第8話 今はすこぶる元気なので(1)
『第二王子テオドールが立太子する』と議会で決議された日の夜。
王都のとある屋敷で、男達が酒を交わしていた。皆、祝賀モードとは程遠い面持ちで、表情は固い。
「まさか、あの病から回復なさるとは……」
貴族の男は悔しそうに顔を歪ませた。もう一人の男は怒りを露わにし、自身の拳をテーブルに叩きつけた。
「アイツはこのまま弱っていくのではなかったのか? 話が違う!」
「もっ、申し訳ございません。私も何が何だか……!」
「くっ! このままでは玉座を奪われてしまう!」
歯軋りをしつつ酒を煽るのは、国王陛下によく似た金色の髪とテオドールと同じ翡翠の瞳を持つ男。その目は焦りと嫉妬の炎が不気味に揺らめいていた。
*
身体が回復したテオドールは、公務を少しずつこなし始めていた。国王より正式に、テオドールを立太子させるつもりだと宣言され、立太子に向けた準備が着々と進んでいる。しかし公の発表は、もう少しテオドールの身体の調子を見極めてからということになっていた。
テオドールの日常はこれまでとは一変した。筋力アップの為のトレーニングに加え、少しずつ増えてきた公務と、学園での勉強。さらに立太子に向けての準備も増えて、なかなか多忙な生活を送っている。だが、動きたくても動けなかった頃に比べると毎日が充実して楽しかった。
やっと第二王子としての務めが果たせると、テオドールは精力的に活動していた。
そして、どんなに忙しくても、セリーヌに毎日会うことだけは欠かさない。
あの馬鹿な兄と自分は違うのだと、セリーヌに分かってもらう為に。
今日はどんな花束を持って行こうか、人気パティスリーの菓子の方が良いか、悩みながら学園の長い廊下を歩く。
すると、待ち伏せていたかのように、フィルマンが立っていた。フィルマンはセリーヌの弟だが、テオドールの古くからの親友でもある。
「テオ、調子はどうだ?」
「フィル! もちろんセリーヌのお陰ですこぶる好調だよ。今日も公爵邸にこの後向かう予定だ」
「姉上が今日は王宮に行くと言っていたぞ」
「そうか! ありがとう」
毎日ルヴィエ公爵邸に通っていたのだが、テオドールの多忙さを配慮してか、ここ数日はセリーヌが王宮に来てくれている。
公務の手助けもしてもらい、少し格好がつかないのだが、それでも一緒にいられる時間が長くなるのは嬉しかった。
セリーヌの美しい笑顔を思い出して微笑むと、フィルマンがしみじみと「よかったな」と呟いた。
「ああ。幸せすぎて怖いくらいだ」
「ははっ。テオがそんな顔する日が来るなんてな」
セリーヌの弟であるフィルマンにだけは、以前から彼女への想いを見抜かれていた。
彼女を想うきっかけとなったのは、テオドールがまだ幼き頃のこと──。
*
『テオ! お前はここに隠れていろ!』
兄のアベルは幼い頃から傍若無人、自己中心的な考えの子どもで、いつも振り回されてきた。
テオドールは生まれつき身体が弱かったこともあり、兄のせいで体調を崩したことが何度もある。
テオドールが五歳の誕生日を迎えたばかりのその日、アベルに王宮内の広大な庭園に連れて行かれた。そして誰にも見つからないような生垣の片隅に置き去りにされたのだ。
体調を崩して引きこもりがちだったテオドールは、庭園の構造など覚えておらず、王宮に一人では戻れない。
きっと使用人に「テオドールを隠してあるから探せ」と命令して、複数の大人達が慌てふためく姿を笑って眺めるのだろう。
『ごほっ。ごほっ』
どのくらい時が過ぎただろうか。春先の庭園はまだ肌寒く、日も傾いてきて冷えてきた。咳が出て喉がヒュッと鳴り始め、身体が震える。発熱の悪い予感に気分が悪くなっていく。そんな時だった。
『テオドール……殿下?』
銀色の髪の天使がそこにいた。
今も女神のような美しさだが、幼いセリーヌもそれはそれは美しく可愛らしく愛らしい少女だった。テオドールは一瞬で目を奪われた。
『こんなところにいてはお風邪を召されますわ。さぁ、わたくしといっしょに戻りましょうね』
弟がいるせいか姉気質なセリーヌが、テオドールの手を引いて王宮へと足を運ぶ。夕日を浴びて輝く彼女の美しい髪。優しい言葉、柔らかく温かい手。自分を最初に見つけ出してくれた天使に、幼いテオドールはあっさりと恋に落ちたのだった。
それからすぐに、アベルとセリーヌの婚約が発表された。ショックで暫く寝込んだが、そのうち二人の間に愛が芽生える気配はないとフィルマンに教えてもらった。
(どうせ儚い命だ。結婚なんて出来ないのだから、せめて想い人は、自分の心に嘘をつかずに生きていたい)
身体の調子の良い日は、こっそりアベルの公務を手伝った。セリーヌがアベルの仕事を押し付けられているのを知ったから。
学園で見かけたら、偶然すれ違うのを装い話しかけた。話しかけられない時は、遠くから彼女の姿を目に焼き付ける。
そして、彼女が体調を崩したと聞いたら、そっと花を贈った。
彼女の誕生日には、プレゼントを用意した。渡すことはないと知りながら、それでも一生懸命に選んで。
兄の婚約者として素行の悪い兄を戒めろだとか、兄の寵愛を受けていない令嬢は相応しくないだとか、うるさい外野は権力で黙らせてきた。
ただ、ピンク髪の男爵令嬢が兄に近づくのを止めることは出来なかった。男爵令嬢の噂が、セリーヌの耳に入らぬよう手を尽くしたが、段々と伏せって動けない日が増えていきそれも叶わなくなっていった。
伏せっている時にみる夢は、必ずセリーヌの夢だ。
テオドールに向かってセリーヌが笑いかけてくれる夢。同じソファの真横に座り、その瞳はテオドールだけを映している。麗しい月の女神のような彼女の笑顔。まるで自分を想ってくれているかのような、照れた眼差し──。そんな、幸せな夢ばかり見ていた。
目が覚めた時、夢だと気付いて現実との差に大きく落胆する。その繰り返しで、体調はどんどん悪化していった。
そうして訪れた、卒業パーティの日。
その日は比較的体調が良かった。卒業生であるセリーヌと学園で会える最後のチャンス。多少無理をしてでも、と思い出席した。
『セリーヌ・ルヴィエ! 君との婚約を破棄することを、ここに宣言する!』
そう宣言した馬鹿な兄。咄嗟に間に入ろうとしたが、セリーヌは臆せず言い返して見事兄を論破した。それを見届けた後は、両親を説得して、彼女を自分の婚約者にする算段をつけていたのだった。
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