第5話 Queen of Underwear
隣で身動ぎする気配を感じて、
ほんのり肌寒さを感じる。
薄っすらと目を開けると、そこには見慣れた背中。
でも、いつもと違うのは彼女が薄紫のキャミソールを着て寝ていたこと。
そして……、自身もキャミソールを着て寝ていたことである。
昨夜の、様々なやり取りを思い出す。
秘密が露見して、一度は終わったとさえ思っていたのだが、そこから全く新しい展望が生まれた。
幸運……、そう考えていいのだろう。
あるいは、彼女の優しさか。
でも、趣味は趣味──。
認められたとはいえ、彼女のいる日常に持ち込んでいいかといえば、やはり抵抗がある。彼女には申し訳ないが、やはり無造作に身につけるのは控えたほうがいいような気がするのだ。
──世間的にアウトなことは、変わりがないのだから。
そう考えると、やはりこれは脱いだほうがいいだろう。
少なくとも、この状況に慣れてしまっては、思わぬところで世間に恥を晒すことになってしまうかもしれない。
彼女の前で着るのは、彼女の了解を得たときだけ……そうしよう。
まだ彼女の眠る寝台をそっと降りて、毛布を彼女にかけ直す。
そろそろ厚手の布団も出しておかないと、明け方がつらいだろう。
天音は着替えるために物置のクローゼットエリアに入って戸を閉める。そして、足元のヒーターのスイッチを入れる。
明け方は随分冷え込むようになった。
この格好ではなおさらだ。
天音はクローゼットの引き出しから洗濯ネットを一つ取り出し、それから濃紺のキャミソールを脱いだ。
そして、男物のぱんつとシャツを着て、脱いだキャミソールはネットに入れてファスナーを閉じる──。
だが、明確な収穫もあった。
少なくとも、これからは洗った下着類を部屋に堂々と干すことができる。
これに関しては、とても気持ちが楽になった。
物干しハンガーに、吊るされた色とりどりの女性下着というのは、見た目にも華やかで天音にとっては娯楽にもなりうる景色であった。
しかし今までは、彼女のいない隙を見計らって、こそこそと洗濯していた。その上、大っぴらに干しておくわけにもいかないので、乾いたらすぐに取り込んで、さらに彼女のいない時間を確認してから改めてアイロンがけをしたりしていたのだ。
それらの気苦労がなくなり、さらに好きな時間に洗ってアイロンがけができる。
女性下着というのは、目で見て楽しみ、お手入れして楽しみ、そして身につけて楽しむものである。
ようやく、その全てが解放されたのだ。
自由な下着の権利を獲得した──。
これは、日陰だった時代に別れを告げたことでもある。
だが同時に、隠れてこそこそ身につける背徳的な楽しみは失われたとも言える。
おかしなことだが、こういうのは隠れて楽しむからむしろ面白いと言えるのかもしれない。
性癖との両立は難しい……。
下着道とは、斯くも奥が深いものなのだな、と変な感慨にふけってた。
……………
さて、今日は深まりつつある紅葉を見に行こうということで、前から予定していたのだった。
その前日に……あんなことがあったため、計画は消滅かと思ったのだが、今では思わぬお楽しみの行程になりそうな予感がしている。
最低限、一緒にいて恥ずかしくない服を彼女に選んでもらっていた。
僕の方はそれで、いいとして……。
彼女はどんな服を着ていくのだろう。
……いままでこんなことを気にしたことは無かった。今考えてみれば、女性に対して随分失礼だったかもしれない。
男の為……かどうかは置いておいて、彼女は(そして世の女性たちは)出かけるたびに少なくない時間と思考を費やして、来ていく服を選んでいたのである。
身支度一つに、死ぬほど時間がかかる──。
そう思って嫌悪さえしていた僕だが、今となってはそんな考えは過去のものだ。
当事者になってみなければ実感が持てない。
これは、あらゆることに当てはまりそうである。
実際、下着一つ取ってみてもこれほどの思慮思考が積み重なってようやく「理解」にたどり着くのである。
世の、何でも知っているふりをして生きている人たちは、はたしてどれだけがこの境地にたどり着けているのだろうか?
