3 とくべつな日

〈つるぎ山のゴロウ〉は毎朝、山にシバ刈りに行くのが日課だった。


「柴刈り?」

「知らねえのか?」

「知ってるわよ」

 

 柴とは、落ちている枝や小さな雑木のことだ。かまどの燃料として使う。桃太郎のお爺さんが山に行って刈ってくるのが柴である。


「俺んちの裏山で獲れるシバはうめえんだ」

「うまい!?」

「苦労したんだぜ。朝に出て、とっ捕まえて帰ってきたのがついさっきだ。夜になるわ、寒いわで、もうすこしで凍えちまうところだったよ。けど、でっかいのを獲ったからよ。三日は困らねえな」


 シバって、なに!? 生き物なの!?


「なるほど、わかったわ」

 わからなかったがはとりあえずそう返した。

「それは先ほどのカラブとどっちがおいしいの?」

「カラブだな。けど、カラブの肉は滅多に手に入らねえ。シバは裏山でいくらでも獲れる。とにかく大猟だったんだ。これで祭りも過ごせるって喜んだ」

「お祭りがあるのね」


 言いながら、は先ほど心配そうに自分の身を案じてくれた赤毛の給仕娘にちらりと問いかけの視線を投げた。給仕娘が察して話してくれる。

「明日、いえもう今日ですね。夜がいちばん長くなるんです。つまりこれからはどんどん日が伸びていく。春が来るんです。明日は冬が峠を越えたことを祝う日で、その日は村の人たちが総出でお祭りをするんですよ。村中を飾りつけて〈冬姫様〉をお迎えするんです」

「冬至のお祭り……ってところかしらね」

 地球にも季節ごとのお祭りがある。とくに日の入り日の出の特別な日に祭りを行うというのはよくある話だった。

「その〈冬姫様〉というのは?」

 赤毛の給仕娘がまたも答えてくれる。

妖精の女王フェアリークイーン様です。王家の方々は妖精郷フェアリーアースから夏と冬の特別な日だけ地上にやってくるんですよ。〈夏王様〉と〈冬姫様〉をお迎えするお祭りがそれぞれの季節にあるんです」

 察するに夏至と冬至の祭りなのだろう。


「つまり、明日はお祭りで、だからあなたはお肉が欲しくて裏山にシバを狩りに行ったというわけね」

「まあ……そうだ。寒くて寒くて難儀したが、獲物は大猟だったからいい気分で帰ってきたら、こいつが俺の家から出てくるところだった」

「あらまあ。おうちに鍵は掛けてなかったの?」

「〈つるぎ山のゴロウ〉の家に押し入る奴なんていねえからな」


 自信たっぷりに言ったけど、自慢げに言うことでもない気がするわ。

 は思ったが口にはしなかった。 


「それで……、家に帰ったあなた──五郎さんはどうして瓢箪の中のお酒が無くなっていることに気づいたのかしら?」

「戸棚の戸がほんのすこうし──」

 言いながら、親指とひとさし指で隙間を作ってみせる。ほんの五センチほど。巨人のゴロウの大きな手の太い指で作っている空隙はとても小さなものだったけれど、はやはりなと大きく頷く。

「隙間があるので、誰かが戸棚を開けたと思ったわけね?」

「ああ」

「で、五郎さんの家から出てきたダムダさんを見て」

「ダムダムだ」

 赤ら顔の小人が口を挟んだ。

 素直には謝りつつも、話をつづける。

「ごめんなさい。で、五郎さんはダムダムさんが盗ったと思ったわけね……」


 は目を閉じた。

 その場面を脳裏に思い浮かべてみる。

「ねえ、五郎さん」

 目を開けてからは言う。

「その戸棚が目の前にあると思って、瓢箪を取り出したときの手つきを正確に再現してみてくれないかしら」

「はあ? ……まあ、いいけどよ」


 ゴロウは首を傾げつつも目の前の戸棚に腕を突っ込んで何かを引っ張り出す仕草をしてみせる。手の甲を上にしてその何か──たぶん瓢箪──を掴んでいる。


「その手つきだと……瓢箪は倒れていたってこと?」

「そうだ。ちゃんと立てて置いたのによ。おおかた、俺が帰ってきたことに気づいて慌ててそのまま出てきたんだろうさ」

「なるほどね。わかったわ。ああ、ダムダムさん、言いたいことはわかるけど、ちょっと待ってね」


 に釘を刺されて口を噤む。


「じゃあ、ダムダ……長いから、『ダムさん』でいいかしら?」


 酒場がざわめいた。

 赤ら顔の小人は口をぎゅっとつぐんだままおとなしく頷いた。そこでまた酒場のざわつきが大きくなる。頑固者の小人は自分の名前に誇りをもっていて、妙な略称で呼ぶ者などいないというのが酒場の常連の常識だったからだ。

