第3話

窓辺のシェヘラザード

 は八十歳の老婦人で過去に政府の諮問探偵を勤めていた。

 日本政府の抱えていた迷宮入りの事件をいくつも解き明かしたことがあった。

 いろいろあって異世界に辿りつき、冒険者に依頼を斡旋する店『蒼穹の羅針盤亭』に住み着いている。


   ◆◇◆


 両手で抱えたマグカップを揺らさないように部屋の扉をこじあける。

「アレッサ、明かりを点けて」

 自室に体を滑り込ませたは、顔を上に向けてすこしだけ声を張りあげた。

〈まじない〉の言葉が天井にまで届き、洋灯ランプにぽうとかすかな明かりが点る。六畳ほどのの部屋が落ち着いた光で満たされた。硝子ガラスの器の中に据えられた白い魔法石──〈明かり石〉が〈まじない〉の言葉を感知して輝き始めたのだ。

「よしよし。ほんと、〈まじない〉って便利だわぁ」

 は満足げに頷くと、部屋の隅にある机の上にカップをことりと置いた。それからとうの揺り椅子へと腰を下ろす。椅子をゆらゆらと揺らしながらは窓の外を眺める。

 これからすこしずつ暖かくなる。

 二月も半ばを越えましたからね、と給仕娘のメルが言っていた。春が近づいているのだ。ミルクティーの入ったカップを両手で引き寄せる。鼻をくすぐる甘い香りと湯気がの顔を包みこむ。ほんの少し傾けてちびりと飲んだ。食道を通り抜け、胃袋へと落ちていく温かい液体を感じながら、はほうと息をついた。

 それから窓の外をもういちど眺める。

『蒼穹の羅針盤亭』に併設されている宿屋の一階にの部屋はある。村の大通りに面していて、円形広場の端にあった。

 広場の中央に噴水が見えている。

 水の噴き出てくる彫像は春の恵みをもたらすという〈花の精霊〉フラワースピリットを象った像だった。腰布をまとっただけの肌も露わな少女が、地球で言えばジョウロのような形の道具を抱きかかえている。そのジョウロから水が溢れ出てくるらしい。ただ冬のこの時期は凍りついてしまうからと水を止めてあって枯れた小さなお堀のように見える。がこの世界に来たのは一か月とすこし前なので、残念ながらまだ彫像から水が噴き出してくるところは見たことがない。

 噴水を丸く囲むように置かれた長椅子ベンチには厚着の老夫婦が傾いた陽差しを浴びて座っている。はジャン=フランソワ・ミレーの『晩鐘』という絵を思い出した。オレンジ色の逆光に影法師と化した老夫婦が時が止まったかのようにそこにただ座っている。

 日没を知らせる鐘が鳴った。

 壁に掛かる時計をちらと見ると十八時だった。

 この世界でも時間の流れはかつてが住んでいた世界とほぼ同じらしかった。

 一日は二十四時間で、一時間は六十分だ。もちろん日時分の単位を表わす言葉はこの世界の固有の言葉なのだけれど、には日本語として聞こえているし、の発する日本語はなぜかこちらの世界の言葉として響く。

 たぶん『案内人』が何かしてくれたのだろう。

 とにかく今は十八時で、そろそろ陽が沈む時刻だ。

 村人たちの多くが家に戻る。もう煮炊きの煙が煙突から立ち昇っている家もある。陽の光が弱まり、薄暗さが増している。赤く暮れなずむ空に煙がたなびき、どこかの家のシチューの匂いが窓のこちら側にまで漂ってくる。窓には硝子ガラスは嵌っていない。夜は戸板を閉めて寒気を入れないようにするだけだ。

 ふと、の視界の右上の端に光が煌めく。

 ああ、始まったわ、と彼女は視線を光のほうへと向けた。

 噴水広場の端に、平屋の多いこの村の建物の、どれよりも高くまで伸びた柱が立っている。あれは街灯だ。柱の上には硝子ガラスで覆われた洋灯ランプが取りつけられていた。

 その洋灯ランプに〈点灯士〉が光を点したのだ。

 先ほどのの部屋に明かりが点ったのと同じように〈まじない〉の力に寄るものなのだが、街灯の上の洋灯ランプのある位置はの天井よりも遥か高くにあり、見上げると首が痛くなるほどだ。

 あの高さではふつうの声では届かない。

 そういうふうに作られている。誰の声でも届いてしまっては、誰かがうっかり〈まじない〉の言葉を発したら、街灯が次々と点ってしまう。

 だからこそ誰も声が届かないあんな高所に洋灯ランプは取り付けられているのだ。

 では、声の届かない洋灯ランプをどうやって点すか。

「頑張ってるわね」

 は笑みを浮かべて広場を街灯から街灯へと走っていく少年を見守る。

 噴水を回って右のほうから左手側の街灯へと。

 肩に担いでいるのは六メートルはあろうかという細い金属管だった。長さのわりに太さはなくて、でさえ握れてしまいそうなほど。手元ですこし曲がって小さく広がるラッパのような形になっている。肩に担いだ長い金属管の先のほうも同じように、ただしこちらはすこし大きなラッパの形になっていた。そしてラッパの向いている方向は手元と逆である。つまり数学記号の ∫ インテグラルみたいな形になっているわけだ。

 それは、の居た世界では船や潜水艦、飛行機などで使われる〈伝声管〉と同じものだった。

 彼が〈点灯士〉なのだ。

 左側の街灯の下までやってきた少年はよっこいしょと担いでいた〈伝声管〉を街灯の上のほうに向かって持ち上げる。それから手元のほうのラッパに向かって声を張り上げた。

〈まじない〉言葉だ。

 長い管の中を反響を繰り返して声は伝わり、上側に開いたラッパから取り付けられた洋灯ランプへ、その中に設置された〈明かり石〉へと向かって力ある言葉が放たれる。

 噴水のまわりが白い光で満たされた。

 大通りは、右手から左手へと噴水広場を通り抜けてつづいているのだけど、街灯はその通りの左右に互い違いになるように立っている。彼がやってきた右手の、砂利を敷かれた通りの街灯は、もうすでに延々と奥のほうまで明かりが点っていた。夕暮れの赤い空の下をジグザクの白い明かりの列が見えている。

