3.どうして彼女は現れた?


「とりあえず、ですね。あなた、この店に御用がおありでしたら、まずは窓口のわたしを通していただけませんか?」

 の言葉をジャルバンは聞く気はないようだった。

「俺は店には用はない。エマ、おまえは知ってるはずだ。こいつは誰だ! 言ってみろ」

「お父様、いったいなにを仰っているのです」

「この男のことを、忘れてないだろうと言ってるんだ!」


 引きずられ、首根っこをつかまれている若者は、顔をあげてエマを見た。それから慌てて視線を逸らしたけれど、あからさまな知らないふりだった。少なくともには、彼がエマを知っているのだと判ってしまう。

 どういう知り合いなのかしら。は考える。まあ、年頃の男と女なのだから。想像はついてしまうけど。の思ったとおり、その青年の素性はすぐに判った。


「そのように乱暴に扱うのはやめてくださいお父様。どうか、ハインツから手をお放しになって。彼が何をしたというのですか」

「私が知らないと思ったか、エマ。おまえはこいつと付き合っていたんだろう?」


 ざわついていた二階の部屋がふたたび、しん、と静まり返った。ほぼ全員がことの成り行きを見守っている。

 だけは、どうしてお金持ちというのは、こういう勿体ぶった芝居じみた口調になるのだろうと首を傾げていたけれど。もしかしたら、異世界転移者への自動翻訳機能のせいなのかもしれなかったが。付き合っている、なんていうのは随分と穏やかな言い回しだし。「深い仲」とか「ねんごろな付き合い」とか、そういうような言葉を叫んだのかもしれない。今の子はそんな時代劇みたいな言い回し判らないかもしれないし。自動翻訳が若者向けなのかもしれない……。もちろん、もっとえっちな言葉の可能性もある。ないか。


 観念したかのようにぎゅっと目を瞑り、それからエマが口を開く。


「誰に何をお聞きになったのか知りませんが……。はい。私は彼とお付き合いしておりました……」


 部屋にいる冒険者たちも冒険者の店の職員たちも驚きの声をあげ、三度みたびざわめきはじめた。

「ハインツ、おまえ……」

 そうつぶやく声も聞こえる。

 彼は村の若者だった。この世界に来たばかりのが断言できてしまうのは店の厨房で働いている青年だったからだ。

 馴染みの冒険者たちや店の職員たちはみなハインツを知っていた。も彼のつくった芋のスープを何度か飲ませてもらったことがある。芋の種類が何かは判らない。には「ジャガイモ」と翻訳されて聞こえたけれど、この世界の名前では何と呼ばれているのかまでは、には知りようがないからだ。文字まで日本語として読めてしまうのだから。まあ、おかげでジャガイモが中世風欧州世界に存在して良いのかどうかという異世界における永遠の問題に悩まずに済んだのはにとっては幸いだった。


 とりあえずそれは置いておいて、と。ちよは改めてハインツを見る。

 素朴な身なりをしている。生成りの麻の服と、その上を寒さをしのぐために羊毛ウールの厚着を羽織っているのは、村の多くの若者たちと同じだ。腰に巻いている革のベルトが、おそらくは手作りの、装飾を凝らした金具で留められていて、それが唯一のお洒落という感じだった。

 けっして豪奢な服を着ているわけではなくて、村のどこにでもいる若者と同じような服だったし、流行に合わせた装飾品で身を飾っているわけでもない。

 つまりは平凡な村の若者以上ではなかった。

 芋のスープの味は自慢してもいいと思うけど。は思う。きっと大きな街に店を出しても胸を張れると。はグルメではないけれど、あれだけ美味しければ幾らでも褒められる。


 ともあれ、このふたりは身分違いの恋人同士というわけだ。

 冒険者の店の料理人と帝都の大商人の娘なのだから。


 身分違いの恋、ね。

「ろまんちっくだわ」

 つぶやいた途端にエマの父にじろりと睨まれてしまう。あらら。そんなに睨まなくてもいいじゃないの、とは今度は慎重に心の中だけでつぶやいた。


 たちが見守る中でジャルバンはハインツの糾弾を始めた。


「クリスティーヌはこいつに殺されたのだ」

「お父様、口を慎んでくださいませ。何を根拠にそのようなことを言うのです」

「逢瀬を咎められ、こいつが屋敷に火を放った。そうにちがいない」

「ちがいます!」

 ハインツが否定した。首根っこをひっつかまれつつも。

「何を根拠にそんなことを言うのですか、お父様。いくらお父様でも──」

 父親の言葉を必死で否定するエマだったが、父のほうは怒りで聞く耳をもたなくなっていることは明らかだ。

「クリスティーヌが、こんな馬の骨とおまえとの付き合いを許すはずがない!」

「馬の骨……お父様……それはあまりな言い様……」

 あーあ。怒らせちゃったなぁとは心の中で溜息をつく。それにとしてはジャルバンの意見があまりに狭量に見えた。イマドキ、そんな偏見で相手を見るなんて、と。のイマドキは日本の令和のイマドキだったので、異世界としては先進的ではあったけれど。

 ハインツはいい子なんだからね。おばちゃんは好きよ?

