6. 希望の光か絶望の影か
深夜2時。
僕はこっそりと、避難場所になっている八千代市の小学校を抜け出すことにした。
事前に自衛隊員の配置場所を記憶しておいた。つまり、警備と言っても、ここは前線から離れていたし、警備体制自体が緩かったのが幸いした。
恐らく、何か有事があれば、他の隊員から連絡が来て、この避難所の人員を動かす指示を彼ら自衛隊員たちが実施する手筈なのだろう。
だから、夜間には2名の見張りしかいなかった。
僕は夜目を効かせて、小学校の裏口から出て、グラウンドを突っ切って、一気に街道に出る。
だが、ただでさえ重い「彼女」をかつぐようにして移動するため、その移動は困難を極めた。
何とか街道に出るものの。
この一帯には、仲夏帝国軍の攻撃はなかったが、戦争による、国家非常事態宣言が発令されていたから、当然、車通りもほとんどない。
そんな中、およそ5キロもの道のりを歩くことになる。
相変わらず彼女は、一言も発せず、眼も虚ろなまま。ほとんど機能停止状態に近かったが、幸い人間らしい「鼓動」を感じることは出来たから、どうやら「生きて」はいるらしい。
やっとのことで、山田さんが教えてくれた場所にたどり着いた。
山田さんは、わざわざ紙の地図まで持たせてくれたのだった。
後は、ここに博士がいるかだが。時刻は深夜3時。
非常識すぎる時間だろう。
さすがにこの時間に博士のところに訪れるのは憚られた。
そのため、ラボに着いた時点で、僕は考え、決意をする。
(朝までここで寝よう)
と。もっとも5キロも歩いて疲れていたのもあった。
幸い、その秋葉原博士のラボというのは、小さな庭がある小綺麗な一軒家のような家だった。
一見すると、ちっともラボ、つまり研究所には見えないが、表札には、確かに「秋葉原ラボ船橋支所」と記載があった。
支所ということは、山田さんが言うように、都内や近郊に複数あるのかもしれない。
深夜だから、もちろん灯りは消えていたが、僕はここに博士がいることを祈って、庭に入り込み、そこの芝生の上で彼女を置いたまま、眠りについていた。
本来なら、これは「不法侵入」とも言える行為だろう。
だが、僕は非常時ということもあり、居ても立っても居られない状態だったのだ。
そして。
「おい、起きろ」
野太い声で起こされていた。
目を開けると、目の前には、頭が後退した白髪頭、白衣姿の老人が立っており、腕組みをしながら、こちらを
辺りはすっかり明るくなっており、朝になっているとすぐにわかった。
「……秋葉原博士ですか?」
「そうだが、何だ、お前は。人の家に勝手に入り込んで、勝手に寝おって。警察に連絡するぞ」
さすがに怒っているのはわかる。だが、今は何よりも緊急事態だ。ここで博士に会えたのは幸いだった。
「僕の名前は、只見陽介。母の名前は美穂、そして彼女は……」
言いかけて、彼の表情が変わっているのに気づいた。
「やはりか。お前の脇にHR-V439がいたからな。美穂さんの息子か」
それを聞いて、脇を見ると、彼女の姿が「なかった」。
慌てて、僕は周囲を見渡す。が、どこにも陰も形もなかった。
「ああ。彼女か。心配するな。私がラボ内に運んで、修理している」
安堵するが、聞きたいことは山ほどあった。
まずは、発声、発音しないことについてだ。
だが、質問しようとした矢先。博士が手で制してきた。
「まずは落ち着け。そして、中に入れ。話は中で聞く」
言われて、僕は博士の後に続いて、建物に入った。
建物の内部は、本当に一般の一軒家のような造りになっていて、リビングやキッチン、風呂やトイレ、寝室などがあり、2階建てだった。
だが、博士はというと。
キッチンで、自分用と僕用にドリップコーヒーを淹れ、マグカップを僕に渡し、自分も別のマグカップを持ったまま、僕についてくるように言った。
すると、玄関の脇。
ちょうど階段の下だった。
本来、何もないはずの空間、白い壁に手を当てた博士が、少し手を横に動かした。
瞬間、壁の間から小さな突起物が出てきた。そのボタンを押すと。
―ウィーーーン―
駆動音と共に、階段下のスペースが開き、新たな階段が現れた。どうやら地下室に続いているらしい。