〈点灯士〉の仕事は子どもの働き手がよく任される。日給で銅貨五枚にしかならないささやかな仕事だが、成人前の子どもたちの仕事としては割りが良くて人気だった。ただ、街灯は幾つもあるので子どもの足では夜までに点せる明かりは二十を越えない。

「おうい、坊主! 急げ急げ、陽が暮れちまうぞぉ!」

「わ、わかってるよぅ!」

〈点灯士〉の少年は、大通り沿いにある次の街灯を目指して走っていった。

 ほどなくして辿り着いた街灯にも光が点る。

 は「頑張って」と心の中で応援の声をかけた。

 さあ、そろそろ夕食の時間だ。

 遅くなってメルが呼びに来る前に食堂に向かったほうがいいだろう。

 椅子から立ち上がると、飲み終わったカップを抱えたまま扉へと歩く。部屋を出る前に天井に向かって声をかけた。

「アレッサ、明かりを消して」

 洋灯ランプが消えたのを確認してからは食堂へと向かう。


 その頃、食堂ではちょっとした騒ぎがもちあがっていた。


   ◆◇◆


『蒼穹の羅針盤亭』は冒険者と呼ばれる人たちを相手として商っている店だ。

 二階は冒険者への仕事を斡旋する場所であり、一階には食堂がある。冒険者たちが泊まれるように宿屋も併設されていた。

 が廊下を過ぎって食堂に入ったときには、まだ客の入りはなく、店の主人と商人らしき男性が机を間に挟んでなにやら話をしていた。

 店主と話しているその中年の男性が、なぜ商人だと判ったのかといえば、なんといっても身なりだった。村人たちのような素朴な、布一枚で作られたような服を着ているのではなく、色鮮やかに染め抜かれた上質な布を重ね着している。しかも、ネックレスに瀟洒な腕話、指には宝石をはめ込んだ指輪まで付けていた。それだけならば単なる金持ちの可能性もあったが、テーブルの上には地球で言えばトランクケースのような木の箱が三つほど積み重ねられていた。鍵の掛かる箱だから、つまり重要なものを運んでいるのだろう。中身の一部がテーブル上に広げられていた。宝石みたいに見える。

 箱は重そうだった。とてもこのおじさんに運べるとは思えないので、おそらく荷運びする助手を付けているに違いない。

 の見立てではおそらく行商人だ。

 その商人が大仰な手ぶりを交えながら店主に向かって何やら話していた。

 店主のぽつりと放った言葉の欠片がの耳に入る。

「そりゃまただな」

 ──

 は彼らのほうへと顔を向ける。いま、奇妙な話って言いました? が大好物だった。伊達に前の世界で名探偵をやってない。謎ある処に探偵あり。探偵ある処に謎あり。

 は八十年間、謎に困ったことがなかった。それはどうやらこの世界でも変わらないらしい。

「あの……」

 つい、だ。つい……ほんのちょっとの好奇心が疼いた。は自らの心を抑えることができずに訊ねてしまう。

「何かいまと聞こえたのだけど……」

 店の店主は掛けられた声に気づくと振り返り、人懐こい笑みをこの小さな老婦人に向かって浮かべた。

 店主と向き合っていた商人らしき男は訝しげな表情になる。

 誰だ、この首をつっこんできたおばちゃんは? と思ったのだろう。

「ああ、あんたはまだ会ったことなかったっけか。ティーヨさんだ」

 この世界の住人にはという名前は発音しにくいらしく、誰もが彼女をティーヨと呼ぶ。も呼び名に関してはもう諦めていた。

「こう見えても旅人でな。一か月ほど前からうちに泊まってて仕事も手伝ってもらってるんだが──おお、そうだ。ちょうどいい。ティーヨさんさぁ。ちょっくら話を聴いてくれねえか?」

 言いながら店主は自分の隣の椅子を引く。座っていいよという合図だ。は微笑みながら「はいはい」と返事をして腰を下ろした。

 いきなり会話に混ざろうとする老婦人に商人が戸惑いを顔に浮かべた。

 宥めるように店主が言う。

「まあまあ。このおばちゃまはすげぇ頭がいいんだぜ。なあ、ティーヨさん、ちょっと話をいっしょに聞いててくれよ」

「ええ。もちろんいいですよ。ええと……よろしくね、タマラさん」

 タマラ、と呼ばれた商人の男は目を丸くした。

「わっし、いま、おまえさんに名前を言ったかね?」

 タマラの驚いた顔をたっぷり三秒は観賞してから、は男の前に置いてある木箱をすっと指さした。

「箱に『タマラ商会』と刻印されているわよね。たぶん、お名前なのでしょ」

「あ、ああ。……なる、ほど」

 何かを呑みこむような表情になったタマラに店主が「どうだ」と言わんばかりの誇らしげな顔をした。 

「なっ。ティーヨさんはすげえだろ」

「ううむ」

「判んねぇことがあったら何でも訊いてみなって。たちどころに答えてくれるからよ!」

 店主の言葉にタマラが「ううむ」と唸る。

 それを横目で窺いながら、はテーブルの上に並べられているものを観察していた。おそらくトランクに入っていたものなのだろう。びろうどのような柔らかそうな紺色の布が敷かれていて、互いに傷つかないように布で仕切られた状態で幾つもの拳サイズの白い石の塊が並べられていた。見覚えがある。白い魔法石──〈明かり石〉だ。

