第2話 季節遅れの幽霊譚

1.季節遅れの幽霊譚

 エマ・オーリエの母が亡くなったのはちょうど半年前の夏だった。


 その夏。エマは母のクリスティーヌとともに、イヴェールという名の辺境の小さな村を訪れた。大陸北方に位置するその小さな村は、冬は〈冬姫様ふゆひめさま〉と呼ばれる妖精の女王が雪を降らせに訪れるほど寒さの厳しい土地だが、夏は涼しくて帝都の貴族から避暑地として重宝されていた。

 訪れたのが母と娘のふたりだけだったのは、父であるジャルバンが国で五本の指に入るほどの商人で、その夏には大切な商談が控えていたからだ。だからジャルバンは購入したばかりの別荘にも行かず、帝都で仕事をつづけていた。

 砂利を敷き詰めた街道を馬車が走る。

 窓からエマが顔を覗かせた。

「いい村よね。空気もきれいだし、気持ちがいいわ」

 母譲りの黄金色の長い髪を風に揺らしながら、エマが言った。時折り小石を踏んで馬車が跳ねる。震動がずっと馬車に伝わっていて決して乗り心地は良くないのだけれど、それでも帝都から歩いてきては一か月はかかる道を一週間で来られるのだから文句を言えた筋合いではなかった。

「あのひともすこし休んだほうが良かったのだけれど」

 ため息とともに馬車の中にいる母がつぶやき、エマも頷く。

「お父様は働きすぎです」

「ほんとうにね……」

 父ジャルバンの多忙を嘆きつつも、エマと母は休暇を楽しみにしていた。

 たくさんの使用人を連れて避暑地を訪れたエマと母だったが、彼らが村に滞在して半月ほど経った夜、悲劇に見舞われた。

 別荘が火事になったのだ。


 夏至も近い夜だった。

「エマさま! ご無事でしたか!」

 中庭の片隅で、燃え上がる建物を呆然と見つめていたエマに、使用人頭の老人が声を掛けた。

 びくりと肩を跳ねさせてエマは振り返る。

 彼女のはしばみヘイゼル色の瞳に、子どもの頃から見慣れた使用人頭の顔が映る。すっかり白髪の増えた四角い顔は青ざめていた。

「爺や……」

「エマお嬢様、ご無事でしたか!」

「ええ、私はだいじょうぶ。でも……。みんなは?」

 エマの背後では夜の暗闇を割いて篝火かがりびの如く屋敷が燃え盛っている。多少の水をかけても文字通りに焼け石に水だった。日本家屋のように隅から隅まで木造建築というわけではないのがわずかの救いだ。崩れ落ちるまでにはいかない。

「われわれは仕事柄まだ起きていた者も多く、辛うじて逃げ出せました。ですが……」

 使用人頭の爺やの言いようにエマはすぐに彼の言外の含みを読み取った。

「まさか。お母様が」

「奥様は、二階の寝室で既にお休み中でした。火と煙の回りが早く、誰もそちらに上がれなかったのです……」

 さっとエマは屋敷のほうへと振り返る。

 東西にむねをもつ大きな二階建ての屋敷は中央に細長く伸びた時計台を掲げてそびえている。長針と短針がちょうど合わさっているから真夜中だった。

 時計台の下の部屋を見上げた。ちょうどあのあたりに母の寝室がある。大商人の屋敷らしく。まだ珍しい大きなガラスの窓が入っていた。エマは窓の向こうに人の影が見えた気がした。

