12. 彼女の記憶
横浜市戸塚区
そこは横浜市と言えないような、田園風景のある土地で、小高い丘のような部分に、田畑が広がっていた。
そんな中、博士のラボが健在していた。船橋と同じような一軒家かと思いきや、こちらは大学の研究室のように、そこそこ大きな造りをしていた。ただし、それを覆い隠すように、周囲には木々が茂っていた。
こちらは、ほとんど打ち捨てられたように無人だった。
もちろん、正面のドアは固く閉まっている。鍵はない。
だが、こじ開けるように命令しようと思った僕に対し、ヒビキはそれを手で制した後、眼を閉じた。
何が起こったかわからないまま、数瞬後、
―カチャ―
ドアが内側から開く音が聞こえてきた。
「何をしたんだ?」
ドアを開けながら、彼女に聞くと、
「遠隔操作です。ここの鍵はラボ内にある、メインコンピュータで管理してます。そこに侵入して、アカウントでログインしてリモートで開けました」
僕のようなIT技術者ならわかるが、一般人には恐らくわからないと思われる回答だったが、要は管理しているコンピュータに侵入し、そこから管理者権限で入って、遠隔操作で開けたことになる。
ここが最新セキュリティーが入っている施設なのはわかった。
中は、案外広く、1階は、会議室や寝室、キッチンがある生活スペースに近く、2階はいくつかの個室と風呂、トイレがあった。
そしてここもやはり「地下」に施設があった。
ヒビキは、内蔵データとして、ここのラボのデータを持っているようで、簡単に地下室へのドアを開けてしまった。
階段を降りていくと、船橋の地下よりも広く、いくつかのノートパソコンと、船橋でも見たような救命ポッドがあった。
そのポッドには電極があり、確か記憶では船橋では、博士がこの救命ポッドにヒビキを入れ、液体で満たした上で、電極を彼女の背中のコンセントのような部分に当てていた。
恐らくそれが、「充電」になっているのだろう。
それ以外にも、僕が自宅に保管している、小型の充電器もあった。
だが、今は充電の必要も、救命ポッドの必要もない。
では、僕がここに来た理由は、というと。パソコンにあった。
机の上に置いてあるノートパソコンを開く。
ログインアカウントは当然のように、彼女が知っていた。
ログインすると、GUIコンソールのデスクトップにいくつかのアイコンやフォルダがあった。
その中に、もしかしたらデータがあるのか、と思ったが、もちろんそんな単純な話ではなかった。
仕方がないからスタートメニューから検索をかける。
検索欄に「HR-V439」と入れて。
数瞬後、いくつかのフォルダが表示されてきた。
フォルダのタイムスタンプを見ると、古い物では2016年などという、15年以上前の古いフォルダも散見された。
最も新しい物は、2033年、つまり今年の1月だった。
つまり、仲夏帝国軍の侵攻が始まる少し前までここは使われていた形跡がある。
それよりも検索結果だ。
いくつかのフォルダを漁ってみたが、HR-V439の仕様書や概要書、基本スペックの類の資料が、pdfやexcel形式であるだけだった。
いくつか開いてみるが、どうにも有益な情報がない。
ただ一つ、記憶領域としては、彼女の脳に領域が確保されているのはわかった。
特にデータに関する物に関してはどこにもなかったのだ。
(希望が絶たれたか)
先程から、じっと僕の動きを目で追ったまま、ほとんど硬直しているような状態の、ヒビキを見て思ったが。
ふと、思い出していた。
僕はノートパソコンに繋がっているHDMIケーブルを抜き、それを彼女の首の後ろにあるプラグに挿入した。
そう。以前から気になっていたが、彼女には、背中の起動装置、充電コンセント以外に、首の後ろに明らかにHDMIの端子に符号するコンセントがあったのだ。
当たりだった。
すっぽりと繋がるHDMI。
そして、パソコン内に映し出された画像を見て、僕は気付いたのだ。
「クラウドか」
パソコンの画面には、英語と日本語が混じった、複数のコンテンツが自動で開いてあったが、僕は仕事柄、それに見覚えがあった。
