第4話 小春と雪子
どこかの部屋に入り、懐中電灯を消した。誰もいないはずの廊下から走る足音がきこえてくる。あたしは息を止め、体を震わせた。トミさんも息を殺し、廊下を睨みつけ――やがて、走る足音がしなくなったので、トミさんがあたしに振り返った。
「懐中電灯をつけてくれる?」
「もう大丈夫ですか?」
「ええ。もう大丈夫」
「はぁー。怖かったー」
あたしは懐中電灯をつけた。列になって並ぶ雛人形に光が当たり、それを見たあたしは腰を抜かした。
「ひょげーーー!!」
「ねえ、もっとまともな悲鳴をあげられないの?」
「いやいや! トミさん、それは無理なお話ですよ! 人間誰しも、こんな状況で、まともな状態なんて保てるわけがない! でもなんだか! 慣れてきたら結構可愛いもんですね! 雛人形! あら、なんだかとっても可愛らしい。あたしも大人の女になったら、こんな立派な着物を着てみたいものです」
雛人形に優しく祈りだすあたしを見て、トミさんが頭を押さえた。
「お願いだから大人しくしてて頂戴。ここ、思ってるより危険地帯よ」
「そうだ、そうだ。トミさん、一体どういうことです? さっきの方が、生きてないだなんて」
「言葉の通りよ。ここには死んだ人達の気配を感じる」
「ってことは……トミさん、幽霊が見えるのですか? わあ! すごい特殊能力!」
「あのねぇ……」
トミさんが呆れたようにため息を吐いた。
「貴女、やっぱり戻ったほうがいいんじゃないかしら?」
「言ったじゃないですか。あたし、タマを見つけるまでは戻れません。……おや?」
あたしは雛人形を見つめた。
「トミさん、この雛人形、おかしくないですか?」
「え?」
「だって、ひな壇にはお雛様とお内裏様がいらっしゃるはずなのに、見てくださいよ。お雛様とお雛様しかいらっしゃらない。これじゃあ、想い人を奪い合う二人の女が並んでいるようです」
「あるいは姉妹かも」
「あ! なるほど! 姉妹が並んでいるのなら納得です。ですが……そんな雛人形、見たことあります?」
突然、どこかからか琴の音が聞こえた。あたしはすぐにトミさんにしがみつき、トミさんは鬱陶しそうにあたしを引き剥がし、立ち上がった。
「誰かが呼んでるみたいね」
「さっきの白いお方ですか!?」
「わからない、けど……他に行くところもないようだし」
廊下と反対側の扉に触れると、扉が開いた。トミさんがあたしに振り返った。
「私は姉さんを見つけて、貴女は野良犬を見つけて、さっさとここから出る。幽霊のいる場所に長居は無用よ。歩ける?」
「はい! 大丈夫です!」
「いい? 私の後ろから離れないで」
「はい! 絶対離れません!」
トミさんが新たな廊下に足を踏み入れた。土と埃が混じった廊下が続いている。トミさんを先頭に、あたし達は歩き始める。
天井には蜘蛛の巣が張られ、設置された家具は明らかに劣化している。角を曲がると階段が続いており、トミさんとあたしはそこを下りていった。
琴の音が聞こえる。トミさんが音の鳴る方へ歩いていく。あたしもトミさんに続くと、壁に丸窓を発見した。
(わあ、素敵な丸窓)
「トミさん、見てください。素敵な丸窓」
「……」
トミさんが丸窓を見て、顔をしかめた。
「あそこ近づいちゃ駄目よ。嫌な感じがする」
「あたしは何も感じません」
「危ないから近づいちゃ駄目」
そうは言っても、素敵な丸窓からはあたしを誘うように、美しい手が伸び、手招きしている。それを見ると、なんだか素敵なものがあるのではないかと思ってしまって、あたしはトミさんの目を盗んで近づいてみた。
(わあ、やっぱり素敵な丸窓……)
窓のある壁に手を添えた瞬間――壁に大量の手が生え、一瞬であたしを捕まえ――壁の中に引きずり込んだ。
「……あれ?」
トミさんが振り返る頃には、あたしは消えていた。
という妄想をして、あたしは顔を青くさせた。
「あそこ近づいちゃ駄目よ。嫌な感じがする」
「近づきません。あんな丸窓、素敵だと思ったあたしがブスでした。トミさんが一番素敵です」
「どうしたの? 急に」
「ここ怖いです。あたし、夢見る思春期な
あたしは地面に落ちていた手紙を拾い、開いてみた。
【雪子さん、今日はちょっと難しいところに隠れてるの。でも、きっと雪子さんなら来られるわ。私の演奏をする音を聞いて、会いに来て。私はそこにいるから】
「さっきの紙にも雪子さんって書かれてました」
