自分の日記を誰かに読まれたら嫌だ。だからだと思うのだけれど、私は誰かの日記を読むとなると、ドキドキする。いけないことをしている気になるから。
そんなわけで、ちょっとした「逃げたい気持ち」が、読み始めてすぐにはあった。けれど、この作品の中に書いてある“とある顔”を思い浮かべた瞬間から、そんな気持ちは飛んでいって、いつも物語を読むときのように、ぱらりぱらりとめくり読むように、気づけば読み切っていた。
正直言って、物足りない。もっと読みたい。
終わり方が悪いわけではない。綺麗に終わっている。でも、気になる。この人生の、これより先が、すごく気になる。知ってどうなる?って思う。だけど、なんだか気になって仕方ない。
それはきっと、ちょっと狂気を感じる行動と、優しさ溢れる心が、この作品の中でぶつかり合っているからだと思う。
この先、どっちに転ぶんだろうって、ちょっと狂気を求めて、だけど狂気を捨てて優しさばかりをを抱きしめてほしいと願ってしまうからだと思う。
読後、ひたすらぽわんぽわんと心が揺れている。
この、余韻が凄まじい文学が、これから先、より多くの人の心に届きますように。
この作品を、感情のままに述べてしまうと、そうですね……、
「敵わん! まったく敵わん!」
です。
これは故大滝秀治さんが岸部一徳さんにむかって「つまらん!!お前の話はつまら
ん!!!!」と吐き捨てた時の言い方です。
レビューで阿呆なことを言うな?
残念ながら、当レビュアーは、この作品を適切に形容する語彙がないのです……。
ただ、瞬間的に、
「敵わん! まったく敵わん!」
が、本人の脳内でそう再生されましたから、ええ、それは確かです。
当作品の内容ですか?
めっちゃすごいです。
ああ、やっぱり語彙やばいですね……。
すいません。
っていうか、他のレビュアーの方のやつが、それこそ作品レベルと同等に詩的で見入ってしまいました!!
そっちを読んでください!!!(笑
この物語を読んで、まず本当の美しさとは歪なものであるという言葉に衝撃を受けました。複雑な心情が滲み出る人生哲学を織り交ぜながら、物語が日記仕様で進行する中で、その意味が明らかとなります。
タイトルの伏線回収が、際どい危うさを抱えていながら、強烈な引力を持つ存在として、心を奪われるような衝動感を覚えます。一見、狂気とも言える表現が、この物語を読み返すうちに、その資質に内在する本当の美しさとしてあふれ、愛しさとして滲み、涙としてつたう。この感情の至りは独特で、今までに感じたことのない感性として心を打つのです。他の作者様では決して書くことのできない言の葉のもつ深淵なる味わいを、是非ご堪能ください。
虹乃氏の作品を何作か読んでいる。
いつも驚かされるのが、おそらくは作者譲りであろう、人物たちの感性の鋭さである。
多感、という言葉では足りない。
虹乃氏の作り出す人物たちは、単に多くのことを感じるだけではなく、
深く鋭く、物事を、他人を見つめ、自身の心さえも抉りながら、生きることに迫ろうとしている様に感じる。
本作もまた、然り。
非常に短く簡潔な表現でまとめられているのに、
この人物の思いや行動によって、
この場所の空気は澄み切っていて、全ての粒子一つ一つが美しいに違いない、と思えてしまう。
(粒子にはもちろん、例の物も含む)
はっとするような危うさと、そういった人だけが持つ強さに打たれ、
読み終えた後しばし、どういったレビューを書いたらよいものかと言葉を失った。
こちら、中編くらいになりますよね???
そのくらいのボリュームで読みたい内容でした。。。