 ということはつまり……。

「タマラさんは、魔法石の行商人なのかしら。これだけ綺麗な魔法石がこんなにたくさん。きっとさぞかしすごい商人さんなのでしょうね」

 のお世辞に商人の男──タマラが口許を綻ばせた。

「ふへへ。ま、まあ。いちおう、わっしの店は王都にも看板だしてるんでねぇ」

「へえ。すごいのねぇ」

 王都の名前も場所もは知らなかったが、すかさず褒めるくらいの機転を利かせるくらいは朝飯前なのだ。なにしろは名探偵だった。それも安楽椅子の。そして安楽椅子探偵というものは話を聞きだす為なら、お世辞もおべっかもお追従も辞さないだけの覚悟がある。そうしなければ好奇心の疼きが収まらない。

「この地方に流通している魔法石の三割はわっしの店が商ってるんで。ま、それなりですな」

「あらまあ。なんてすごいの。大商おおあきないじゃないの。しかも、こんなにいっぱい。このお店で使う石の何年ぶんあるのかしら……」

「おばちゃまは……ええとティーヨさんでしたか。ふっふっふ。あなたは話のわかるひとのようですなぁ。しかも量だけじゃないんですわ。わっしの店の魔法石は質が良いんだよねぇ。丈夫で長持ちだし、大陸魔術協会のお墨付きの印だって入ってる。ほらほら、ここを見ればわかりますでしょ」

 箱の中の一個を取り出して。ひっくり返して見せつけてくる。魔法石の裏側にはJMSと読める文字が刻まれていた。もちろんにはそう読めるというだけで、この世界の人間には別の文字で認識されているはずである。

「JMS?」

「ジャルバ大陸コンチネンタル魔術マジカル規格スタンダードの略でしてね、これ。いや、この印を入れてもらえるのは王都の店の中でもまあ、上から三割ってところでしょうな。ふへっへへ」

 なるほど、とは頷いた。

 元の世界で言うところの J I S ジャパニーズ・インダストリアル・スタンダード規格みたいなものか。そしてどうやら住んでいる大陸の名前はジャルバというらしい。日本語にない言葉は相変わらずそのまま聞こえるようだというのも再確認できた。

「けどですねぇ。何年ぶん、ってのは間違いですなぁ」

「あらまあ」

 は驚いてみせた。もちろんワザとだ。そもそも魔法石の寿命なんて知るはずがなくて、適当に言っただけだし。

「ここにあるのは、この店のひと季節ぶんでさぁ」

「あらあら」

「わっしの店ではこの〈明かり石〉に関して言えば、役場と、それからこの店で使われているやつの交換を請け負っているんですがね」

「へえ……そうなのね」

「ま、冒険者ギルドってのは現代じゃ公共事業みたいなもんだからさ」

 店主が言った。

 は首を傾げる。公共事業と冒険、という言葉の間には随分と隔たりがあるような気もする。でも、今は話が逸れそうだったのでそこは聞き流しておいた。

「じゃあ、タマラさんはお役所に備品を収める業者みたいなものなのね」

「ギョーシャ?」

 あら? 

「ええと、商売人?」

 ああ、とタマラが頷いた。今度は通じたらしい。

『案内人』が与えてくれたのであろう異世界翻訳能力も万能ではなくて、簡単な言葉でもたまに翻訳してくれないときがあるのが困りものだ。

「そうそう。で、役場のほうにはもう収めてきて、あとはこれをこちらのご主人さんに引き取ってもらえれば今日の商いは、おしまい──と、こういうわけだねぇ」

 笑顔で揉み手をしながら商人タマラはそう言った。

 店主は苦笑いを浮かべる。

「まあ、別に質に文句があるわけじゃねえよ。ただほら、いちおうはちゃんと確認しねえとな」

 なるほど、それでテーブルの上にこうして広げていたというわけね。

「大変なのねぇ。それで……」

 は調子よく話してくれている商人の口が温まったところで訊ねる。

って、なにかしら?」

 そのときのの瞳は八十歳という年齢を感じさせない輝きを放っていて、きらきらとした好奇心という名の星を銀河のごとく抱えていた。覗き込めば、彼女の瞳の中に飽くなき過剰なまでの探求心という名の深淵だって見えたかもしれない。

 謎にりつかれた者には、謎のほうもりついてくる。

 の好奇心に応えるかのように商人はちょっとした奇妙な出来事を話し始める。


 奇妙な話というのは、今まさに話をしていた「役場への納品」のときの話だった。

「魔法石というのはですねぇ。魔法使いたちが魔力を込めて一個一個、作るものなんですけど、魔力切れを起こすと効果がぱっとなくなっちまうんですねぇ」

 電池切れみたいなものかしら? はそう適当に当て推量してみたのだけれど、どうやらその考えでよかったらしい。

 冒険者の店の主人は日頃から魔法使いの知り合いも多いとかで、簡単にだが、に魔力切れについて教えてくれた。

「魔法ってのは、ティーヨさん。『力ある言葉』とそれに応じるだけの魔力があって効果を発揮するんだよ。石に込められた魔力が切れると、その瞬間から、ぱたっと魔法は効果を発揮しなくなるんだ」

