第10話 川合貞子


 ひたすら、石の階段が続いていた。底が見えない。

 トミさんが下りていく。あたしも下りていく。タマが楽しそうに下りていく。

 これでもかと思うほど底が深く、ひたすら闇だけが続いている。


 至る所で壁に札が貼られている。高橋先輩がつけたのだろうか。

 トミさんは下り続ける。


 あたしの頭の中で、見たことのない記憶が見えている。

 ユキコさんの頭を持ったコハルさんが下りていく記憶。

 サクラさんを殺してしまったアンさんが嘆きながら下っていく記憶。

 マイさんを殺したと勘違いしたハナさんが必死に引きずり下りていく記憶。


 あたしの体がふらついた。壁にもたれながら、それでも進んでいく。だから高橋先輩は壁に札を貼ったのかもしれない。壁にもたれても、誰にも何もされないように。


「……サチコさん?」


 トミさんが振り向いた。


「大丈夫?」

「大丈夫です。行きましょう……」


 薄暗く、瘴気が放たれている。しかし、何かがあたし達を誘っている。


 底が見えた。トミさんが踏んづけた。懐中電灯を向けた。鳥居の道が続いている。


「トミさん、あそこに何か落ちてます」

「あれは……」


 トミさんが落ちてたメモを拾い、めくってみた。




【登美へ


 恐らく貴女がここに来てくれていると思って、このメモを残しておきます。

 この先にある『恵みの井戸』からは、とんでもない瘴気が放たれています。

 貴女も気づいたと思うけど、『文子』という女子生徒に関わった女子生徒達が、井戸の話を聞き、想いを寄せた相手と『恵みの井戸』に身を投げることがあった。それが叶わず、魂だけが残った人達もいた。


 どうしてここは埋められたと思う?

 どうしてここは井戸として残されていると思う?


 山田幸子はそこにいる?

 彼女から手掛かりを聞けば、全部わかると思う。】




 トミさんがあたしを見た。

 あたしはトミさんを見た。

 トミさんがあたしの名前に指を差した。

 あたしはしゃがみ、タマを撫でた。


「なんであたしの名前があるのかしら。ねえ? タマ」

「隠し事はしない方が良いわよ。顔に出てる」

「流石、高橋先輩です。前から勘が鋭いとは思ってましたが、巫女であったのなら納得です。あたしがここに来ることまで想定済み」

「姉さんを知ってたの?」

「トミさん、本当にあたしのこと知らないんですね。悲しいです」

「は?」

「あたし」





「副生徒会長任命、おめでとう! サチコさん!」


 選ばれたあたしは、自分の頭を撫でた。


「一年生から書記として頑張ってたものね」

「今日から貴女は副生徒会長。高橋先輩の補佐よ」


 あたしは目をキラキラさせて、頭を押さえる高橋先輩に胸を張った。


「宜しくお願いします!」

「まさか本当にサチコが任命されるなんて……」

「これも運ですね! あたし、運がとってもいいので!」

「確かに自己表明の作文はよくできてた」

「作文はね」

「徹夜でやりました!」


 あたしは目をキラキラさせて、鼻を鳴らした。


「あたし、この一年で、高橋先輩の分身になります! そんでもって! 次期生徒会長になって! 思う存分権力を使って、楽しんで、いいところに就職するんです!」

「みんな、よく見ておいて。これが反面教師よ」

「クスッ! 言われてるよ。サチコ君」

「なんですかぁー! いいじゃないですかぁー! 別にー! 任命されたんだからぁー!」


 先輩たちはみんなあたしを可愛がってくださった。生徒会長になれば、男尊女卑が成立しているこの社会で、良い地位を確立した状態で就職出来て、その保証もされている。この手を使わない理由がない。いいところに就職出来れば、たとえお父さんの会社が倒産しても、あたしが大黒柱として働くことが出来る。