何とも物々しいというか、厳重だった。
博士に従って、降りていくと。その途中で、博士が興味深いことを口走った。
「ここは核爆発が起こっても耐えられる、一種の核シェルターになっている」
「随分、厳重なんですね」
「当然だ。私の貴重な研究を核戦争ごときで邪魔されたくない」
研究者というのは、得てして頑固で、自分だけの変なこだわりを持っていることが多いが、彼もその部類だろう。
降りた先には、8畳ほどの小部屋があり、その中央にカプセルのようなものがあった。カプセルの中には見たこともない青い液体が入っており、その中に裸になっている彼女が入っていた。こうしてみると、本当に人間そっくりで、胸の部分まできちんと女性として、表現されていた。胸の大きさは標準的な物に見えた。
もちろんヒビキだ。
いつの間にか、ちぎれた左腕が修復され、吹き飛んだ頭の右半分も、体の中心の穴も塞がれていた。見た目には普通の綺麗な女性にしか見えない。
恐らく僕が寝ている間に、気づいた博士が、彼女を回収したのだろうが、何と言う手際の良さだろう。
だが、まずは聞きたいことがあった。
「彼女は何者ですか?」
その一言に、博士はコーヒーを一口飲むと、静かに語り始めた。
「AIとは何だと思う?」
いきなり核心を突く質問だった。
「Artificial Intelligence、つまり人工知能ですよね」
「まあ、そうだが」
言って、博士は語り始めた。
AI。これは、コンピュータがデータを分析し、推論(知識を基に、新しい結論を得ること)や判断、最適化提案、課題定義や解決、学習(情報から将来使えそうな知識を見つけること)などを行う、人間の知的能力を模倣する技術を意味するという。
AIは、センサーからの情報や画像・テキスト・音などの情報を受け取り、知的能力を模したアルゴリズムにより、処理実行を行うとされている。
また、市場の製品や工業用製品におけるAI(人工知能)には、はっきりとした定義はないが、人工知能の研究は、大きく2つに分けることができる。ひとつは「人間の知能そのものをもつ機械を目指す研究」、もうひとつは「人間が知的能力を使ってすることを機械にさせようとする研究」。実際行われている研究のほとんどは後者であるといわれている。
「何が言いたいんですか?」
そんな一般的な知識を問いたいわけではない、僕が内心やきもきしていると、博士は小さく溜め息を突いた。
「つまり、このHR-V439は特別なモデルなのだ」
「特別なモデル?」
「そうだ。彼女には、通常のAIアンドロイドとは違う、とある『プログラム』を組み込んである。そのために私が独自にここで作り上げた。」
以前、ヒビキが「自分は船橋の製造工場で造られた」と言っていた理由がこれだった。道理で一般的にはわからないはずだ。
ここは、「ラボ」とはいえ、ほとんど一般民家と変わらないから、カモフラージュされている。
「それは何ですか?」
「人間を助けること、だ」
その一言でわかってしまった。
あの時、咄嗟に僕をかばったのも、護身用の武器を装備していたのも、「人間を助ける」というプログラムから来るものだろう、と。
確か彼女自身は、自分が「人間とのコミュニケーション能力を養うために、試作されました」と言っていたから、そこに若干の矛盾は発生するが、言い換えれば「人間を助ける=人間とのコミュニケーション能力を養う」と考えても、別に不正解とは言えない。
だが、もちろんまだまだ疑問はある。
「どうして急に発話しなくなったんですか?」
その質問をするのは正直、怖かった。
それは僕の中で、そこはかとなく、「嫌な気分」を想起させる問題だったからだ。
博士は、カプセルの中の彼女を見ながら、呟いた。
「メモリーがイカれたからだろう。頭の半分がやられた時点で、彼女に組み込んだメモリーは吹き飛んだ」
「つまり……」
怖い。この続きを聞くのは怖かった。
「ああ。君と過ごした記憶はすべて消え去った」
希望から絶望に突き落とされた瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます