第13話 坂本文子と、その後
夏休みに入る二週間前から、気温はとても熱くなり、熱中症を訴える生徒が多くなった。しかし、四季の変化を楽しむために水分補給をしつつ、この夏を満喫するのも、若者の役目だ。
集会での高橋先輩はとても凛々しく作文を読んでいた。そして、副生徒会長のあたしも、とても立派な長文の作文を読んだ。聞いてた生徒が数名倒れた。
あたしは実家に文を送り、事情を説明した。バレないように、お父さんが召使いを用意してくれて、ずっと隠れていたタマを迎えに行った。
「タマ、おいで。さあ、行こう!」
召使いの腕で抱いていれば、元々家にいた犬だと思われた。屋敷に連れ帰ったタマは、美味しいご飯を食べて、広い庭を走り回り、お父さんとお母さんも犬が好きだから、沢山可愛がってもらって、さらに甘えん坊になった。
そんなあたし達だったが、まさかのまさか。高橋宅に、招待されたのだった。
「初めまして! お母様ー! あたし! ミヨコ先輩の可愛い後輩で! トミさんの大親友の! 山田幸子です! 幸せな女の子と書いて、サチコですぅー!!」
「わん!」
「タマですぅー!! あと、これ、おみやですぅー!! すっごく美味しいやつですー! あたし、すこぶるいい女ー!!」
――高速で走って来たトミさんに、頭をひっぱたかれ、襟を掴まれ引きずられる。お母様がおかしそうに笑われた。
「やーん! ブスー! 何するんですか、トミさん! せっかくご挨拶してたのに!」
「誰が大親友よ」
「大親友じゃないですか! すごく仲良しじゃないですか! ね! タマ!」
「わん!」
「トミ、騒々しいけどサチコ来たの? あら、タマ~!」
「わんわん!」
「流石、高橋先輩。あたしの幸せオーラを感じるだなんて、本日も感が冴えてますね!」
「うるさいだけでしょ」
「タマ~。元気そうでよかった~」
「くぅん! くぅん!」
お母様がキッチンからトミさんを呼んだ。
「トミ、スイカ運びなさい」
「なんで私が!」
「はいはい。私がやりますよ。トミはまだまだお子様だもんね」
「なっ、っ、いい! 私が運ぶから、姉さんは座ってて!」
「あ! トミさん! あたしも手伝いま」
「座ってて!」
「ハーイ」
大きな鳥居が経った神社の側にある、高橋邸の縁側で、冷やされたスイカを食べる。美味しー!
「トミさん、後でお参りしていいですか? 福をつけるために、神様にご挨拶したいです!」
「がめついこと言わないようにね……」
「そんなこと言うはずないじゃないですか! ちょこっとお小遣い増をお願いするだけです!」
「貴女、太陽より暑苦しいって言われない?」
「高橋先輩、あたし、太陽より暑苦しいですか?」
「もう慣れた」
「トミさん、もう慣れたそうです!」
「もう黙って食べなさい!」
「ハーイ」
トミさんとあたしの会話に、高橋先輩がクスクス笑う。心地良い風が吹き、あたし達の髪を揺らす。
「少し髪が伸びたわね。サチコ。また伸ばすの?」
「それが、先輩、聞いてくださいよ。お父さんがこの髪型気に入ってしまって。お金持ちの娘っぽいって。沢山カチューシャを買っていただきました。しばらくはこのままですね」
「あら、でも似合ってるわよ?」
「あたし、高橋先輩の真似して髪の毛伸ばしてたんですよ? こんなにばっさり切らなきゃ良かったです。やっぱり伸ばそうかな。そしたら、トミさんとお揃いの三つ編みができます」
「貴女が三つ編みにした時点で、私は三つ編みをやめるわ」
「なぁーんでそういうこと言うんですかぁー? 構ってほしいんですか? つんつんしちゃいますよ? お指つんつんしちゃいますよ!?」
「だぁ! 鬱陶しい!!」
「愛です!」
「いらん!」
「まさかこんなにトミとサチコが仲良くなれるとは思ってなかったわ」
