2.窓口を通して頂けますか?

依頼クエストを受けたい、ですか」


 は途方に暮れた。

 目の前にいるのは貴族か大金持ちの娘にちがいない。身なりもいいし、話している限りは教養もありそうだ。しかし、大金持ちの娘であって冒険者ではない。

「あのぉ……こちらは冒険者の為の店なのですが」

 はおそるおそるそう言った。

「存じております。私たちも大変お世話になりましたから」

「はあ」

「それに、あの屋敷はまだ私たちのもののはずです。持ち主が家を訪れるのですから、何も問題ないはず。それでもこちらに参りましたのは、屋敷が立ち入り禁止となっていて、こちらの店の許可が降りないと入れない、と聞いたからです」

「そう……ですね。わたしもそう聞いております」

 は少女の手にした依頼書を見つめつつ言った。


 その依頼書の内容はも把握している。

 それどころか部屋の壁の一面に貼られている冒険者への依頼書のすべてには目を通しているし、内容も覚えている。は八〇歳になったが、まだ記憶力は衰えていなかった。


 異世界転移者ワールドトリッパーだ。

『世界を越える魔法』を偶然にも唱えてしまった為にこの世界に転移してしまった。そこは地球の中世欧州風の世界だったけれど、言葉は何故か通じたし、地球の人々と似通った習慣や感性を持った人たちがいた。

 ただし、異なるところもあった。

 大きな違いは、その世界には魔法が実在し、人類以外の種族や、怪物たちで溢れていたことだった。の居た世界では幻想物語にしか出てこないような小人や巨人が闊歩していた。お酒を美味しくする妖精も居れば、大きな森に冬の雪を運んでくる妖精の女王も居た。

 そして、世界の謎を求めて冒険する『冒険者』と呼ばれる人々も居たのである。

 

 はその世界では住む家もお金もなかったのだけれど、幸いにも最初に転移した異世界の食事処で喧嘩をひとつ収めたことで店主からの信頼を勝ち取った。そして、併設されている宿屋に泊まることを許され、二階にある冒険者の店『蒼穹の羅針盤亭』で窓口に座る受付嬢として働けることになったのである。


 それが三日前のことだ。

『蒼穹の羅針盤亭』の受付嬢──みんなからは『受付のおばちゃま』と呼ばれることが多かったが──を始めてから二日しか経っていない。それなのにはもう訪れた冒険者たちの相談事を何度か


(現役は引退したと思ってたんだけどねぇ。なんか、まだまだやれそうじゃない?)


 は地球では最高齢の政府お抱えの探偵だった。七十になったおりに仕事を減らしたのだが、物足りなさも抱えていた。それでも地球では頼られることが徐々に減っていたのだけれど、どうやら訪れた異世界ではの頭はまだまだ必要になりそうなのだ。異世界には謎が溢れている。

 現に今も……。


「ええと、屋敷の持ち主ということは、あなたはオーリエ家の方、ということでよろしいのですね」

「はい。エマ・オーリエと申します」

 カウンターの向こうで深々とお辞儀され、は慌てて自分も頭を下げた。どうもどうも。です。窓口嬢が名前を名乗ってもしかたないのだが、そこはは昭和の人である。礼儀には拘る。名乗られたなら名乗り返すのが礼儀というものだ。手前生国と発しまするは江戸にござんす。 江戸と申しても広うござんす。帝釈天で産湯を使い──って色々混ざった。まあ、はそもそも埼玉の生まれだった。

 

「ティーヨさん、わたしは母の幽霊に会いたいだけなのです」

 この世界の人らしくエマもまたと発音できずに、ティーヨと呼んでくる。いつものことなので、はもう受け入れていた。

「と、申されましても」

 エマの言い分は理解はできた。

 が訪れた異世界の村はイヴェールという名前だ。イヴェール村は大陸の北部にあり、夏には帝都の金持ちや貴族たちの避暑地になっている。

 昨年の夏、村の外れにある別荘が燃えた。がこの世界に転移してくる半年前のことだ。

 オーリエ家が買ったばかりの別荘だった。

 火事は幸いにも消し止められ、延焼もなく、屋敷は辛うじて残ったけれど、中央の時計台だけは崩れ落ちてしまったという。

 別荘で暮していた使用人たちも、目の前の娘も生き残り、当主である父親は帝都に居て不在だった為、人的な被害は最小限に抑えられたのだけれど、不幸なことに母親だけは助からなかった。

