第12話 重すぎても一途な愛は大歓迎なので(2)


「立太子の儀が終了したようです」


 仄暗い塔の上、気配の薄い男が報告する。報告を受けたアベルは、一人掛けの椅子に浅く腰掛け俯いていた。

 男は、流石に諦めたのかと様子を伺っていると、アベルがクックックッと笑い始めた。不気味な笑みに思わず背筋が凍る。


「ならば、テオドールを王太子の座から降ろせばいいのだ!」


 焦点の合わぬ目で、「はっはっはっ」と高笑いしているアベル。ついに狂ったか、と内心悪態をついて、男はアベルに意見する。


「……テオドール殿下のお身体は何故か完治されたと聞きます。何か策がお有りですか?」


 アベルはやっと男の方を正しく見ると、ニヤリとその口を歪ませる。


「アイツの大切なものは昔から知っている」



 正式に王太子となったテオドールは相変わらず忙しい。その為、セリーヌは結婚式の打ち合わせも兼ねて毎日のように王宮に通っていた。テオドールは相変わらずセリーヌに甘く、優しい。今日も馬車まで迎えにきてくれたテオドールと二人、執務室へ向かう。そこへ招かれざる客がやってきた。


「テオドール様ぁ!」


 聞き覚えのある、甘ったるい声。


 セリーヌは思わず身体を強張らせた。それに気づいたテオドールが、セリーヌの肩を抱く。

 ここは王宮、王太子の執務室に続く廊下の途中だ。謹慎中のアベルがいる離宮の塔とはかけ離れた場所である。なぜ彼女がここにいるのか。テオドールはセリーヌと可能な限り密着し、仕方なく足を止めた。護衛達がさっと立ちはだかる。


 彼女、オデットは、そんなセリーヌ達の様子を気にも止めず話し始めた。


「テオドール様、お会いしたかったですぅ! 私、何故かずっと外出を禁じられていて。今日やっとここに来ることができたんです!」


 さすがこのゲームのヒロインだ。彼女の笑顔はとても可愛らしい。今度はテオドールを攻略しにきたのだろうか。セリーヌはガタガタと震え出す手を思わず握りしめた。


「テオドール様に立太子のお祝いをしたくて駆け付けたのですわ」

「……兄上はここにはいない。お引取りください」

「やだぁ。私、テオドール様に会いにきたのですよ? テオドール様を想って一針一針心を込めて刺繍いたしました! 受け取っていただけますよね?」


 彼女の手には白いハンカチ。紺色の鳥とピンク色の花の刺繍が施してある。その図案はどう考えても、テオドールとオデットの髪色を想起させる。


(あ、あれは……!)


 ゲームの中で、ヒロインが第二王子ルートに入った時に手渡すハンカチそのものだ。気づいたセリーヌは愕然とした。


 ハンカチを差し出す白く小さな手。キラキラとした瞳と、麗しい唇。何をとってもセリーヌは敵わないと思った。「受け取って差し上げたら?」そう言うことが彼の婚約者として正しい振る舞いなのではと思いつくのに、口も、手も足さえも、何も動かせず動揺していた。


 テオドールはセリーヌの肩に置く手に力を入れさらに抱き寄せた。そしてもう一方の手で震えるセリーヌの手をそっと包み、護衛達に声をかける。


「お客様を城門まで送ってこい。今後アポイントのない者は通さないように」

「テオドール様?」


 オデットの声に一度も応えることなく踵を返して歩き始めた。そのそっけない対応に、心から安堵する。なんて浅ましいんだろう。アベルの時と、どう違うんだろう。また婚約破棄に? テオドールにまで浮気されたら。


 セリーヌは混乱し、震えるばかりだった。


 執務室に入って人払いをしてからも、テオドールは優しくセリーヌを抱きしめてくれたし、何度も愛の言葉を囁いてくれた。でも、それはすぐに覆されてしまうことを、セリーヌは知っている。

