ep.2 ゼンビアと陽国
アキラがゼンビア人であり、敗戦国の出身であることを、武雄は一度たりとも口にしたことがなかった。それはアキラにたいする礼儀であり、立場を超えた親愛の、唯一厳格な不文律だった。
武雄は日増しに、アキラがゼンビア人であることの風当たりを知った。武雄は十四歳、つまり昨年の春に、現代史の教科書からこんな記載を読んだ。
第三章 世界大戦
第一節 陽禅の友好と三海事件
東エイジアにあるゼンビア国と陽国は元々、稀有に友好的な隣国として知られた。どちらもエイジア屈指の先進国であり島国であった両国は、共平暦三年には両国間にある五島(長ヶ島、次島、三海島、山四島、五木島)の領土問題を政治的解決する「長次・三四五交換条約」を締結、また五年にはそれぞれのトップであるゼンビア国王アイラと陽国総理大臣一岡正宗の三日間の直接会談の末、帝国主義からエイジアを死守、解放することを至上目的とした「エイジア主義」を共有する旨の共同宣言「エイジアの星宣言」を行った。そして六年には相互の貿易無関税を図る「陽禅貿易条約」、七年には軍事同盟の発足である「陽禅安全保障条約」を締結し、ゼンビア国と陽国は蜜月な発展を遂げようとしていた(図1)。
(図1は、ゼンビア国、陽国の地図とその左上に条約や宣言が年表として記されていた。地図は大きなたまご型に近いゼンビア国の本島が北東、つまり右上に置かれ、陽国の四州からなる列島が南に置かれていた。ゼンビア国と陽国のあいだには陽海が広がり、北海地方のひし形の北西から南地方の真上まで五つの中規模の島が間隔をもって置かれている。左から五木島、山四島、三海島、次島、長ヶ島である)
共平暦三年から七年に渡る接近後、両国は著しい発展を遂げた。それは貿易無関税による実質的な経済圏の倍増、エーロッパ戦争による特需景気、研究開示を含む高度な軍事同盟による軍事の発達、密接な政治的協力、国民間の盛んな交流などの要因があげられる。またとくに政治的協力に関しては、十年の東関大震災のときのゼンビア国による無償の復興援助、十二年のときのアグーラ飢饉の際の陽国による米提供など、不景気を相手国が補助することで素早い景気回復に寄与した。
このような両国の健全かつ友好的な発展により、「長次・三四五交換条約」から陽禅戦争のきっかけになる三海事件まで、つまり共平暦三年から三十三年までのあいだは「エイジアの時代」として国際社会に知られた。
しかし三十三年七月二十九日の午前四時三十二分、三海事件が勃発。三海島の南部の牧岸村から当時最大規模の爆発が起こったのだった。三海島は陽国が交換条約で得た南西三島のうち、もっともゼンビアに近い島で、ほとんど陽禅共同のリゾート地であり、互いの軍事研究機関もあった。爆発により三海島はほぼ壊滅状態に陥り、死者は二十万人にも及んだ。
陽禅両国は即座にその当日に外交会議を開いた。またその際同時並行的に専門者会合も開かれ、同報告によれば「事故である可能性も意図的な爆発である可能性も五分五分」と指摘した。結局、両国の摩擦を懸念したゼンビア国と陽国は当事件を「慎重に調査を期す」ものとして棚上げし、「事件の首謀を洗い出すよりも三海島の復興に尽力する意思」を表明した。
第二節 ワグネル調査団
当初、陽禅両国は三海事件について国際連に介入する意思はなかった。しかしソグルド人民連邦、ブリティッシュ王国、ディーツなどが理事会の臨時会合招集を要請し受け入れられた。理由としては三海事件に用いられた爆弾が「かつて人類史に類を見ないほど凶悪かつ非人道的なものの可能性」の懸念であり、また三海事件のものには陽禅国以外にも多数の外国人がいたことも、国際問題化する要因になった。
そうして共平暦三十三年八月二日、理事会の臨時会合が開かれた。会合にはゼンビア国と陽国も参加した(陽国は当時の非常任理事国として、ゼンビア国は当事国としてのオブザーバー参加だった)。
理事会は同年八月四日に「ワグネル調査団」を三海に派遣する決議を採択した。「ワグネル調査団」は有志国から抜粋された調査員から構成された。主に、ソグルド人民連邦、ブリティッシュ王国、ディーツ、イベリア、マドリ―国であり、ゼンビア国と陽国はその政治的中立性から調査員から外され、「ワグネル調査団」への全面協力のみを要請された。
「ワグネル調査団」は一週間の調査ののち、以下の旨の報告書を提示した。
一、三海事件で使用された爆弾は威力の甚大さ、被害の深刻さから未知の『大量破壊兵器』である可能性があり、
二、ゼンビアが開発中だった投下型爆弾『D2-R型』通称『シヴァ』に類似しその発展型と思われ、
三、またこの『大量破壊兵器』を個人や非国家的組織が運搬、使用できるとは考えられず、
