第9話 色は匂へと
僕は、操に身体を向ける。
そして、彼女の身体を引き寄せた。
「ありがと、みさお……」
「ん……」
僕は、彼女に顔を寄せて……そして、深く口づけをした。
───────
車が横手市内に差し掛かると、民家や商店が増えはじめる。
交通量の多くなった国道を進み、やがて高速ICの案内看板が見えてくる。
ここから再び高速道を行く。入り口は横手IC。
久しぶりに通る料金所を前に、もう一度ETCカードがセットされていることを確認する。
電子音が鳴って、ゲートのバーが開く。
「もう少し走ったら、休憩にしようか?」
「うん」
しばし走って、錦秋湖SAに立ち寄ることにする。
ここは、本線からSAのある区画まで結構な距離がある。初めて訪れると道を間違えたのではないかと不安になる程なのだ。
……………
「んん~……」
車を降りて、僕は大きく伸びをする。
車の運転は大好きだが、疲労感はどうしようもない。適度に休息を挟むのが鉄則だ。
膝屈伸をして、下肢の血流を促進する。運転中にエコノミークラス症候群になったという話は聞かないが、それでも下肢の疲労感と滞留感は結構重い。じっくりと腰を捻ったり、アキレス腱を伸ばしたりして、隅々をほぐす努力をする。
「肩もほぐそうか?」
操が聞いてくる。
やってもらおうかな、そう思い僕はうなずいた。
僕は少し身体が固い。同じ姿勢を続けていると、凝り固まって節々が痛むことが多いのだ。特に酷くなった肩凝りは頭痛を誘発する。
それを緩和するためにいつもやってもらっているストレッチがあるのだ。
車外でも勿論できるのだが、……ちょっと誤解を招くような格好になるので少し憚られる。
「中でする…?」
「うん、そうしようか」
他に人も少ないので外でもいいのだが、こんなご時世。動画にとられたり通報されたらかなわない。
再び二人で車内に戻り、後部スペースに移動する。
性的な行為ではないのだが、前述の理由があるので、左右と後部のカーテンを閉めて視線を遮る。前部は開けたままで明るさを確保する。
僕は操に背を向けて座る。
「じゃあ、お願いします」
「は~い、じゃあ力を抜いて~♪」
操は、楽しそうに手をわきわきと動かす。
そして、おもむろに僕の右腕を取り、肘を曲げないように少し捻りながら後ろへ引っ張り、そのまま上に持ち上げていく。
「…いくよ~?」
「うん」
肩関節の可動域の限界を攻めるように、そのまま腕を上へ上へとじわじわ持ち上げていく…。
「……んん゛……~」
僕の口から、思わず悩ましい呻きが漏れてしまう。
「あ゛ぁ゛~……」
気持ちいい……。
固着した肩甲骨が剥がれていくような快感を感じる。
一人であれこれストレッチの仕方を試してみたのだが、どうしてもこの解放感は得られなかった。
以前、変な格好をしながら妙な動きをしていた僕に、気づいた操が手伝いを申し出てくれたのが切っ掛けで、それ以来ずっとこれをやってもらっている。今では、僕にとってなくてはならない「介護」だ。
「はい、じゃあ反対~♪」
操はそう言って今度は反対の左腕を手に取る。
そしてまた、後ろに回して捻り上げていく。
……端から見れば、関節技をかけられて組伏せられているように見えるだろう。
だが僕にとっては、これが最高に気持ちいいのだ。責められて喜んでる……まさに変態のようではないか。
「ぷふふ……」
思わず含み笑いが漏れる。
「なぁに?まだ弱いの?」
勘違いした操がそんなことを聞いてくる。
だが、あながち間違いでもない。
「…うん、もうちょい……捻り上げていいよ」
はーい、そう言ってさらに操は僕の腕を高く持ち上げていく。
「……ぉぉお゛……ぃい゛」
痛さよりも快感が上回る、倒錯的な幸福感に包まれる。
「……両腕、同時にできる?」
僕は我慢できずにそんなお願いをする。
もう一方の肩甲骨が寂しさを訴えてきたので、両腕同時に持ち上げてもらおうと思ったのだ。
「うん、いいよ~……えいっ♪」
両腕が背中側で同時に絞り上げられる。
