10. 親心

 携帯電話を無くしたことで、ネットに繋げることができず、僕自身は情報を得ることができなくなっていたし、両親は共にそれぞれの携帯電話を持っていたが、避難の途中でバッテリー切れになったという。


 情報を入手できずに困っていると、不意に助手席にいるヒビキが口を開いた。


「私がネットにリンクして映像を映し出します」

「そんなことが出来るのか?」


「はい。人工衛星とリンクし、そこを中継してネットワークに接続します」

 そこからは素早かった。


 彼女はどこをどうやったかわからないが、その頭脳から人工衛星にリンクを開始。ネットワークを確立し、ものの数分で接続。


 映像はセンサー、つまり両目からホログラフィーのようにして、それを車のフロントに投影していた。


「仲夏帝国軍は、徐々に戦線を拡大し、占領地域を増やしています。すでに東京23区以外に、神奈川県、埼玉県、千葉県の一部が占領されております。付近の住民は速やかに隣県に避難を……」


「だから一体どこに避難をすれば……」

 すでに何度目かわからない愚痴を、僕が呟いていると、母がその映像を見ながら、告げるのだった。


「陽介。あなたは、この子と一緒に茨城県にでも逃げなさい」

「いや。どうせ逃げるなら、全員一緒に」


 しかし、母も、そして父もまた首を横に振った。

「僕たちのことは気にしなくていい。山田のおばさんと一緒に適当に逃げるから。それよりもお前は早く地方に」

 今度は、父だった。


 まだサラリーマンとして働いている父は、こんな非常時にも関わらず、自分たちの安全より、息子の安全を優先させている。


 親というのは、ありがたいものだ。

 まともな親なら、たとえ自分がどうなろうと、世界中の人間を敵に回そうと、子供最優先に考えてくれる。


 子供がひもじい思いはしていないか、ちゃんと生活しているか、常に考えてくれる。


 だからこそ、僕は、この親に聞いてみたくなった。

「どうして、このHR-V439を僕に? 100万と言っても安い金額じゃない。僕は秋葉原博士に会ってきた。この子の値段は100万円じゃ効かないはずだ」

 それを聞いて、母・美穂は驚いたように目を見開いたが、観念したのか、静かに語ってくれるのだった。


「親心よ」

「親心?」


「そう。あなたはいつまで経っても結婚しないし、これから一生一人だとしたら、私たちが亡くなった後、大変でしょう。だからせめて、あなたの世話をしてくれるロボットなり、アンドロイドがいればいいな、と思ったの。それに……」

「それに?」


「いえ、これはいいわ。こっちの話」

 怪しい。

 普段、隠し事なんてしない母が、明らかに言い淀んでいたのが、気になった。


 何か、「言いづらいこと」を喉の奥で必死に止めていた感があった。

 もしかしたら、母は、まだ僕に何かを隠しているのかもしれない。それも「彼女」のことで。


 まあ、ただ理由はわかった。

 確かにいつまでも結婚していなかった僕にも責任はあるし、35歳ともなると、結婚自体を半ば諦める気持ちの方が強くなっていたのは事実だ。


 そこに、「一生独身」という将来を加味すれば、両親が高い金を払って、このアンドロイドを買って、送ってきた理由もわかる。


 だが、

「お袋は、秋葉原博士とは大学時代の知り合いだったんだってね。だから格安で譲ってくれたって聞いたけど」

 それを問い詰めるように尋ねると、母は、バツが悪いような表情を浮かべた。


「ええ、まあ」

 母が言いにくそうにしていると、父が代わりに助け船を出していた。


「母さんと秋葉原博士、そして僕の3人は、同じ大学で同じゼミに入っていてね。そこでロボット工学を学んでいた」

 知らなかった。

 では、なぜ秋葉原博士だけがその道に進んだのだろう。そう思っていると、


「まあ、行ってみれば才能の差だ。僕と母さんにもそれなりの知識欲はあったし、興味もあった。だが、あの人は別格だったのさ」

 さすがに父は、理解して、僕が言いたいことを先回りしていた。


 そこでふと思い出していた。彼女の記憶について、だ。

 一応は、ロボット工学を学んでいた、彼らにも聞いてみることにした。


 つまり、秋葉原博士の言うように、メモリーが吹き飛んだヒビキの記憶は戻らない。

 だが、PCなどの場合、USBやSDのデータが無くなっても復元できるし、それ専門の業者もいる。

 では、それを応用すれば、彼女の記憶を甦らせることも可能ではないのか、と。


 父も母も難しい顔をして、腕組みをしていた。


 しばしの沈黙の後。

「難しいな」

「そうね」


 やはりか。絶望に似た気持ちが湧き上がってきた。僕と彼女が共に過ごした期間は、たったの2か月半。

 だが、「時間」とは、単純に長短では語ることはできない。


 たとえ短い時間であっても、濃密な時間を過ごせていれば、それは立派な「思い出」となる。


 その意味で、僕はあの、不思議ながらも、落ち着いた、穏やかで幸せな日々を忘れることは出来なかった。


「一応、私から博士にメールしてみるけど、今のこの状況下じゃ、そもそもそういう専門の業者が見つからないのよ」

 母が言いたいこともわかる。


 つまり、この戦時下と言える状況。今日一日を無事に生き延びられるかどうかもわからないのに、他人のAIの世話まで見てくれる暇人などいない、と言いたいのだろう。


 だが、考えてみれば、秋葉原博士も人が悪い。

 母が、「博士にメールをする」ということは、博士は何らかの解決策を知っている可能性があるということだ。


 にも関わらず、僕には「メモリーが吹き飛んだからもう記憶は戻らない」と言ったことになる。


 僕は無理を承知で母に頼むことにした。

「お袋。それは僕から聞いてみる。だから、その携帯を僕に預けて欲しい」


 母には、父がついていてくれる。ならば携帯は1個あれば十分だろう。

 失った僕の携帯代わりに、使いたいと申し出た。


「まあ、仕方ないわね。充電器はないから、どこかで調達しなさい」

 母から携帯を預かった僕は、ついに両親と別れることになる。


 一緒に行動した方がいい、と最後まで主張する僕に、母は、気丈な態度でこう伝えるのだった。


「もしどちらかが敵に攻撃された時、一緒にいたら全滅するわ。それなら分散した方が、我が家の血脈は生き残る」

 まるで戦国時代の別れのような言いぐさだったが、僕は渋々ながらも承知し、自衛隊に任せて両親を見送った。

 何よりも母が、昔から頑固で、一度決めたらテコでも動かないことを知っていたからだ。


 そして、ヒビキと共に車に乗り込む。

「これからどうしますか、陽介さん」


 母によれば、携帯の充電をしないと使えないし、実際、バッテリーは切れている。


 だが、どうせなら手っ取り早く、博士のところに行った方が早いし、どの道、この車を返す必要がある。


「博士のところに向かう」

「了解しました」

 僕たちは、戦時下の中、軽自動車で小さな旅をすることになった。

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