第13話 重すぎても一途な愛は大歓迎なので(3)

 見上げる月は白く、前世の月よりも美しい。紺色の空を眺め、思い浮かぶのはただ一人。


──お会いしたい。


 王宮に来るなと言われて数日が経つ。手紙には会いに来ると書いてあったけれど、まだ先触れもなく会える気配はない。このままじっとしていたら、テオドールとオデットとの仲が深まるだけなのではないか。


 アベルの時には感じなかった、底知れぬ不安と焦り。自分の想いに気付いた今、この気持ちは『嫉妬』なのだと分かる。


 このままではいけない。あの方の手を離したくない。ずっとお側にいたい。他の女性は見ないでほしい。私だけを、見つめてほしい。


──愛してほしい。


 濃紺の空の下、セリーヌは愛しい人のことをただずっと想い続けていた。



 翌朝、セリーヌは侍女のマリーに「今からとびきり美しく見えるようにお化粧してほしい」と依頼した。


「お嬢様? お出かけのご予定はなかったと思いますが?」

「テオドール様の為に、いつも美しく着飾っておきたいと思って」

「まぁ! 素敵ですね!」


 マリーはノリノリで化粧を施してくれた。

 ドレスも「綺麗なドレスで過ごしたい」と言って、外出用の緑のドレスに着替える。


 そうして今度は庭園を散歩するフリをして、こっそり門番のところへ行き、あたかも予定通り外出するかのように馬車の用意をさせた。


 テオドールに会いに行く。セリーヌの秘密の外出が始まろうとしていた。


 しかし、計画通りこっそり馬車に乗り込んだところで「姉上」と声がして驚く。


「ひゃ! フィル!」


 怖い顔をしたフィルマンも乗り込んできた。


「姉上、どこへ行くつもりだ? 外出は禁止されているでしょう!」


 強い口調に思わず身をすくめる。テオドールとフィルマンは昔からの友人だ。フィルマンにそこまで監視させるのは、やはり何か隠し事があるからだろうか。例えばオデットとの逢瀬を見られないようにするため、とか。


「隠し事は嫌よ……! 私の婚約者様のことだもの」

「!」


 やはり何か隠しているのだろう。フィルマンが明らかに動揺した。その一瞬の瞳の揺れを、セリーヌは見逃さなかった。


「お願い、フィル。私、テオドール様に一度きちんとお会いしたいの!」

「……分かった。俺も同行するから」

「ありがとう」


 フィルマンは侍従に先触れを出すよう頼み、馬車に乗り込む。護衛騎士も引き連れ、結局仰々しく出発することになった。

 

 公爵邸から王宮までの短い道のりが、永遠のように感じる。

 テオドールに会って、何と言われるのだろう。


『セリーヌ・ルヴィエ! 君との婚約を破棄することを、ここに宣言する!』


 アベルの声が蘇る。テオドールにそう言われたら……。

 嫌な想像をしてぎゅっとドレスを握りしめた。思い詰めた様子のセリーヌを見て、フィルマンは尋ねる。 


「姉上は、知っていたのか」

「……いいえ。でも、何となく、勘づいてしまって」

「……テオは貴女に心配をかけまいと黙っていた。許してやってください」


 許せるだろうか。

 

 あんなに優しく甘く溶けるような口付けをしておいて、婚約破棄を切り出されたら。

 まるで愛しているかのように絆されていく言葉を連ねておいて、他の女性にも同じことをしていたら。

 こんなにも私の心を奪っておいて、今更離れたいと言われたら。

 

 アベルより残酷かもしれない。許せないかもしれない。そして、それでもこの気持ちと決別することは、出来ないかもしれない。


 セリーヌは自問自答しながら、痛む胸にそっと両手を添えた。


──ガタガタガタガタッ!!


「!?」


 その時、馬車の周りが騒がしくなった。

 

「きゃあ!」

「姉上!」


 馬車が大きく揺れる。フィルが剣を握り、「姉上はここで伏せておけ!」と飛び出していった。


「フィル!」


 馬車の周りで何かが起こっている。フィルが同行する時点で護衛騎士を数人連れてきていたので、彼らが戦ってくれているようだ。もし、誰にも気づかれず出発していたら──。

 恐怖で身体が震え始めた。


「セリーヌ嬢はあの中だ!」


(今、私の名を……?)


 何故自分を狙っているのか、セリーヌは見当もつかない。

 突然の自分の危機に、身体がガクガクと大きく震えている。前世も今もこんな危機は今までになかった。フィルは大丈夫だろうか。自分のせいで何かあったら。


(怖い!)


 その時、馬車の扉が開いた。セリーヌは思わず頭を抱えて身を縮めた。恐怖で悲鳴も上げられない。


「セリーヌ!!」

「!」


 その声にハッと顔を上げる。すると、そこにいたのは、会いたくてたまらなかったテオドールだった。必死の形相で、セリーヌを確認すると馬車に乗り込んできた。外はまだ騒がしいが、テオドールの顔を見てセリーヌは思わず彼に飛びついた。


「テオ様ッ!!」


 セリーヌの瞳から大粒の涙が溢れる。テオドールは力いっぱい抱きしめた。彼女をかき抱く腕は力強く、その強さにセリーヌは心から安堵する。セリーヌもテオドールの身体にぎゅうぎゅうと抱きついて泣いた。


「怪我はありませんか!? 痛いところは?」

「何もっ……何もありませんわ! ……テオさまっ! テオっ!」

「セリーヌ」


 テオドールに縋り付くセリーヌに、テオドールが優しくキスをした。


「遅くなってすみません。もう、大丈夫です」


 その微笑みに緊張が溶けたセリーヌは、そのまま気を失った。

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