第2話 断罪される悪役令嬢なので(1)

浮気、ダメ、ゼッタイ!

 

 それは、前世を思い出したセリーヌが、まず第一に考えたことだ。



 断罪の少し前のこと。セリーヌはその日、いつも通り王宮での妃教育と公務を終え、馬車で帰宅していた。

 連日厳しいレッスンを受け、アカデミーの課題もこなし、簡単な公務も任せられている彼女は、かなり多忙だ。その為、馬車での移動時間は彼女のわずかな休息時間だった。とはいえ、眠るわけにはいかないので、目を閉じて瞑想しながら休息を取る。

 

 この日も目を瞑り、余計なことを考えないように意識しながら馬車の揺れを感じていた。


 『余計なこと』というのは、最近現れた男爵令嬢のことである。ピンク色の髪をした不思議な令嬢で、セリーヌの婚約者であるロアンデル王国第一王子のアベル殿下と、かなり親しい様子なのだ。


 そして煩わしいことに、それを親切な生徒達がセリーヌに逐一報告してくる。

 ランチを共にしていたとか、王族の個室に招かれてお茶をしたらしいとか、何か贈り物を賜ったようで自慢しているだとか、セリーヌからすればどうでもいい情報が、どんどん耳に入ってくるのだ。


 アベルのことは、婚約者ではあるものの、特別な感情は抱いていない。言うなれば運命共同体のような存在だ。正直、彼と体を繋げて子を成すだなんて想像もつかないので、将来側妃を迎えてもらうのは一向に構わない。

 だが、アカデミーで堂々とイチャつくのは、品がないし外聞も悪いのでやめてもらいたい。


 何度か直接アベルに懇願したが、セリーヌの嫉妬だと勘違いされ、適当にあしらわれている。面倒くさい。


(はぁ……疲れましたわ)


 本来第一王子であるアベルがするべき公務も、現在セリーヌが担っている。アベルがいつまでも立太子されないのは、こうした素行の悪さが目立つからだった。


 セリーヌとしては、彼が国王になろうがなるまいがどちらでも構わない。彼の妃として、この国のために出来ることを公平に行うだけだ。

 それでも、アベルと結婚しなければならない未来は憂鬱だった。アベルの仕事は全て押し付けられ、愛などない結婚生活になるのは間違いない。


「はぁ……」


 今日もセリーヌは、ため息をつく。その数は、この人生で数えきれないほどだ。


(この間読んだ恋愛小説によれば、婚約者が別の令嬢に夢中になることを、『浮気』というのだったかしらね……)


 ズキン


 自分の婚約者が『浮気』をしているのだと自覚した途端、頭痛が始まった。連日の多忙を極める生活についに限界が来たのかもしれない。ズキズキとする痛みに耐えながら、セリーヌは目を瞑って馬車が止まるのを待った。


 その夜からセリーヌは熱を出した。


 医師の診断は『過労』。セリーヌが毎日のオーバーワークに疲れ切っていたことは明らかで、彼女の両親であるルヴィエ公爵とその妻リュシエンヌは、セリーヌをしばらく休ませることに決めた。

 しかし数日経っても、彼女は高熱にうなされ続けていた。ほとんど目を覚まさず、食事も摂れないのでみるみる弱っていく。


「セリーヌの熱はまだ下がらないのか……」

「ええ。お医者様も過労にしては長引いているけど、原因は分からないそうで……」


 公爵家お抱えの医師や侍女達だけでなく、家族が交代で彼女を見守り看病し続けた。


 玉のような汗をかき、頬は赤く染まり、息は荒い。触ると燃えるように熱い体温は、どんなに冷やしてもなかなか下がらない。


 セリーヌは大変な高熱にうなされながら、不思議な夢を見ていた。



 別世界の夢だ。


 土ではない黒の道、背の高い建物が立ち並び、鉄の乗り物が数多く行き交う。小さな部屋のような家に一人きりで暮らしていて、ドレスではなく薄茶の上着と乗馬も出来ないような薄い生地のズボンを履いて出かける。

 大きな鉄の乗り物に乗って職場に向かい、この世界にはない背の高い建物の中に入ると、箱に乗って上階へ登る──。


(あれは、わたくしの前世。──私、会社員だった……)


 前世の彼女は、ある会社の広報課でポスターやCM制作を担当し、毎日生き生きと働いていた。趣味は美味しいパン屋を巡ること、それから乙女ゲームをすること。

 社内恋愛で付き合い始めた彼氏ともラブラブで、充実した日々を過ごしていたはずだった。


 しかしある夜、彼氏から携帯に連絡が来た。


『別れよう。お前とはもう無理だ』


 つい二日前に食事をして、そのまま自宅に泊まったはず。その時はそんなこと微塵も感じられない程、普段通りだった。何を急に言い出すのか。悪い冗談なのか。

 慌てて電話をするが繋がらず、連絡が取れないまま一夜明けた。


 だが、出社してから時間を見つけて彼の部署に会いに行こうと悠長に構えていた。話し合えば和解できる、何かの間違いだと信じて疑わなかった。


『ねぇ、ついに営業のエースが結婚するって聞いた?』

『え?』


 青天の霹靂だった。営業のエースとは彼氏のことではないか。他にもエース級の仕事をする人がいるのだろうか。嫌な予感がして名前を聞くと、彼の名だった。


 その日の朝礼で、同じ営業課の若くて可愛い小動物系の女の子と婚約を発表したらしい。しかも相手のお腹には赤ちゃんがいるとか。


 意味が分からない。混乱したまま営業課に乗り込むと、彼が慌てて非常階段へと手を引いた。その力が強くて、愛情を感じることも出来ない程に痛かった。


『痛いよ……!』


 そう訴えてやっと離してもらえた手には、強く握った痕がついていた。


『お前とはもう無理だって連絡したろ?』

『ねぇ、どういうこと!? 赤ちゃん出来たって……私に黙って浮気してたってこと!?』

『……はぁ。お前が浮気相手。あの子とは幼馴染なんだ』


 幼馴染……? 幼い頃から知り合いだったということ? 彼女は年下だったはず。彼を追いかけてこの会社に入社したということ?


 三年も付き合っていたのに、自分が浮気相手だなんて思ってもみなかった。付き合いながらずっと、二股をかけられていたということなのか。


『信じられないっ! 最低! 私、このこと貴方の婚約者に言うから!』

『はぁ!? やめろ! そんなことしても誰も幸せにならないだろ!』

『じゃあ私は不幸でいいってこと!? 三年も付き合った貴方には本命がいて、自分が浮気相手だったって知らされて……!』

『悪かった! 謝るから! だから言わないでくれ!』

『嫌よ! 社内で言いふらしてやる』


 そう言って階段を駆け上った。『待て!』という彼の声に耳を傾けず登り切ろうとしたところに、彼女がいた。


『……何、してるの?』


 小動物のような可愛らしい彼女の瞳に、みるみる涙を溜めていく。


『浮気って……何?』


 可哀想かもしれない。彼女のお腹の中には赤ちゃんもいる。でも、コイツが最悪最低野郎だということを伝えなければと咄嗟に思った。


『あのね! コイツは!!』

『言うなって!!』


 そう強く言った彼が、思い切り手を引いた。

 そして身体が宙に浮き──。



(思い出しましたわ……)


 前世の死因は、恐らく階段から落ちたことによる転落死。浮気をしやがったクソ野郎に手を引かれたことによる転落だ。ありえない。あの後どうなったのか分からないが、泣いていたあの彼女とお腹の子が幸せになってくれていることを願うばかりだ。

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