「高橋先輩、あたし、より頑張ります!」

「ええ。よろしくね。サチコ」

「それじゃあ、早速決算の話をしましょうか」


 作成した決算書類の束を川合貞子先輩から見せられ、あたしはぎょっとした。


「川合先輩! 今日は選挙集会で疲れたので! 早めに切り上げましょう!」

「駄目よ。副生徒会長になった以上、色々責任を負ってもらわないと」

「そんなぁー!」

「サダコさん、あまり虐めないの。サチコ、今日はもう帰りなさい」

「げへへ!」

「もう、ミヨコさんったら、サチコに甘いんだから!」


 笑い声が起きる生徒会室。あたしはあの空間が好きでした。先輩たちも好きでしたし、人の役に立てることで優越感に浸れたのです。


 だから、川合先輩と高橋先輩が秘密でタマの面倒を見ているのを目撃してしまった時、あたしはすぐに行動を起こせたのです。


「ドッグフード、買ってきました!」

「サチコ!」

「でかしたわ!」

「おお! おお! 可愛い! 食べてる!」

「サチコ、これで貴女も共犯者よ」

「絶対このこと言っちゃ駄目よ」

「幸せな女の子と書いて、あたし、山田幸子は、この犬畜生を幸せにする為ならば、どんな困難が訪れようと、この秘密を守ると誓います。……あー! ぺろぺろしたー!」

「「可愛いー!!」」


 元々タマを見つけたのは川合先輩でした。川合先輩が高橋先輩に相談し、二人で面倒見ていたところ、ゴシップ好きなあたしが見つけてしまい、彼の面倒を見るのは三人の仕事となったのです。絶対バレないように、みんなで順番に面倒を見てました。夏休みの生活についての話題になった時に、あたしが提案したんです。


「夏休みになったら、この子を家で引き取ってはいけませんか? うちの家族は、まだ古いボロ屋に住んでいた頃、野生の犬とも暮らしていました。動物が好きなんです。大切にしますので、どうか」

「サチコがそう言うならそうしましょう」

「いつまでもここにいさせるわけにはいかないものね」


 川合先輩がタマを撫でました。


「寂しくなるわ。タマ」

「くぅん」

「夏休みに入るまでは、みんなで面倒見ましょう」

「今日のドッグフード係は川合先輩ですよ!」

「さあ、タマ、お手は?」

「わん!」


 無事に夏休みが来ると思ってました。でも、川合先輩が、二人きりの時に、こんなことを言ってきたんです。


「ねえ、サチコって……人を好きになったことはある?」

「え? もちろんありますよ! お父さんもお母さんも、先輩もみんな好きです!」

「そうじゃなくて、恋をしたことはある?」

「恋。ああ、でも……お屋敷に引っ越す前に近所に暮らしてた健司君が初恋です」

「かっこよかった?」

「うーん。そうですね。大きいホクロは好みじゃなかったけど、なんか、いいなって、思ってました」

「なんか、いいな。ね」


 川合先輩が窓を見ていた。


「サチコ、女の子に恋をしたことはある?」

「そんな趣味はありません」

「うふふ。訊いただけよ」

「川合先輩、そういった話は……この学院では禁止されているのではないですか?」

「大丈夫よ。先生は職員室だもの」

「……。確かにそうですね! でも、聞いた話、なでしこ隊の中にもそういった方々はいたそうですよ。恋愛どころじゃなかったらしいけど、でも、明日死ぬかもしれないなら、好きな人と一緒にって」

「誰から聞いたの?」

「家が近所だったお姉さんです。なでしこ隊に入り、片腕を失って帰ってきました。好きな人が爆撃に巻き込まれて、……その人が同級生の女の子だったと。……悲しそうでした。昔から良くしてもらってたので、このことは絶対に秘密にすると言って……引っ越してしまいました」

「……言ってしまったわね」

「川合先輩ならいいです。川合先輩はお口が堅い方なので」


 夕日が沈んでいく。


「同性愛者って、変人だと思う?」

「ここだけの話にしてください。あたし、個人的には変人だと思いません。人前ではきっと指を差すでしょうが、個人的には、人間が性別関係なくその相手方を好きになる事なので、別におかしなことはないと思います。そういう人もいる。でも、あたしは男が好き。だけど、将来はわかりません。女性と結婚してるかも」

「サチコ、勉強不足よ。同性は結婚できないの」

「あら、しまった。こりゃ失礼。でも、先輩。戦争は終わったんですよ? あたしはね、いずれ、何もかも許される時代が来ると思ってるんですよ。誰が誰を好きになったって、男が男しか愛せなくたって、女が女を好きになったって、何も変じゃない。それらを指差して変人と叫ぶ輩。そいつらは、大日本帝国の将軍様を敵に回す。だって、将軍様は若き日本男子を枕のお供にしていた歴史があるのですから。何もおかしなことはない。何も変じゃない。人間が人間を愛することは、当然のことです。そんな時代がいずれ来ます。……こんなこと言ったら、非国民だと迫害されてしまいます。あはは!」