実際、この実感を得てしまうと、そこに至るまでの道程の険しさに愕然とし、逆に他人を理解することなど不可能なのではないかとさえ思えてくるのだ。
理解する努力をしろ、と云うは易いが実感を伴う理解というのはやはり当事者でなければ到達できないような気がする。
安易にわかったり理解したふりをするよりも、わからないことを前提に考えるほうが前向きなのではないかとさえ思えてくる。
僕たち二人の合言葉……「外交努力」とは、そんなことを鑑みて掲げた基本理念、……だったということだ。
テーマを設けた自分でさえ、その真意にたどり着いていないのだから、気が重くもなる。
わからないから、徹底的に話し合う。そして、安易に結論を出さない。
昨夜得た、一つの深い実感を持ってしても、容易ではないことは想像できる。
むしろ、よくぞ外交努力などというテーマにたどり着いたとさえ思える。
かつての偉人たちは、このテーマにたどり着くまでにどれほどの実感と理解を積み重ねてきたのだろうと、恐ろしくもなる。
そして彼女は………、操は…たった一人で、不完全ながらもこのテーマにたどり着いたんだ。
僕は、そんな彼女の思想に尊敬の念を持ちつつ、出会えた奇跡を大切にしたいと思った。
……………
着替えを済ませ、台所に行く。
昨夜セットした炊飯器はきちんと仕事をこなし、美味しいご飯を炊いてくれていた。
手を洗い、しゃもじを持って炊飯器の蓋を開け、しゃり切りを行う。ふっくらとして美味しいご飯には欠かせない作業だ。
さて、今朝は何を食べてもらおうかな。
昨夜の残り物が少しあるが、あとはサラダと卵くらいはつけようか。
そう思い、長靴を履いて外に出る。
朝晩がだいぶ冷え込むようになってきた。
今朝は霜こそ降りていないが、結構な冷え込みだ。
家の横の畑に回り、大根の畝から一本抜き取る。
それから、隣の畝のレタスも一つ。
それを持って、家の入口にある水場で大根の葉とレタスの根っこを切り取る。
そして、根っこは堆肥の上に放り投げ、大根の葉は三分の一ほどを鶏小屋に入れてやる。すると鶏が大挙して押し寄せてくる。新鮮な葉物は彼女たちにとってもごちそうなのだ。
鶏小屋の奥の方には、産みたての卵が5つ転がっていた。僕はそれを回収しておく。
蛇口を捻って、大根を洗う。
「……っ、冷た!」
思わず声が出るほど冷たい。
そろそろ、水道凍結の心配もしないといけないかもしれないな。
それほどに水は冷たく、一分も手を浸けていられない。
水をかけながら大根についた土をざっと洗い流して、軽く振って水気を飛ばす。そしてレタスと大根を持って家にそそくさと飛び込む。
昨夜は遅かったので、薪ストーブに火がほんのり残っていた。
そこに薪を足して空気口をいっぱいに開ける。
──台所に戻って、支度をする。
野菜を洗って、大根は千切り器にかけて千切りに、レタスはざっくりとちぎってざるに上げ水気を振るう。大根の千切りは水にさらして少し置く。
その間に、混ぜ合わせるものを作ろう。
窓を開けて、外に吊るしておいたにんにくを2玉取り外し、ぱりぱりと皮を剥く。
安いにんにくを買うと粒が細かく数が多いので皮を剥くのが面倒なのだが、これは近所の農家から分けてもらった極上品。粒も大きく味も申し分ない。
薄切りにして、さっと油で炒める。
大根を水から上げて、ざるで水気を切る。そののちレタスと大根を大きめのボウルに入れて炒めたにんにくを上にまぶす。…ちょっと彩りがさみしい気がしたので、冷蔵庫からミニトマトを4個ほど取り出し、4つ割りにしておく。ざっくり混ぜ合わせてから切ったトマトを上に適当に並べて、完成。
名前もない、畑にあるもので適当に作った生野菜サラダだ。以前、思いつきで作ったのだが割りと気に入っている。彼女も野菜が好きで気に入ってくれており、ちょくちょく作るのだ。
そこへ彼女が起き出してきた。
「……おはよ~」
「おはよう」
一言だけかけて、彼女は洗面台に向かっていく。