「へえ……」

 地球の電池式の電灯だったら、徐々に暗くなっていくものだけれど、どうやら魔力式の道具はいきなり使えなくなるものらしい。

 タマラが言うことには「だから、切れる前の交換がお勧め」なのだそうだ。

「わっしの店の〈明かり石〉はひと季節くらいはもつはずなんですよ。しかも、品質にばらつきのないことで評判を上げてるんでねぇ」

 交換月は、二月、五月、八月、そして十一月。つまり三ヶ月に一回の交換をしている、ということだ。

 つまり、冬の終わり、春の終わり、夏の終わり、そして秋の終わりにタマラはこの村にやってきていることになる。

「昨年の五月までは季節ごとに同じ数をもってくるだけで済んでいたわけでして」

 の瞳がきらりと光った。

「つまり、春の終わりまではふつうだった、ということね」

 タマラが頷いた。

「ところが、八月に取り換えにきたときには、まだ魔力切れを起こしてない〈明かり石〉が幾つかあったんですな、これが」

「あら。じゃあ、たくさんもってきて無駄になっちゃったってわけかしら?」

「いやいや。そうはいきません。そのままにしておくと交換時期がずれてしまいます」

「ああ、なるほど」

 は頷いた。

 地球の電化製品の消耗品だって交換時期を揃えるほうが管理はしやすいものだ。

「それが八月のことでして。それで、次の十一月のときも、また同じように魔力切れを起こしてない〈明かり石〉がありまして。もちろんまだ使える石も引き取って、ぜんぶ交換しましたが」

「村長がぶつぶつ言ってたっけな。損した気がするって」

「あらあら」

 確かに村の予算的にはちょっとだけ損をしたってことになる。

「引き取った分だけすこうし安くしましたよ」

「立派だわぁ」

「わっしの店は正直で売っているんでねぇ」

 そう胸を張るタマラに、店長が突っ込みを入れた。

「村長は、たいした値引きじゃなかったって言ってたぞ」

「商人が損をすると、結局はお客様の為にならないのですよ。ふへっへ。損はいけません損は。でも、それなりのちゃあんと勉強させていただきましたから」

 にっこりと笑みを浮かべるタマラに、は「食えない人だわ」と思ったが、口には出さずに笑みを返すだけにしておいた。

 その代わりに気になっていたことを確認する。

「では、夏から秋にかけて、使〈明かり石〉があった、ということね」

「ふへ?」

 の放った言葉が予想外だったのかタマラが驚いた顔になる。

 いやでも……考えれば当たり前のことなのでは? とは思うのだけど。

「だって、そう考えるしかないわよね。使えば魔力は減るのでしょう? だったら、魔力切れを起こしてない石は、使われてない、つまり明かりを点してないってことでしょ」

「ああ、なる……いえいえ、ティーヨさん、それはおかしいのですよ」

「あら?」

「ふつうの家の明かりだったら使ったり使わなかったりするのは判りますな。たとえばこちらのお宿の洋灯ランプなどはお客がいなければ何年でも交換は不必要になりますねぇ」

「そんなに閑古鳥が鳴いてたらつぶれちまうよ」

「たとえですな、たとえ。でもね、魔力切れを起こしてなかった〈明かり石〉は、街灯用の〈明かり石〉なんでしてな。街灯は、ほら、〈点灯士〉が夜毎にちゃんと点してるんでしょう?」

「どっかの路地の担当がさぼったってことか」

 店長の言葉に商人が反論する。

「そうかもですが……では、ますます奇妙になりますな」

 は身を乗り出した。

 ますます奇妙──いいわね。すごくいいわ。何がそんなに奇妙なのかしら。

「たしかにサボっている〈点灯士〉がいるならば〈明かり石〉の魔力が切れずにそのまま残っていることはありえますな。でもですねぇ。ならば冬の季節はそのようなことが起こらなかったのは何故です?」

 タマラの言葉をはじっくりと考える。

 ええと……。

「夏と秋には魔力切れを起こさなかった〈明かり石〉が、冬の間は昔と同じように使われていたってこと?」

「そうなりますな」

 引き取った〈明かり石〉の魔力はどの石も同じくらいにほぼ切れかかっているのが確認されたという。どうやって確かめたのかまではには判らない。そういう計測器があるのか。あるいは魔力の量を感知できる魔法使いとかがいるのかもしれない。

 いまはそこは問題ではないから詳しくは聞かなかった。

「つまり、昨年のある時期だけ街灯がちゃんと点いてなかったってことなのね」

「しかりしかり」

「なるほど。たしかに奇妙な話ね」

「それと、ティーヨさん。もし、仕事をサボるような〈点灯士〉がいるならば、寒い冬のときこそ、よりサボりませんか?」

 商人の言葉に店長も頷いた。

「そうだなぁ。〈点灯士〉を請け負ってるのは遊びたい盛りのガキどもだからな。小遣い稼ぎにちょうどいいとはいえ、面倒くさくなるのもわかる」

「でしょう? まあ、ちゃんと元に戻ったってことは、サボるのをやめたってことなのかもしれませんがね」

 ふたりのやりとりを聞いてはなるほどと思った。

〈点灯士〉を請け負ってるのは遊びたい盛りのガキども──もとい子どもたちに限られるわけだ。それもおそらくは男の子だけ。

 この世界はの居た日本ほど平和ではない。日没直前や日の出直後のようなひとり歩きの危険な時刻では少女たちには任せ辛い。

 もちろん、これは巨人族の少女などには当てはまらないだろうけれども。村で見かける子どもたちは大抵がと同じ人族だから、巨人や亜人は数が多くないのだろうと推測できるし、今は除外して考えても良いだろう。

