第11話 伝えたいから

 二人を乗せた車は、釜石道から三陸道へ差し掛かろうとしている。


 目の前に、多層構造で立体的に交差した、大きなJCTが見えてきた。

 この釜石JCTは、三陸道の要衝とも言える部分で、ここから県南部を経て宮城県側に向かうルートと、県北部・宮古方面に向かうルートに分かれている。

 同時に、それら二方向から来た場合は、このJCTを通って県中央部・盛岡へ向かうための分岐でもあるのだ。僕たちはまさに今、県央部からやって来た訳である。

 

「ここから北に向かうんだよね?」

 操が聞いてきた。

「うん、ここを左に曲がって三陸道に合流だね」

 僕は、そう答えた。


 すると、操は座席の上で少し背伸びをするような姿勢で遠くを見ようとしている。

 しかし座席の上で、もぞもぞと動いたくらいでは視界は開けないのだろう、すぐに諦めてまた深く座り直していた。


「……もう、だいぶ沿岸部のはずだよね?」

 操がまた尋ねてくる。

「うん、釜石は沿岸市だね」

 僕がそう答えると、

「……海、見えないね?」

 彼女は、そう言ってきた。


 なるほど、海が見えると思って遠くを見ていたわけだな。


 このJCTは、少し内陸に入れ込んだところにあって、ここからだと直接は海が見えないのだ。

 実際に走行してみると分かるのだが──。

 三陸道は沿岸市町村を縫って通っているのだが、どこからでも海が見えるような場所を通っているわけでもない。行程の半分くらいは、山中とトンネルが含まれており、ガードレールやコンクリート擁壁も多く、背の高い観光バスでもないと、見張らしはすごく良いというほどでもないのだ。

 その代わり、道中の景色は非常に起伏に富んでおり、総合的な景観は中々のものだと思っている。


 ウインカーをあげ、JCTを宮古方面へと向けて走らせる。

「もう少し行けば、見える場所があるよ。……今日は天気良いから、水平線までバッチリ見えるんじゃないかな~」

 僕は、逸る操の気持ちを一層盛り立てるような言い方をする。

「ふふふ~♪たのしみ~♪」

 操はノリ良く、身体を揺すっている。

 それに合わせて、大きな胸もゆさゆさと揺れていた。なにやら、出発時よりも揺れ幅が大きい……。


 ……そういえば、操はブラを着け替えていた。それなりに激しい行為だったので、汗をかいたのだろう。


 今着けているのはグリーンとカーキの中間のような色合いの3/4カップだ。操にしては珍しいチョイスだ。色も、タイプも……。


 ───3/4カップブラジャー

 (ブラジャーのカップ形状の一つ)


 フルカップブラに比べて、胸のホールド感では譲るが、谷間を含めた胸の見せ方の美しさは、このタイプならではである。

 ブラショーツセットで売られているブラの定番とも言える形で、全出荷数のうちでも中核を成しているであろう。

 しかし、サイズが大きくなるにつれて、その比率は下がってくる傾向にある。同一デザインのラインナップでも、A~Dカップまでは3/4カップだが、Eカップ以上はフルカップになっている、ということも珍しくないのだ。