僕も、顔を洗ってこよう。
歯磨きをしている彼女の横で、僕は顔を洗う。
冷水で、と思ったのだが先程の外の冷え込みを思い出し、混合栓を少しだけお湯側に回した。
そのあと、僕も歯磨きをする。
「──終わった?」
彼女が聞いてくる。
タオルで顔を拭いて、彼女に向き直る。
「うん」
そう答えると、
「はい」
そう言って、にこやかに両腕を広げて抱擁を求めてきた。
僕は彼女を正面から優しく抱きしめる。
これは彼女の気分次第であり、彼女の精神状態を図るバロメーターでもあるのだが、「そういう気分」の時はこうして洗面のあとにハグを求めてくる。唇を誘うこともある。
彼女は僕の背中に手を回し、ゆっくり味わうように抱擁を受けている。
……今日の感じからすると、彼女は上機嫌のようだ。
キスを求める時は、実は……あまり良いときではない事の方が多い。
不安があったり、昨夜ちょっと喧嘩したり……、僕に不満があるときなどはよく唇を求めてくる。
むしろ、何もしてこないときのほうが安定しているくらいだ。
最初はよく分からなかったのだが、彼女は人格的に他人を責めることができない性質を持っているらしい。だから、普通の人なら相手を責めるような場面で、ボディタッチをしたり贈り物をしたり、無闇に褒め称えたりする。
これは以前、信頼の置ける精神科医から彼女について聞いたことだ。
この辺は、僕のほうが気をつけないといけない。
彼女のほうがだいぶ年上ではあるが、僕は世間から隔絶されている分、格段にストレスが少ない。彼女のストレスを受け止めるのは僕の役割なのだ。
「ご飯、どうする?」
「もちろん食べる♪」
彼女は軽やかに答える。
そして、二人で食卓につく。
「あ、野菜おいしそう」
そう言って、さっそく自分の分を深皿に取り分けている。
「卵は、どうしよう?」
「あ、いいよ自分でやる。スクランブルでよかったら、
生野菜のサラダを見て、スクランブルエッグを上に乗せたくなったのだろう。
僕も今朝はそれで行こうかな。
「うん、お願いする」
「おけー、3個使っていい?」
この場合は、二人で3個という意味だ。
二人で同じ物の時は、卵に一個分のボーナスが付くのだ。
「うん、今朝は5個産んでたよ。」
「あ、そうなんだ~。」
フライパンを火にかけ、卵をかき混ぜながら彼女が続ける。
「やっぱり、カルシウムって大事なんだね……。こんなはっきり違うんだから。」
──飼っている鶏が卵を産まなくなってしまったので、隣の農家の人に聞いてみたところ、
「港行ってホタテの殻貰ってきて、それ食べさせてみろ」
というお答えを貰った。
なるほどと思って、言われた通り貝殻を貰ってきて砕いて鶏小屋に入れたら一週間ほどでまたたくさん産むようになったのだ。それ以来、卵の生産は安定している。
こんなご時世だから、自分たちで食べるものくらいは自分たちで賄えるようにしておこう──。これも、二人で決めた暮らしのテーマの一つだ。
「はい、できたよ。」
黄色いふわふわのスクランブルエッグをサラダの上に適当に乗せて、準備完了。
「いただきます」
「いただきまーす」
白いご飯に味噌汁に、新鮮なお野菜。
これが、毎日食べられるということがどれほど幸せなことか。
生まれてこの方、飢えに苦しんだことのない我が身ではあるが、それが当たり前ではないことを僕は知っている。
戦前より生きていた、
豊かであることばかりが求められているが、人間一度くらい、飢えと汚れにまみれて生きる体験をしておいたほうがいいとさえ思う。
こんな国に暮らしているからこそ…余計にそう思うのだ。
食事も終わり、彼女が食器を洗っているところで、僕は尋ねてみた。
「今日の行き先はどうしようか? 適当にドライブしながら、景色を楽しむ、っていうことしか考えてなかったけど……。」
すると彼女の方も実に大雑把に、
「いいんじゃない? 走りながら考えて、見たいところ思いついたら、そっちに走るってことで♪」
