第3話 高橋登美

 井戸の底に足をつけると、予想通り、大きく穴が開いており、その先に通路が続いていた。どこか雰囲気が防空壕に似ている。ひょっとすると、ここは大聖堂ではなく、元々井戸に紛れた防空壕だったのかもしれない。


 一切の明かりがなく、ひたすら暗闇が続いている為、あたしは懐中電灯を持ってきた自分を大いに褒め称えた。あたしすごい! 天才! ひゅー!


 懐中電灯の明かりを頼りに、通路に進みながら、辺りを見回す。


「タマー? 出ておいでー」


 カビ臭くて、じめじめしてて、昔住んでた家を思い出す。あそこは寿命が切れていて、いつ崩れてもおかしくない状態だった時に、家族一緒に大きな家に引っ越したのだ。一週間後、何の前触れもなく崩れたらしい。いやあ、あたしは本当に……運が良い!


(タマ、ひょこっと戻ってきてくれたりしないかな?)


 通路を進んでいると、字が書かれた紙を見つけた。


(ん? なんだこれ?)


 あたしはそれを拾って見てみる。誰かのメモのようだ。


【貞子さんがいなくなってから二週間。あの子のお陰で私はここを探し当てた。


 何度も調べたけど、あの子の言うように、学院の先生達は井戸の存在を知っている人がいないようだ。現に、貞子さんの行方を本気で心配している先生方ばかりだった。


 貞子さん……無事でいるといいのだけど……。】


(……)


 あたしはメモをポケットに入れた。


(これ、持ってたらあとで褒められるかも! 持っとこうっと!)

「わん!」

「あっ」


 懐中電灯で照らすと、タマがこっちを見ている姿が見えた。しかし、すぐに曲がり角に姿を消してしまう。


「タマ! もう! この悪戯っ子! モフモフしちゃうぞ!」


 あたしはむうっと頬を膨らませ、通路の突き当たりまで進み、左右の分かれ道に出たが、タマが行った右の通路へ曲がった。


(あれ、ドアが閉められてる?)


 元々開いていたけど、タマの体が当たってしまったのだろうか? あたしはドアを開けようとすると――左のドアから、鳴き声が聞こえた。


 くぅーん。


(あれ? 左のドアの先にも犬がいる? でも、タマは確かに右のドアに入ったよな?)


 あたしは一歩離れ、右と左を見た。また鳴き声が聞こえた。左からだ。


(もしかして……右の部屋と左の部屋は、繋がってて……タマがあたしをからかって、左の部屋から声を出してるとか?)


 彼はとても悪戯好きな坊主だから、可能性は大いにある。


(そういうことならば)


 あたしは左のドアに触れた。


(こっちを開けよう)


 あたしはドアノブをひねった。鍵はされていなかった。ドアをこちら側へ引くと、ドアが開けられた。ドアの向こうにはタマがいて、あたしを待っていると思ったけれど、違ったようだ。懐中電灯が消えた。闇が広がる部屋に、あたしは引っ張られた。あたしの悲鳴だけが廊下に響き、そして、もう、


 誰 も い な く な っ た 。






 ――という妄想をしたあたしは、首を振った。


(いや、自分の目を信じよう。タマは確実に右の部屋に入った。タマじゃない野良犬だったら、あとでタマに紹介してもらおう)


 あたしは右のドアをこちら側へ引き、中に入った。中は、とても古い部屋だった。埃の被った箪笥や人形が置かれている。


(やっぱり防空壕か隠れ家の一つっぽいな。木製のドアは水分を含むと膨張して、隙間を埋める。そうすれば井戸に溜まった水なんか関係なく生活出来そう。……お?)


 箪笥の上にメモが置かれている。


(……触れるけど、紙は古い。すぐ破けそう)


 あたしはそのメモを拾い、読んでみた。


【雪子さん、今日もかくれんぼしましょ!

 さて、私はどこでしょうか?

 音をよく聴いてね!】


(音?)


 ――次の瞬間、どこからか琴の音が聞こえた。


(琴? うわぁ、良い音色)


 あたしは背筋を伸ばし、辺りを見回した。


(あたし以外にも誰かいるのかな?)


 学院の先生ならばまずいが、生徒ならば仲間だ。


(ちょっとくらい、挨拶に行っても悪い事は無いよね。いい人だったら、タマを一緒に捜してもらえるかもしれないし! デメリットはない!)


