第12話 オープンブラのマーメイド・前編

 二人をのせた車は、再び走り出した。


 操は……笑顔だが、その瞳は少し潤んでいるようにも見えた。

 でも、悲しさは感じない。


 ……車に乗る前に、いつものように軽くハグしてみたのだが、彼女の心は平穏のまま……いや、むしろ穏やかさと喜びまでも感じられた。


 きっと、なにか伝えたいことがあったのだろう。

 そして、それを伝えるために……あの丘へ行きたがったのだろう。

 その気持ちは、僕にはまだ……うかがい知ることはできない。


 でも、想いは……一人ひとりの中に宿るものだ。

 安易に、理解った気になることは失礼にもあたるだろう。

 だから、これでいいんだ───。




「……実はさ」


 僕は、気分を変えようと敢えて何気なく話し始めた。


「宿……予約してたんだ」

 僕は、操にそう伝えた。


「え!うそ?……いつのまに~?」

 彼女は驚いている。

 今日は車中泊のつもりだったのかもしれない、もちろん最初は僕もそうだったのだが……。

 出発直後ののせいで、僕の心はすっかりホテルでいちゃいちゃモードになってしまっていたのだ。


「うん、錦秋湖SAでね……。ささっと予約しちゃってた……。ごめんね?確認取らなくて……」


 僕は操に詫びる。

 一応、彼女にも了解を取ってからにすべきだったのかもしれないが、確認したらお金が勿体ないから車中泊でいい、と言うに決まっている。僕は、今日はどうしても宿に泊まりたかったのだ。


「ううん、それはいいんだけど……。当日だと高くない?」

 案の定、操はお金の心配をしていた。

 もちろん、僕もお金に関してはケチ臭いほうだから同感である。

 ……服にお金を使わないのも、そのためだと言っていいくらいだ。


 今は、ぱんつ三昧だけど……。


「うん、それがね……」

 僕は、そう言ってから自分のスマホを操に渡す。


 操は受け取って、画面を開いている。

「旅行サイトだね……。ここから予約したの?」

 僕はうなずいて答えた。

「予約確認、ってとこ開いてみて?」


 操は、ぽちぽちと画面をタップして、操作している。

「……マリンキャッスルホテル……? え、ここってめっちゃ高いんじゃないの?」

 操は、予想通り驚いている。


 このホテルは結構グレードが高く、当然料金も高い。おまけに、紅葉シーズンに入った現在では予約を取るのも一苦労であるはずだった。


 しかし……。

「なんか、開いてみたらね……。ワケありプランっていうのが一個だけ残ってて……、めっちゃ安かったんだ。おまけに、結構いい部屋なんだよ」


 僕の言葉を聞いて、部屋の詳細を調べている。

「……うそ!? ビューバス付いてるよ!! ここ……」

 操は、俄に興奮しだした。


 そうなのである。

 この部屋は和室の結構広い部屋の上、部屋付きのお風呂の浴室壁面がガラス張りになっており、入浴しながら外の景色が堪能できるという、誠に贅沢な仕様なのである。泊まったことはないが、噂に聞くスイートルームのような佇まいであった。


 正直、こんな部屋など一生縁が無いとさえ思っていたのだが、ひょんなことから幸運が舞い込んできたのだ。

 宿側の説明では、スイートルームよりは少々見晴らしが劣るような説明がなされていたが、僕にとっては些細な問題である。どうも、直前にキャンセルが出てしまって空き部屋があったらしいのだ。


「──そう。値段見たら、貯まってるポイントで全然いけちゃう値段だし……、思い切って予約したんだ」

 普段使ったことも無いので、気がついたら旅行サイトのポイントは結構貯まっていたのだ。


「え、じゃあ実質タダ?」

「うん」


 それを聞いた操は、すごーい! と興奮していた。

 どうやら、喜んでくれているようだ。

 僕は一安心する。


「たのしみ~♪ 天音とホテル泊まるの久しぶりだな~」

 操は、身体を左右に揺すって、全身で喜びを表していた。車内でなかったら踊っていたかもしれないとさえ思えた。


「……たまに泊まってるじゃない? ……ほらモーテルとか」

 僕は、そう言ってみる。

「あれは~、目的が違うからぁ~……」

 操に笑われてしまった。

 僕にとっては、モーテルやラブホテルでもお泊り気分が味わえて結構好きなのだが……。

 まあ、観光旅行など久しぶりのことなので、こういうのもいいだろうと思えた。


 ………………


 程なく、降りる予定のICへの分岐点が近づいてきた。


 ここは、宮古中央JCT。

 ウインカーを上げて、左方向へ車を走らせる。

 さらに見えてきたのが、大きな立体交差を伴う分岐路。ここから宮古市街と宮古港方面へ分岐するのだ。


「ん~……っと。ここは……右かな」


 初めて来る分岐点のため、少々戸惑う。

 地図で見ても、ここの分岐は少々複雑で事前に調べておかないと間違った方向へ進んでしまいそうだった。とはいえ、ここは通行料金のかからない高速道。間違えたら戻れば良い、という安心材料もある。