「さっきの紙って?」
「戦争時代のものかと思って、後で先生に見せようと取ってました。トミさんには特別に見せてあげますね。はい、これです」
さっき拾ったメモを渡すと、トミさんが眉をひそめ、今拾った手紙を見返した。
「雪子って名前の生徒に心当たりは?」
「トミさん、何人の女生徒がこの学院にいると思ってます? そしてこのあたしが、そんなに顔が広いとお思いで?」
「貴女、友達いないの?」
「失礼な! いますよ! 友達くらい! トミさんだって見てるじゃないですか!」
「貴女がクラスにいることもさっき知ったわ」
「そんなぁー!」
「この紙は、この音と関係がありそうね」
わらべ歌の演奏はまだまだ続いている。
「先を急ぐわよ」
「はい!」
演奏の音が激しくなってきた。そして、近くなってきた。トミさんは琴の鳴る部屋を目指し、確実に進んでいる。しかし変なところだ。窓は沢山あるけれど、どこかの広い屋敷の中のように外が全く見えない。地下だからだろうか。だったら天井に窓をつければよかったのに。それならば、戦時中でも星空が見られるではないか。ああ、でも爆撃に遭えばとんでもない。ここはまるで牢獄だ。
(でも、琴が鳴っているということは、あたし達以外にも生徒がいるということ……?)
トミさんが止まった。あたしの体がトミさんにぶつかった。トミさんが指を差す。襖の中がろうそくの光で影が出来ており、琴を弾いている人影が見えた。
トミさんが手首にしていた数珠を握った。そして、深呼吸してから――襖を開けた。
琴の演奏が止まった。
中には、誰も居ない。
琴だけが残されている。
「……」
トミさんが懐中電灯を当てた。しかし、中には誰も居ない。あたしもトミさんの後ろから部屋を覗いた。
「……誰もいないみたいね」
「トミさん、琴の上に書物が」
あたしは先に部屋に入り、懐中電灯を当てながら琴の上にあった書物を拾って広げてみた。中に書かれたことを――読んだ。
雪子さん、私は、どこだ?
「トミさん」
あたしがトミさんに振り返った瞬間、刀で首を落とされた。首から血が噴き出し、あたしの体は、琴を抱きしめるように横たわった。
という妄想をして、あたしは体を丸くさせると、上から何かが振られたような音が聞こえた。
(え?)
「動かないで!」
(え、え?)
あたしは目玉だけを動かした。体が急に寒く、重たくなってきた。気分が悪い。心臓がドキドキ震えている。汗がじっとり出てきて、ゆっくりと顔を上げると――
刀を持った白い顔の女子生徒が、血だらけの制服を身にまとい、生気のない瞳であたしを睨んでいた。
「ひ、ひいい!」
悲鳴を上げて尻を後ろに引きずらせると、白い顔の女子生徒が消えた。襖が閉められる。トミさんがはっとして襖を開けようとするが、開かないようだ。ろうそくの火が消えた。懐中電灯が点滅し出す。あたしは寒さで体を震わせ、必死に声を出した。
「トミ……さん……っ」
「琴から離れないで!」
あたしはトミさんの言う通り、琴にしがみつき、琴から絶対に離れないようにした。トミさんが数珠を腕から外し、両手で持った。体が重たい。だるい。あたしは犬のようにぜえぜえと呼吸した。目がかすむ。しかし、琴の上にあった書物を覗くことは出来た。
【小春、一体どこにいるの? 呼んでおいて隠れるなんて、趣味が悪いわよ】
【雪子さん、私知ってるの。貴女って許婚がいるのでしょう? どうして教えてくれなかったの? 教えてくれたら、私、間違いなく貴女を応援していたのに】
【小春、隠していたわけじゃない。家同士が勝手に決めた相手。学園にいる間に結婚するわけじゃない。未来のことは、未来に決めればいい】
【雪子さん、酷い雪子さん。私に散々良くしておいて、本当は裏で笑っていたなんて。それでも私は雪子さんが大事だったのに】
【小春、一体どこにいるの? 交換日記を利用して会話するなんて、こんな奇怪なことないわ。貴女と話したい】
【私も話したいわ。雪子さん】
書物の字が、あたしの目の中に入って来た。
――琴の音を辿ってやってきた雪子さん。
――部屋に入るとろうそくが灯った部屋に、一つの琴。そしてその上に置かれた交換日記。
――交換日記を拾った瞬間、刀で首を刺された。
――雪子はすぐには死ななかった。しばらく意識があった。
――雪子の目に映ったのは、嬉しそうに雪子の首を刺した刀で雪子の首を切ろうとしている小春さんの姿。