「……」

「……先輩には、お好きな方がいますか?」

「ええ」

「あら、それは素晴らしい。先輩がお好きになるのですから、さぞ素晴らしい方なのでしょうね」

「ええ。すごく……明るくて、優しい子」


 川合先輩が窓から離れ、あたしを背後から抱きしめた。


「うほっ!」

「ありがとう。サチコ」

「おほほ! 川合先輩、良い匂いがするでござんす!」

「こら、ふざけないの」

「ひゃははは!」

「これが終わったら帰りなさい」


 川合先輩が鞄を持ち、あたしに笑顔で言った。


「さようなら」


 三日後、川合先輩の捜索願が出された。

 先生達はみんな情報が漏洩しないようにしていたけど、生徒達に耳には入ってた。クラスメイトと――同性の恋人と、駆け落ちしたと言われた。


 みんな、いけないことだと言うように、人の不幸を面白そうに話していた。


 あたしもその中に入って、いけないことだと言うように、面白そうに話をした。

 タマの前だけで泣いた。

 生徒会室は静かになった。

 高橋先輩が言った。代わりの会計係を決めないとね。


 あたし、行動が出来る子なので、決行しました。



 深夜、絶対誰もいない校舎に、忍び込みました。



 まさか、高橋先輩がいるとも知らずに。



「サチコ!?」

「高橋先輩!?」


 逃げようとしたら、捕まった。


「ここで何してるの!」

「離してください! あたし、やらないといけないことがあるんです!」

「わん!」

「タマも一緒だなんて、良くないことをしようとしているんじゃない?」

「高橋先輩、貴女を話の分かる女性だと知っているからこそのお願いです。あたしを見なかったことにしてください!」

「何が目的?」

「川合先輩です」

「サダコさん?」

「あたしの予想では、絶対先生方が何か隠してます。絶対です。だからあたし、手掛かりを探そうと、鍵開けの技術を磨いて来ました」

「貴女ね」

「お願いです。高橋先輩。じゃないと、川合先輩が報われません! 悔しいです! あることないこと皆に言われて! そんな人じゃないのに!」

「わかったから落ち着いて。協力者がいてくれて助かるわ」

「……協力者?」


 あたしはそこで、はっと口を手で押さえた。


「まさか、高橋先輩も!」

「サダコさんの置手紙が職員室にあるはずよ。何度も見せてと言ったのに、見せてもらえなかったの。だから、隠ぺいの可能性もある」

「何のために」

「わからない。だからこそ、手紙の文字を見て、本当にサダコさんが書いたものかどうか判断するわ。手掛かりが欲しいなら、協力して」

「はい! 協力します!」

「職員室に全ての教室の鍵があるはずよ。それを手に入れましょう」

「タマ、静かにね!」

「くぅん!」


 主に、あたしは見張りを。高橋先輩は行動を。見回りの先生に見つからないように、懐中電灯の光が見えたら、教室の影に隠れた。高橋先輩は難なく全ての鍵を入手して、職員室の奥にある倉庫を覗き、手紙を探し当てた。


 あたしが懐中電灯を向け、高橋先輩が手紙を開いた。


【告白します。私は罪人です。愛してはいけない人を愛してしまいました。これから、愛する人と遠くへ行きます。どうか捜さないでください。】


「……サダコさんの字……」

「本当に川合先輩がこんなこと書くんですか? 書かされたということはありませんか?」

「誰に?」

「誰かに。……先輩、同性愛についてどう思うか、三日前に訊いてきたんです。あたしに訊けるなら、他の誰かにも訊いているのではないでしょうか? 高橋先輩とか」

「……私はそんな話聞いてないの」

「……親友なのに?」

「……彼女の教室に行きましょう。何か……残されてるかも」


 廊下に出ようとした瞬間、懐中電灯が光った。あたしと高橋先輩は職員室の壁に隠れ、やり過ごす。高橋先輩があたしを見たのを合図に、二人で川合先輩の教室へ向かった。



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