……世の男女は、きっとこんな無計画で行き当たりばったりな休日は過ごしていないのだろう。
数少ない知り合いは、スケジュールをギチギチに詰めている人ばかりだ。
時間を大切に。
その気持はわかる。
おそらく人間にとって、もっとも有限で替えの利かないリソースが時間だ。
けれど、僕たちはどういうわけか計画どおりに事が運んだ試しがない。
仕事はともかく、休日の過ごし方などは全く上手く行かないことのほうが多いのだ。
それならばと、行き当たりばったりに過ごしてみたのだが、これが二人とも大いに
もともと趣味の乏しい二人だったし、僕自身が遊びにお金をかけることへの忌避もあり、世間での定番の遊び方というものからは遠ざかっていた。
そんな二人が、世間並みの休日を過ごせるなどと思う方がおかしかったのかもしれない。
二人の共通の喜びは、お互いについて語り合うこと。
そして、自然を愛でること。
何よりも、日々の暮らしを一生懸命おこなうこと、である。
だから、街から離れたところの古くて安い民家を買って、時間があるときに少しずつ手直しして、畑を耕して……。そんな暮らしを始めたのだ。
周囲の言葉は、最小限に受け取ろう。
こう言っては何だが、どうせ理解されることは無いのだ。
気にしたって始まらない、それよりは自分たちの体験価値を大切に生きよう。
それが二人で話し合った、当面の方針だ。
「──二日間は時間を取ってあるし……、いっそ太平洋側を目指して走ってみようか? 道中、山の景色もいろいろ見えると思うし」
僕の言葉に、彼女が食器を洗い終わって、手を拭きながら振り返る。
「あ、いいね。しばらく向こう側に行ってなかったし……。ぐるっと一周してもいいかもね」
「うん、じゃあ大筋それで……あとは、走りながら考えようか」
「うん♪」
さて、行程は2日間。
お金と着替えを持って、宿は行った先で考える。
宿が見つからないときには、車で寝るのだ。
僕の車は、前2席のみ残してあとはすべて取り払ってある。
思う存分寝られるような準備だけは万全なのだ。
行った先で、自由に寝られるので彼女も気に入っている。
ドライブして、車で寝る事が目的に成り得ると言ってもいいくらいだ。
さて、出発に際して──。
一応、確認しておかなければなるまい。
「え~と……。着替えのことなんだけど……」
「うん」
ちょっとためらうけれど、彼女の了解を得なければ。
「……その、いい? ぱんつとか、穿いて行っても…?」
彼女は、ん? と一瞬考えたが、
「あ、可愛いぱんつたちね、もちろん。それが目的でしょ♪」
随分、あっさりと了解してくれたものだ。
よし、ならば……ぱんつローテーションを組まねば。
───ぱんつローテーション。
これは、僕が出先でどのような下着を身につけるか、前もって編成を組んでおくことである。
出発時に身に着けていく装備の他に、着替え用、2日目用、出先の宿の部屋で着用する用など、あらゆる場面を想定して準備する。
さっとパソコンを立ち上げ、ぱんつ編成用のデータを読み込む。
そこには、今まで買った下着類が写真つきでまとめられ分類されているのだ。
下着写真をドラッグ&ドロップして、表のマス目を埋めていく。
1日目は、行動しやすいよう、スポブラと色を合わせたぱんつ、色はピンク系だ。
2日目は、少し冒険して紐ぱんと合わせたレースのブラレットをチョイスした、色は紺色。
宿で着る部屋着は……、薄手のキャミソールにしておくか、色はブラウン。ぱんつも同色で揃える。
そして、予備。
不測の事態に備え、更にもう一セット用意しておく。
こちらは、紫系で統一しておこう。
さらに、共同大浴場にも穿いていける、一見すると女物とはわからないようなダミーぱんつも用意しておく。
女物を着て彼女と一緒に行動するケースは初めてだ。
本来なら、もっと攻めた編成をするのだが……まずはこのくらいで様子を見よう。
よし……!