 つまり年頃の少年たちのお仕事というわけで……。

 となると、サボる理由なんて予想が付く。

 にはある仮説が頭のなかで組み立てられていた。

「とはいえ、通りの明かりが消えてちゃ夜道が物騒になるから、いちど集めて言い聞かせておかねえといけねえかもなぁ」

 いかつい顔をしかめてそう店長が言い、はとっさに言う。

「待ってちょうだいな。ええと……サボっている〈点灯士〉がいるっていうのは、まだ『かもしれない』って言ってるだけ、よね?」

「あん? まあ、そうだけどな。でも、ティーヨさんも言ったじゃねえか。そう考えるしかないってさ」

「それは……そうなのだけれど。他に何か理由があるのかも。もうちょっとわたしに考えさせてくれるかしら」

 はそう言って、両手を合わせてお願いした。

 店長もタマラもに『かもしれない』だけと言われてしまうと、確かになあと頷かざるをえない。何の根拠もないのだ。商人も、損をしてるわけじゃなしと言った。

 それでその場はお開きになったわけだけれど。

 夏と秋には明かりが点らない街灯があり、冬にはそれが元に戻った、ということが示している真相をはほぼ推測できていた。

 そう、まずは村の役場あたりに魔力切れを起こさなかった街灯の位置を聞き出す必要がある。

 たぶん……そこには高級住宅街か金持ちのお屋敷があるはずなのだ。


   ◆◇◆


 翌日のことだ。

『蒼穹の羅針盤亭』の一階食堂で、は朝食を終えて珈琲をいただいていた。

 ドアベルの鳴る音に反射的に時計を確認する。

 時刻は午前九時二分。ほぼ九時。つまり時間どおりだ。この村には分単位で行動する村人などいない。時間はの居た世界よりもゆっくりと進む。

 ベルの鳴る音につづいて扉が開く。扉の向こうの石畳の通りがちらりと見えた。

 冒険者の店の受付嬢であり、食堂の看板娘でもあるメルが顔を覗かせる。

「呼んできましたよ、ティーヨさん」

「ありがとう」

 食堂はちょうど客が捌けたところでしかいなかった。

「ほら入って」

 メルに促されて入ってきたのは年の頃でいえば十四歳ほどの少年だった。栗色の髪に琥珀の色の利発そうな瞳をもっている。

「お、おれに会いたいってのは、あんたか、ばあちゃん」

 訳も判らずに連れて来られたからか、少年は落ち着かなげに琥珀の瞳を揺らしていた。

「だいじょうぶですよ。そんなに怯えないでね。こんなおばあちゃんにはあなたを取って食うほどの力はないのだから」

「取って食う!?」

「もののたとえですよ、たとえ」

「おれ、食われるの?」

「食べませんってば」

 まるで七匹の子ヤギのように震えているのだけど、は別に彼を取って食うつもりはない。

「おばあちゃんに変装した狼ってわけでもないですよ?」

 少年が首を傾げる。そうか。そういえばこの世界には赤ずきんちゃんのおとぎ話もなければ七匹の子ヤギのおとぎ話もないのだった。代わりにほんとうの狼男が居そうだけれど。となると、怯えるのも無理もないのかしら?

 なんて話は今はどうでもいいのだ。

「とりあえず、名前を教えてくれる? わたしは、

「てぃーよ?」

「ええ、まあ。そんなような名前よ。あなたは?」

「……ロッカ、だけど」

「ロッカくんね。メル、で、このロッカくんは〈点灯士〉をしているのね?」

「はい。この子の担当している街灯が〈明かり石〉の減りが遅かった洋灯ランプだって役場の人が言ってました」

 メルがそう言った途端に少年の顔色が変わる。

 さっと身を翻してメルの脇を通って逃げようとした。

「って、離せよ!」

 メルがとっさに腕をつかみ、少年を抱きかかえるようにして引き留める。

 それでもむりやり振り払おうとしたのだけど。

「いっ! いててて! は、離せ!」

「あの、暴れると痛いですよ? あたし、仕事柄ひとを捕まえとくの得意なんで。あんまり動くと、腕、折れます」

 さらっと言われ、ロッカが暴れるのをやめる。は目を丸くしていた。

 仕事柄、捕まえるのが得意? えっ、ギルドの受付嬢の仕事ってそんなこと必要になることがあるの!?

 も受付を任されているのだけど、今のところそんな荒事に出会ったことはなかった。ひょっとして冒険者の店って思ったよりもおっかないところなのかしら?

「まあまあ。落ち着いて、ロッカくん。あなたをどうこうしようなんて、わたしは思ってないのよ?」

 できるだけ穏やかな声を出してがそう言うと、ロッカは訝しみつつものほうへと素直に顔を向けた。

「あーったよ。で、用ってなんだよ」

「うーんとね。年寄りのお話って退屈だって思うけど、わたしは自分の話をちょっとだけ聞いてほしいだけ」

「はあ?」

「奇妙な話って言ったけど。わたしは、ちっとも奇妙だとは思わなかった。ちょっと考えれば誰にでも判ることだって思うし。街灯の〈明かり石〉の魔力が余った理由──そんなの簡単に判ることなの」

「明かりを点さなかったから、なんですよね」

 メルが素早く答えた。

「そうね」

「つまり、この子がサボったってことですよね」

「お、おれは……」

「はいはい。怒らないから、まだちょっと聞いててちょうだい。あのね、メル。重要なのは実はそこじゃないのよ。重要なのは、なぜ、明かりを点けなかったのか、いいえ、なぜ、明かりを点けられなかったのか──なの」

「点けられなかった?」

「〈点灯士〉のお仕事をしてるのって、ほとんどが子どもって聞いてるんだけど。ロッカくんみたいな」

「そう……ですね」

「子どもにとっては割のいいお仕事だし、夕方に点けるのも、朝になって消すのもさっさと終えてしまったほうがお得よね。なのに、ロッカくんは明かりを点すのをサボってた。それも奇妙なことに夏と秋だけ。冬はまた真面目に仕事をしていたわけね」

「夏と秋は遊んでたのでは?」

「ち、ちがう!」

「じゃ、なんでなの?」

「……」

 黙ってしまったロッカくんのほっぺたをメルがむにむにと摘まんでいる。

 ああほら、困ってるじゃないの。

「メル、離してあげて」

「うちの弟たちは、これするとすぐに白状するんですけど」

 は苦笑いしてしまう。

『蒼穹の羅針盤亭』の看板娘はすこしとうが立っていることを覗けば器量よしの働き者で知られている。つまり村でいちばんの美人さんなのだ。そんな綺麗な年上のお姉さんにほっぺたをむにむにされては弟たちとしても抗うすべなどないだろう。