「ぷぷぷ! いつかご挨拶できればいいなくらいには、思ってましたけどね!」
三人でスイカをかじると、庭を走り回ってたタマが池に落ちた。
「きゃん!」
「やだ、タマ!」
高橋先輩が人を呼びながら、池に歩いていった。
あたしとトミさんが並んでスイカを食べる。
「そういえば、姉さんから聞いたんだけど」
「はひ?」
「あそこ、……埋めるのね」
「……あー、はい」
手の中にある、スイカを見つめる。
「大聖堂の奥にある井戸。あそこに清掃に来ていたクラスメイトが落ち、それを『駆け落ちする前』に見つけた川合先輩も落ちてしまい、挙句の果てには、高橋先輩も落ちてしまった。一ヶ月、三人は何も覚えてないけれど、なぜか助かった。転校したてのトミさんに、校舎を案内していた副生徒会長であるこのあたしが、偶然三人を見つけ出し……病院に連れて行った。お陰で、川合先輩とそのご友人は二学期まで入院。よって、あの井戸は危険だから埋めてしまいましょう、という提案書を、学院長に出しました」
「許可したのね」
「いいえ。最初は許可されませんでした」
「え?」
「あたしと高橋先輩で行ったんですけど……立ち入り禁止の部屋には入ってはいけない。そこを徹底すれば、埋めなくてもいい。そう言われたので、高橋先輩が言ったんです」
「学院長先生、あの井戸は危険です。あの『井戸』がある限り、何人もの生徒が、命を落とすかわかりません。それに……」
高橋先輩が笑みを浮かべて、言った。
「もうあそこには、誰もいませんよ?」
学院長先生は――高橋先輩を一瞬見て――カチューシャをしたあたしを見て――目を閉じて、頷いたんです。
「決算次第で考えましょう」
「はい。決算を出しておきます。それでは、失礼致します」
「あ……」
高橋先輩が先に廊下に出て、あたしも行こうとして――でも、これだけは言わないとと思って、言いました。
「文子先生」
学院長先生は、目を閉じたままでした。
「あたし、一つだけわからないんです。あの井戸のことを、後輩や、生徒に教えた理由はなんですか?」
「……」
「あそこは……ただの価値観の押し付けの、とんでもない井戸です。あんな井戸……あたしは、嫌いです」
「……寂しがってると思って」
「は?」
「一人だと、寂しいだろうから」
学院長先生は眼鏡を外し、俯いてました。
「同じ気持ちの友達がいたら、きっと、……きっと、寂しくないと思った。でも……良い事ではないことも、わかってた」
「……」
「彼女に会ったの?」
「……」
「怒ってた?」
「……怒りたいのは、こっちです。寂しがってました。ずっと寂しがってました。一人で、貴女を、ずっと待って、だけど、いつまでも貴女が行かないから、貴女があの時怖気づいたから、怖気づく前に止めればよかったのに、時間が過ぎてからだって、会いにもいかない。お参りにも行かない。一人でずっと、井戸の底で、落ちてくる魂と重なり合って、おかしくなって、言いたいことは沢山あります。だけど……!」
清子さんに、
「貴女を……責めないであげてと、言われたので……これで全部、終わりにします」
「……」
「大聖堂の井戸を埋めたら、恵みの井戸の道はなくなる。だから、もう……忘れます。あんなところなかった。あんな……人間を否定するだけの場所なんか……存在しなかった……」
あそこで、かっこよく言えたらよかったんですけど、もう、あたし、なぜだか涙が出てきてしまって。悔しくて。悲しくて。学院長室から出たら、高橋先輩が待ってて、あたしにハンカチを貸してくれました。
「お陰で、立ち入り禁止の場所に入ったこと知られたじゃない。いけない子ね」
「……だって……」
「行きましょう。サチコ」
高橋先輩があたしの背中を押した。
「泣きたい気分なのは、貴女だけじゃないわ」
