幕間 おばちゃまの異世界めも
おばちゃま、異世界でギルドの受付老嬢になる
ちよは、転移した異世界の酒場で起きていた喧嘩をひとつ丸く収めた。
大いに喜ばれ、ちよは店主からシチューを奢ってもらうことになった。
「すごかったよ。おばあちゃん、名推理だったねぇ」
いえいえ、とちよは謙遜する。昔取った杵柄だと思っていた。ちよは、名探偵として昭和に名を残しているのだ。
「なあ、ばーさん。あんた、名前はなんて言うんだ?」
ちよが熱々のシチューをせっせと息を吹きかけながら食べていると、テーブルの向かい側に座っている大きな男が声をかけてきた。〈つるぎ山のゴロウ〉として知られている巨人の男性だった。
「ちよと申します」
と、にっこり。
「ティーヨか。なあ、ティーヨばあちゃんさぁ」
「いえ、ちよですよ、五郎さん」
「そうかそうか。悪かったな。いやあ、ほんとにティーヨばあちゃんには感謝してるぜ。俺はもうすこしでトモダチを失いかけた」
「だから、わたしはちよですってば五郎さん」
「俺はゴロウで、ばあちゃんはティーヨだろ」
間抜けな会話がそのあと何度かつづいた末に、ちよは諦めた。
「もう、それでもいいです」
それ以降、異世界でちよはティーヨと呼ばれることになった。これを読んでいるあなたが、もし異世界に行って困った時に名探偵を捜したいならば、このことを覚えておいてほしい。
「で、ティーヨは、どこに泊まってるんだ。改めて礼をしにいくからよ」
「まだ宿を探してるところなんですよ」
「おばあちゃんね、旅人さんなんですって」
後ろから温かいミルクティーのお代わりを差し出しながら赤毛の給仕娘が言った。
「宿が決まってねえのか」
「そうですねぇ。お金もないし。だからお仕事も必要ですねぇ」
心身ともに健康とはいえ、はたして異世界で八〇歳の自分にできる仕事があるかしら?
「おいおい。寝床がねえなんて大変じゃないか。今夜はこの後もっと冷えるぜ」
「冬至って言ってましたものねぇ。晴れていれば大地からは
ホーシャレー・キックってなんだ? 格闘技の一種か? とゴロウは内心で首を傾げたがお年寄りの言葉は黙って聞けと両親から
「確かに明け方にはもっと冷え込むかも……くちゅ!」
「言わんこっちゃねぇ!」
「いえ、ちがうんですよ。いま鼻先に冷たいものが——あら、雪だわ」
酒場の窓はガラスではなく木の板で、ぜんぶ閉まっていた。暖炉を点けているから空気の入れ替えは必要で、煙突と、上の方に空気を採り入れるための四角い切り窓がある。そこからちらちらと白い欠片が舞い込んでくる。暖かい空気に触れると消えてしまうから雪だった。たまたま消え残った一片がちよの鼻の上にくっついたのだろう。
「雪だって? じゃあ——」
ゴロウが言いかけた時に酒場のドアがバタンと開いた。がらんがらんとドアベルが激しく鳴った。
大声をあげながら男が店の中に駆け込んでくる。
「〈
わっと歓声があがる。
元の世界では存在しなかった妖精の女王の名前を聞いて、ちよは驚き顔のまま赤毛の給仕娘を見上げた。
「あらまあ。ほんとうに?」
「おばあちゃんも見ます? ほら」
赤毛の娘がちよの手を取って椅子から立ち上がらせてくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして。ほら、こちらですよ」
混みあった酒場の中。娘は「通らせてくれる?」とにこりと笑みを浮かべて声を掛ける。でれっとした顔になった男どもは波が引くようにちよたちの前を開けてくれた。
「まあったく野郎どもってば! でれでれとみっともない!」
そう文句を言った胸がドンっと前に大きく突き出した巨人族の女も、給仕娘には優しかった。丸テーブルに乗った大きな酒樽をひょいと左の肩に担ぎ上げ、空いた右の手で次にテーブルを掴んで持ち上げて道を作ってくれたのだ。
「ほらほら。早く見ないと〈冬姫様〉が行っちまうよ!」
ちよたちの目の前で窓が大きく開かれた。
昼は明かり採りの為に開けてあるけれど、夜は閉まっている。縦横一メートルを越すような透明で大きな一枚ガラスをこの世界ではまだ作ることができなかった。
だから冬の夜は基本的に閉めてあるのだ。
それが大きく開かれた。
酒場のみんなが窓際へと寄ってくる。
ちよは赤毛の娘のおかげで特等席で見ることができた。
窓の向こうに黒々と広がる森の中で狼たちの遠吠えが始まった。
「お迎えだ。〈雪狼〉のお迎えが始まったぞ!」
満月が空に掛かっていた。
