4 楽しき哉、人生!
「信じられねえな……」
「どうして?」
「じゃあ、なんでこいつは俺と会ったときにそう言わなかったんだよ」
「あら。その理由は簡単よ。あなたがシバを狩ってきたからだわ」
きょとんとした顔になったゴロウを見て、ちよは「ああ、ふつうはわからないものなんだな」と思った。こんなにわかりやすいことなのに。
「五郎さん、家から出てきたダムさんに『うまい肉を獲ってきたから食っていけよ』みたいなことを言わなかった?」
ゴロウは目を丸くした。
「そう言われたら、ダムさんは遠慮しちゃうわよ。だって、ダムさんがもってきたあなたへの贈り物もお肉なんだもの」
「肉だあ?」
そこで赤毛の給仕娘が「あっ」と声をあげた。これはちよにはありがたい手助けだった。ちよが言っただけでは単なる妄想にも思えてしまう。客観的な証拠を誰かが言ってくれたほうが真実味が出るのだ。
「ひょっとして、ダムダムさんがお店にもってきてくれたあのカラブのお肉ですか?」
青い肉のほうにちらりとちよは視線を向ける。なるほど、渡しそびれた肉をどうしたのだろうと思ったが、そこに行ったのか。
「あなたの好物のお肉をせっかく持ってきたのに、目の前でうまい肉を獲ってきたって自慢されたら渡しにくくなるでしょ?」
「俺のために……珍しく貴重なカラブの肉を?」
まじか、という視線をゴロウはダムダムに注ぐ。
ダムダムはふいっと視線を逸らしたが、赤ら顔がさらに赤くなっているから、それが図星であることは明らかだった。
「待て待て待て。待ってくれ! じゃあ、俺の酒を呑んだのは誰なんだ!」
ちよはゆっくりと息を吐いた。
さあ、これで残った謎はひとつだけになった。
その答えももう目の前にある。瓢箪の中にすこしだけ残っていた蜂蜜酒の味が証明している。あのお酒は美味しすぎるのだ。
「わたしはこの世界にきたのはついさっきなのだけれどね」
ちよが言って、赤毛の給仕娘が「えっ?」と首を傾げた。
「おばあちゃん、旅人だったんですか?」
「旅人……そうね、そうも言えるかもね」
異世界からの渡航者を旅人と呼んでもいいのかは迷うところだが。
「わたしの世界には『妖精の取り分』とか『天使の取り分』という言葉があるのよ。お酒が熟成していく途中ですこしだけ最初の量から減ってしまうことを言うの」
酒場の給仕娘が指を顎に当てながら言う。
「それって、〈加護の分け前〉のことですか?」
「こちらの世界ではそう言うのね。たぶん、それってほんとうに妖精が居て、彼らにお酒を分けているんではなくて?」
妖精郷からやってくる〈冬姫様〉と〈夏王様〉の話を聞いたときにちよにはピンときたのだ。
「はい。そうですよ。妖精さんは分け前のぶんだけお酒をおいしくする魔法をかけてくれるんです。ただ、
ちよは首を縦に振った。
「まあ。じゃあ、どうやってお酒をおいしくしてもらうんでしょう」
「いまはその話は後にしましょうね。とにかく、その魔法をかけてもらえばお酒はとんでもなくおいしくなるってわけね。その──」
ちよは青いガラスのコップを指さした。
「瓢箪の底に残っていたお酒のようにね」
ちよは座っていた椅子の背にちいさな体を預けた。きぃと古ぼけた椅子がきしんだ音を立てる。
酒場はいまやちよの推理を聴くために静まり返っていた。
「待ってくれ。じゃあ。俺のとっておきを呑んだのは……」
「妖精さんでしょうね」
「なんてこった!」
赤毛の給仕娘がほうとため息のような息を吐いた。
「おばあちゃん、すごい! なんで、見てもいないでぜんぶわかっちゃうんですか!」
「あら。わたしは見たわよ?」
え? と赤毛娘は首を傾げる。その仕草は孫娘を思い出させてとても可愛らしかった。ちよは笑顔になりながら言う。
「五郎さんが手つきで教えてくれたもの。戸棚の戸はちょっとしか開いてなかった。瓢箪は横倒しのままだった。ほんとうにこっそり盗むつもりなら、そんなあからさまに戸棚を荒らしたままにしておかないわ」
「なるほど……。たしかにそうかも」
給仕娘が感心したという目つきでちよを見た。
「あのね、そんなに大したことじゃないのよ。これは最初に五郎さんが戸棚の奥に隠していたって言ったときから見当がついていたの。だってあの、気を悪くしたらごめんなさいね。ダムさんの背では、五郎さんの家の戸棚の奥になんて手が届かないでしょう?」
髭小人の背は八十歳になったちよよりも小さいのだ。
「じゃあ、戸を開けたのも、酒を呑んだのも……妖精のしわざ……」
「ええ。間違いないと思うわよ。だから早く家に帰ったほうがいいわ。言ったでしょう? うまく盗むつもりなら戸棚を荒らしたままにしないって」
「ど、どういう意味だ?」
「戸が開いたままなのはね。その戸棚の奥で妖精さんが酔っぱらったまま寝ているからだと思うわけ」
ちよが言い終える前に弾かれたようにゴロウは店の扉に向かって歩き出していた。
「まってちょうだい!」
ちよは今日いちばんの大声を張り上げた。ゴロウの背中を見送っていた店の中の人々がびっくりしてちよへと振り返るほどだった。カップを拭いていたカウンターの中の男性は焦ってコップを落としてしまい、貴重なガラスのコップをひとつ割ってしまった。
「ゴロウさん、ここを出るまえにすることがあるでしょう?」
やわらかな視線で促すと、はっとなったゴロウは向き直って深々と頭を下げたのだった。
ダムダムに。
髭の小人は照れくさそうに鼻の下をこすった。
「いいから、さっさと行けって。そんで妖精に言ってやんな。分け前にしちゃ取りすぎだってな」
「お、おう! すまねえ! その……戻ってくるからよ」
「シバの肉、忘れんなよ」
「ああ! た、たっぷりあるんだ。みんなも食ってくれ!」
酒場のなかにいた全員が拍手をしたのだ。
扉を開けて走っていったゴロウへと歓声を送る。
それを見送りながらちよはつぶやいた。
「友だちは大事にしなくちゃいけないわ」
お祝い事をいっしょに祝ってくれる友人たちさえいれば、人生はとても楽しいものになるのだ。
八十歳のちよが経験を込めて言うのだ。
間違いなかった。
「おばあちゃん」
赤毛の給仕娘がマグカップを抱えてやってきた。
「はい。これ、マスターから。騒ぎを収めてくれたお礼だって」
「あら」
渡されたのは熱々のミルクだ。
「まあ、おいしそうだこと」
「おばあちゃんも誕生日だったんでしょ。お誕生日おめでとう、おばあちゃん」
優しい娘から温かいミルクとともにそう言われ、ちよはほうと吐息をついた。
「間違いないわね」
祝ってくれる友人さえいれば、人生はとても楽しいものになる。
そこが異世界であったとしても。
(おしまい!)
─────────
異世界おばあちゃん探偵のお話は、時々投稿していくつもりです。
フォローしていただけると更新時に気づいていただけるかと思いますです。
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では、みなさまにも素敵なクリスマスが訪れますように!
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