 結局その後、テオドールが馬車で屋敷まで送ってくれたが、セリーヌの心はずっと沈んだままだった。



 そして、悪い出来事は続いてしまうもので、この日からテオドールに会えなくなってしまった。



 王宮でオデットと遭遇した翌日。テオドールから手紙が届いた。


『しばらくは王宮に来ないで下さい。そして外出も控えて下さい。今は理由を明かせませんが、後日貴女に会いに行きます』


 短い文からは、いつもの彼の感情が見えず、セリーヌはとても不安になった。


 元気になったテオドールは元々美しい顔をしていたが、さらに格好良くなった。対してセリーヌは、このゲームの悪役令嬢だ。

 艶やかな銀髪も妖艶な身体も魅力的だと侍女達は褒めてくれるが、オデットのような可愛らしさはない。よく考えたら、アベルに捨てられた年上の悪役令嬢が好きになってもらえるわけがない。


 命の恩人であるセリーヌとの約束を守ってくれようと、無理しているだけなのかもしれない。愛しているふりをしていただけかもしれない。


 セリーヌのことは用無しなのだ。でもテオドールは優しいから、セリーヌを無碍に扱えないのだろう。テオドールとオデットが仲良くしている様子を私に見せないように、配慮しているのかもしれない。

 浮気されるのが怖い。もしもう既に浮気していたら? 浮気を知るのが怖い。


──コンコン


「姉上」

「フィル……」

「大丈夫か?」


 自室で塞ぎ込むセリーヌを心配して、弟のフィルマンが声をかけてきた。フィルマンを見るとどうしても、テオドールを思い出してしまう。思い悩み続けていたセリーヌの涙腺は、あっという間に崩壊した。


「うぅ……っ」

「えぇ!? な、泣くな! 姉上!」


 セリーヌの涙にフィルマンが慌てていると、心配して扉の前で聞き耳を立てていた両親も入室してきた。


「あらら! セリーヌを泣かしたのはフィルね?」

「コラァ! フィル!」

「ち、違う! 俺は何もしてないってば!」


 思いがけず家族が勢揃いして、セリーヌを慰める会になってしまって、セリーヌはその賑やかさに少しだけ救われた。そして、前世のことは言えないが、「オデットがテオドールの目の前に現れ、その上テオドールに会えなくなって不安であること」を吐露した。


「ふふ、セリーヌは殿下にしばらく会えないと言われて、不安だったのね」

「詳しくは言えないが、セリーヌが心配することはない」


 両親はセリーヌの話を聞いても動揺せず心配無用だと断言する。何故そんなに自信が持てるのか分からないが、後ろ向きだった気持ちが少しだけ方向転換していく。


「姉上がテオのことそういう風に見ているのが分かって良かったよ。俺と同じ『弟』扱いなんじゃないかってちょっと心配してた」

「弟?」

「昔からテオのこと、俺と同じような感じでよく面倒見てただろ?」

「いいえ……。全然、全然違うわ……」


 いや、確かに幼い頃、テオドール殿下と一緒に遊んでいた時には、姉のような気持ちだった気がする。

 でも今は。今は弟だなんて微塵も思っていない。それどころか、アベル殿下には抱かなかった、特別な想いが育まれている。セリーヌは自分のテオドールへの気持ちを、今はっきりと自覚したのだった。

 

 真っ赤に頬を染める娘を両親は微笑ましく見つめる。そうして両脇から優しく頭を撫でる。セリーヌは大人しくその優しさに甘え、母の肩にコテンと頭を乗せた。


「幸せになるのよ」

「なれるかしら」

「大丈夫だ!」

「テオが幸せにしてくれるだろ」

「……もし、また婚約破棄されたら、この家に戻って良いかしら」

「当たり前でしょう」

「ここにずっといればいい」


 あたたかい家族の言葉に、セリーヌは少し元気を取り戻したのだった。

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