 そのため、必然的に操のブラは、フルカップのものが多いのである


「──珍しいね、フルカップじゃないのって」

 僕が何気なく聞いてみると、

「せっかくだから、谷間見せた方が、天音嬉しいのかな~って」

 操はそう言うと、胸のボタンを二つほど外して、少しはだけて見せてくれた。


 縁がレース処理されているカップが服の間から露出され、そのカップに包まれた大きな乳房の北半球が柔らかな膨らみと美しい谷間を形作っていた。


 差し出された胸……目に映った魅惑の光景に、思わず引き込まれそうになる──運転中なのに……。


 僕の視線と表情の変化に気付いた操は、うふふふ~、と含み笑いをして、

「触りたい~?」

 などと言ってきた。


 ……触りたくない男性がいるなら、教えて欲しいくらいだ。


 僕は、問いには答えず……手を伸ばして胸元を狙う……。右手ではもちろん届かないので、左手で。

 しかし、横に座っている操の胸を掌で触るには、腕を無理に捻らなければ触れないのだ。


「……ん、…あれ…?、この…!」


 いくらもがこうとも、掌で触ろうとすると腕が苦しく、自分で自分に関節技を掛けているような有り様になり、もどかしさにいっそう焦れったくなってしまう。


「ぷっ…くすくす」

 その様子を見て、操が可笑しそうにしている。

 無理に身体を捻ろうとすると、ハンドルが疎かになって、車がふらつこうとする。

「危ないって~♪」

 そんな僕の姿を見て、愉快そうに諭してくる。

 ……確かに、ここは無茶をする場面ではないのだろう。


 僕は、あからさまにがっかりした顔を作って、左手を……操の太股の上に置いた。

 すると、操はほんの少し、ぴくん、と身体を震わせた後、鼻の下を伸ばしたような、少しだらしない顔を滲ませていた。

 意外にも、嫌ではないらしい。


 僕は、置いた手をゆっくりと脚の付け根の方へずらしていく……。

「ん~…」

 操は、眉間に少し皺を寄せて太股を、ぎゅっ、っと閉じた。

「そっちは…だ~めっ」

 そう言って操は、僕の手を押さえた。


「そんな、生殺しな……」

 僕は、情けない抗議をする。


 ……自分から誘っておいて。


 そんな僕の不満を受けて、……ではないのだろうが、操は僕の手を両手で持って自分の胸に導いていく。


 手のひらは無理だが、手の甲の側からならば無理なく触れることができそうだ。

 そして、操は自身の胸に僕の手を押し付けた。そのまま更に、谷間に押し込むようにぎゅっと手を押し込んでいく……。


「え……、みさお……?」


 戸惑う僕をよそに、操は更に自分の胸を左右から押し付けて手を挟むように圧迫する。

「……あったかい?」


 操は、優しい顔をして僕に問いかけている。

 先程までの、痴情を含んだ顔とは違う……慈愛のようなものを感じた。


「うん……」


 僕は、静かにそう答えた。

 手には温もりと……、操の鼓動が感じられた。


「どきどきしてるのも……かんじるよ」


 操は、ふふふっ、と笑って、

「生きてるもの……」


 そう言って、彼女は目を閉じた。

 僕は、しばらくその温もりと余韻を味わっていた。


 …………………


「あー、見えてきた~!」

 前方右側に、青く輝く海が見えてきた。

 操は、身を乗り出して歓声を上げている。


 天候に恵まれ、雲も少なく風も無い。

 波は穏やかで、その景色とともに空と大気の広がりを否応なく感じさせてくれていた。


「きれい~~……」


 僕も、ちらちらと(安全に配慮しながら)海を見て、久しぶりに見る太平洋を堪能していた。


「やっぱり……、だいぶ違うね、うちの方の海と」

 僕はそんな感想をこぼす。


 普段、住んでいる鳥海山の麓からも海は毎日見ているので、珍しくもないと思っていたのだが……。

 毎日見ているからこそ、その違いがはっきりと感じられた。


 普段見ている日本海は、どちらかというと波が立っていることが多く、また地形的に太陽の照り返しを受けていることが多いので早朝や午前中の早い時間でないと海の色がはっきりと確認できないことも多いのだ。

 それに、なんというか……、海の表情とも言うべき雰囲気が、こちらの太平洋の方は随分穏やかに感じられるのだ。

 普段目にする日本海は、その風と波の音のようなものとが一体となった事象に感じられて、綺麗だけれど…どこか荒々しい印象も持っていたのだ。


「うん…。どこが違うかわからないけど……、なんか違うよね?」

 操も、そんなことを言っている。


「普段見てないせいか、……綺麗だよね~」

 少し遠慮がちに、太平洋を褒め称えていた。

 普段見ている日本海に申し訳ない、という感情が感じられて、少しおかしかったが……操らしいとも思った。


 車は、一路北を目指して走っている。

 視界にPAの文字がちらりと入った。


「……あ!天音っ、ここ入ってくれる?」


 急に操がそんな事を言いだした。


「うん?いいけど……、ここなんにも無いよ?」


 PAの文字は「黄泉坂PA」。

 ご丁寧に、ここにはトイレは有りません、という案内看板まで付いていた。


「うん。ここ寄りたかったんだ~」

 どうやら、その事は操も承知のようだ。


 でも……、どうするつもりだろう。

 まぁ、景色は結構いいかもしれない。海が見たいのかな……?