――制服の血は、雪子さんの血。
――書物は、二人の友情の証の交換日記。
――けれど、小春さんにとっては、それだけではなかった。
「これでずっと、私のもの。雪子さん」
雪子さんの頭を、小春さんが幸せそうに抱きしめた。
「頭……」
トミさんが耳だけをあたしに傾けた気がした。
「……頭を探して……」
トミさんの目が動いた。
「蝋燭を……つければ……きっと見つかる……から……」
あたしの口から、あたしじゃない声が出てくる。
「私の……頭……探して……」
気が付くと、琴の側にマッチが置かれていた。トミさんが動き出した。しかし、マッチを拾う前に小春さんがトミさんに襲い掛かった。刀を振り回し、トミさんを斬りつけようとした。トミさんは小春さんを睨み、数珠を投げた。するとその数珠は生きているように蠢きだし、魂だけの小春の体を縛り付けた。小春が倒れ、その場でうめいた。その間にトミさんがマッチを拾い、部屋にある蝋燭を確認した。三本。トミさんがマッチ棒に火をつけ、蝋燭に移した。
しかし、一本つけたところで数珠から小春さんが消えた。どこからか吹いてきた風でマッチ棒の火が消えた。トミさんが急いで数珠を拾い、再び蝋燭に火を灯そうと振り返った瞬間、背後から小春さんが襲ってきた。
――出ていけ!
トミさんが避けた。数珠を小春に投げると、再び体に巻きついた。
――やめろ! 出ていけ!!
トミさんがマッチに火をつけ、二本目の蝋燭に火をつけた。
――邪魔をするな!!
小春さんが数珠から消えた。はっとしたトミさんが避けようとしたが、小春さんに思い切り突き飛ばされた。マッチ箱が床を滑り、琴の側へ戻って来た。小春さんがトミさんの上に乗り、首を絞めてきた。
――私達の邪魔をしないで!
「ん……ぐっ……!」
――死ね!
小春さんが続ける。
――死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!
トミさんが手足をばたつかせた。しかし、小春さんは容赦なくトミさんの首を絞め続ける。トミさんの視界がかすんできた。
だが、間に合った。
蝋燭の火が付いた。
勝手に動いたあたしの体によって。
蝋燭の火が眩しくなった雪子が悲鳴を上げてトミさんの上から消えた。トミさんがせき込み、唸りながら起き上がった。部屋がとても明るい。あたしはその場に倒れ、しかし目は開いており、意識もある。ただ体が動かないだけ。
トミさんがゆっくりと動き出した。地面を這うように動き出し、鍵付きの箱に近づいた。トミさんがあたしに振り返った。
「何番かわかる?」
「私の誕生日」
勝手に口が動いた。
「交換日記に書いてある」
トミさんが琴の上に置かれた書物を開き、ばらばらとめくると、その数字を見て、再び箱の前に行き、ダイヤルを動かした。すると、鍵が落ち、蓋が開いた。
その瞬間、勝手に琴が二つに割れて壊れた。
空気が、軽くなった。
「……うぬぐぐ……」
あたしはようやく動くようになった体を動かし、起き上がった。
「トミさん……あたし……吐きそうです……」
「吐いていいわよ」
「ごめんなさい。すごく臭くなります。おろろろろろろ」
すっきりしたあたしはふらつきながら立ち上がり、ハンカチで口元を拭い、トミさんに近づいた。箱の中には――白骨化した頭と、それを抱くように丸くなった人の骨があった。その中に、古い紙がしまわれていた。
あたしが手を伸ばし、その紙を拾い、開いてみた。
【友達のいない私に、雪子さんは手を差し伸べてくれた。笑顔で私と接してくれた。雪子さんはドジな私と違って、何でもできて、美人で、友達が多くて、優しかった。だから私はそのうち、雪子さんに特別な想いを抱いてしまった。
この想いを雪子さんに伝えるつもりはなかった。
だけど、許婚がいるとわかったあの日、私達の友情は終わってしまった。
雪子さん、知ってますか?
宗教上、同性愛は罪とされていますね。この学院でも厳重に禁止されています。私達を罪人にしないよう、大人たちが導いてくださっています。ですので、この場所の近くに、『恵みの井戸』というところがあり、そこで身を投げる恋人達がいるのだそうです。身を投げた恋人達は、罪を浄化し、生まれ変わった後で、一緒になれるそうです。
文子先輩が教えてくれたんです。
私たちも行ってみませんか?
