異世界老婦人探偵ちよ

はせがわみやび

第1話 星降る夜に聞かせて

1 異世界転移? あらまあ!

 聖夜の前夜クリスマスイブは異世界へと旅立った。


 はその日、八十歳になった。

 まだまだ腰も曲がっておらず、歯もぜんぶ揃っている。やや小柄になり、顔には皺が増えたものの、健康だったし、頭もはっきりしていた。はっきりしすぎているくらいで、だから彼女は実はちょっとすごいおばちゃまなのである。

 この歳まで独身だったけれど、助手として勤めていた娘を養子にして、その娘が女の子を産んで、その女の子がさらに娘を産んだから、孫ひ孫たちに囲まれて誕生日を迎えることができた。


 ふわふわの焼き菓子には丸く立てられた八十本の蝋燭。それをはをひと息で吹き消した。

 そうして気づいたら。


 四方が真っ白な壁に囲まれた六畳ほどの部屋に居たのである。


 部屋の中央には何故か炬燵こたつが置いてある。炬燵の上には竹で編んだ籠の中に蜜柑が団子のように積まれていた。


「怖がらないで聞いてください、ご婦人レディ


 声を発したのは炬燵こたつの向かい側に座っている金髪碧眼の青年紳士だった。麻の背広がとてもよく似合っている。


「貴女は世界の壁を越えてしまいました」

「あら、じゃああの、丸く並べられた蝋燭を左回りに吹き消してしまったのがいけなかったのかしら」


 そうが言うと、青年紳士は驚きにぽかんと口を開ける。


「どうして判ったのですか……!」

「うふふ」


 簡単なですよ。は内心でそうつぶやいた。だってここに来る前にがしたいつもと違うことはそれくらいだったのだし。

 だから、あれがだったのだろう。

 驚くような推理でもない。にとっては脳のごく一部を使っただけのごく普通のことだった。でも美形イケメンのびっくり顔を堪能したかったので、にっこりと笑みだけ浮かべる。


「では、ここは『どこでもない部屋』なのね」

「はい。正式な名称は〈時の狭間の部屋〉と言います。しかし、本当に驚かないのですね。なんと豪胆なご婦人レディだ」

「いえいえ、ちゃあんと驚いてますとも。そうなると、わたしは死んでしまったということかしら?」

「ご心配なく。貴女は生きてますとも、ただ、大変に申し上げにくいことなのですが。貴女はもう元の世界には戻れない」

「では、あなたは『案内人』というわけね」


 の言葉に紳士はさらに驚いた顔になった。

 端正な顔がぽかんと口を丸く開けている様子は可愛らしい以外の何ものでもなくて、は眼福だわーと内心で喜ぶ。

 しかし、これも大した推理ではないのだ。だって小説くらいは読む。これはあれだ「異世界転移」というやつにちがいない。異世界に主人公が飛ばされるという類型のお話だ。そういう場合、何が起こったのか主人公に丁寧に説明してくれる案内役にあたる存在が登場するものなのだ。


「ええ、何もかも貴女の推理の通りです。八十本の丸く立てた蝋燭をひと息で左回りに吹き消すこと。それこそが世界を越えるために必要なことでした。そして私はおっしゃるとおり、貴女のような世界転移者プレーンウォーカーを案内する役に就く者。世界と世界の間に聳える壁に立つ『案内人』なのです。名推理です」

「お世辞はいいんですよ。これくらいは、れでぃのたしなみですから。それよりも、『案内人』さん。あなたはどんな案内をしてくれるの?」


 それが……。と『案内人』が申し訳なさそうな顔をする。


「私に許されているのは助言だけなのです。壁を越える者にひとことだけ助言をすることが許されています」

「ありがたいことですね。それで、どのような助言を頂けるのでしょう」


 の言葉に、若き紳士はすこしだけ言い淀む。辛抱づよくが待っていると、彼はついに口を開いた。


「実のところ、貴女がこれから訪れる世界は極めて危険な場所なのです。命が幾つあっても足りないような……。刺激に満ちてはいますが危険も多い。そんな世界に高齢の貴女を連れていくのは心が痛みます……」

「危険なのね。判ったわ」

「……えっ?」

「判ったわ。助言をありがとうね。綺麗なお兄さん。でも、せっかくここまで生きてきたのだもの、もうちょっと生きていたいわ。あなたの助言を心に刻んで頑張って生き残れるよう努力するわね」