 しかし、ハインツにとって都合の悪いことに、たまたま二階に居た冒険者のひとりが「料理人って〈炎熱石〉の呪文を使えるよな……」とつぶやいてしまった。


 この世界には〈まじない〉と〈呪文〉という二系統の魔法が実在する。

 ええと、とは教えてもらった知識を思い返した。確か……ふつうの人たちにも使えるのが〈まじない〉で、魔法使いの人たちが使うのは〈呪文〉だったかかしら。

 そもそもは同じものらしいのだけど、なぜ二つに分かれているのかと言えば、〈呪文〉のほうが難しくてかつ危ないものだから。一般に普及している便利魔法が〈まじない〉で、冒険者が使うのが〈呪文〉。でも、〈呪文〉の中でも比較的危なくなくて簡単なものはふつうの人たちでも覚えていることがある。

〈炎熱石〉の呪文というのは要するに火熾しの呪文だ。料理人や鍛冶師のようにかまどを扱う人たちは覚えていることが多い。〈炎熱石〉がすこしお高い魔法技術製品マジックアイテムなので、一般家庭にはまだまだ普及しておらず、商売に必要な人たちだけが覚えているというわけ。

 逆に言うと、ふつうの人たちよりも〈炎熱石〉の呪文を覚えていて、かつ魔法技術製品を持っている人のほうが放火はしやすい──と言える。


「お、俺はそんなことしません! 料理人は料理をするのが仕事だ。水や炎は俺たちにとって人に美味しい料理を食べてもらうための大切な道具なんだ。そんなことの為に使ったりしない!」

「そうです。ハインツはそんな人ではありません!」

「どうだかな……」


 ふたりの必死の訴えにもジャルバンは聞く耳をもたないようだ。

 むしろ前よりもなお冷たい瞳でハインツを見ている。


「ええと、ちょっといいかしら」


 冷えた空気をまったく気にせずにが片手をほんのちょっとだけ上げた。

 ぎろりとジャルバンに睨まれる。

 おお、怖い。だから、そんな怖い顔をしないでちょうだい。まるでほらあれ、ナマハゲのようにおっかないわ。

 は例えが古かった。


「あのね。わたし、不思議に思ってるのだけど……」

 が小さく小首を傾げながら言った。


「なにがだ?」

 眼光鋭いままジャルバンが煩そうに問いかける。のことを冒険者の店の受付嬢だとしか思ってないのだから無理もなかったが。

「教えてほしいのだけど。幽霊がようになったのって、最近なのよね?」

 くるり、と背後の店の職員たちへと顔を向けながら問いかけた。若い男の職員がの問いに答えてくれる。

「はい。たしか三日ほど前からです」

「その前には幽霊を見た人って居なかったのね?」

「の、はずですね。噂にもなってなかったと思いますよ」

 すこし遠くを見るような目つきをして職員は答えた。


 答えを聞いてからはジャルバンのほうへと向き直った。

「ね?」

「なにが、だ? いったい何の話をしてる」

「だから、不思議じゃない? なんで、半年前の火事で亡くなった、その……あなたの奥様の幽霊が、今頃になって出てくるようになったのかしら?」 


 ジャルバンは思ってもみなかった問いだったのだろう、言葉を一瞬だけ詰まらせ、それから怒鳴るように言う。

「エマが来たからだろうな。娘に、訴えたかったのだ」

 ちらっとはエマを見る。

 が予想したとおりにエマが言う。

「それは違います、お父様! わたしは母の幽霊が出ると聞いたから、この村に来たのです」

「……む。だが、おまえはこいつと逢引きしていたのだろう。村に来ていたはずだ。それを見て、怒りが募ったから……」

「それも違います! わたし、あの事件の後はこの村にいちども来ていません!」


 ぽろり、とエマの頬を涙の雫がつたって落ちた。


「はい。あの夜……たしかに私はハインツと逢っていました。だから私だけ助かった。本当ならお母様の隣の部屋で寝ていたはずでした。もしそうだったとしたら、私も同じように炎にまかれて死んでいたはずなのです」

 エマもハインツも苦しそうに顔を歪めた。

「これは罰なのだ、と思いました。私だけが生き残ってしまった。これはきっと許されざる恋をしていたからなのだと。だから……私は村を去ってから、もう二度とこの村を訪れまいと決めていたのです」