翼を広げた獣の影が月の前を過ぎる。羽の生えた蜥蜴のような姿が一瞬だけ月を覆って影を落とした。ちよは思わず息を呑む。竜だ! 幻想物語の中でしか見たことのない生き物が飛んでいる。
「竜だわ……」
「あれは〈
青白い氷のような肌をもつ竜がもう一匹現れる。二匹の竜は互いが互いの飛行経路をまたぐようにして螺旋を描くように飛びまわっていた。夜の空の上で踊っているかのよう。
いつの間にか空の半分は雲で覆われていた。
「ほら、あそこだ! 〈冬姫様〉だ!」
声の主が指さしたのは雲と空の
「飛んでいるわ……なんて、大きな女のひと」
〈
見上げるその女性に比べれば、竜たちが赤ん坊のように見える。
まっしろの──雪のような色の一枚布の服を
頭から被っている薄いヴェールがふわりと背中のほうへと
夜の空を飛ぶ妖精の女王がひらりと腕を閃かせた。
「〈冬姫様〉の贈り物だ!」
女王の後ろに従うように星空を覆いつつあった雲が彼女の手招きに応えるように広がる。空の半分を覆っていた星たちの煌めきとは別の、ちらちらともっと小さな白い粉のようなものが宙に広がる。
雪だった。
「〈冬姫様〉の贈り物って……雪のこと?」
「はい」
給仕娘がちよの横で頷いた。
見上げる空はどんどん雲で覆われていく、星の光は消えて満月も雲の向こうに隠れてしまった。青白く光る〈冬姫様〉の姿だけが朧げに見えている。
雪の量が増えてきた。粉雪があとからあとから舞い降りてくる。
妖精の女王の姿が空を過ぎって彼方へと見えなくなってしまっても、みんなはしばらく黙ったまま空を見上げていた。
窓の向こうに見えている森は端から端まで綿帽子を被ってしまった。
誰かが盛大にくしゃみをした。窓が慌てて閉められる。
「おおい! 店主! 酒だ。もっと酒をくれ!」
「はいよ。ちょっと待っておくれ」
給仕娘がショールをもってきてちよに掛けてくれる。
「おばあちゃん、寒くない? だいじょうぶ?」
「ありがとうね」
ちよはお礼を言った。
「あの雪が『贈り物』ってことは、春になったときの雪解け水としてすごく利用されているってことかしら?」
受け取ったブランデーらしき香りが立ち昇る香茶をすする。温かいだけじゃなくて体の内側から温まる気がする。赤くはないから紅茶ではないのだろう。煎茶のようでもないし、ハーブティに近い。なので、ちよはとりあえずこの飲み物を香茶と呼ぶことにした。
「うんおいしいわ。だから、香茶もこんなにおいしく淹れられるのね」
「ティーヨばあちゃん、わあってるじゃないか」
テーブルに戻ったちよに対してゴロウが言った。
「わかるわ。雪の恵みですものね」
雪というのは雪国に住むひとからみれば決して嬉しいような代物ではないのだけれど、なければないで困るものでもある。冬に降った雪は春になると雪解け水となって大地に潤いを与えてくれるのだ。
「〈冬姫様〉の降らせる雪からできた水はすげえうまいんだ。それに、それがあるから、ここじゃあ農作物も良く育つし、森も生きながらえることができるんだぜ」
ゴロウが言って、ちよも頷いた。
ただ、ここまで有難がられるってことは、ふつうの雪ではないのかもしれない。
その推測はすぐに正しいと判明する。
「おうい。追加の酒ができたぞー!」
厨房に繋がる扉が開いて、自分の身の丈と変わらない酒樽を担いだダムダムが現れた。
店のまんなかにどかっと置いた。
「店主の奢りだそうだ」
わっと酒場中が湧いた。
ダムダムがゴロウとちよの座るテーブルまでやってくる。
「酒癖はわるいが、こいつぁ魔法の腕は確かだったぜ」
こいつと言いながらダムダムは自分の頭の上を指さした。
髭小人の髪の毛を寝床にして羽の生えた小さな人が寝ていた。
問い詰められてあっさり白状したけれど、反省の色が見られなかったので紐で縛られて
〈妖精郷〉出身のエルフが居て、〈冬姫様〉に言うぞ、と脅されてようやくぺこぺこ謝りだした。そしてダムダムの提案で店の酒が美味しくなる魔法をかけてもらうよう頼んだというわけだった。
「ぼく、もう疲れたよ~。ねぇ、帰っていいでしょ~」
「ふん。『まず味見をしないとねー』などと言って、店中の酒樽を味見したのはおぬしだろうが」
「いいお酒そろえてるよね~」
ダムダムが頷いた。
「いい水を使っているからな」
「その話をしていたんだ」
ゴロウが言った。
「〈冬姫様〉の降らせる雪から作られた水は極上の酒をもたらすってな」
「つまり、ぼくたちのおかげで君たちは美味しいお酒が飲めるってことだよね~」
「調子に乗るでないわ。この呑んだくれ妖精め!」