 でも、それが通用しない相手もいる。

「話したくないのはわかるの。明かりを点けることができなかった、その理由は何か? それは、ロッカくんの担当している街灯のある場所に関係してる。村の外れ、森の近くの『篠懸すずかけ通り』の街灯で間違いない?」

 役場から地図と資料を取り寄せてもらって、はすでに色々と情報を得ていた。

 ちなみに篠懸すずかけとはプラタナスのことだ。こちらの世界に地球と同じ名前が付いているのも奇妙な気がするけれど、動物や植物には(犬とか猫とか林檎とか)名前も見た目もまったく地球と変わらないものがあるから、たぶん篠懸すずかけもほんとにプラタナスなんだろう。名前がちゃんと日本語で聞こえてくるものはおそらく見た目も中身も同じなのだ。

 となると、この世界は実は地球の平行世界なのではないかという推理も成り立つわけだが……そういう考察は後回しにするとして。

 の問いかけに、メルが頷きつつ補足をしてくれる。

篠懸すずかけ通りの15番地から20番地までがこの子の担当です。あと、さんが言っていたとおり、お屋敷もありますね、あそこ。王都の呉服屋さんハイルディンさんのお屋敷がちょうど17番地です」

 お屋敷、と言われたときにロッカがびくっと身を竦ませたのをは見逃さなかった。

「でも、さん、どうして高級住宅地の街灯だってわかったんですか?」

「だって、建物なんてこの村には他にないもの」

「はあ?」

 そうか。ここまで言われても判らないものなのか。ミステリ小説を読み慣れている人ならばすぐに判りそうなものだが。

「街灯みたいに高いところにある〈明かり石〉の明かりを点けるときに必要なのは何かしら、メル」

「はあ。ええと、遠声管、でしょうか」

 伝声菅のことをどうやらこちらでは遠声管と呼ぶらしい。あの長く引き伸ばしたSの字型の金属管のことだ。

「そうそれ。大抵の街灯は人の声の届かない高いところにあって、あの細い管を使って〈まじない〉言葉を上に届けるのよね。つまり、あれを使えば高いところまで声を届けることができる。例えば……大きな屋敷の二階、とか」

 表情を消して話を聞いていたロッカの顔色が変わる。まだ、十四かそこらの年頃の子だ。ポーカーフェイスのできる年齢ではなかった。このあたりの素直さは上に立つときには未熟さとして映るが、には好印象だった。腹芸を学ぶのは歳とってからでいい。

 それに、メルの醸す『きれいなお姉さんぢから』に負けてないのは評価できる。

(素直なだけじゃなくて意志が強い子だってことね)

 ん。合格。としてはロッカのその反応だけでも充分だった。

「あー、そうか」 

 の「高いところに声を届ける」というくだりを聞いたメルが、ぽん、と両手を打ち鳴らして顔を明るくする。

「ロッカくんは街灯を点けるのをサボって、その遠声管を使ってお屋敷の誰かと夜通しおしゃべりしてたってことですか!」

「そうそう。でしょ、ロッカくん」

 ロッカは渋々と言った感じだったが頷いた。

「でも、それなら明かりを点けてからおしゃべりすればよかったのに」

 メルが言った。

「それじゃ見えちゃうんで……」

 ぼそっと言ったのがかわいい。

 首を捻るメルに(メルは恥ずかしいという感性にやや欠けている。どんなときにも直球勝負で正々堂々なので、見ているほうがたまに恥ずかしくなるタイプである)は教え諭すように言う。

「地図を見せてもらったのだけど、あのお屋敷の前って街灯が二本も立ってる。そこの明かりを点してから窓の下であんなに目立つ細い棒をもって立っていたら、すぐに誰かに見つかってしまうでしょう?」

「あ、そーいうことですか。たしかにハイルディンさんのとこって背の高い木がぐるっと周りに植えてあるから、暗がりに立てば目立たなそーです。なるほどねぇ。えっ。でも、じゃあ、なんでこの冬はサボらなかったんですか?」

「冬だから」

「は?」

「あのね、メル」

 メルはまだ若い。だから判らないのだ。

 この世界の窓には硝子ガラスは嵌っていない。窓は木でできた枠と戸板で構成されている。

 夜の間はその戸板を閉めて寒気を入れないようにするわけだ。日本で言えば窓はすべて雨戸みたいになっていると言えばわかるだろうか。

 当然ながらまだまだ密閉性は低く、戸板を閉めても隙間風は入る。それでも窓を開け放しておくよりはだった。冬の間、もそうしていた。

 老いた身に冬の空気は冷たすぎる。

 温かくなって夕方に窓を開けていても気持ちよくなってきたのは、つい昨日あたりからなのだ。

 窓を開け放し噴水を眺めながら夕陽を眺めていた昨夕の記憶が蘇る。

「はあ。つまり、冬になって窓を閉めちゃったから、お話しができなくなって、だから今度はちゃんとサボらずにいた、と。なるほどですねー」

「ちょっとちがうわよ。相手がわたしみたいなおばあちゃんだったら、その通りなのでしょうけれどね。でも、このくらいの歳の子が、わたしみたいなおばあちゃんと延々と会話してて楽しいとは思わないわね」

「あたしは楽しいです」

 メルが言った。

 この子もいい子よね。元から高かったメルへのからの好感度がさらに上がった。

「メル、あなたの言葉は嬉しいけれど、やっぱりロッカくんくらいの歳だと、同じくらいの年頃の子のほうが話が合うと思うの。そして、同じくらいの年頃だったら、冬だからって、そう簡単に話をやめたりするとは思えない」