「あ゛ぁ゛~~……」
少し汚い喘ぎ声を漏らしながら、僕は両腕を捻り上げられる快感に酔いしれる。
……なんか昔、筋肉男が活躍するプロレス風漫画にこんな技があったような……。
──パロ・スペシャルである。
……………
甘美なる関節技のご褒美を頂いた僕(調教済み)と、
ここ錦秋湖SAは、東北では珍しいハイウェイオアシスのような大規模な施設だ。トイレの他に、食事のできる施設と併設されているお土産店、そしてこれまた珍しいガソリンスタンドも備えられている。
日帰り温泉の施設まで備えられているのだが、残念ながらこれは現在、老朽化で営業を停止している。
「ちょっと、おトイレ行ってくるね」
「あ、僕も行こうかな」
操が行くと言うので、僕も一緒に行くことにする。次のトイレ休憩は、しばらく後になるだろう。念のため行っておこう。
僕は、小用器の前に来てチャックを下ろす。
……黒い、女性下着が目に入って、思わずそっと周囲をうかがう。
わざわざ、まじまじと観察するような人はいないだろうが、一応周りから見えないように注意しながら用を済ます。
……むふふ、今僕は女性下着を着用しているのだ。
改めて、その事実を確認し、少しだけ悦に入る。
手を洗って外で待っていると、操が出てきた。
僕の姿を見つけると小走りに寄ってくる。
「……なんか、むふふってなっちゃうね?」
彼女はこそこそと、小声で僕に告げてくる。
どうやら、彼女も同じ愉悦を知ってしまったようだ。
恐らく、初めての紐ぱんを穿いている事の、新鮮で不思議な感動を味わっていることだろう。
……………
ちょっとだけ、お店の中を覗いて、それからSA構内をてくてくと歩く。
本線から遠く離れたところにあるため、空気は比較的澄んでいる。普段、山の中に住んでいるため、空気の清浄さには敏感な二人だ。
「今年も、山仕事するの?」
目の前の森を見ながら、操が聞いてきた。
山仕事というのは、僕が近年始めた冬の仕事の事だ。詳しくは後で述べるが、僕は冬になると山に籠って木を切る仕事をしている。
夏場の、クルマ関係とは全く別な仕事だ。
ゆくゆくは、この山仕事で暮らしていければ、と思っているのだが、まだ始めたばかりで生計を立てるというレベルのものになるのかどうか、計りかねている。
「うん、今切ってる山が終わるまでは行くつもり」
僕がそう答えると、
「今年も、ついていって……いい?」
操が尋ねてきた。
「そっちの……仕事の方は、いいの?」
僕は念のため聞いておく。
操は、地元のいろんな所でパート勤めをしている。だが、決まった勤め先という所は無く、その時々で人手が足りないところに呼ばれて行く感じだ。地元の人の
だが、僕と同じで人付き合いに苦手意識のある彼女は、固定された人間関係の集団に属するのに難しさがあるのだ。
ゆくゆくは、僕と二人で自営業的な仕事をして生活していくのが目標だ。そのための準備期間と慣熟の意味も込めて、可能なときは一緒に仕事をするようにしている。
「うん、ちょうど今月で一区切りになりそうだから」
彼女は、僕の仕事に同行するのに積極的だ。
決して安全な仕事ではないが、他人と干渉せずに生きていける。僕らにとって、理想的でもある「職場環境」なのだ。
「じゃあ、実家に話しておくね。今年は、がっちり手伝ってもらおうかな」
「うん♪」
この小旅行が終わったら、冬支度をしよう。
そして、実家に泊めてもらいながら山仕事だ。
……………
再び二人は車に乗り、本線を東へ。
山間を縫って走る高架道路は、やがて平野に向けて標高を下げていく。視界には、岩手の北上市の市街地が見えてきた。
「──さっきの錦秋湖SA、温泉は使えないんだね?」
操も気づいたのであろう、先ほどの施設の事を言っている。
「そうみたいだね、開いてれば便利だろうな、って思うけど……。集客はあまり良くなかったのかなぁ?」
長距離運転する者にとって、入浴は何よりも嬉しいものだ。だが、あのSAは物流的な意味での拠点としては、いささか外れているのかもしれない。
