第10話 今はすこぶる元気なので(3)

 その日も、いつものようにセリーヌは王宮にやってきていた。テオドールの執務室に続く廊下を歩いていると、話し声が聞こえてくる。休憩中なのか、女官たちが騒いでいるようだ。


「テオドール殿下、お元気になられてからとても凛々しくなられたわよねぇ」

「立太子に向けて身体を鍛えているって聞いたわ!」

「私この間お茶を運んだら『ありがとう』って微笑んでくださったの! アベル様とは大違い!」

「羨ましい! 元々王妃様によく似た美しいお顔ですもの……私も微笑まれたいわ」

 

 セリーヌの心臓が嫌な音を立てる。そうなのだ。テオドールは最近輝いている。元々精霊に見間違う程の美しい容姿だ。その上、身体が回復してからは、儚く病弱なイメージは払拭され、鍛えていることもあって、逞しさも兼ね備えた『完璧な王子様』になった。


(テオドール様は本当に私で良いのかしら)


 元気になった今、彼は王太子になる事が決定し、いずれは国王となる人物だ。

 それを兄の元婚約者であり年上の悪役令嬢をお下がりのようにあてがわれて、それでいいのだろうか。

 もしかしたら。


 もっとふさわしい令嬢がいるのではないか。


 アベルの時のように、ゲームのヒロインのような可愛らしい令嬢と、いつか恋に落ちたりしたら──。


 ぼうっと歩いているうちに、いつの間にかテオドールの執務室にたどり着いていた。


「あぁ! セリーヌ! 今日も来て下さったんですね!」


 扉が開くなりテオドールがセリーヌを歓待する。連れてきた侍女のマリーにお茶を淹れるよう、護衛騎士にはマリーの護衛を頼んで人払いをした。


 そうして二人きりの空間になると、セリーヌを自分の真横に座らせてグッと近寄る。


「今日のセリーヌも美しい。会えて嬉しいです」

「……テオ様だって、美しいですわ……」

「ん? なんだか元気がないようですね。……誰かに何かされました?」


 あっという間に温度のなくなる鋭い視線に、セリーヌは慌てて「何もありません!」と否定した。テオドールがセリーヌの腰をグッと引き寄せてきたので、思わずセリーヌはテオドールの胸に寄りかかってしまった。固く逞しい胸板に動揺していると、耳元で、「でも何か気掛かりがあるのでは?」とテオドールが問うてくる。


 テオドールはアベルと違って、人の心の機微によく気がつく。つまり誤魔化しは効かないのだ。セリーヌは思い切って、先程から気になり始めてしまったことを聞いてみることにした。


「……テオドール様も……、可愛らしい令嬢の方がお好きですか?」


 その質問に一瞬目を見開くと、テオドールはセリーヌの身体を自身の腕の中に閉じ込めきつく抱きしめた。


「私の好みは、銀色の髪に菫色の瞳の女神のような人です。唇はさくらんぼのように艶やかで、陶器のように白い肌が美しく、柔らかな身体は誰にも触れられたくない。妃教育も完璧で、婚礼の準備をあまり手伝えない婚約者を責めず、こうして王宮に足を運んでくださる、優しくて頼もしい方です。誰のことか、分かりますよね?」

「……は、はい……ひゃっ」


 抱きしめられたまま耳元で自分のことを過分に褒められ、セリーヌは真っ赤に染まっていた。テオドールの甘く低い声に、なんとか返答すると額にキスまで降ってきてセリーヌはまたもやタジタジだ。

 自分ばかり翻弄されて悔しくなったセリーヌは、自分の頭をグリグリとテオドールの胸に押し付けた。すると、突然ぐいっと身体を離される。急に出来た空間に物寂しさを感じ、思わずテオドールの袖を摘んだ。


「っ! セリーヌ! いけません!」


 はしたない行為だったのかと思わず手を引いて「申し訳ありません」とセリーヌはしゅんとした。


「……わ、私がどんな思いで我慢しているか! 貴女は何も分かっていない! 元病弱とはいえ、今はすこぶる健康なのです! いいですか? 貴女は自分で思っている以上に魅力的で美しいのです! 私の好みは貴女であって……! とにかく、そのような顔をされたら我慢が効かなくなります!」


「我慢、しないといけないのですか?」


 流石に最後まで進むのは外聞によろしくないが、手を繋いだりハグしたりするのは婚約者であればセーフなのではないだろうか。セリーヌはそんな考えで口にしたのだが、真っ赤になったテオドールが口をパクパクした後、なぜか真っ青になった。


「ま、まさか兄上とも?」

「いいえ! アベル殿下とは何も! あ、幼い頃に手を繋いだことがあるくらいです」


 ダンスさえも踊らない、エスコートもしてくれないような婚約者だった。触れ合った記憶などない。

 それを確認するとテオドールがフゥと息をついた。そしてセリーヌの肩に手を置き、もう一方は彼女の顎に添えた。


「……口付けは?」


 熱い眼差しから目が離せないまま、セリーヌは「……し、しておりません」と小声で答えた。


 甘くとろけそうな笑顔で「良かった」と微笑むと、そのままテオドールの顔が近づいてくる。


 触れ合った彼の唇は、少し温かくてとても優しかった。




「アベル様ぁ〜! お会いしたかったぁ!」


 甘えた声でアベルに擦り寄るのは、男爵令嬢オデットである。


 この世界では珍しい聖魔法の使い手で、ロアンデル王国が手厚く保護している少女。その身は神官預かりになっているはずだが、今日はアベルのいる王宮の敷地内に置いてある塔にいた。この塔は王族専用の幽閉場所であり、部屋が逃げ出せない高い場所に位置する以外は、豪華絢爛な一室になっている。


 勝手な婚約破棄、王族にふさわしくない身の振る舞いを反省させるべく、国王はここにアベルを謹慎させている。

 しかし、アベルは門番を買収し自由に出入りしていた。日中は外出すると目立つので、こうして大人しく塔の中で過ごしているのだ。


 今日はオデットが「アベルに会わせねば国外に逃亡する」と神官たちを脅し、アベルの元へとやってきたのである。


「アベル様、私、おかしな噂を耳にしたんですぅ。第二王子が立太子するって」


 ちっとアベルが舌打ちをした。その話は事実だが、認めたくない事実だ。アベルの計画では、聖女を手にした自身が立太子し、オデットを王妃にしてやるつもりだったのに。全ての計画が頓挫している。


「まさか、嘘ですよねぇ? アベル様が第一王子ですもの! アベル様が未来の国王陛下になられるんですよね? 私を王妃にしてくださるんですよね?」

「うるさい! 久々に訪ねてきたと思ったら自分の心配か! お前のせいで俺は!」

「アベル様!?」


 アベルは苛立ちを隠さず拳を握りしめた。また一つ舌打ちをすると、護衛騎士に「この者を摘み出せ!」と命ずる。


「いやよ! アベル様! アベル様ぁ!」


 あの猫撫で声の娘の何が良かったのか、今では分からなかった。きっとセリーヌと離れてしまったことが原因だ。あの女は使える女だった。

 アベルの心の底にある仄暗い闇の感情が、沸々と湧き上がる。彼の眼はもう昔の輝きを宿してはいなかった。

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