 呆然とした顔になった金髪青年紳士だったが、はっと我に返った。


「じょ、助言はこれからです! 今のは前ふりですから!」

「あらまあ──」

 は驚いてしまった。

「危険ですよ、と教えてくれるだけでも有り難いのに。助言のお代わりまで頂いてしまえるなんて。嬉しいわぁ」

「ふつうはこれくらいじゃ助言になりませんから! もっと欲しがるものですから! 謙虚にもほどがありますよ! おばあちゃんってば!」

 慌てる『案内人』の言葉を、だが聞いているのかいないのか。

 はさらりとこんなことを言う。

「でも、そもそもこの出来事そのものが、お代わりかもしれないわねえ」

 しみじみとしたの言葉に、『案内人』は不思議そうな顔になった。

「お代わり、ですか?」

「ええ。そう。わたしね、今日が八〇歳の誕生日だったでしょ。この歳になるまで、世界のあらゆる謎を解いてきたわ。三つのときに家事をしていた母が失くしてしまった結婚指輪を見つけてあげたときから八〇までずっと」

「おお……それはなんという」

「大好きだったのよ、謎解きがね。八〇になっても。でもそろそろ世界に『わたしでなければ解けない謎』ってすくなくなってきたかしらって感じてたわ」

「はあ……なる、ほど」


 案内人はいったいこの老婦人は何を言い始めたのだろうかという表情での顔を見ていた。


「でも! いまからわたしは新しい世界に行くのね。異世界……わたしが今まで住んでいた地球とは何もかもがちがう世界へ。しかも八〇本の蝋燭を吹き消す機会チャンスなんてこの歳まで生きてきたからこそ、でしょう?」

「はあ、まあ。そうなりますね。生まれながらの世界転移者プレーン・ウォーカーでもないかぎり」

「素晴らしいお代わりだわ! 八〇まで生きてきたわたしに対してのなんという素晴らしい誕生日の贈り物バースディプレゼント。なにもかもが違う世界には新しい謎がいっぱいあるはず。ああ……」

 うっとりと目を細めるに『案内人』は正直すこし引いていた。

 だが、そこは彼も玄人プロである。

 きっちり役目を果たすべく、に向き直った。


「ええと、では、よろしいですか。たったひとつの助言です」


 は、おとなしく青年紳士の言葉を待った。


「世界の壁を越えたら、最初に話しかけてきた人を大切にしなさい」


 は首を傾げた。

「ええと……それはどういう……」

 だが、答えは返らない。そのときにはもう、の周りには光が溢れだし、部屋がゆっくりと消えてゆくところだったのだ。

「あら、あら、あら。始まっちゃったわ。ええと、どんなおっかない世界に行くことになるのかしら……。わくわくしちゃうわね!」


 周りの風景が舞台が暗転したかのように変化した。

 光と音が戻ってくる。


「てめえが犯人だってぇ、もうわかってるんだ! 許さねえぞ!」

「だから何度も言っとるだろうが、おれじゃねえ!」


 目の前で、上半身が裸の巨人と、鉄の兜を被った人の背丈の半分ほどの赤ら顔の小人が喧嘩をしていた。


「あらあら、喧嘩はだめよ。仲良くしなさいな」


 そこが日本でないことも現代でないことも明らかだったけれど、はいつものようにそんなことは気にせずにひとこと言ってしまった。

 はいつもひとこと多い性格なのだ。


 その言葉に、ふたりがくるっと振り返る。


「「なんだ、ばばあ!」」


 ふたり同時にそう叫んだ。

 はあらら、と困ってしまう。『案内人』の言葉を思い出したからだ。

 

 ──世界の壁を越えたら、最初に話しかけてきた人を大切にしなさい。


 最初に声を掛けてきた人を大切にしなさいって言ってたわ。

 でも──どっちが最初に声を掛けた人なのかしら。今のはふたり同時だったわよねぇ。ということは、このおふたりをまとめて大切にすればいいということかしら? 


 そのとき、ごおんとひとつ、鐘が鳴った。壁にかけられた柱時計が十二時を告げる。窓の外は暗いから真夜中の鐘だ。


「まあ、日が変ってしまったわ。ということは今日は聖夜クリスマスね」


 の言葉を耳にしても、いがみあっていたふたりの表情は変わらない。

 それどころか、より目つきが険しくなった感じもする。


「なに言ってやがる」

「ひっこんでねぇと怪我するぜ、ばあさん」


 凄むふたりには微笑みかける。


「あなたたち、もうちょっと落ち着いてわたしに話してみない? そうしたら、わたしがあなたたちの抱えている悩みを解決してあげるわ」


 その場所は、大勢の人々がたむろしていて喧噪に包まれていた。

 老女にはなつかしい煙草の匂い。汗と酒の匂い。そこは酒場だった。

 

 酒場の喧嘩から始まるのが異世界幻想譚ファンタジーってものよね。

 はそんな呑気なことを考えつつ、ふたりの答えを待つ。


 このとき、目の前のふたりからどんな答えが返ってくるか、はすでに予想していた。

 そんなことは彼女にはちょっと考えればわかりすぎるくらいわかる。

 なぜなら。


 は元の世界では世界最高齢のだったのだ。



★★★★★

というわけで異世界に世界最高齢の名探偵が転移して始まるミステリです。

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