 あたしは早速、琴の音が聞こえる方へ足を進ませた。襖を横に開けば、古い木の板で作られた廊下が現れる。いくつか、穴が開いてるから気をつけないと。


 琴が鳴る。綺麗な音が廊下の壁から響かせる。


 通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの 細道じゃ

 天神さまの 細道じゃ

 ちっと通して 下しゃんせ

 御用のないもの 通しゃせぬ

 この子の七つの お祝いに

 お札を納めに まいります

 行きはよいよい 帰りはこわい

 こわいながらも

 通りゃんせ 通りゃんせ


(わらべ歌。心地いい音色だなぁ)


 わあ、壁にお札が貼られている。気味が悪いな。あたしは壁を通り越し、琴の音へと近づいていく。


(あれ、ここだけ襖じゃなくてドアだ)


 通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの 細道じゃ


(よし、ここはお嬢様らしく)


 あたしはドアをノックした。




 途端に、演奏が止まった。




「……?」


 あたしはもう一度ドアをノックした。音がしない。


「……」


 あたしは首を傾げ、ドアを開いてみた。しかし、そこには誰も居なかった。


「……あれ?」


 暗い部屋に懐中電灯を当ててみる。琴が置かれている。ということは、音がしていたのはここで間違いない。


「わん!」

「あ、タマ、いた!」


 あたしは部屋の中へ入り、しゃがみこんだ。


「こら、こんなところで何してるの」

「くぅん」

「帰ろう?」


 あたしが腕を広げると、タマは足で自分の頭を掻き、屏風の裏に隠れた。


「あ、こらこら、もう逃げない」


 あたしは屏風の裏に入ったタマを追いかける。


「帰るよ、タマ」




 白い顔の女があたしを見ていた。




 あたしの息が止まった。女が息を吸い――吐くと、琴が鈍い音を立てて、その場で潰れた。


「ひょえっ!?」


 それを合図にあたしの体が動き出す。目を丸くして慌てて後ろに下がると、部屋の東西南北にある襖とドアがガタガタ揺れ始めた。あたしは驚きすぎて震え出した手で掴む懐中電灯を屏風に向けた。


(何!? 何!?)


 部屋の温度が急激に下がっていく。


(なんか急に寒くなった!?)


 あたしは後ろを見る。懐中電灯を向ける。あたしは右を見る。懐中電灯を向ける。あたしはもう一度左を見た。両手をあたしの首に向けて伸ばした女に光が向けられた。


「ひゃあああああ!!?」


 あたしが悲鳴をあげると、女も悲鳴をあげ、後ろに下がり、屏風に隠れた。


「何、なになになになに!!?」


 ドアが未だに揺れ続ける。壁がガタガタ鳴っている。部屋がとんでもなく寒い。懐中電灯がチカチカ点滅を始めた。


「うわ、うわうわうわ! ブス! あんたブス!!」


 あたしは懐中電灯を叩きながら、必死に辺りを見回した。


「すみません! あの、なんかすみません! あたし、犬を捜しに来ただけなんです!」


 屏風から覗かれている気がする。振り返る。誰も居ない。


「あの! この学院の生徒ですか!?」


 ドアから覗かれてる気がする。振り返る。誰も居ない。


「お、驚かすのはやめましょうよ! 同じ学校に通う仲間として、あの、心臓が、良くないですって、本当にそういうの!」


 振り返る。女があたしの首を掴んだ。


「あんたブスーーーーー!!」


 懐中電灯が床に転がった。あたしは足を暴れさせる。すごい力で首を絞められる。あたしは女の手を掴み、必死に剥がそうとするが、全く剥がれないし、離せない。


(息、息ができない!!)


 あたしの体がなんとか女から離れようとするが、女の白い目はあたしを見たまま、全く動かず、ただ、あたしの首を絞めてくる。


(助けて……! 助けて……!!)


 あたしは懐中電灯に手を伸ばす。


(なんとか……しないと……あたし……!)


 視界がぼやけてきた。


「た……ま……」


 あたしの手の力が――どんどん――弱くなっていく――。



 しかし、完全に力を失う前に、襖が斧で破壊されたのが見えて、あたしは口から泡を出した。襖の奥から誰かが颯爽と現れ――あたしの上に乗っかる女に何かを勢いよく振りかけた。


 すると、女が甲高い悲鳴をあげた。


 ――きゃあああああああああああああああ!!!!!


 あたしの首から手を離し、逃げ出すように左のドアへ走っていった。あたしの体が痙攣し、口からは泡を吐く。ぶるぶる震える肩を、誰かが掴んできた。


「ねえ! 貴女、大丈夫!?」


 体の痙攣が止まらない。お母さん、あたし、初めて魚の気持ちがわかりました。痙攣が起きると、こんなにも体が勝手に跳ねるものなのですね。


「まずいわね……」


 影が何かを口に入れた。あたしは死を覚悟した。影が近づいた。懐中電灯の明かりが当たった。また別の女の顔だった。女が自分の唇で、あたしの唇を塞いできた。泡が二つの唇で潰され、あたしの口の中に――何かを入れてきた。あたしはそれを呑み込んだ。


 すると、嘘のように痙攣が収まった。


「……んっ……」


 途端に、とんでもなく気持ち悪くなり、女が唇を離したタイミングであたしはその場で吐いた。ああ、ランチに食べたものが全部胃の中から出ていくではないか!