四、同日同刻にゼンビアの国旗をつけた戦闘機を目撃した報告が多数あることから、
五、当事件はゼンビア国主導による武力攻撃可能性が極めて高い
またさらに「ワグネル調査団」の報告とともに、当時国際連非加盟であったアメリア衆国から一枚の写真が提出された。それはゼンビア本島南部の軍港、アルフレッド湾に計数十隻の戦艦、駆逐艦、空母が配備されている写真であり、アメリア衆国は「通常の配備より三倍から四倍の軍事力を集中させている」と追記した。
第三節 陽禅戦争と世界大戦
「ワグネル調査団」の報告が公表された八月十二日の理事会、ゼンビア国は国際連の脱退を告げた。またほとんど同刻に陽国への宣戦布告、山四島への攻撃が開始した。山四島は三海島と異なり、より軍事施設としての意味合いが濃い島であった。
攻撃を受け、当時陽国の西寺内閣は自衛権を行使を宣言し、また国家優先法を施行した。これにより西寺内閣は対立する政党も含めた大連立内閣に移行し、また徴兵制、配給制も導入された。陽禅戦争の本格的なはじまりだった。
陽禅戦争は当初ゼンビア国の優勢だった。ゼンビア国は二方面作戦を行い、山四島から五木島を攻め、またそこから南州地方北部に侵攻するルートとゼンビア国本島から長ヶ島を経由して北海地方へ侵攻するルートのふたつがあった。ゼンビア国は二週間のうちに五木島と、白来を除く北海地方北部を占領した(図2)。
(図2は、陽禅戦争の海戦を矢印とともに示していた。二か国のあいだをおびただしい数の矢印が行き来し、さながらふたつの心臓の動脈と静脈のようだった)
陽禅戦争はゼンビア国の圧勝に終わるかと思われた。そもそも陽国は陽禅の軍事同盟から陽海側の軍備は比較的手薄で、北海地方はともかく、五島のほとんどを占領されるなど想定外に近かった。そして五島を取られるということはそのどこからも直接本島に軍を向けられる恐れがあった。
しかし本格的開戦から十五日後、つまり八月二十九日にアメリア衆国とブリティッシュ王国、九月一日にソグルド人民連邦がゼンビア国に宣戦布告し、またソグルド人民連邦の参戦に乗じたディーツが陽国及びソグルド人民連邦に宣戦布告することで、戦況は大きく変化した。もはや陽禅戦争は世界大戦に突入していた。
(中略)
第六節 世界大戦の終結と戦争処理
三十八年の十月九日、セグルド国が統京(とうきょう)宣言を受け入れ、陽禅戦争及び世界大戦は終結を見せた。当大戦は五年間、民間人・軍人合わせて一億人もの犠牲者を出し、歴史上最大の戦争として記録される。
大戦終盤、各国は大戦時の国際連の理事会における機能不全を憂慮して、ワントン会議を行った。これにより国際連の規約は大幅に改正され、その結果陽国は常任理事国に任命された。またゼンビア国は三分割され、北から南東までをアメリア衆国、北から南西までをソグルド人民連邦、南西から南東までを陽国が委任統治するよう取り決まられた。……
こんな無味乾燥な記述でも、武雄はゼンビア人への嫌悪を知れた。知れたが、追い打ちをかけるように日常の日々にふつふつとしたものに出くわした。たとえば道徳を教える若い男の教師は、戦中に書かれた詩を読んでこう言った。
「実は先生の母親もこのとき亡くなってね、お母さんは三海島にいて、遺骨も残らなかった。別に戦争に勝っても母親が返ってくるわけでもないが、戦争に勝利したニュースを聞いて、ああ、正義はあるんだなあと思ったよ。こんな残酷な仕打ちをしたら、そりゃあ神さまかお天道さまか知らないけど、黙っちゃいないんだってね。いいかい、僕らは裏切られたんだ。一番卑劣なやり方で、血も涙もない奴らだよ」
教師の涙に誘われてか、感性のある女子の幾人かはすすり泣いていた。また将校の子である高原という少年は、血管が浮くほどの握り拳をつくり、歯を潰すように噛んでいた。
授業以外でも、あるときは友人が貸した漫画で、ゼンビア人の栗色の髪をあたかも世の中でもっとも可笑しな特徴のように描写しているのを武雄は見た。そして別のときは、ニュースで在留ゼルビア人への暴行騒ぎも聞いた。友人たちの「知的」なジョークのなかのひとつの鉄板ネタはゼンビア人に関するものだった。
こういう哀しみや憎しみや卑下に、武雄は複雑な感傷を抱えた。なるほど大量破壊兵器を落とされた三海にいた家族の話や、戦争の悲惨さは目を逸らすほどであるし、武雄自身、資料館や本からあまりにも残酷な写真を数十枚見た。それでも直線的な、はっきりと口にできるほどような感情は武雄には湧かない。彼にあったのは、いくつもの水彩絵の具をごちゃまぜにしたような、ただ暗い以外に形容のしようのない汚濁の色だった。
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