 時計台の下、二階の部屋の寝室で炎と煙に巻かれて死んでしまった。


 それから半年の間、屋敷は時計台を撤去された他はそのまま手つかずで放置されていたのだけれど、最近になって「幽霊が出る」と噂になっている。

 屋敷の周辺を囲って、立ち入り禁止にした。そして、『幽霊が出るという噂を確かめ、確認したならば退治せよ』という、冒険者への依頼が貼り出されたわけだ。

 そこまでは依頼書に書いてあった。

 あくまでも、危険を承知で挑戦する冒険者の為の依頼書だ。その依頼書を手にして金持ちの娘が「屋敷に入りたい」と言ってくるのは想定していない。

 断れば良いのだが──。

 は目の前の娘を観察する。

 金色に輝く美しく長い髪、手入れが行き届いていて彼女がたいそう裕福であることがそれだけで判る。手配書を掴む手も荒れておらず、言ってしまえば、苦労なく育った娘に見える。見えるのだが、それだけではない。簡単に断れない雰囲気をは感じていた。

 なんというか、無謀であった頃の若い自分と重なるというか。断ったらそのまま屋敷に自分だけで乗り込んで行きそうというか。現に、この店に来るのに彼女は供のひとりも連れてきていない。まったくもって大金持ちの娘がすることではない。

 勇気と冒険心に溢れた娘、エマ・オーリエ。少々あぶなっかしいが、はこういう娘が嫌いではなかった。


 エマが口を開く。

「あの別荘で亡くなったのは母だけです。ですから、幽霊が出るようになったというならば母の幽霊のはず」

「論理的に考えればそうなりますねぇ」

 たまたま屋敷に忍び込んでいた泥棒などいれば別だけれど。

「今になって現れたということは何か心残りがあるのでしょう。私はそれを聞きたいのです」

「でも……危険ですよ?」

「母の幽霊ならば危険など考えられません。それに母は他人を恨むような性格ではないと思うのです」

 そもそもの話として幽霊という存在が実在するのかどうか。が暮していた地球であれば実在を疑うところから始めるべきだろう。

 しかし、とは考える。居るかもしれないわね、と。

 妖精や竜よりは幽霊のほうが。ただ、存在が確定したからといって危険がないことにはならない。それに人はどんなことをきっかけにして恨みを抱くのか判らない。自分の知る人物像がその人の全てとも限らないから。

「まずは、冒険者さんの調査結果を待ってからにしたほうがいいかもねぇ」

「それで退治されてしまったらどうするんですか」

「それはそうなのだけれどね」

「お願いです。母が何かを伝えたいならば私はそれを聞きたいのです!」

「何を伝えたいか、ですか……」

 は目を閉じて考える。今までの話でエマを説得できるだけの幽霊についての情報があっただろうか。

「それについて、ちょっと考えたことが──」


「クリスティーヌが何を伝えたいかなど決まっておる!」


 階段を昇る音とともに男の声がした。

 は閉じていた目を開ける。屈強そうな壮年の男が、若者をひとり引きずるようにしながら連れて、下から二階に上がってきたのだ。

 死んだ女性の名を呼び捨てることができる男──は彼がエマの父であるジャルバンだとすぐに理解する。

 ジャルバンは引きずってきた男を押し出しながら言う。


「あいつが訴えたいのは恨みだ! こいつに殺された、な!」


 その場に居た人々は息を呑んだ──を除いて。


 あらあら。それはどうかしらね。必ずしもそうとは限らないのではなくて?

 にはもう別の可能性が見えていたのだ。


「とりあえず、ですね。あなた、この店に御用がおありでしたら、まずは窓口のわたしを通していただけませんか?」


 冒険者の店の受付窓口老嬢は静かな声でそう言った。



 ★★★★★


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