ep.9 アキラ3

「おなじ現象が何度も繰り返されると、嫌でも人はその意味がわかるもので、僕にとっての気絶もそうでした。……僕の気絶の意味は、とどのつまり罰なんです。僕が生きている罰、僕が死んでいない罰。……


 僕は陽国の道北地方で育ちました。生まれはゼンビアですが、育ちは陽国なんです。育った町は巨大な炭鉱があり、住民のほとんどがゼンビア人の強制労働者でした。僕ら家族も大体おなじ境遇だったのだと思います。僕らのいたゼンビアのカラージャという町は開戦早々に占領されて、そこにいる家族の一部を無理やり陽国に連れ出したのでしょう。


 僕は陽国に来て三年目、つまり四歳のころには孤児院に預けられていたと聞きます。なぜ両親がいないのか、それは知りません。亡くなったのか、深刻な病気に犯されて隔離病棟に入れられたか、もしくは息子を置いて逃げ出したのか、多分そのどれかでしょう。別に珍しい話でもないんです。町の人たちは不定期によくいなくなって、その度に噂がたつごとに、ああ、僕の両親もこんな感じでいなくなったんだな、と他人事のように考えていました。


 孤児院の生活は何不自由のないものでした。隣接した教会の、隣人愛の精神で養っているような貧しい生活でしたが、子どものころから慣れているので、皆おなじようなものだと思っていたのです。パンを食べられない苦しみは、パンを食べれる生活を知っているから苦しいんです。どんな子どもも日々の空腹があるものだと思えば、空腹そのものはあっても、それからくる惨めさは感じませんでした。


 それに、あのときの生活は食うものに悩みはしたけども、そのかわり人と、自然と、音楽に恵まれました。僕らには親がいない者同士の連帯があって、大きな家族のようでもあり、たとえば昼になると孤児院の近くにある小川へ出向いてよく昼食を食べました。そのとき、決まって小さい子が楽しさのあまり讃美歌を歌うんです。まだその子は歯も生えそろっていない年齢でしたから、歌というより小鳥の鳴き声のような、くすぐったい可愛らしい音色です。凛々しい山肌と穏やかな上流を撫でるようにどこまでもその声は響き渡りました。


 彼の可愛らしい曲が終わると、今度は牧師さまが立ち上がって、


『ほら、皆も歌おう』


 と僕らに言いました。そうなると歌は大合唱になります。歌の上手い子も下手な子も一緒くたに歌って、ちょっと荒っぽい、でも素直な歌がありました。通りすがった町の人もいつの間にか集まって、手拍子ではやし立てます。監視官の陽国人の方が『うるさい!』と怒鳴りたてるときもありましたが、僕らは一向に構いませんでした。だってあまりにも心が満たされて、幸せだったんです。清らかな高い空があり、包み込むような陽光があり、無垢な幸福がその下で育まれていました。それを誰かが止めさせるなんて、そんなのどだい無理なんです。


 ああ、あのころにもどったら、またあの歌を歌いたい。あれはたしかに戦時中でしたけど、でもまだ誰の心も荒んでいなかった。いやもしも誰かの心が荒んでいたら、それを皆で癒せるほどの力と温かさがあったのです。


 ……統京宣言があると、町はぽっかり穴があいたように人が疎らになりました。町の人たちの多くはゼンビアに引き揚げて、孤児院の子どもたちも引き取り手が見つかってきたのです。そしてその穴をふさぐように陽国人が流れこんできました。


 正直、陽国人は、僕の思っていた以上におそろしい人たちでした。いや、というより僕らが戦争というものを知らなかったんです。僕らは学校に行かなかったし、牧師さまも戦争のことについては一言も話しませんでした。それはきっと戦争というものを幼い心に植え付けさせたくない一心だったのでしょうけど、いま考えれば間違いです。もし僕らがすこしでも戦争を、人が人を殺し合うまで至る憎しみを知っていれば、あんなことにはならなかったはずなんです。

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亡国の誕生 九重智 @kukuku3104

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