「ダムさんが、今朝、五郎さんのお家を訪ねたのはまちがいないのね?」

「ああ」

 ぶっきらぼうにそう言った。

「でも、五郎さんは居なかった」

「ああ。留守だなと気づいて、出直すことにしたんだ。それだけだ」

「で、帰るところを五郎さんと鉢合わせた」

「ああ」

「それで……そのあとはどうしたの?」

「帰った。というか、この店に来た。寒かったからな。火酒でも呑もうかと」

「散々、呑み散らかしておいて、まーだ呑む気だったのかよ?」


「おれじゃねえよ」

 ふいっとそこで顔をそむける。

 は優しい笑顔で問いかける。

「ねえ、ダムさん、どうして、五郎さんの家を訪ねたの?」

「そ、それは……」


 ゴロウが咎めるように言う。

「酒を盗みに来たからだ!」

「ちがう!」

「じゃあ、なんでだよ!?」

「……」


 は「そんなに責めたてるものじゃないわよ、五郎さん」と穏やかな声で諭す。

「だって、ダムさんはあなたのためにお家に来たのだもの」

 弾かれたようにダムダムはを見た。

 ゴロウは喉の奥で唸るように「なんだと?」と言った。


「おい、ばばぁ。いい加減なことを言いやがると、温厚な俺も怒るぜ?」

 脅すように言われたが、は涼しげな顔で給仕娘に頼む。

「きれいなコップをひとつ、もってきてくれないかしら?」

「あ。はい、いいですよ。おばあちゃん」


 赤毛の娘は気立ても良いようで嫌な顔ひとつせずにカウンターに戻った。

 マグカップを洗っていた男性が拭いていたカップを渡そうとするが、は声を張り上げてお願いする。

「できれば金属のやつがいいわ。あるならガラスで」

 に言われて給仕娘がもってきてくれたのは青い色のガラスのコップだった。きれいな色付きガラスの器だ。きっと高いにちがいない。金属のグラスだと金物の匂いがつく、だから陶器かガラスのほうがいい。


 はコップを受け取る。

「その瓢箪、ちょっとお借りしていいかしら?」

「なにもねえぞ」

「いいからいいから」


 は瓢箪をひっくり返すと、中にかろうじて入っている蜂蜜酒をコップへと移した。たらりたらりと垂れてくる雫は一滴、二滴といった感じで、それでも辛抱強く待っていると、コップの底に皮一枚貼りつけるくらいには残っていた。

 蜂蜜酒の甘い香りがの鼻先をくすぐる。ああ、良い匂いだ。


「ダムさんはお酒が強いのね?」

「ああ」

「お酒にも詳しいと思っていいかしら?」

「まあ……」

「じゃ、このコップのお酒を舐めてみて」

「おい!」

 慌てたのはゴロウだ。自慢の酒を一滴も呑めないうえに、わずかに残った雫さえもダムダムに取られるとあっては黙っていられない。

 けれどは涼しい顔でダムダムにコップを渡した。


 赤ら顔の小人はコップを受け取ると、むっつりとした表情のまま底を覗き込む。傾けて雫を手のひらで受けようとして──その前に気づいた。はっとなる。手が震えていた。コップに溜まったわずかな酒を傾けてから指ですくいとると舐めた。

「あ、ああ……」

 恍惚とした表情になる。

「うめぇ……」

 吐息とともに吐き出すようにして言った。

「あったりまえだ! 八年物の蜂蜜酒ミードだぞ!」

 だが、ダムダムはゴロウの言葉を首を横に振って否定した。

「こいつは……そんなていどのもんじゃねえ。うますぎる!」


 はにっこりと微笑みながら言う。

「わからないなら、五郎さんも舐めてみればいいわ」

 ゴロウはコップを受け取って舐めた。

「うお! ……なんだ、こりゃあ! 確かにうますぎる!」


 でしょうね、とはつぶやいた。


「で、五郎さん、お気づきになったかしら」

「ああん?」

「今のダムさんのお顔、見てたでしょう。ねえ、もし、あなたの家にあった酒を盗み呑みしてたら、そのお酒を呑むのは二度め。あんな顔はしないでしょ」


 ゴロウははっとなった。

 確かにの言うとおりだった。目の前で見ていたからわかる。ダムダムの表情の変化はその酒を初めて呑む者のそれだった。


「い、いやだって。そんなバカな。じゃあ、こいつはなんで俺の家に……」

「あなた、自分で言ったわよね。それ、特別な日に呑もうと思ってた酒だって」

 ゴロウは頷いた。

「その特別な日って今日、いやもう昨日ね。昨日だったんじゃないの? だからお肉も取ってきた」

「昨日は俺の……誕生日だったんだ」

 酒場がまたひとしきりざわついた。

 どうやら〈つるぎ山のゴロウ〉が冬至の日に誕生日だとみなは知らなかったらしい。


「実はわたしも昨日、誕生日だったのよ。みんながお祝いしてくれたわ。ケーキをもってきてくれて、ハッピーバースディを歌ってくれて……」


 そうして蝋燭を吹き消したとき、はこちらの世界に跳ばされた。

 もう帰れない。

 彼らの声を聞くことも顔を見ることも二度とできないのだと思うとそれは悲しいことだけれども、ただ大好きな人たちにこの歳までお祝いしてもらえたことはの心に永遠に残る。

 

 自分が世界に生まれたことを祝ってくれる人がいるのは幸せなことだ。


「ダムさんは、あなたの誕生日をお祝いにあなたの家に行ったのよ」

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