表をプリントアウトして、それを見ながら例の衣装部屋に。そして、車載用の衣装ケースに、下着類を詰め込んでいく。
「……想像はしてたけど……」
それを脇で見ていた彼女がつぶやく。
「
あ、これはいけない……。
すこし、はしゃぎすぎたか?
「ご、ごめん……。うれしくて、つい……」
そう謝ると、
彼女は、微笑んで、
「嬉しいなら、いいのよ。誰かに見せるわけじゃないんだし」
それに……、と続ける。
「ほんとうは、ずっと……こうしたかったんでしょう……?」
……うん。そうだね。
僕はうなずく。
「ずっと、……我慢させちゃってたんだなって……」
彼女はむしろ、申し訳無さそうな顔をする。
「そんなことないよ、……わかんないのが普通だよ。こんなの……」
そして、忘れずに言い足しておく。
「
「うん」
彼女は穏やかに頷いた。
さて、着替えるとしよう。
「えーと……着替えるんで、……いいかな?」
流石に、着替えるところを見られるのは恥ずかしいものだ。
これは、理屈じゃない。
しかし彼女は、
「えー? いいじゃない、どんなの着るのか見たいよ~?」
むぅ……。
これは予想外です。
「……恥ずかしいんだけど、見るの……? どうしても?」
そう聞くと、彼女は即座に頷いて、
「ねぇ…、気持ち悪いとか絶対言わないし、むしろ見せてほしいの。正直ね…?天音ほどわたし、下着に詳しくないかもしれないから……。」
いや、僕だって詳しいわけじゃないんだ。
ただ、本能の赴くままに、好きなものを集めて着ているだけのことで。
そう答えると、
「それでいいの、……なんていうか、わたしも……そっちの趣味に興味が出てきちゃった、ていうか……。なんだろう……よくわかんないけど」
随分、真剣に僕を見つめてくる。
「──知りたいの。天音の好きなもの」
う~ん……。
正直、間違った知識を入れてしまう恐れもあるから、詳しくないならむしろ見ないほうがいいような気もするんだけど。
でも、隠れてこそこそされるのは、やはり気持ちのいいものではないのだろう。
「うん、……じゃあ、これ」
そう言って、さきほどプリントアウトした表を手渡す。
「今日着ていくのは、これとこれなんだけど……」
それを見た彼女は、
「……………。なんか地味だね? もうちょっと、攻めたやつ着ていくのかと思ったら……」
そう言われても……。
「
「う~ん……」
なぜか、納得いかないような顔をしている……。
なんか、思ってた反応と違うなぁ……。どんなのを想像してたんだろう?
「……ね? 嫌じゃなかったら、なんだけど……」
「うん?」
彼女は意を決したように、僕に提案してくる。
「私に、選ばせてくれない……?」
えぇ!?
全く予想もしなかったことを彼女は提案してきた。
「あのね……、怒らないで聞いてほしいんだけど……」
彼女がなにか言おうとしている。
「うん、……なに?」
「
確かに、何度もあった訳では無いが、時々はそんな要望も言ったことがある。
「あれね……、今までは正直……、めんどくさいなぁ……って思ってたの」
う……、やっぱりそうだったのか……。
「ご、ごめんね……? でもね……、
彼女がにじり寄ってくる。
ちょっと、目が怖いんだけど……。
「あぁ……こういう気持ちだったんだ、って」
ぎゅっと、僕の腕を掴む。
そして引き寄せた。
「もっと、いろいろ着せたい……! この人の性癖を歪めたい……って」
ん…??