「たしかに。うちの弟たちも寝ろって言ってもおしゃべりしてますね」

「でも、場合によってはわたしのようなおばあちゃんみたいに冬の空気を冷たすぎると感じる子どももいる。そうたとえば……病気だったら」

 ロッカの瞳が陰る。

 頭を下げてうなだれてしまい、「やっぱり……」と言葉を零した。

「ロッカくん」

 はゆっくりと言葉を区切りながら言う。

 役場から取り寄せた資料と伝え聞いた話から、これは今すぐにしっかりと話さなければならないことなのだ。

 の雰囲気を感じ取ったのかロッカが視線をあげる。

「あなたの心配しているようなことは起きてないわ。。それどころか空気のきれいなこの村で一年ほど暮らしたからとても元気になったの」

 ぱっとロッカは顔をあげた。

 目を瞠り、ほんとうか、という目つきでを見ている。

 はしっかりと頷いた。

「でもね。だからこそ、ほんとによくなっているかどうか、王都のお医者さまに診せないといけないの。だから王都に帰ることになったわ」

「えっ……」

「出立は今日。もう馬車は来ている。さあ、あなたがすべきことは判るわね? これを逃したら、もしかしたら……もう──」

 の話を最後まで聞くことなく、ロッカは身を翻した。

 今度はメルさえ捕まえることができなかった。

 扉まで三歩で辿りつくと、そのままの勢いで押し開けて、通りを走り出した。

 開いたままの扉から小さな背中がどんどんと遠ざかっていくのが見えた。


   ◆◇◆


 暖かくなってきたとはいえ、まだまだ暖炉の火は恋しい。

 座る席を炎の近くへと寄せると、はやれやれと吐息をついた。

「はい。いつものです」

 メルがミルクティーをもってきてテーブルに置いてくれた。それを手に取ると、は湯気をあげるカップへと鼻先を突っ込むようにして飲む。

 ああ、温かい。ぬくもりが胃の腑へと落ちて、ようやくはひと息をつけた。

 メルがの隣に腰かける。

「あの……ちょっと聞いてもいいですか」

「んん? なあに?」

 食堂に置かれた柱時計がひとつ鳴る。午前十時になった。ロッカは間に合うことができただろうか。午前中には出立すると聞いていたのだが……。

 まあ、保険は掛けてある。

「えっと。要するに単純な話で。ロッカくんはハイルディンさんのお屋敷の女の子とおしゃべりしてたから点灯のお仕事をサボってたってことですか」

「そうね」

 ハイルディン家の二女ジェラルディン・ハイルディン──愛称はジル、というそうだ──は肺の病を抱えていて、空気の良い地で静養するのがいちばん、と医者に言われた。王都のような都会よりも田舎のほうが良いでしょうと。

 そこでハイルディン氏は昨年の春頃にこの村に別荘を建てて、ジルを住まわせることに決めたのだ。

 きっかけが何だったのかはロッカに聞かないと判らない。何かがあってロッカはお屋敷の二階の部屋にジルが寝ていることと、自分のもっている遠声管を使えば会話ができることに気づいた。

 都会に居ても外に出て遊ぶことはできず、従って友だちもいなかったジルにとっては初めてロッカという同年代の友だちができたわけだ。それはもう話も弾んだことだろう。

 しかし、肺に問題を抱え、しかも体もあまり頑丈ではないジルにとっては、いくら静謐な田舎だったとしても冬の大気の冷たさは浴びるわけにはいかない類のものだった。すくなくとも両親はそう判断した。

 したがって冬になると、日暮れのだいぶ前に窓は閉めてしまったし、その窓は空気の暖かい日差しのある日の昼間でもなければ開くことはなかった。

 小春日和の日など冬の間には幾日もない。

 ロッカがほとんどジルの姿を見ることができなくなっても無理はなかった。

 もしかして病気が悪化したのかも。

 それとも、夜のおしゃべりが親に知られて窓を開けることができなくなった?

 あるいは……(考えたくはなかったろうが)ジルに自分は嫌われてしまったのではないか。

 そんなようなことをロッカが考えたであろうことは容易に想像ができる。

 だが、真相はそのどれでもなかった。

 たんに寒い空気を娘の部屋に入れたくなかった親の配慮だった。そして先ほどが言ったように、病がすこし良くなったらしくて王都の医者に改めて診察してもらう為に今日の出立となったというわけだ。

「でも、せっかく間に合ってお話しできたとして、王都に帰っちゃうんじゃ、ロッカくんも寂しいですよね」

「んー。それなのだけどね」

 は中世風の異世界だからといって、現代人の自分の感性をそこに合わせようとは思わないタイプの性格である。

 命短し恋せよおとめ。まあ、は八十歳まで独身だったが。だが、独り身であることは恋愛と無関係であることを意味しない。戦後の銀座を舞台に好敵手たる快盗レッド男爵と繰り広げた推理合戦とロマンスは当時の新聞と雑誌を大いに賑わせたものだ。

 まあ、そうね。あいつはちょっとはいい男だったわ──じゃなくて。

「タマラさんがね」

 いきなり話題を変えたにメルは戸惑いつつも応じる。

「あの、魔法石売りの?」

「ええ。そのタマラさんよ。この村の〈明かり石〉の交換が終わったから王都に戻るらしいの。それで、ちょっと訊いてみたわけ」

「なにをですか?」

「一年に最低でも四度もこの村を訪れて商いをしてるなら、この村で助手を雇ったらどうですかって。助手っていうか丁稚っていうか。まあ、商売の見習いね」

 これはタマラの言っていたことがヒントになっていた。街灯に使う〈明かり石〉は常に使用頻度は一定だ。だから季節ごとに全交換になる。でも、彼自身が言っていたではないか。宿屋の照明として使われているような魔法石の寿命はまちまちだと。