「おろろろろろ! うげぇーーーー!!」

「……大丈夫?」

「はあ……一体……何が起きて……」


 あたしは背中をさすっていた影に振り返り、ぎょっと目を丸くさせた。


「あれ!? 貴女は、転校生の高橋登美たかはしとみさん!?」

「……私をご存じで?」

「あたし、同じクラスの山田幸子ですよ! 幸せな女の子、サチコです!」

「はあ」

「よかったー! 知り合いがいて! もうどうなることかと思ったんですよ! 急に部屋が寒くなって、白い顔の女の子がとんでもない顔であたしを睨んでいて……」

「ここで何してるの」

「あ! トミさん、あたし達だけの内緒ですよ? 実はあたし……野良犬のお世話をしてましてね? もうとんでもなく可愛い野良犬でして、学院に迷い込んでしばらく経つんですけど、動物愛護施設? ってところに行くと、殺されてしまうと聞いたので、あたしが面倒見てるんですよ。その犬が、ここに迷い込んでしまいまして」

「ここって……井戸の中に?」

「そうなんですよ。どうやって入り込んだのか、あたしもわからないんですけど、タマっていう犬畜生でして、さっきまでここにいたんですけど……」


 懐中電灯を当ててみるが、タマはいない。


「はあ、どこに行ったのやら。トミさんはここで何してるんですか?」

「……人を捜してて」

「人? まさか、あたしの首を絞めてきたあの野蛮な女子おなごのことですか?」

「貴女ね」


 やっぱり右腕に長い数珠を巻き付けているトミさんがむすっとした顔であたしに説教を始めた。


「運が良かったと思いなさい。私がいなかったら貴女、連れて行かれてたわよ」

「運ですか? そうなんです。あたし、運だけは自信があるんです。昔から運だけは良いんです」

「野良犬は諦めてここから出ることを勧めるわ」

「そういうわけにはいきません。あの子はあたしの友達なんです。友達を見捨てることはできません」

「そうも言ってられないほどここは危険な場所よ。自覚がないようだから言っておくけど、貴女、殺されかけたのよ」

「いや、そりゃそうでしょうよ。あんだけ首絞められたらわかりますよ」

「ここから出なさい。それが貴女の為よ」

「嫌です。タマが見つかるまでは出ません」

「また同じような目に遭うわよ。いいえ、今度はもっと怖い目に遭うかも」

「……でも、トミさんは残るんですか?」


 トミさんが溜息を吐いた。


「人を捜してるって言ってましたね。どなたを? クラスの人?」

「……姉よ」

「お姉さん?」

「姉が一ヶ月行方不明なの。学院の生徒会長だった」

「……えー!? ってことは……高橋先輩の妹さんなんですか!? いやー、世間は防空壕みたいに狭いですね!」

「姉は行方不明になった親友を追うと言っていた。私に手紙を送り、それ以降返事がなかった。そして……その一ヶ月後、誰かから、姉の行方がわからないと文が届いた。何があったのか調べるために、私はこの学院に転校してきた」

「どこか不思議だと思っていたのです。この時期に転校してくる生徒なんて、なかなかいませんので」

「ちなみに貴女、姉の行方は……」

「あたしが知ってると思います?」

「そうね。その通りだわ」

「でも、あたし達、共通点を見つけました」

「共通点?」

「大切な方を捜してここにいる」


 トミさんが黙って、あたしを見つめた。


「あたし、夏休みが来たら、タマを引き取って、家に連れて帰るんです。だから、もう少しなんです。ここで……見捨てることは出来ません。そして、貴女もお姉さんを捜しに来た。ならば、二人で協力して捜せばいいと思いませんか?」

「……無理な話だわ」

「無理? なぜそう言い切るんです? 何事も、挑戦してみないと、学期末テストで良い点数は取れませんよ」

「貴女を殺そうとした人、生きてないの」

「だからなんです? あたしは絶対にタマが見つかるまで……」


 ――あたしはもう一度聞き返した。


「な、なんですって? 生きてない? 誰が?」

「貴女を襲った人」

「い、生きてないって、どういうことですか? あたしの首を絞めていたじゃないですか」

「そうよ。死んでいるの。だから私が撒いた塩で逃げたのよ」

「し、し、死人が、ここにいるということですか!?」


 あたしが訊いた途端、ドアと襖が再び揺れ始めた。あたしが腰を抜かして後退り、トミさんが舌打ちして、あたしの手を握った。


「選択するなら今よ! 行くか! 戻るか!」

「行きます!」

「後悔しないでよ!」


 トミさんがあたしを引っ張り、廊下へ連れ出し、琴が破壊された部屋を後にした。


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