 項垂うなだれながら言った。

「お母様の幽霊が出るようになったと聞くまで」

 ぽろぽろと涙が零れ落ちて、ハインツはうろたえ、怒りに我を忘れていたジャルバンさえ言葉を詰まらせた。


 誰も言葉を発しなくなったのを良いことに、はようやく話ができると口を開いた。


「身分違いの恋を罪って認識する時代って、ほんとにあったのねぇ。初めて見たわぁ」


 は時々、空気を読まないことがある。


 は改めて噛んで含めるように言う。

「ねえ、あなた? なんで、半年前の火事で亡くなった人の幽霊が、今頃になって出てくるようになったと思う?」

 ジャルバンはを睨みつける。そして、低い声で問いかける。

「おまえは……それが何故か判るというのか?」

「ええ、まあ」


 周りを取り巻いていた人々が驚きの声をあげる。

 店の若い職員がぽつり「またか」とつぶやいた。彼は何度もがこうして目の前の謎を鮮やかに解き明かしたのを見てきたのだ。


「わたし、依頼書に書かれていた当時の記録を思い出してたの。ひとつエマさんか、ええと、そのときたぶんそこに居たはずのハインツさんに訊きたいのだけど」

 ふたりが揃ってを見た。

 そのふたりがをきちんと見たのはそれが初めてだったかもしれない。お互いにお互いのことしか見えてなかったふたりが、異世界からの旅人をようやく認識したのがそのときだった。

 地球最高齢の名探偵を。

「なんでしょう?」

「記録によると、火事が起きたのは夏至の頃。この街のドラゴン消火隊がやってきたとき、見上げる月を過ぎって現れたって書いてあったわ」

 エマとハインツはふたり揃って頷いた。

「それがなんだと言うんだ」

 ジャルバンが不機嫌そうに言った。

「どのあたりに見えたのか教えてもらえるかしら」

「どのあたりって……」

 ハインツが不可思議そうな顔をしながら視線を上にあげる。天井近くを見つめながらそちらに向かって腕を伸ばした。

「ちょうど、こんな感じでした」

 エマも頷いた。

 はそれを聞いてやわらかく微笑む。


「思った通りだわ」

「おまえは今ので判ったというのか」

「ええ。そうね。エマさんの言うとおりだと思うわ。あなたの奥様は恨みを伝えるために現れたんじゃないわねぇ」

 唸るようにジャルバンは「なんだと」と言った。

「まあ、確かめるのは簡単だと思うの。ねえ、そのお屋敷ってまだ中に入れるのかしら?」

 振り返って店の職員に尋ねる。

「はあ。だいじょうぶだとは思いますぜ。中央の時計台が無くなってっけど、館自体は崩れていませんから。もうちっと燃えてたら危なかったかもなぁ」

 氷の吐息を吐く白竜を擁するドラゴン消火隊はイヴェール村のだ。おかげでこの村では森林火災さえ消し止める。

「ただ、亡くなった女の人はそのときにはもう煙に巻かれてたんで……」

「そう……」

 空気を読まないでも、さすがにその話題になったときには顔に沈痛の表情を浮かべる。

 職員の若者によれば、時計台を撤去するときに大工ギルドカーペンターズ・ギルドの『土とのみ』が入って強度確認は済ませてあるそうだ。

「中に入れるのなら助かるわ。さすがに崩れてくるようなら、このひとたちを行かせられないもの。じゃ、立ち入り禁止を解いてもらえる手続きを取ってくれる?」

「それは……できますが。えっまさか」

「おいきさま。俺たちを……」

 ジャルバンが信じられないという目でを見る。は涼しい顔でこくりと頷いた。

 エマを見つめ、視線をジャルバン、それからハインツへと順に移していった。

「今夜でいいわ。。見に行くといいと思うの」

「わからなくなる……?」

 エマがどういう意味か理解できないという顔をする。


「クリスティーヌさんが伝えたいことが伝わらなくなる、ってこと! せっかく会いに出てきてくれてるんですもの。あなたたち三人で会いに行ってらっしゃいな。心配だったらお店の誰かも付き添ってあげてもいいかもね」

「私たちだけ行かせて、おまえは来ないと言うのか?」

 ジャルバンに睨まれたが、はその視線を柳に風と受け流した。

「ええ。だって、冬の真夜中に出歩いたら腰が冷えてしまうわ。何をすればいいのかはちゃあんと教えておいてあげますから、心配しなくてもだいじょうぶよ」


 は首を振ってハインツへと視線を向ける。微笑みながら言う。

「あなたも行くでしょう? プロポーズするなら、ご両親の前でしたほうがいいでしょうから。ね?」

 

 はっとなったハインツは、ぎゅっと唇を閉じると、まっすぐにエマを見つめた。


「君はもう、この村には来ないと思っていた。俺も諦めようと……。でも、君の姿をこの目で見たとき、俺にはそんなことはできないと判った。俺も、一緒に行かせてくれ。もしそれで君の母上に呪われるというなら本望だ」


 エマは驚きに目を瞠り、涙をふたたび流しながら頷いた。


「いっしょに行ってちょうだい。わたしもあなたを母に紹介したいの」




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