高橋先輩はそう言って、あたしを学院長室から離しました。廊下にはその後、――誰かが泣き叫んでいる声が、聴こえていたそうです。
「トミさんなら、どうします? 好きな人が偶然女の子で、でも女の子を好きになったら罪人だと言われて、別れるか、死ぬしか選択肢はなくて、好きだけど死にたくなくて、でも相手は死を望んでて、心中できる場所にとうとう辿り着いてしまって。いち、にの、さんって、数えられて、次の瞬間には井戸に落ちそうになっていた。トミさんなら、どうします?」
「やめると言うまでひっぱたいて、やめさせる」
「でしょうねー」
「人生一度きりよ。なぜ終わりへ急がないといけないの? 好きになっちゃいけない人を好きになったのなら、誰にも言わないで、親友のふりをしていればいいのよ。恋人関係なの? って聞かれたら、友達なんだけどね~って誤魔化して終わり」
「あっさりしてますねぇ」
「言いたい奴はね、何をしてたって言ってくるのよ。ウジ虫と一緒なの」
トミさんがあたしを見た。
「サチコさんはどうなの?」
「……うーん。……落ちてしまうかもしれません」
「確かに……貴女は飲まれやすいかも」
「『その選択肢しかない』っていう考え方になりそうなんですよね。実は他に、三つも四つも選択肢はあるはずなのに、冷静になればわかるんですけど、恋は盲目。思春期の視野は狭い。もう、目の先のことしか見えないってなれば……自分が強い信者で、自分のせいで相手にも罪を背負わせてしまったと思ったら……流されてしまうかもしれませんね。清子さんのことを考えたら、遺憾でしたけど……今なら少し……学院長先生の気持ちも……理解できるかもしれません……」
「待ってる方も辛いだろうけど、……残された方がよっぽど辛いかもね」
「……落ちるところを見てるわけですからね。それも……好きな人が」
風鈴が鳴った。
「あたしは、そんな辛い恋、したくないなぁ」
「簡単よ。同性を好きにならなきゃいいだけ」
「わかりませんよ? 将来、トミさんとあたし、らぶっらぶのカップルになっちゃうかもしれませんよ? 10年後とか、一緒に住んでるかもしれませんよ?」
「サチコさん、スイカの種、飛ばされたい?」
「あ! トミさん! あたし、スイカの種飛ばしには自信あるんですよ! 勝負してみます!?」
「いい。しない。……準備しない!」
「あ、いて!」
「タマ、もう、ずぶ濡れじゃない!」
「わん!」
池から救出されたタマが、ぶるぶると体を震わせた。
その晩、あたしはタマと一緒に、高橋家の儀式の間に案内された。とても広い広間となっており、毎年、各地の巫女が集まり、ここで色んな儀式をするらしい。
太鼓が叩かれた。鈴が鳴る。赤い袴を穿いた高橋先輩が舞った。太鼓が叩かれた。鈴が鳴る。巫女見習いのトミさんが舞った。土地を癒すために、二人の巫女が舞を踊る。
高橋先輩は美しかった。そして、トミさんは、もっと美しかった。
(タマ、あたしもっとトミさんと仲良くなりたい)
タマがあたしの膝の上で、良い子で舞を見る。
(二学期は、もっと平和に過ごせますように)
太鼓が鳴る。鈴が鳴る。巫女が踊る。あたしは――とても感動する。
名門・聖エトワール女子学院。
戦後、男尊女卑が目立つ時代。この学院で卒業出来た女性は、ある程度の地位を約束される。良いところに就職出来て、その収入は未来永劫安定。
箱入り娘のお嬢様達が集められた秘密の花園。
転入、転校、入学。生徒会一同、および生徒全員、いつでも、お待ちしております。
END
名門・聖エトワール女子学院 石狩なべ @yukidarumatukurou
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