「タマ! そこは……!」


 あたしは周囲を見渡し、息を吐き、昔やっていた木登りの経験を活かし、門に登った。


「よいしょ!」


 慣れた様で着地し、誰にも誰にも見られていない事を確認しつつ、大聖堂を見上げた。


「……うわあ……」


 橙色の空がどんどん黒になっていく。寮の門限がもう少しかもしれない。早くタマを見つけて、いつもの隠し場所に連れて行かないと、明日には彼に会えなくなってしまうかもしれない。


「早くタマを見つけなきゃ!」


 意気込んで、あたしは大聖堂の中へと入って行った。



(*'ω'*)



 シャンデリアが飾られた大聖堂。普段はイベント行事の際に祈るためにここに連れて来られる。あたし、祈るのは好きなんだ。なんか瞑想みたいで、自分の好きなことを考えられるから。


 いつもは昼間に来てるけど、夜に来るとまた雰囲気が違う。


「タマー? 怒らないから出ておいでー?」


 あたしは棚の下を覗いてみる。いない。

 あたしは引き出しを引いてみた。何も入ってない。なんだ。ただのレイアウト用か。

 あたしは鏡を覗いてみた。前髪を直し、カチューシャの位置を整えた。うん。素晴らしい。あたし、お嬢様っぽく見える!


(というか、本当に暗くなってきた……。このままだと、あたしが迷子になりそう……)


 あたしは辺りを見回した。


(懐中電灯ってないのかな?)


 管理室まで行かなければ無理だろうか? いいや。緊急用に必ずどこかにあるはずだ。


(元貧困民を舐めちゃいけない。緊急時の非常口の場所を考えると……)


 非常口から数歩離れた壁に、消火栓と懐中電灯が設置されていた。


(これだよ。これこれ。ごめんなさいね。ちょっとだけお借りします)


 あたしは懐中電灯を手に取り、早速スイッチを押した。光が灯り、目の前が明るくなる。これならタマを捜せそうだ。


「わん!」

「え?」


 振り返ると、一瞬動く影が見えた。


「タマ?」


 あたしは走り出し、影を追いかける。


「タマ、駄目だよ。ここにいると危ないんだよ! 人に見つかっちゃうかもしれないの!」

「わん!」

「タマ、戻っておいで!」


 あたしはタマを追いかけ、大聖堂のホールに入った。タマがホールのステージへ上り、その奥へ進んだ。


「こら、タマ!」


 あたしもタマが入った部屋に入ると、廊下に通じており、タマが下に繋がる階段へ下りていった。


「もう、悪い子なんだから!」


 あたしは懐中電灯で足元を照らしながら、タマを追って階段を下りていく。


「タマ、しばらくおやつ抜きにするからね!」


 階段を下りると、タマがその先にある部屋に入ってしまった。タマが入るとお尻がぶつかったのか、扉が閉められた。懐中電灯を当てながらドアノブを掴むと、ひねることができ、そのままドアを引く。その部屋には――不気味な鳥居と、その真下に井戸が設置されていた。


「何これ。鳥居と井戸……?」


 あたしは懐中電灯を向けながら眉を潜ませる。


「ううっ! 薄気味悪い! 早く帰ろう。タマー?」

「わん!」

「えっ!?」


 タマの鳴き声に驚いた。だって、井戸の底から聞こえてきたから。


(嫌な予感!)


 大股で井戸に近づき、中に懐中電灯を向けると、タマがあたしを見上げていた。


「くぅん」


 一声鳴くと、井戸の底に道があるようで――そっちへ歩いて行ってしまう。


「ちょ、ちょっと! タマ! どこ行くの!?」


 あたしの声が井戸中に響き渡った。あたしは辺りを見回す。


「ちょっと……えー……」


 あたしはもう一度辺りを見回し――誰もいないことを確認し――あたししかタマを助けることが出来ないことを改めて自覚し――覚悟を決め、大きな声を出した。


「タマ! 今行くから、そこで待ってて!」


 あたしは井戸の外に放り投げだされていたロープの梯子を井戸に落とし、懐中電灯を口で咥え――そのまま、井戸の底へと下りていくのだった。


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