「おかあさまーーーっ!」

 エマは大声で叫んだけれど、揺れる炎の加減でしかなかったのか、一瞬見えたと思った影はもう見つけられない。

「火を、火を消せないのですか!? 爺や!」

「我々では無理です。井戸の水をかけているのですが、この火勢では到底……」

「そんなっ」

「庭師の子に、冒険者の店に行かせましたが──しかし、こんな夜中ではとりあってもらえるかどうか」

 聞きなれない言葉にエマは思わず顔をあげる。

 冒険者……。確か、古代遺跡の発掘などをしている者たちのことだ。

「そのような者たちになぜ助けを──」

 頼みに行ったのか? と尋ねようとしたのだ。

 けれど、問いよりも答えのほうが早かった。


 屋敷の片隅に、使用人たちが集まっていた。消火のための井戸水を運んでいた者たちだ。彼らのほうから悲鳴のような声があがっている。

 全員が手を止めて空の一角を指さしていた。

 誰かが叫ぶ。


「ドラゴンだ!」


 驚いてエマは反射的に顔をあげる。

 夏の夜空に高く満月が浮かんでいた。月を覆うように影がぎる。大きな翼に蜥蜴のような身体、長い尻尾。月の青い光に照らされて白銀の体が輝いていた。

 竜はゆっくりと屋敷のほうへと向かって降りてくる。


「ドドド、ドラゴン……!」

 へたり、と爺やが腰を抜かして尻餅をつく。

 声が空から降ってきた。

「どいたどいたどいたー! 近くにいると、ケガしちゃうよー!」

 声は竜の体の向こうから聞こえていた。竜の背に人間と比べても小さな人の影が乗っているのだ。緑色の服を着たハーフフット族の女性だった。


「ひとが……竜の上に」

「まさか、あれが冒険者でしょうか……。しかし、このような辺境の村に、竜の騎士がいるとは……」


 ドラゴンの背からちいさな影が叫ぶ。

「あたしとこいつがいるかぎり、イヴェールを燃やさせはしないからね。ドラゴン消火隊のお通りだ! いくよ、相棒ーーーー!」

 ハーフフットの女性の言葉に応じるように白銀の竜がかっと口を大きく開けた。竜が大きく息を吸い込む音がした。エマたちにまで聞こえるほどだ。次の瞬間に白い光線のようなものが燃え盛る屋敷に降り注ぐ!

  

 竜の吐息ドラゴンブレス、それも冷気の息だった。


 白く見えたのは、竜の吐息を浴びた空気中の水分が瞬時に凍りついた為だ。

 凍りついて小さな結晶となった水の粒が、風に流されてぱらぱらとエマと爺やの上に降り注いでくる。

 火勢の弱いところから舐めるように竜の吐息が降り注がれ、あれほど燃え盛っていた火がみるみると消えていく。建物が端から凍りついていた。


「火が、収まって……」


 だが──。

 

「いかん。時計台がもう……! お嬢様、逃げないと!」


 二階の屋根を越えて細長く伸びていた時計台がぐらりと傾き、次の瞬間に倒れ始めた。それも中庭のほうへと向かってだ。まだ炎をあげながら細長い塔がエマと爺やのほうへと倒れてくる。

 まるで死神の振り下ろす鎌のようにエマには見えた。


 次の瞬間、身体に衝撃を受けて視界が大きな影に覆われる。

 気づけば、エマは空の中にいた。


「おうい! だいじょうぶかーい?」


 明るい声が頭の上のほうから聞こえてくる。

 エマの体は大きな鍵爪につかまれていた。爪のひとつひとつが自分の体の太さと同じくらいある。竜の爪だと遅ればせながら気づいた。

「おじょうさまぁ」

 か細い声に首を振れば、もう片方の竜の爪に抱えられた爺やの姿が見えた。

 エマと彼は倒れてくる時計台の下敷きになる前に竜によってさらわれたのだ。


「落とすから体を丸めて!」

 えっ、と思う間もなく、竜は屋敷の庭のほうへと下降すると、地面にこすれるくらいまで低空飛行しながら爪を開いた。エマと爺やはそのまま放り出されて地面を転がる。


 痛みに顔をゆがめながらエマはそれでも体を起こして屋敷を見た。

 竜の吐息が残った火勢を弱めていくのが見える。使用人たちが駆けつけてきた。


 半刻も経ずに火事は収まったものの、エマの母の救出までは叶わなかった。

 寝室からエマの母の遺体が見つかり、商談を中断してまで駆けつけたジャルバンは娘とともに悲しみに暮れた。


 ジャルバンは消失した建物を建てなおす気にもならず、倒れた時計台だけ撤去すると屋敷を売り払うことに決めた。残しておくと思い出して辛いと言って。


 大きな屋敷は大きすぎてなかなか買い手がつかなかったが、半年を経てようやく帝都の貴族のひとりが購入したいと応じた。ところが──。


 その頃になって、崩れかけの屋敷に女の幽霊が出るという噂が村に広まるようになったのである。




★★★★★


というわけで異世界老婦人探偵のシリーズ第2弾です。

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