妖精との掛け合いを聞いていたちよが口を挟む。
「ねぇ。おいしい水は〈冬姫様〉のおかげ。おいしいお酒は妖精のおかげ……なのだとしたら、他の食べ物もそうなの?」
ちよの言葉にテーブルに座っていた巨人と髭小人だけではなく、給仕娘も頷いた。
「それが妖精たちの役割ですから」
「この世界……この国ではそうなのね」
「おばあちゃんの国ではちがったんですか?」
「そうねぇ。……そもそも妖精さんが居なかったし」
妖精がびっくりしてのけぞったから、ダムダムの頭から落っこちた。隣のテーブルにいた耳の尖ったエルフがそっと受け止める。羽をはばたかせることも忘れているのだから、相当に酔っぱらっているのだろう。
「妖精が居ない国なんて、そんなおっそろしいとこあるの!? 怖いな! ババアの国にだけは、ぼく行きたくないや!」
ダムダムがエルフから受け取った妖精の頭を指で軽く弾いた。
「んな失礼なことを言うものではないわ」
「おい、妖精。この人にはな、ティーヨという名があるんだ。ちゃんと名前を言え!」
ティーヨではなくてちよですけどね。ちよは思ったが、名前についてはもう諦めていた。
苦笑いしつつ、言い合いを始めたダムダムと妖精から視線を剥がしてゴロウのほうへと向き直る。
「ねぇ、五郎さん。先ほどの話だけれど、どこかわたしの泊まれそうな家って覚えがないかしら? お金はないけれど、ご飯を作るくらいならできるわ」
ゴロウが難しそうな顔をして腕を組んだ。
「うーん。どうかなぁ。俺の家に泊めてやりたいところだが、俺の家はこの店より寒いぜ。なにぜ裏の山ん中だからな」
「おばあちゃん、じゃあ、あたしの職場で働きませんか? それなら、ここに泊まれますよ」
赤毛の給仕娘が言った。
え? とちよは顔を向ける。トレイを胸に抱えたまま娘は笑顔でちよの返事を待っている。
ちよは改めてまじまじと娘を見た。丈の短い赤いスカートもチェックの上着も白いフリルのついたエプロン姿もとてもよく似合っているけれど……。ちよは思った。かわいらしい制服だけれど、わたしに似合うかしら?
「ええと……それはこの酒場で働かないかってこと? でも──」
「え? あ、ちがいますよ。これはお手伝い。わたし、この上で働いているんです」
上、と言われて、ちよは天井を見上げる。
そういえば、店の奥には階段が見えるし、暖炉の煙突は真上ではなくて壁から突き出している。空気を採るための小さな窓も天井の壁のほうについていた。よく観察すれば判ったはずなのだ。この店には二階があると。
「まあ。じゃあ、ここは酒場だけじゃないのね」
「はい。それどころか、酒場でもないんですよ。夜だけお酒が呑めるけれど、もともとは食事処兼宿屋です。二階が受付になっています」
「受付?」
何かの施設なのだろうか。
「冒険者の為の
「冒険者?」
ってなんだろう? 冒険家のことだろうか。
「まあ、何でも屋さんですね。昔は古い遺跡の探険とかしていたらしいんですけど、今は困ったことを何でも解決するのがお仕事の人たち、かな?」
「
「そうですそうです。『蒼穹の羅針盤亭』は冒険者ギルドの店なんですよ。あたしはギルドでは受付嬢をしているんです」
受付嬢は住み込みで働くことができるらしく、仕事をしていれば只で併設されている宿屋を利用できるらしい。
ただ、ちよには心配ごとがあった。
「受付のお仕事って大変じゃない? わたし、健康には自信あるけれど、あまり長い立ち仕事はできないかもだわ」
「なら問題ないですよ。受付嬢の仕事は座ってできるお仕事ですから」
それが決め手になった。
「じゃあ、お願いするわね」
「わあ! 嬉しいです。あ、あたしの名前はメルっていいます」
「ちよですよ」
「はい。聞いてました! よろしくお願いしますね、ティーヨさん!」
もう反論はしないとちよは決めていた。
こうしてちよはティーヨとして冒険者の店の受付嬢をすることになった。
『蒼穹の羅針盤亭』には齢八十歳の受付老嬢が居て、冒険者の揉めごとを窓口に座ったままで解決してくれる。
すぐにそういう噂が広がることになった。
安楽椅子探偵ティーヨと呼ばれるのはその少し後のこと。
─────
本編に入れられなかったあれこれを詰め込んだエピローグです。
楽しんでいただければ幸いです。★や♥も励みになります。
安楽椅子異世界探偵ちよおばちゃまの活躍をお楽しみくださいませ。
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