 つまり、交換時期ではない時に魔力切れを起こしてしまうような魔法石が村のあちこちにあるはずなのだ。

「だから、この村にそういう魔力切れを起こした魔法石があるかどうかをこまめに調べて、タマラさんのお店に交換品を取りに来てくれる専用の助手がいれば……」

「ああ、それはありがたいですね。〈明かり石〉もなくなると困りますが、火つけに使う〈炎熱石〉とか、生のお魚とかお肉とかを保存しておく為の〈氷寒石〉とかは、魔力が切れたときにストックが無くなってると賄いができなくなってしまいますから」

「でしょ。そういうことをタマラさんに話したらね、『信用のできる村人を紹介して頂けるなら、ぜひ雇いたい』って言質をもらえたの」

「信用できる村人なら……。あ、まさかティーヨさんはそこにロッカくんを?」

「あの子がわたしの期待に応えてくれるならね。もちろん、すぐには無理よ。読み書きも満足にできない子じゃ、商いのお店に勤めることはできないもの。でもね、見込みはあると思うのよ」

 素直で意志の強い子だと思う。

 病気の少女を励ましつづける優しさもある。

 だから、鍛えれば一人前の商人とかに成れるんじゃないかしら。

 それに、観察眼と話術もありそうだ。なんといっても夏から秋までの六か月、毎夜毎夜、退屈で寝ている少女を楽しませる話しができていたのだし。まるでアラビアンナイトの語り手。千一夜の間、王を楽しませたシェヘラザードのように。

「そっかぁ。もし、タマラさんのところに勤めることができれば、王都にだって行けるし、もっとジルちゃんと会うこともできるようになりますね」

 メルが言った。

 も頷く。

「読み書きを彼に教えてくれる教師を見つけてあげたいわ」

「あ、それならうちの店でもやってますよ。いまは冒険者さんと言えども、迷宮の探索だけではダメで、外交官やお金持ちの護衛とか、教養、ですか? それを必要とされる場面も多いっていう話で」

「あらまあ」

「だから、魔法使いの塔から先生がたまに来て講義してくれたりするんです。お金は必要ですけど、後払いとかもありますから」

 魔法使いの塔?

 メルにそれはなにと尋ねると、魔法使いを目指す人々に魔法の使い方を教える学校のようなところだと教えてくれた。知識豊かな魔法使いがたくさんいて、お金をとって一般の人にも勉強を教えたりしているらしい。

「まあ、すてき。そうね、読み書きはわたしでは教えられないけど、わたしにもすこしは教えられることがあるかも」

 元の世界の科学知識がどこまで有効かは判らないけれど。

 子どもには学びの機会が与えられるべきだ。はそう思っている。もちろんこれはロッカに対してだけではない。

 そしてロッカがもし立派な商人に成れれば、後につづく子どもたちも出てくるだろう。

 それに──と、は内心でこっそり考えていた。

 この村のことを隅々まで知っているような子どもが近くに居てくれたら、安楽椅子探偵にとっては願ってもないことなのよね。


 ホームズにはベイカー街遊撃隊ストリート・イレギュラーズが必要なのである。 


   ◆◇◆


 太陽が天頂へと近づきつつあった。

 陽射しが強くなる前に馬車を出したいと思っていたハイルディン氏はまだ話し足りなそうな娘に心のなかで謝りつつも声をかける。

「そろそろ出るよ、ジル」

 ジルはちらりと父の顔を窺い、それから残念そうな表情を浮かべる。

「ごめんね、ロッカ。もう行かなくちゃいけないみたい」

「……うん」

「でも、こうしてあなたにまた会えて嬉しかった。もう会えないんじゃないかって思ってたわ。もしかしたら嫌われちゃったかもって」

「そんな!」

 ロッカがびっくりした顔になって激しく首を横に振った。

「おれ、ジルのこと嫌いになんてならないよ!」

「そう?」

 ちょっと小首を傾げてジルは問いかける。

「そうだよ! ジルがおれのことを嫌っても、俺は嫌いになんてならないから!」

 ロッカの言葉にジルはふわりと笑みを浮かべた。

「うれしい。じゃあ、わたしたち、これからもお友だちね」

 そう言ってジルがロッカの両手を取る。

 ロッカは顔中を真っ赤にしつつも、首を何度も縦に振った。

「ずっと、お友だちでいてね。ロッカ、あなたのしてくれたお話、いつもとってもおもしろかった。金色森のきらきら蝶がどんなにきれいに羽ばたくか。みどり沼のおもしろい声で鳴くまだら蛙も、夕焼け通りにいつもいるっていうノームのおばあちゃんが吐き出す水パイプの煙の輪が虹色に光ってから消えることも。みんなみんなロッカが教えてくれたこと。わたし、たぶん一生わすれないわ」

「そんなの、もっともっと幾らでも話してあげるよ」

「うん。だから──」

 ジルはそこでふと気づいたように自分の胸元に手を置き、そこにあった自分の首飾りを撫でる。首飾りをはずすと、ロッカの手に握らせた。

「──これは、これからもわたしたちがお友だちのあかしね」

「ジル……」

「また、会いましょ。ぜったいに」

 ロッカは頷いてから、声に出して言う。

「また会おう。おれも、会いたい」

 荷馬車に乗り込んだジルは馬車が出る前に窓から顔を出して振り返った。

「わたし、あなたの歌ってくれた子守唄も好きだわ、また歌ってね!」

 うん! と頷いたのは見えただろうが、きっと声は届かなかっただろう。そのときにはもう馬車は走り出してしまっていたから。小さな手が左右に振られるのをロッカは通りに佇んだまま見つめていた。

 遠声管では高いところに声を届かせられたけれど、距離の遠さは埋まらない。

 もういちど彼女と話すには歩いて近づいていくしかないのだ。

 おれ、ぜったいに会いにいくよ。

 遠ざかる馬車を見つめて立ちつくす少年のつぶやきは、春の風に乗って愛らしい少女を追いかけていった。

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異世界老婦人探偵ちよ はせがわみやび @miyabi_hasegawa

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