 僕は、少しの疑問を胸にウインカーを上げ、PAの方へ車を進めた。



 ………………



「ん~……、きもちいい……」


 こわばった手足を伸ばして、そうつぶやく操。

 ドライブも長くなると、疲労のほうが強く感じてしまう。

 適度な停車と休息は、忘れてはいけない。

 そう考えると、ここに寄ったのはいい判断だったような気がする。


 しかし、分かってはいたが……実に殺風景。

 トイレどころか自販機一つ置いていない、正真正銘ただの駐車場である。


 周りには数台の車が止まっていたが、そのほとんどがトラック。乗用車は僕らの他に一台だけ、そんな有様だ。


「ね?ちょっと歩いていい?」


 操はそんな事を言いだした。

 駐車場を散歩するのだろうか、正直それはご遠慮願いたいのだが……。


 すると、そんな気持ちを察してか、操は丘の上を指差す。


「あれが見たかったの」

 そう言って、操は先に歩き出した。

 僕も、車をロックしてから後に続く。


 駐車スペースの端に、遊歩道のような道が整備されている。

 それは緩やかに登って丘の上まで続いているようだ。


 ───そうか。

 ここには何も無いと思っていたが、一つだけあるものがあった。


「展望台か……」

 僕は思い出した。


 ここは、「空の丘展望台」と呼ばれている……らしい。


 小高い丘の上には、東屋風の屋根付き展望台があり、そこからは海がよく見えるのだという。

 しかし、実際は……展望台のほうがおまけのようなものだろう。


 僕は、操に付いて丘の上の展望台まで登ってきた。


「うわぁ……、いい景色だね……」

「うん……」


 ふたりとも、そっとその言葉を紡いだ。


 美しく、穏やかな海……。

 でも、十数年前……この海は未曾有の大厄災を起こした。

 多くの命が失われ、人々の悲しみもこの海ととともにある。


 この展望台は、そんな人達の鎮魂の意味も含まれているのだ。


 展望台の正面、その端には丸い天然石が置かれている。

 人々は、思い思いにその石を撫でて、今は亡き人や…伝えられなかった思いを心に描いて海へと捧げる。


 ここは、人々が抱える言葉にできない思いを置いていく、そんな場所でもあるのだ──。


 展望台の横には、郵便受けのような箱が置かれており、そこにはメッセージノートが収められている。


 操は───、

 石に手を置き……目を閉じている。

 何かの想いを唱えているのだろう。


 僕は、操を邪魔しないように、東屋の端に行きメッセージノートをパラパラとめくっていた。

 やはりというか、人々の思いが切々と綴られているのが、見て取れた。


 こういうものは苦手ではないのだが、正直なところ……今の僕には少し重い。

 気晴らしで行楽に来たような無造作な身分で、ここにある思いに心を寄せる……寄せられると考えるのは、少し僭越に過ぎるだろう。


 ───今度、機会があって一人で来た際には、改めて思いを覗かせてください。


 僕は、心のなかでそう唱え、ノートを閉じた。




 ────────────




 石に手を置き、目を閉じた操は、まず謝罪をしていた。




 ………私みたいな、能天気な人間が手を触れることを、お許しください。

 そして、失われた多くの命に、哀悼の意を捧げます。



 ………天音のお母さん、聞いておりますか?


 会ったことも、聞いたこともないけれど、

 私は、あなたに感謝します。


 たぶん、もう……この世にはいないのですよね?

 はっきりとは聞いていないけれど

 それらしいことを、聞いたことはありました。


 なんとなくわかります。


 天音は、家族の話は良くするのに、お母さんの話だけは

 一度も出てこないのです。


 だから、私も聞きません。

 時が来れば、きっと彼から話してくれることだと思うから。


 天音は、とても優しい人です。

 本人は、全然モテないなんて言ってましたけど、

 私と会っていなかったら、

 きっと、別の素敵な彼女と暮らしていたと思います。

 天音は、それでも幸せに暮らしていけたと思います。


 でも、私は……

 天音とじゃなければ、きっと幸せには生きていけないと思います。


 天音と出逢えたことは、

 わたしが生きてきた中で、一番の幸運だったと思います。


 きっと、彼の穏やかでのんびりした性格が

 わたしには合っていたのだと思います。


 彼は、のんびりだから、

 きっとどこかで道草してくれてたんですね……

 わたしが来るまで……一人で待っていてくれたんです。


 いろんな偶然があって、わたしと天音は出逢うことができました

 ひょっとしたら、お母さんは私が思うような人ではないのかもしれません

 それでも……私が彼と出逢えたのは

 お母さんが、天音をこの世に送り出してくれたからです。


 天音は元気ですよ

 いつも朗らかで、働き者で、

 ちょっとだけ……

 ううん、実はけっこう…えっちで……ふふふ

 

 最初は意外で、びっくりしたけれど

 天音は素直にまっすぐに、

 わたしを求めてくれます


 ……こんな屈折した、わたしなんかを

 

 始めは、ちょっと怖かったです

 ずっと男の人から遠ざかってて……

 信用できない、

 身体と心になってしまっていたから


 でも、彼は言いました

 僕も同じだよ、静かにゆっくり

 慣れていってくれれば、

 それでいいんだよ、って……


 歳の事を気にしたこともあったけど

 彼は、年上の方が安心する、

 なんて言ってて……

 でも、そういう好みなのは、

 ひょっとしたら、

 お母さんが恋しいからなのかもしれないですね


 最近、変わった趣味があることも知りました

 けど、それも含めて、彼ですもの

 私は、彼とずっと生きていくつもりです

 たとえ、どんな事があっても

 変わった趣味や性癖があっても……ふふふっ



 お母さん……ありがとうございます

 これからも、天音と私を……見守っていてください───


 


 ──────────── 



「おまたせ」


 操はそう言って、穏やかな顔をして僕の方に歩み寄ってきた。


「うん……、もう…いいの?」


 僕は、そう尋ねた。


「うん」


 操は、笑顔でそう答えた。

 そして、僕の手を取った。


 彼女の笑顔は、一層輝いて見える。

 きっと、誰かに伝えたい思いを置いてきたのだろう。

 

「……行こ!」

「うん」


 二人はうなずき合い、丘の下へまた……一緒になって歩き始めた。




 ──────────


※ご注意

本エピソードに登場する場所・名称と風景は、物語を含めて全てフィクションです。

実在の場所とは一切関係ありませんので、ご注意ください。

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