そうすれば、私達、離れずに済む。
雪子さんと、ずっと一緒に居られる。】
「……」
黙ったあたしとトミさんが顔を見合わせた。
「『恵みの井戸』って、ここの入り口の井戸のことじゃないんですかね?」
「他にも別の井戸があるのかも。もっと奥深くのところに」
「小春さんはその井戸に雪子さんを連れて行こうとした?」
「拒まれたのかも。ほら、交換日記にそれっぽいことが書かれてる」
「小春さんは……雪子さんを好きになってしまった」
「貴女はどう思う? 同性愛者は、罪人だと思う?」
「ここだけの話ですよ? トミさん。……この学院が宗教上謡ってるだけであって、大日本帝国に伝わる歴代の将軍様達は、幼い男子達に性処理のお役目を与えておりました。それが正義であり、それこそが名誉なことだと。つまりですね、あたしがこれを罪人だと言えば、この国の将軍様全員を敵に回すことになる。それに、父と母がよく言うんです。人は人。自分は自分。人間は別の考えを持ち、別の行動をする。生き物なのだから当然だ。それを否定することは、すなわち、自分のことすら否定するのと同じ。だからあたしは否定しません。むしろ、そういう考えもあるのだと、受け止めます」
「そう」
「生き物には心があります。きっと……本当に雪子さんのことを、お慕いしていたのでしょう」
「だからって、殺すのはどうかと思うけどね」
「そうですね。殺さず……冷静に話しをしていれば、良いお答えが聞けたかもしれません」
「……と言うと?」
「……殺されても……雪子さん、怒ってなかった気がします」
なんというか、
「むしろ、小春さんを心配されていたような……」
「……」
「あの、あたし、苦しすぎて記憶があいまいで、でも、なんか……わからないですけど……雪子さんが怒ってる感じがしませんでした。……どうしたら……さまよってる小春さんを止められて、もう……いいから……何もしなくていいから……ずっと二人で……いようと……」
なぜだか、胸に熱が残っている。
「雪子さん、小春さんの琴の音が好きだったようです。表面上の友人は沢山いたのですけど、笑顔を浮かべることが時々きついと思っていて、素の顔を出せるのは、小春さんだけでした。ご両親が厳しいお方で、反対できる間もなく許婚が決まってしまい、この学院にいる間だけが、雪子さんの自由な時間でした。小春さんの琴は……雪子さんを……癒していたんです」
だから……。
「身を投げるのではなく、生き続けて……後ろ指をさされても……変人扱いされても……罪人だと呼ばれても……きっと……小春さんが相手なら……雪子さんは……」
「……鼻水が垂れてるわよ」
「ええ!? ちょっと、やだぁ! 見ないでくださいよ! ブスー!」
トミさんの言葉に我に返ったあたしは、ハンカチで鼻水を拭った。そしてどうしてか溢れた涙も、ついでに拭いておいた。どうしてだろう。あたしには全く関係ない事なのに。どうしてか……【自分の想いを最期まで伝えられなかった
「その手紙達、持っていく?」
「……置いていきます。彼女達の思い出のようですので」
あたしは拾った手紙と書物を、全て箱の中に入れた。そして、両手を握りしめ、二人に伝えた。
「どうか安らかに」
弾ける音が聞こえた。あたしとトミさんが振り返ると、壁に燃え痕があった。
「うわ、なんですかね。これ」
「……札の形……」
トミさんが懐から札を取り出し、壁に当てた。同じ大きさだ。
「誰かがここに札を貼った。私達が来る前に、誰かがいた」
「ということは、やっぱりあたし達以外に誰かいるんですかね」
「姉さん」
トミさんが唇を噛み、札をしまった。
「姉さんかもしれない。札の形が一緒だから……」
「高橋先輩ですか? でも、一ヶ月前に……」
「そうよ。一ヶ月前に……行方不明になった友人を……捜して……」
トミさんがあたしに振り返った。
「引き続き、私は姉さんを捜す。貴女はどうする?」
「タマを捜します!」
「さっきのように怖い目に遭うかもしれない。それでも?」
「トミさんがいるから大丈夫です!」
言うと、トミさんが呆れた目であたしを見てきた。
「守ってくれますよね?」
「……貴女が余計な事しなければね」
「トミさん、そろそろ名前で呼んでくださいな! あたしは幸せな子で、幸子です!」
「わかったわ。サチコさん」
あたし達は笑みを浮かべ合う。
「行きましょう」
「はい!」
二人が入った箱の蓋を閉じ、あたし達は三本の蝋燭で明るくなった部屋から出ていった。
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