 ウインカーを右にあげて、右折用の緑色に塗られたレーンに入る。

 そこから、おもむろに右折し宮古盛岡横断道へと合流する。

 合流するとすぐにトンネルに差し掛かった。


「──あ、そういえば……」

 僕はあることを思い出し、そう呟いた。

「なに~?」

 操が聞いてくる。


 以前調べ物をしていて、偶然目にした記事なのだが……。

 ここには、ちょっとめずらしいものがあるらしいのだ。


「……トンネル抜けたら、左前方にあるらしいよ」

 僕はそう伝えた。

、ってなによ~?」

 操はすかさず、可笑しそうにそう尋ねてきた。

 僕はもちろん知っているのだが、それを伝えてしまっては面白さが半減してしまう。

 それに……、僕も実物を見るのは初めてなのだ。


「もうすぐ見えてくると思うから……、あ…でも、ほんの少しの時間しか見えないらしいよ?」


 トンネル内の暗い照明に照らされた、少し戸惑ったような操の表情が、フロントガラスに反射して見える。

「え~…、あたしそういうの苦手~。見逃しちゃうかも……」

 操はそんな弱音を吐いていた。

 まあ、そこまで神経質にならなくても、普通にしていればきっと見えるであろう。

 何しろ、は日本でも2番めの高さらしいから……。


 そして、車はトンネルを抜ける。

 操は、それに合わせて身体をぐっと前のめりにして前方を注視していた。


「……わ! なにあれ!?」

「……おぉ……」


 思わず、ふたりとも声を上げてしまった。

 そこには、……山の上にそびえ立ち、空にまっすぐと伸びる柱のようなものが見えていた。


 写真で見るのとはぜんぜん違う、人工物でありながら異様でもあるその巨大物に、本能的にわずかな恐怖を覚え、体の芯がゾクッとした。


「……なんか、ちょっと怖いね?」

 どうやら操も、同じような感覚を味わったようだ。僕も、うん、と言って頷く。

 そうして、すぐに車はまたトンネルへと入っていく。


 一瞬だけ見えた、標識のトンネル名には「煙突山トンネル」と記されていた。


「えんとつやま…………のたぬきさん?」


 ………たぶんそれは、げんこつ山だろうと思う。


「煙突なの、あれ?」

 操が改めて聞いてきた。

「うん、そうみたいなんだ」


 あれは、「ラサの大煙突」という名で呼ばれているらしい。ずいぶん、ファンタジックな名前がついているものだと、最初は不思議だった。


 これは、旧ラサ工業精錬所の工場煙突で、名前の由来は沖大東島・別名「ラサ島」に因むという。建設は昭和14年だということだ。


「───え、戦前から建ってたの?」

 操が驚いている。

 調べたときは、僕も驚いた。


「僕も、全然知らなかったんだ……。こんなすごいものが身近にあったんだね」

「もっと、有名でも良さそうなものだけどね~?」


 戦中の爆撃にも耐えた上、その後も多くの大地震があったはずである。

 あの、東北地方太平洋沖地震でさえも……。

 それを乗り越えて、今なおそこに立っているというのは、想像を超えた頑丈さだと思った。


 ………………


 歴史遺産とも言うべき建造物を目の当たりにした後、車は久しぶりの一般道へと出た。


 信号を抜けると、程なく操が……。

「ホテルは、もうすぐかな?」

 そう尋ねてきた。


 僕は、事前に調べておいた行程を頭で反芻する。

「うん、もう10分くらいでつくと思うよ」

 そしてそう答えた。


「一応、コンビニ寄っていこうか?」

 操が、そう提案してきた。

「あ、行っておこうかな……」

 僕は、同意する。


 ───宿に泊まる前のコンビニ。


 誰もがそうなのかは分からないが、僕は宿に入る前……必ずと行っていいほどコンビニに寄る。スーパーがあれば、そちらに寄ることもある。……宿の目の前がコンビニだったりした場合は、チェックイン後に寄ることもある。