「あ!……えと! 違うの、じゃなくって……、えぇと…。そ、そう!」
ごまかすように、ぎゅっと身体にしがみついてくる。
「この人のすべてを見てみたい……!って、だから……いろいろ着せ替えて楽しみたいっていう気持ちが、すっごくよく分かったの!」
そ、そうなのか…。
「だからね……! 私のこと気遣ってくれるなら……、いっそ私に選ばせて! それなら、いいでしょ?」
どういう理屈か、よくわからないが、それで彼女が納得するなら……。
いや、着ていく服を選んでもらう事の延長だ、そう思えば全く変なことじゃない。
「う、うん。じゃあ……、これ。気にしないで、全部触っちゃっていいから、好きなの選んでみてよ」
僕はそう言って、クローゼットの観音扉を両方開け、さらに引き出しも全て開け放った。
彼女は、ゴクリと喉を鳴らす。
そして、おもむろにクローゼットの前に陣取る。
「う…わぁ…、目移りしちゃう…♪ どうしよう、どうしよ……選べないかも……」
そう言いつつも、いろいろと物色している。
でも、扱い方はあくまで丁寧だ。
色物ではあるけれど、みんな僕の宝物だということはちゃんと理解してくれているのだ。
「あ…こ、これ……!?」
そう言って、彼女は黒い下着を手にした。
それは、普通の下着ではない。
ブラジャーのように体に巻き付け後ろの鉤ホックで留める、レースの帯のようなものだ。
そしてそれには、金具の付いた細いベルトが6本ぶら下がっている。
「ガーターベルト…!?」
彼女は驚愕している。
「こ、こんなのも持ってるんだ……!」
──ガーターベルト。
僕の思うところの、下着の女王。
もし、女性下着を身につけるなら、ゆくゆくはこれを身に着けてみたい。
僕をそんな思いにさせる、一つの到達点にして、頂点とも言える位置づけのものだ。
なにしろ、これを身に着けるにあたっては、必要とする装備の数が段違いなのだ。
まず、同じ色、同じデザインで統一させたブラとぱんつに、更にガーターベルト本体とガーターストッキングを必要とする。
それらすべてを身に着けた上で、さらに僕の場合はロングスリップを上から身につけるのが僕の中でのフル装備なのだ。
しかし───、ストッキングだけはどうしても身につける気になれなかった。
どうも、お笑い芸人の身につけている全身タイツや女装のイメージが先行してしまって、魅惑というよりギャグになってしまいそうで……、それだけは未だに履いたこともないし、買ってもいない。
このときばかりは、世の女装芸人を恨んだものだった。
しかし……それなら、ガーターベルトは意味を成さないのではないか?
……僕もそう思った。
だが、下着カタログのモデルが時折身に着けている、太ももに巻いてあるフリフリのリング状のもの……。
これを見て僕は閃いたんだ。
これを太ももに巻いて、それをガーターベルトに連結すれば、双方とも収まりが良いのではないか?……と。
調べたところによると、これはガーターリングというらしい。
用途としてはガーターベルトと全く同じで、ストッキングを固定するためのものなのだ。
なので、僕の使い方は当然イレギュラーといえる。
しかし、目的としてはぶら下がったベルトに固定する対象を与えられれば良いので、ガーターリングを挟んで留める、という変な使い方をしているのだ。
実際に、カタログのモデルは似たようなことをして、写真に写っている。
要は、ガーターベルトが身につけられれば、僕はそれでいいのだ。
「こ、これ! これ着けてみて……!!!」
彼女は、鼻息も荒々しく、僕にそう訴えてきた。
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