施設全体の雰囲気として、ドライバーのためというよりは観光客向けの雰囲気を色濃く感じたのだ。何より、集客が確保できているなら施設の修繕もなされているはずである。共用中止から4年も据え置かれているということは……つまりはそういうことなのだろう。
「──温泉経営って難しいのかなぁ?」
「う~ん……どうなんだろう?燃料費が高騰してる現状だと、難しいのかも」
僕ら二人は温泉好きだ。
今住んでいるところに居を構えた理由は、田舎移住の先人である志部谷さんの存在が大きいのだが、近くに温泉があるということも理由のひとつなのだ。
荒唐無稽な妄想ではあるが、二人の密かな目的として、自宅に温泉を引きたい、というものがある。そのための手段として、日帰り温泉を経営するという野望も持っているのだ。
具体的にどうすればいいかは全く分からないし、必要な経費も想像がつかないのだが、人生どんな偶然があるか分からない。心構えくらいは持っていてもいいだろう、と二人で話したことがあるのだ。
「温泉ていえば……」
操がそう言って、僕の方を見る。
ちょっとだけ、目が妖しい光を帯びている。
「ぱんつローテーションにさ、『ダミーぱんつ』っていう欄があったよね?」
「うん、あるよ?」
僕は答える。
「すごく地味なぱんつが載ってたけど、もしかして脱衣所に穿いていく為のダミー、ていう意味なの?」
さすが、目敏い。
「うん、そうだよ」
グレーや、黒一色等のよくある色合いで、刺繍やレース処理もされていない(またはごく少ない)地味なぱんつなら、よほど気にして見ていなければ女性用と分からないだろう。
「一見だと分からないようなぱんつも、いくつか持っててね。大浴場とか共同浴場とか、そういうとこに行くとき穿いて行くんだ」
「……こだわりがすごいよね。そこに穿いていかないという選択肢は無いんだ?」
愉快そうに彼女は聞いてくる。
まあ、リスクを犯して無理に穿いていく物ではないだろう。だが、出張先で入浴施設を使うときは、時間帯的に客が少ない事が多い。自分の他には誰もいない、という事も珍しくないのだ。そうすると、他の視線が無いのに普通の男物を穿いているのが
何度も、……いや、何度でも言うが……
僕はいろんなぱんつを
機会さえ許すなら、いろんなぱんつを穿きたいのだ。
流石に、公衆の場へブラを着けていくというチャレンジまではしないが、見られても気にならない程度の女性用ぱんつというのは、探せば結構あるものなのだ。
それに、僕は男性用のセクシー系下着というのがどうにも生理的に受け付けないのだ。
見たくて見ているわけではないが、銭湯で見かける世の男性も、意外とセクシーなぱんつを穿いている事が多い。
女性用のそれとは違う、なにか妙な……ねっとりした性を感じさせる……、際どいデザインのものもそれなりに見かけるものなのだ。
僕は、それらがとても苦手だ。
それらに比べれば、僕のダミーぱんつ群は、前合わせが無いだけで、シルエットだけなら男性用ブリーフにも見えるだろう。
そう考えれば、主張も少なく無害で可愛いものだと思う。
「地味な色なら、目立たないし……そもそも他人のぱんつをじろじろ見る人もいないし」
「まぁ、そう言われればそうだよね。……その為のぱんつも用意してるんだ?」
操が重ねて聞いてくる。
「中にはそういうのもあるよ。最初は有効活用の一環だったんだけど──」
数枚セットのぱんつを買うと、やはりそのうちの何枚かは、好みと違う色のものが含まれていたりする事もある。
それらは、女性の云うところの二軍のぱんつということになるのだが、僕の場合は少し意味合いが違う。
ローテーションぱんつに含まれないということは、それは即ち「戦力外通告」にも等しい。
だが、そんなぱんつ達を即廃用にするのは忍びない。
それでも、捨てずに取っておくととめどなく貯まっていってしまうので、それぞれに少しでも出番を作ってやりたいと思うのである。