クラウドとは、英語で「cloud」、つまり「雲」を意味するが、一般的にはIT業界では「クラウド・コンピューティング」を意味する。
これは、つまり従来のオンプレミス(=サーバーやソフトウェアなどの情報システムを、使用者が管理している施設の構内に機器を設置して運用すること)とは真逆に、インターネット上の仮想空間にデータを展開することを指す。
具体的には
つまり、SaaSの場合は、インターネット経由のソフトウェアパッケージの提供。電子メール、グループウェア、CRM(顧客商品管理)などを指す。
PaaSは、インターネット経由のアプリケーション実行用のプラットフォームの提供。仮想化されたアプリケーションサーバやデータベースなどを指す。
ある意味では、僕の予想通りだった。
(PaaSか)
この場合、PaaSの概念に近く、「彼女」の脳のデータ自体がバックアップとして、クラウド上に配置されており、インターネットを介し、仮想マシン (
つまり、彼女のデータがどこかのタイミングでこのVMに送られていれば、そこから過去のデータを復元できる。
そして、僕はその「タイミング」こそが、「充電」の時ではないか、と睨んでいた。
何しろ、彼女に付属していた充電器が、特殊な物で、通常の携帯電話の充電器と違い、複数の端子がついていた。
その端子、というか電極から、恐らくデータをインターネット上に送り、それがクラウドに自動保存される仕組みになっているに違いないと見ていた。
(ビンゴ!)
そして、そのVMの画面を開き、僕は心が躍るのだった。
VM上には、実際にパソコンのコンソールを立ち上げる、つまり起動ボタンのようなオンオフを示す物もあったが、それ以外に多数のフォルダがあった。
その中に、ついにHR-V439_BK(バックアップ)というフォルダを見つけたのだ。
中を開くと、2032年12月、2033年1月、2月、3月。
彼女が起動してから、それぞれ1か月単位でフォルダがあり、その中にはさらに細分化されて、1日ごとのフォルダがあった。
ただ、そのフォルダ自体が3月16日で切れていた。つまり、辻褄は合う。
推定だが、恐らく彼女が「充電」する時に、1週間分の記憶を同期して、1週間分のバックアップデータがこのクラウド上に送られる仕組みだろう。
思い返してみる。
2033年3月16日、水曜日。その日に、僕とヒビキは仲夏帝国軍に襲われ、彼女の記憶は、彼女の頭半分と一緒に吹き飛んだ。
その後、博士のラボで修理と脳の復元をしたことになるが、仮にそこで充電されても脳が消えた時点以降のバックアップデータはないはずだ。
逆に言うと、その1日前のデータを復元すればいい。
2033年3月15日、火曜日。
そのデータをフォルダから持ってくればいいだけだ。
後は簡単だった。
一応、IT業界で働いていて、ある程度のクラウドの知識がある僕は、一応、念のためにと、探し当てたリストア手順書に従って、データを復元。
上記の日付のデータを持ってきて、現在の彼女の脳の記憶領域にデータとして上書き保存するだけだった。
それを実施した後。
「陽介さん。私、どうしてここに?」
思わず、僕は抱き着いていた。
彼女が、あの日の記憶を持ったまま、甦っていた。
「ヒビキ!」
抱き着いて、涙を流す僕に、彼女は、
「何があったか知りませんが、良かったです」
薄っすらと笑みを浮かべていた。それは、まるで「生きた人間」のような感情に思えた。
僕と彼女は、再び「記憶」を手に入れた。ただし、彼女が「壊れて」からここまでの記憶が今度は「失われた」のだが。
そして、その瞬間。
彼女が、不思議なことを発したのだ。
「陽介さん。たった今、私のところに、あなた宛に博士からメールが届きました」
彼女は、それをセンサー(眼)を通して、モニターに投影するという。
そこには驚くべき事実が並んでいた。
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