 まあ……、これは貧乏性の一環なのだろうとは思うのだが。


 今回泊まるホテルであれば、その建物内にも売店くらいは備わっている。

 必要なものはそこでも手に入るのだが、当然ながら中で買うと通常よりもずっと高い買い物になってしまうのである。


 貧乏くさいと言われようが、さっきまで150円で買えていた飲料水が、突然300円ですと言われたら、僕は躊躇してしまうのだ。


 その上、僕はなぜか宿に泊まると……無性におやつが食べたくなってしまうのである。普段、家ではそんなことは無いのに、なぜか出先で宿泊すると……その虫が騒ぎ出すのだ。

 宿に泊まるという、非日常感がそういった気分を誘発してしまうのだろうが、こればかりはどうにも抑えられないのだ。

 これに関しては、操も容認してくれているので咎められたりはしないのだが、無駄遣いしているようでどうにも罪悪感が拭いきれないのだ。


 ───だったら我慢すればいいではないか。


 僕もそう思う。

 だが、なぜかこれは自分でも抑えきれない衝動として、自分を苛むのである。


「たかだか、500円くらいでそんなに悩まないでよ~、もぅ……」

 どうやら、僕の表情に悩みが差していたようだ。操が、気を使ってそんなことを言いながら笑っていた。


「ごめん……」

「いいの、あたしだって、食べたいものあるし~♪」


 ……どうやら、操も似たようなものだったらしい。


 道中にコンビニを見つけて立ち寄る。


 僕は、お酒に合う柿の種やスナック菓子。操は、甘いチョコレートやプリンなんかを買っている。

「──お酒も買う?」

 店内では、操が顔を寄せて聞いてきた。他のお客さんに配慮している……というよりは、他の人がいるところで声を出したくないのだろう。

「うん。……お風呂に入りながら、外の景色が見られるらしいし、どうせならお風呂で飲んでみたいな」

 僕も、耳元でこそこそと応える。

 それぞれが食べたいものを購入し、更にお酒と飲料水の2Lボトルも購入する。

 宿では空調が効いているせいか、しきりに喉が渇くことが多いのだ。


 ………………


 コンビニを後にし、再び車を走らせる。


 今日の宿はすぐに見えてきた。

 景勝地であるこの地の、拠点とも云えるホテルに到着する。


「着いたね~」

 操も、少し疲れが見えているようでやれやれといった感じである。


 二人で荷物を手分けして、支度する。

 買ったおやつは、背負い鞄に忍ばせ、他にも洗面道具やら化粧品やらを鞄に詰め込んでいる。

「あ、充電器も持っていこうか?」

「そうだね、ここで充電させてもらおう」


 ホテルは、電源が使える貴重なタイミングでもある。持ってきたスマホや端末などを充電するための道具も、鞄に入れる。

 出先でよく使う手段だが、何度かホテルに充電器を忘れてくるという失態も犯したことがある。今回は注意しよう。


 そして、今回の宿泊のハイライトでもある、大量の下着を持ち込まなければいけない。

 僕は、下着用の大きなボストンバッグを取り出す。そして、その中に持ってきた全ての下着を詰め込んでいく……。


「……さすが、用意周到だね」

 そんな僕の姿に、操は…ちょっと引いている。

 ……そんな顔しないで、お願い。


 もし、荷物の検査などされたら、言い訳できないだろうが……。その時は、撮影です、と言い張ろう、うん。


 支度を整え、車を後にする。


 入り口をくぐり、館内へ。


 ……ロビーは絨毯張りで、とても解放感があり、奥の方には食事スペースらしきテーブルの並びも見えた。

 他にも、売店や大浴場の案内も見える。


「わぁ……」

 操も、思わず感嘆の息を飲む。

「すごいな……」

 想像はしていたが…、僕の貧相な想像など遥かに置き去りにするほどの豪華さだった。普段は安宿ばかりだが、それでも充分満足している身なので、少々落ち着かなさも感じていた。


「お疲れさまでした、こちらへお名前とご住所をお願いします」


 

 フロントで名前と予約であることを告げると、どこのホテルでもお馴染みの、名前記入の用紙を手渡される。


 草間くさま 天音あまね──。

 自分の住所と名前を書き入れる。


「はい…」

「…うん」


 操にペンを渡し、同泊者名の欄に名前を記入してもらう。


 隠岐おき みさお──。

 住所、同上。


 ……こういう時は、自分が一人じゃないということを強く意識する。そして、いつか名字が同じになる時の事も………。


 少し上の空うわのそらで、宿の説明を受け……、料金はポイントで清算済みであることと最後に、食事についての注意点を告げられる。

「───本日のご予約のプランですと、食事は通常のビュッフェのみとなっておりますので、ご了承ください」

「はい」

 もちろんこれは、予約の時に確認済みだ。


 二人で、大荷物をもってエレベーターに乗る。

 部屋は三階だ。


 エレベーターのドアが閉まると、操がちょっといたずらっぽい顔で聞いてきた。

「……わけありプランって、そういうことなんだね?」

 操は、食事のことを言っているのだ。

「うん、本来この部屋の宿泊プランだと、お寿司屋さんで和懐石とか、レストランでのコースメニューとかも選べるみたいなんだ」

 しかし、今回選んだお得なプランにそれらは含まれていない。


貧乏でケチ臭い僕には窺い知ることはできないが、普通の……こういうホテルに泊まるような客の志向や優先順位として、食事というのは、きっと宿泊プランを選ぶ際の重要な要素でもあるのだろう。

 しかし、僕にとってはそんなことは些細な問題だ。


「ビュッフェでも、充分豪華だよね~♪」

 操がそう言って微笑む。彼女も同意見のようで、何よりだった。

「普段は、食事無しプランばかりだもんね、あはは」

 僕も同意する。

 ここの食事は、ビュッフェだとしても相当豪華らしいのだ。


 そうしているうちに、エレベーターは目的の階へ到着した。


 壁にある部屋番号の案内を頼りに、部屋を探す。

「ここだね」

 目的の番号を見つけ、ドアにカードキーを差し込む。


 ノブを持って扉を押し開ける──。

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