その中で、刺繍も控えめで色も地味なぱんつを抽出していくと、見られても気付かれないくらいの主張の少ないぱんつというのも一定数あるのだ。
……始めの頃は、公衆浴場に入るときなどは、わざわざ普通の男物に穿き替えたりしていたのだが……。慣れてくると蛮勇が湧いて、「案外平気なんじゃないか?」と思うようになってきたのだ。その際に、前述の二軍の中でも地味なものを穿くようにしてみたのだった。
「まあ、わざわざ指摘するようなヘンな人はいないだろうし……正面から見なければ分かんないかもね」
そう言って操は、またぱんつローテーション表を取り出して、ダミーぱんつを確認している。
「……グレーと、黒ばっかりだね? 男物ってそういう色のしか無いの?」
操が不思議そうに尋ねてくる。
「……言われてみれば、そうだね。柄物のトランクスとかなら、濃い紺色とか紫っぽいのもあることはあるけど」
男物の下着事情など気にしたこともなかったのだが、そういえば男物というのは色のバリエーションが少ないような気がする。
「白いのもあるけど……、小学生とかおっさんのイメージが強いかなぁ」
一方の、奇抜な色の下着を穿いている男というのは、不良っぽいというか……チャラいイメージが先行してしまう。当然、僕は穿こうと思ったこともなかった。
「……女物に魅力を感じたのは、そういう部分もあるのかな」
僕は、そう述懐する。
対する女性下着というのは、これはもう……あらゆる色が存在するといっていい。ベースの色は元より、刺繍糸の色、レースの色など、その種類と組み合わせは無数にあるだろう。
「操のぱんつに、
「天音にくんくんされたやつね、ふふふふ。」
あのような、明るくて薄い色のぱんつというのは、女性下着ならではだと思う。男物ではお目にかかったことが無い。
「ああいう明るい色のが好きでね……、見かけたら買うようにしてるんだ」
操がちょっと興味を引かれたように聞いてくる。
「好きな色、っていうのとは違うんだね?」
「うん、そうなんだよね……自分でも意外だったんだけど」
これは僕自信も不思議だったのだが、ぱんつに関しては、普段なら絶対に選ばないような色のものにも魅力を感じるのだ。
真っ赤なものや鮮やかな青、ピンク色など……自分の服の中には一着も存在しないものだ。
それなのに、いざぱんつとなると、当然のようにそんな色まで選択肢に上ってくる。これはあり得ない、という最初から除外される色というのはほぼ無いだろう。
始めの頃は、やはり黒や濃紺など暗色系に偏っていたのだが、慣れてくると自由な下着に惹かれるままに選択の幅が増えていった。
そして……、唯一選ばないだろう、という色にまで……その選択肢が拡がった。
「
ふと、興味を持って聞いてみる。
「なに?」
「ベージュ色の下着って、持ってる?」
「……う、うん。持ってるよ? どうして?」
……やっぱり持ってるんだ。
なぜか、不思議な……不埒な高揚感を覚える。
「……ベージュの下着の安心感って、何なんだろうね?」
「……え?! もしかして……
「うん……ベージュの良さに、だんだん理解が追い付いてきたんだよね」
これは、女性下着を始めた頃は自分で選ぶことはないだろうと思っていた。
なぜなら……
「……なんか、おばちゃんっぽい感じしない?」
そうなのだ。
ベージュの下着というのは、いわゆるおばちゃん下着の代名詞的なイメージが僕にもあったのだ。若い女性が身に着けるものではないだろう、と。少なくとも、誰かに見せることが予想される場合に、積極的に選ぶ色ではないだろう。
だが、下着を選んでいると、ラインナップの中には必ずといっていいほどベージュ色が含まれている。そういうことからも、需要は多いであろう事は想像ができた。
だが、それでもしばらくの間は僕自身でそれを選ぶことは無かった。
──ある下着を手にするまでは。
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